細田暁の日々の思い

土木工学の研究者・大学教員のブログです。

活物同期

2016-11-28 04:08:06 | 職場のこと

秋も深まり、54年ぶりという東京での11月の雪も降り、「土木史と技術者倫理」は7回目が終わり、折り返し点です。

7回目は「日本の近代化に貢献した土木事業」で、人物としては廣井勇や田辺朔郎らが主人公です。これらの偉大な先輩方の土木事業だけでなく、哲学・生き様にも触れました。

この講義の序盤に、「大衆社会」「大衆性」についても述べました。「大衆性」は近代社会の砂粒のようなバラバラの個人に宿る精神性、であり、分かりやすく説明すると「自己閉塞性」と「どうしようもない傲慢性」を特徴とします。現代であれば、ニーチェの言う「超人」でもない限り、ほとんどの人間に少なくとも少しは宿る精神性とも言え、何とかこれらを低減し、「非大衆」たろうとする努力が必要です。

講義で登場した廣井や田辺はまさに非大衆のお手本です。

藤井聡先生らによる「大衆社会の処方箋」には、3つの処方箋が示されており、その一つが「活物同期」です。

この講義で、廣井や田辺の生き方に触れ、感動することも、活物同期です。

この講義を7回受け、毎回活物同期することにより、自分の大学生活を見直すきっかけとなった学生も少なくないようです。この講義では、「活物同期」以外にも、他の処方箋である「運命焦点化」や「独立確保」も学生たちができるように、講義内容や講義方法に工夫をしているつもりです。

一方で、 今回のレポートには、次のようなものがありました。

「自分の現在の状況がよくないことは分かってきた。しかし、周囲にこのような努力をする人はこれまでもいなかったし、今もいない。」

とても辛い状況と思います。人間はこの現代社会においては、放っておくととめどなく大衆化します。何しろ、弱い人間をつなぎとめる何もの(地域共同体や大家族、信心深い宗教など)もない状況なので、砂粒の個人は浮遊するしかありません。3つの処方箋がなければ、この私でも大衆化は免れえません。

私自身は、何とか非大衆たろうと日々努力していますし、その結果、それなりに活物として生きているつもりですが、ほぼ完全に大衆化してしまった場合の生活を考えるとゾッとします。 

他人なので放っておいてもよさそうなものですが、教職にあり、それなりの講義をすれば気付いてくれる学生たちも少なくない(講義終了後にどうなるかは知りません。個人次第でしょう。)ので、なるべく多くの学生に気付いてほしい、というおせっかいから、毎週数百枚のレポートを採点する、という面倒くさい講義スタイルに落ち着いています。それくらい真剣に講義する(職業の使命を果たす)ということで、私自身も廣井先生や田辺先生の非大衆性に近づいていきたい、ということでもあります。

一番簡単な方法は、活物同期の機会を多くもつことかと思います。

非大衆的な精神が躍動している人物に自分を同期させる。歴史上の人物でもいいですし、身近にそういう師匠、先輩や仲間がいるのがよいです。そういう環境に自分自身を置くのがよいし、非大衆的になってくると、同じような仲間が次々と見つかるようになってくるかと思います。

私も、そのような仲間に多く囲まれているから、さらに努力しようと思えるし、仲間と集うときの時間は格別なものになります。

残り8回の講義ですが、土木についてさらに理解を深めてもらうとともに、歴史、日本について興味を拡げてもらい、世界への興味も持ち始めてもらい、少しでも非大衆に近づくためのきっかけを得て実践を始めてもらえるような内容となるよう、私も全力を尽くしたいと思います。 


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