Scarving 1979 : Always Look on the Bright Side of Life

1979年生な視点でちょっと明るく世の中を見てみようかと思います。

お通夜

2005年06月12日 23時59分59秒 | 1分間スピーチ
今日は、お通夜でした。

お昼、和歌山や遠方から来て泊まっていたり、
そぞろと集まってくる私から見た叔父叔母いとこ達のために、
長男たるうちの父親が自ら申し出て、
たっぷり20人分くらいの料理をつくり、 祖母の家へと持って行く。

確かに気を遣った素晴らしい行為とは言え、
料理を並べるとき、どうだこれスゴイだろ、と妙に強調する。

その割に、そこでみんなと食べることはなく、
自分の家に帰って食べる。

しかも自分達は、帰宅途中に買った、
コンビニおにぎりっていう手抜きもので終わり。

あぁ、さすが父親、なにもかもが私とそっくりだ。。。

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2日目は、お通夜。

午後4時、霊柩車が祖母の家に到着する。
とっても金ぴかなヤツ。中見るの初めてかも。

私も加わり霊柩車に棺を入れ、
霊柩車をそれぞれの家の車で追う。

しかし、他の叔父叔母車がなかなか発進せず、
我家だけが後をつける状態となり、式場に到着する。

式場に到着後、用意した控え室に入り切れない。

6人兄弟に、それぞれ配偶者、
それぞれ3人4人と子供がいたら、そりゃ無茶だ。

で、外で待ちつつ、受付前の挨拶をする。
が、親戚があまりに多過ぎて、顔がわからない。。。

お通夜が始まると、予想より多く150人以上の列席者。

焼香をしながら1日目と同じように、
むせび泣いている祖母、叔父叔母、そしていとこ達。

お通夜が終わり、みんなひとまず解散となった。

しかし、お通夜から葬式まで線香を絶やしてはいけないので、
その番をしたがった、父親を置いて帰ることに。

泣いた顔を見た瞬間、母親と決まっていたので、
アイコンタクトというか、むしろこちらから提案したというか。

今は一緒に住んでおらず、
今回喪主でないとは言え、そもそも長男だし。

そう、1日目で26年前に倒れた、と言ったように、
私は初孫で、今26歳なわけで、たくさんいる孫の中で、
唯一、祖父がその腕に抱いたことのある存在なのである。

そのことは昔から知っていたけど、
お通夜が終わり、遺族もパラパラと少なくなった席で、
叔母さんに、一緒に撮った写真がある、と言われた瞬間、
張っていた気持ちの線が切れ、立ってられないほど嗚咽して、
その場に座り込んで、文字通り泣き崩れてしまった。

私は孫で最も年上だし、普段感情を表に出さなかったから、
最後までそれを貫こうと1日目から泣かないよう我慢してたのが、
余計に影響したんだと思う。

初孫で最も思い入れも深いだろうに、
私は生まれてすぐ心臓病で心配をかけるわ、
横浜に就職はしてしまうわ、バイクは乗ってくるわ、
曾孫どころか結婚式は見せられなかったわ。

確かに高校や大学に入って入るものの、結局のところ私は、
祖父を心から安心させてあげることをしてあげられなかった。

不器用だから時間はかかると思うけど、
いつか必ず、幸せな家庭を見せて、安心させなくてはいけない。

そんな約束をしてきた。

そして泣くのを止めて、私は前を向いた。

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