細田暁の日々の思い

土木工学の研究者・大学教員のブログです。

ポストコロナ、なるもの

2021-10-24 13:47:56 | 人生論

コロナ禍という言葉を聞くようになって下手すると2年近くになろうとしています。

何をもって「禍」というかは、人によって違うのでしょうが、我が国では仕事の仕方、教育のやり方から、レクリエーションまで様々なことが大きな変化を余儀なくされました。

土木史の講義のレポートでは、まさに社会の様々なことがテーマになり得るのですが、少なくない学生たちが「元の社会には戻らない」「オンラインでできるのだから、今さら長距離の交通への投資が必要とは思えない」などなど、オンラインでの社会交流がメインとなるような感覚を持っているのです。

恐ろしい。

オンラインでできるのだから、対面や直接の交流は必ずしもなくても成り立つ、というように思ってしまうことが恐ろしい。

対面や直接の交流の本当の意義を、我々おじさん世代でない、大学生や高校生以下の多くの方々が分からないのは仕方ないとしても、そう思い込んでしまうと、彼らが経験したことのない対面での交流を積極的に望もうともしないだろうし、そうなると本当に将来の社会が不安になります。

オンラインでの会議は、よほどでない限り、用が済めば、「はい、さようなら」です。

人間は五感で生きていますので、会議の直接の目的が達成されれば終わり、ではなく、参加者の顔色やたたずまい・息遣い、機嫌が良いのか悪いのか、色々と観察しながら、たまにはぶつかったり、会議の合間の雑談や、会議の後の懇親会などで、会議の間にはとても思いつかないクリエイティブなアイディアを思いついたり、追加の有用な情報交換をできたりするのです。

それから、人間は、「やるべきこと」をやっていればよい、という存在ではなく、無駄に思えることや、リラックスする時間、自然と自分自身を同期する時間、などなど、人間自体も自然の存在なので、とてもオンラインの社会で人間が活き活きと生きていけるとは思えません。

わざわざ海外に行かなくても、会議などはできますが、海外に行く過程、海外出張中などの様々な経験、失敗がどれだけ自分の肥やしになっているか。海外の国々まで足を運んで訪れた現場や、遺産的な構造物・建築物などに直接に触れた感動が、どれだけ今の自分の肥やしになっているか。そういう貴重な時間を失っていることをもっと深刻に捉えるべきと私は思います。

十分な大人に「なってしまった」人のことなどどうでもよく(申し訳ないですが)、これから社会を支えていく若者、子どもたちが大きく育つための環境を、今一度、守りに入ってしまった大人たちはよくよく考えてほしいのです。本当に子どもたちのことを考えていますか?何をそんなに守りたいのでしょう。

冒頭の「コロナ禍」に戻りますが、社会システムをそこまで変えてしまうほどの「禍」だったのでしょうか?情報、に踊らされる現代の人々の哀れな末路の「禍」であった、というのが私の認識です。

元に戻しましょう。

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追記

オンラインでの会合は極めて便利なので、今後も無くなることはないでしょう。私もオンラインでこそ可能な会合があり、その恩恵に預かっていることは事実です。何事もバランスが大事なのでしょうが、特に日本人は極端に振れる傾向があるので、気を付けておかないと本当に大事なことを簡単に失ってしまうと思います。私自身も、便利なオンライン会議に頼り過ぎないよう、本来、対面でやるべきことは対面で実施するようにチャレンジしたいと思っています。


日常、のような

2021-10-23 15:18:38 | 人生論

街に人がたくさん出るようになりました。

今日は、すごく良い天気で、午後4時から細田研究室の新歓パーティー(オンライン)があるので、午後1時過ぎからジョギングを開始し、先週に引き続いて10kmほどジョギングしてきました。

私のお気に入りの旧東海道の往復コースなのですが、人手が多く、この通りでの久しぶりの高い活気を感じました。人や車に当たりそうになることもあるので、ジョギングは少しやりにくくなりますが、それよりもうれしい気分の方が勝りました。

