波打ち際の考察

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波屋山人

紀伊国屋書店のデータベースにも偽博士号や偽学歴がある

2008-12-29 17:49:28 | Weblog
先日、ふと紀伊国屋書店のサイトを見ていたら違和感のある記述を見つけた。

https://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshoseaohb.cgi?W-NIPS=9983908190&AREA=03
> [BOOK著者紹介情報]
> 中杉弘[ナカスギヒロシ]
> 本名・黒須英治。昭和16年9月5日横浜生まれ。都立小山台高校中退後、
> 工学院大学専門学校応用化学科卒。日本電酸工業(現キンチョウ・サンポール)
> 研究部入社、新商品の開発に従事する。K食品会社経営・現在会長、未来型大学
> IOND UNIVERSITY教授・比国立ミンダナオ大学名誉学長・
> 比国立イーリスト工科大学名誉工学博士、正理研究会会長、宝栄山妙法寺管長
> (本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

「イオンドとかミンダナオとかイーリストとか何やねん」と突っ込む前に、工学院大学専門学校応用化学科卒という経歴に注目したい。

先日、中公新書ラクレの「工手学校-旧幕臣たちの技術者教育」(茅原健著)という本を読み、明治時代の工手学校やその後身の工学院大学の歴史について知った。

工学院大学専門学校は、1977年(昭和53年)に募集を開始して、2006年に募集を停止している。
また、工学院工業専門学校は1944年(昭和20年)に開校して、1951年(昭和25年)に廃止された。

工学院に関連する専門学校は上記の2校だけ。
1941年(昭和16年)生まれの中杉弘さんが工学院大学専門学校に入学していたとしたら、36歳以降に入学したことになる。
だが、中杉さんのブログに下記のような記述があるように、1965年(昭和40年)、24歳のころには卒業されていたのではないだろうか。
日本電酸工業という会社名が存在したのも1959年から1969年までの間。

http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/archives/54611911.html
> むかしむかし足立区の小台というところに日本電酸工業(株)という
> 洗剤メーカーがあった。いまはこの会社はキンチョウに吸収されて
> キンチョウサンポールといわれているらしい。夜学出での僕には秋田鉱山の
> 分析技師みたいな仕事とサンポールがあったのだが、山に行くのもいやなので
> サンポールを選んだのである。当時(昭和40年)年商30億を売り上げていた
> 売出し中の会社が僕の最初の就職先になった。

ちなみに、以下のサイトによると、サンポールの歴史は下記のようになる。
サンポールはキンチョウ(大日本除虫菊)に吸収合併されてしまったので、「キンチョウ・サンポール」などという会社は残っていない。サンポールという商品があるのみ。

http://www.jncm.co.jp/necess/history/19461964.html
1959年 日本電酸工業創業
1969年 日本電酸工業はサンポールと改称
1974年 会社更生法を申請
1975年 会社更生法をまとめ再建へ
1982年 米クロロックス社が資本参加し、サンポールクロロックスに改称
1985年 サンポールクロロックス、大日本除虫菊の傘下に
1990年 大日本除虫菊(キンチョウ)、サンポールを吸収合併


とにかく、中杉さんは1951年(昭和31年)から1977年(昭和53年)まで存在した工学院大学専修学校を卒業されたのではないだろうか。
専門学校ではなくて専修学校。ここなら高校中退の人でも入学できる。

1943年生まれのアルプス電気創業者、松井利夫さんは堂々と経歴に「工学院大学専修学校卒業」と書いている。
工学院大学専修学校は、工手学校以来の伝統を継ぐ伝統ある各種学校だった。
1976年以降の専修学校制度による専門学校や専修学校ではなく、工手学校からの伝統を継ぎ、料理学校や自動車学校や編物学校や外国語学校と同じく、各種学校だった。

中杉弘さんも堂々と、「工学院大学専修学校応用化学科卒業」を名乗ればいい。
工学院大学に行っても、専修学校の卒業証明書しかもらえないはずだ。
裁判の時には工学院専門学校卒であると述べられていることもあるようだが、偽証になるかもしれない。
(参考)http://sdseminar.exblog.jp/


