「今日の講義で感じた不愉快さの分析」 大木 陽介
今回の講義では、様々な話があった。聞いたことのある話もあったが、初めて知ることが多かった。今日の話題の多くに共通することは、マスメディアで一般的に取り上げられている言説とは異なるものであり、時に「トンデモ論」と批判されていることだった。そして、聞いていて何となく不愉快な気持ちになった。この理由について、私なりに考えてみた。
その理由は、箇条書きにして以下のようなものであると思う。
1:自分の持つ「認識」への批判が、自分自身への批判であると感じることによる「拒絶」
2:相手が自分を馬鹿にしているという感覚による「反発」
3:よく知らない相手から、自身にとって馴染み深いものを批判されたことへの「不信感」
4:先に頭の中にある言説において、「そのような意見を信じてはいけない」とされていることによる「警戒」
5:どちらが正しいのかよく分からないという、すっきりしない「混乱」
・1について
今日の講義でもあるように、自分の意見は自分自身と不可分である。したがって、「自分のものとは異なる意見もある」ということは分かっていても、そこから更に「お前の考えは間違っている」と言われると、自分を否定されたように気持ちになり、心の壁を作ってしまった。
・2について
今日の講義でもあったが、このような話をするときによく用いられている表現として、「あなたは騙されている」というものがある。騙されている=間抜けである、と言われているような気がして、その時点で心理的な反発が生まれてしまった。
・3について
人間には、なじみ深いものや、何度も触れたに愛着を持つという心理的作用(ザイオンス効果)があるという。そのため、マスメディアで良く取り上げられる言説に対し、根拠は無いが愛着のようなものを感じていると思う。それに対し、細田先生とは初めてお会いした。例えば初めて会った人に自分が好きな曲や好きな本を否定されたときのような不信感があった。
・4について
マスメディアでは、国債発行によるデフレ脱却や、炭素社会について、その結末が取り返しのつかないことであるように論じている。(ドイツのような貨幣破綻や、大規模気候変動)そのことから、「そんなことを言って、もしメディアの言うよう結末が実現したらどうするんだ」という警戒心があった。
・5について
対立する意見について調べを進めると、自分には、どちらの言葉も尤もらしく思え、また対立意見を批判するのを聞くと、何となくそんな気がしてしまう。さらに、「陰謀論である」「○○の手先だ」といったレッテルが飛び交い、双方に東大教授が名を連ね、一方が「○○を証明する論文が」と言えば、対立側も「○○を否定する論文が」と言っている。それを聞くと、尚更どちらを信じたらよいか、混乱してしまう。
このような不愉快さがあるから、出来る事なら今日話されたような問題には関わりたくないというのが正直な心だが、何度も指摘されたように、これらは他人事ではないので、それではいけないと思う。まずは不愉快さを飲み込んで自分の中に対立する両論を置き、「多角的な意見」を持ちながら自分なりの考えを探っておくことが大切だと感じた。
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