今日も先週に引き続いてちょうど1時間で10km強。今日は少し体がきつく、もっとトレーニングを重ねないと、年末のハーフマラソン(昭和記念公園)で納得いくRunができないと感じました。あと2ヶ月あるので、シューズもそのうち新調し、トレーニングを自分なりに積んで、よい年の瀬にしたいと思っています。

10月の現時点での平均歩数が12,000歩/日を超えていますが、7~9月は7000歩台でした。明らかに私の通常の平均よりは少ない3ヶ月でした。

10月に入って意識的に歩数を増やしていますが、対面での懇親会の数も少しずつ増えてきて、やはり対面で熱く語り合うと元気になりますね。

まだまだ元の状態には戻っていないですが、少しずつ、かつての日常、のような状況に戻ってきている部分もあります。

先週は、留学生数名を連れて、カレー料理屋で懇親会をしました。学生たちは研究活動をとても頑張っていますが、やはりいろいろとストレスもたまっているようで、バカ話、哲学の話、いろいろ交えた懇親会は大事です。

昨年度、中止になったコンクリートカヌー大会。今年は、何と、オンラインでのプレゼン大会となったようです。それでもYNUコンクリート研はM1の学生たちが中心になって参加を決意し、今週、コンクリートのカヌーを創り上げていました。昨日は、思った厚さに仕上がっていなかったようで、修正をみんなでやっていましたが、仲間たちと苦労しながらものづくりをする、というのは大変貴重な経験かと思います。大変微笑ましく思いました。

今日は16時から、細田研究室(私を入れて18名のようです。結構、大所帯ですね。)の10月の新加入メンバー(D1・チェコ、M1・ウズベキスタン)の歓迎会です。研究室全体で実施すると50名近くになってしまうので、現状では不可能、と判断し、細田研究室のみでやることにしました。

今年度新たに立ち上げた研究テーマも少しずつ走り出したり、さらにこれから新たに2つ程度の研究プロジェクトも立ち上げようとしています。研究は常にチャレンジングですが、研究をすることで皆が磨かれ、私も社会に総合的に貢献していくための原動力となります。

10/18は山口県の品質確保の講習会で講演しました。10/29は大豊建設に招かれて1時間の招待講演をします。コロナ禍の前は、数多くの講演を行っていましたが、その意味でも少しずつ、日常、に戻ってきているのかな、と感じます。

以前のようには戻らない、と言う人も多くいますが、少なくとも私は以前の方が楽しかった。

どのような将来は待ち受けているのか分かりませんが、人間らしい生活をできる社会であってほしいですね。



山口県の品質確保の講習会(第15回)

2021-10-19 09:43:52 | 研究のこと

昨日、第15回の山口県の「コンクリートの品質確保」の講習会が開催されました。

私も30分の講演をしました。「AIで施工記録データベースを分析して得られる知見と今後の展望」というタイトルでした。

講習会の動画はYoutubeで公開されておりますので、ご興味があればどうぞ。私の講演は、47分20秒ごろからスタートします。

講習会で講演者が使用した発表ファイルのダウンロードもできますので、ぜひご活用ください。

私も決して若くはありませんので(田村先生はもっと若くない!)、若手の教員として、徳山高専の温品准教授が山口県の構造物の調査結果について講演されたのは、山口システムの継続的発展のためにとても良いことだと感じました。

また、コンサルタント会社による、橋梁点検データのユニークな分析、生コン工組からの生産性向上に向けた情報、施工者や監督職員による橋台の品質確保とひび割れ抑制の事例発表、などなど、盛だくさんのメニューで、私も大変勉強になりました。山口県の施工状況把握チェックシートが改訂されたのも、とても大きな一歩であると思います。


情報発信と記録の蓄積、が重要ですね。今後も長く続いてほしい講習会です。


雑用

2021-10-17 12:44:53 | 人生論

10月に入り、秋学期が始まり、あっという間に時間が過ぎていきます。

秋は、学部の講義「土木史と文明」と「メインテナンス工学」がありますので、学生たちとのレポートでのやり取りや、質疑応答などでコミュニケーションする機会も多く、私自身も自然に元気になっていきます。講義の状況は、また別のブログにて。