自分の学歴に満足できないなら、地道な努力をすればいい。
専修学校を卒業されたアルプス電気創業者の松井さんはその後MBAを取得した。

中杉さんと生年月日が同じある人は、高校を卒業して就職した後、40代で国立大の修士課程を修了した。
もちろん、国立ミンダナオ大学などではなく、きちんと2年間研究室で勉強した。

地道な努力をしない人が、学問の世界ではまったく相手にされないいかがわしい説や主張をぶち上げ、ままごとのような偽の博士号や学歴で権威付けを狙う。

今や、イオンド大学やクレイトン大学やホノルル大学、パシフィックウエスタン大学やヘーゲル国際大学、ニューポート大学などの学位を名乗る人は、粗末な偽造勲章を見せびらかしているような人たちとして見られている。

トンデモ本を多数出版する出版社も今後は出版物についてガイドラインを設ける必要があるかもしれない。
少なくとも、公的なものではない学位や価値の認められない受賞歴を著者プロフィールに掲載することは避けたい。

<参考>
・工学院大学創立125周年記念サイト
http://www.kogakuin.ac.jp/125/about/history.html

1887年(明治20年)
工手学校設立
  ↓
1888年(明治21年)
工手学校開校(本科1年、予科半年)。本科は夜間。
土木、機械、電工、造家(建築)、造船、採鉱、冶金、製造舎密(応用化学)の8学科。
  ↓
1928年(昭和3年)
工手学校を
工学院と名称変更
  ↓
1949年(昭和24年)
工学院を
工学院専修学校と名称変更
  ↓
1951年(昭和31年)
工学院専修学校を
工学院大学専修学校と名称変更
  ↓
1977年(昭和53年)
工学院大学専修学校を廃止し、
工学院大学専門学校を設置。(専修学校制度施行)
  ↓
2006年(平成18年)
工学院大学専門学校募集停止

※参考
1949年(昭和24年)
新学制による工学院大学認可・設置

1944年(昭和20年)
専門学校令により工学院工業専門学校を開校(夜間)
  ↓
1951年(昭和25年)
工学院工業専門学校を廃止。


<参考>「BOOK著者紹介情報」に見られる偽博士号、偽学歴など
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-ISBN=978-4046210281
著者紹介
村山幸徳[ムラヤマユキノリ]
シンクタンク代表取締役、TPI(パシフィック・インスティテュート)‐JAPAN取締役副社長、仏教学博士(イオンド大学)、教育学博士(ヘーゲル国際大学)。1948年、新潟県・柏崎の日蓮宗僧籍に生まれ、幼い頃から仏教や易・気学に浸る。1975年、カトリック25年に1度の「聖年」にバチカンに招かれる。以来、国際的な援助活動・宗教協力に携わり、宗教会議への出席などで世界中を回る。1992年、日本新党の結成に参画。1994年、衆議院議員政策秘書となる。1998年、都市開発と企業経営のコンサルティングを行うシンクタンクを設立。また、全国で「気」についての講演や、人間開発の教育事業を行う(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4833013746.html
高橋美保子[タカハシミオコ]
米国イオンド大学薬学部ハーブセラピスト学科助教授。日本代替医療学会会員。1958年青森県弘前市生まれ。1980年国立弘前大学教育学部卒業。学校法人富士幼稚園教諭。1983年(社)健美会クリニック助手。1989年~(株)バイオシステム専務取締役。1994年~農業生産法人(有)健民ハーブ農場専務取締役。「珠洲ハーブの丘」開園と当時に役員。1996年~北国新聞文化センターハーブ&アロマ教室講師。2002年~NPO法人環境浄化微生物研究所専務理事

南部外茂治[ナンブトモジ]
医学博士・薬学博士(米国イオンド大学薬学部教授)。環境科学博士(比国ミンダナオ国立大学名誉副学長)。(社)健美会クリニック主宰。(株)バイオシステム代表取締役。農業生産法人(有)健民ハーブ農場代表取締役。「珠洲ハーブの丘」創設者。NPO法人環境浄化微生物研究所所長


コメント (68)
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