Scarving 1979 : Always Look on the Bright Side of Life

1979年生な視点でちょっと明るく世の中を見てみようかと思います。

話の持って生き方

2004年09月07日 23時59分59秒 | 1分間スピーチ
今日は、話しの持って生き方でした。

私は、周囲に話し上手とも聞き上手とも言われなさそうですけど、
ひとつの会話の中で、自分の言いたいことを言えるよう相手を誘導したり、
相手に言って欲しい類の言葉を引き出すために妙なことを言ってみたり、
それも上手いかどうか謎ですが、相手に気付かれぬよう、
こっそり会話の制御をしたがるときがあるわけです。

きっと、誰もがそんな制御をしていて、
お互いに化かし合いをするからこそ、会話は面白いわけです。

ただ先週から喉が痛いので制御はせず、お話を見守っていたら、
相手の展開させたい方向を考えず、
自分だけの閉じた空間で正反対の方向に展開している、
そんな現場に、居合わせてしまったわけです。

人が話を持って行きたい方向は、
必ずしも同意や賞賛を得る方向だけではなく、
あえて非難や批判を受けたい、
一緒に非難や批判をして欲しいという場合もあるわけです。

で、今回はどう聞いても、一緒に非難や批判をして欲しい側であって、
同意や賞賛をすると、話はそこで途端に進まなくなり、
そもそもの話の意義さえもなくなってしまう状況で、
話し手が、どうにか非難や批判の方に展開させようとしても、
やっぱり同意や賞賛で返し続けるのです。

せっかくのお話が話し手の期待通りに盛り上がることなく終了。
…ああ、もったいない。

会話って自分の感情や納得とは別のところに存在していて、
別にYESマンであることが正しいことではなくて、時にはNOも言って、
話し手に、話したいことを全て話せるよう誘導すべきだと思うんです。

会話の途中で感じた同意や賞賛は、
もし会話を止めてしまう要素があるのであれば、
あとでひとりで思い返して、勝手にすればいいと思うんです。

…と、そんな風に同意や賞賛を抜いて話を進めたがるので、
私は、話し手から話を聞いてないと怒られがちですが、
ホントに聞いていないのは、胡散臭く同意している、
自称聞き上手のYESマンな気がします。

YESマンって最高の自分勝手ではないでしょうか。
自分の殻でYESYES言っていればいいんですもん。

私はそんなYESマンと話をすると、
全く話す気がなくなります。

心ない同意や賞賛になんの魅力も感じません。
そこで気持ち良くなる程、バカじゃないです。

私はわがままな子供なんです、基本的に。
バカを許せるほどの居量がないんです。

ただ今回の場合、聞き手が、話し手の目を見ることなく、
あまりに前のめりに、話を展開させたがっていたので、
精神的疲労からくる、余裕なき自分勝手なのかな、とか思うわけです。

もし、それが疲労からでなく、その人個人の資質であるならば、
人それぞれの聞き方、強いては生き方があるんだな、なんて思うわけです。

ということで、
話の持って行き方で、生き方がわかる、
そんな言葉遊びはどうでしょう?

というか、お話的に私が正しいっぽくなってますけど、そんなことはなく、
そもそも私は同意や賞賛をまともに出来ない、ひねくれ者なだけですけどね。

世間的には私こそ、
自分勝手なやっかい者でしょうね。

それはそれで答えで、当たりでしょう。

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