9月に長女の毎日お弁当生活が始まり、次女も日曜日の塾のサンデー特訓のお弁当が必要になり、お弁当を作る機会が増えています。

お弁当は当然、早朝に作るので、早朝の「雑用」が増えるわけです。

現在、48歳の私は、これらの雑用に比較的楽しく取り組んでいます。

人間の1日の生活は、大小様々な仕事、できごと、などで成り立っています。私は今年度、大学の土木工学教室の主任を務めていますので、博士課程後期の専攻長も務めていますし、大学院の代議員も務めているので、会議も多く、様々な仕事が降ってきます。

研究者・技術者だからといって、研究や技術のことばかりやっているわけでは決してありません。

そして、それら様々なことをこなしていくためには、それらに必要な心身の機能にエンジンをかけておく必要があります。何事も、いきなりはできないし、助走のようなものが必要です。

だから、朝の家事、弁当づくりや、体操などは様々な一日のアクティビティに対してエンジンをかけておく、という意味があるのだな、というように最近は捉えるようになっています。

若いころは特に、雑用をやりたくない、という意識が強かったです。が、この年になると人事などの重要事項も含め、雑用もやらないと組織が回らないことがよく分かってきますし、雑用も研究のうち、ということも分かってくるようになります。

今日の日曜日は朝は天気が悪く、11月23日(火)に予定されている港区ハーフマラソン(3年ぶりに出場予定)のために本格的な走る練習(10km強)を開始する日にしようと思っていたのですが、午後に雨が止むようなのでそれまでデスクワークをすることにしました。。。
(→ 午後に、ちょうど1時間で10km少し、走り切ることができ、気にしていた左ひざ裏の筋肉も痛くなることもなく、無事に完走。気持ち良い!)

9月前半に「副作用」の影響もあって体調が悪く、走るのは控え、9月中旬から歩く歩数を大幅に増やし、今のところ10月の平均歩数は12500歩強/日。急に歩く歩数を増やしたからか、左ひざ裏の筋肉が少し痛く、マッサージ等でケアをしている状況です。

さてさて、無事にハーフマラソンを完走できるでしょうか。今年は、タイムはあまり気にせず、怪我無く気持ちよく完走することを今のところ目標にしております。

-->> ああ、悲しい。。。

本日午後、10kmのRunをしている途中に、「あれ、ハーフマラソンの抽選には通ったけど、参加費を申し込んだっけな?」と気になり、帰宅してリラックスした後に調べてみたところ、やはり参加費を期限までに申し込んでいなかったようで「無効」になってました。。。悲しい。。。

せっかく練習を開始したので、別のハーフマラソンなどの大会を探して登録しようと思います。。。

--> そして、翌日。年末の12/29に、昭和記念公園でハーフマラソンがあるので、それに登録しました。。。寒そうだけど、頑張ろう。




濱口 梧陵(はまぐち ごりょう)

2021-10-10 13:57:08 | 趣味のこと

土木学会のWeb情報誌の "from DOBOKU"の中の、「土木スーパースター列伝」から寄稿を依頼されまして、
濱口梧陵(はまぐち ごりょう)についての原稿を書きました。11月5日に掲載予定、とのことです。

編集部に、一般向けの楽しい語り口に「厳しく」修正される、と聞きましたので、初校をこのブログにあげておきます。

濱口梧陵を知らない方も少なくないと思いますが、日本人全員が知っていてもおかしくない偉人です。ぜひ、この機会に知ってください!

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タイトル:【濱口梧陵】「これぞ公共事業!」 土木スーパースター列伝 No. ??

こんにちは。横浜国立大学教授の細田 暁です。

コンクリートの研究をしておりますが、土木史が大好きで、勤務先の大学の全学教養科目の「土木史と文明」という講義も担当しています。講義では国内外のたくさんの偉人を紹介しています。土木史は面白いですよ~。

今回は、濱口梧陵(はまぐちごりょう)を紹介します。この記事を書くにあたって、復習してみましたが、まあすごい人物です。私の土木史の講義では時間が限られているので、濱口梧陵のことを紹介できていなかったのですが、大反省しました。今年の10月からの講義では絶対に紹介します!

濱口梧陵(1820~1885)は、皆さんもご存知のヤマサ醤油(1645年創業)の七代目の当主でした。当主の時は濱口儀兵衛(ぎへえ)という名で、梧陵は当主を退いてからの名前です。今回は、儀兵衛の名で彼の伝説的な生涯を紹介しますね。

稲むらの火の津波防災でも有名ですが、なんと儀兵衛は勝海舟、佐久間象山、福沢諭吉などとも親交が深く、我が国初代の郵政大臣でもあったすごい人物なのです。

レジェンド儀兵衛①〜稲むらの火

「稲むらの火」と聞くと、小学校の教科書で習ったのを思い出す人もいるかもしれません。この話は、江戸時代末期の安政南海地震での儀兵衛のレジェンドです。

1854年,34歳であった儀兵衛は,醤油づくりの銚子と江戸の店での陣頭指揮と,家族のいる地元の紀州(現在の和歌山県)の広村を行き来する生活を続けていました。

11月5日の午後4時頃,安政南海地震が発生しました。津波から高台へ人々は逃げましたが、逃げ遅れた人も多くいました。儀兵衛も逃げる途中で第一波に飲み込まれ、木の幹にしがみついて何とか小高い丘にたどり着いた、という状況でした。

第二波,第三波が来ることを知っていた儀兵衛は、高台の神社の近くの稲むら(稲を刈り取った後に、実を取って干した稲の束。翌年の肥料として使ったり、縄の材料として貴重)に火をつけて、逃げ遅れた人々を高台に誘導しました。四回にわたった津波は広村を壊滅させましたが、ためらわずに稲むらに火を放った儀兵衛の勇気と判断力が、多くの人々を救ったのです。

レジェンド儀兵衛②〜広村の復興

儀兵衛のすごいのは、壊滅的な被害を被った広村の復興を私財を投げうって成し遂げたことです。土木や公共事業の理想的な姿が見える気がします。

大地震の翌朝、隣村の庄屋さんと交渉して、五十石もの年貢米を借りる約束を取り付けます。神社の近辺に1400人もの人が避難していたので、約2週間分の米を確保したのです。

広村を捨てて他の土地へ移住することも考える住民が少なくない中、儀兵衛は濱口家の財産を使って、50軒の仮設住宅を建て、無料で住んでもらうことにしました。

農民の農具、漁民の用具や船、商売への資金、などの援助も行いました。

そして、将来も確実に襲ってくるであろう大津波から広村を守るための、堤防の建設を主導したのです。建設費用も自分で支払い、高さ5mほどに及ぶ大堤防の建設は、財産を失った村人の仕事を作る目的も兼ねていました。まさに公共事業ですね。

儀兵衛は、村を救うために5000両(現在の約2億5千万円)もの財産を投じたと言われています。堤防工事の始まった1855年の10月には、江戸で安政の大地震が起こり、ヤマサ醤油の江戸の店も大きな損害を受けました。しかし、当主の儀兵衛の世のための行いを支えるため、銚子の店の者たちは一丸となって働き、尊敬する当主を支えました。

1858年に、高さ5m、幅20m、長さ600mの堤防が完成しました。この堤防のおかげで、1946年の昭和南海地震の津波のとき、広村の人々は大きな被害からまぬがれたのでした。

11月5日が「津波防災の日」とされているのは、ここまでご紹介した儀兵衛の津波対策にちなんでのことなのですね。



学生たちとの見学会で,広村堤防の上にて。

レジェンド儀兵衛③〜独立の精神と教育への情熱

儀兵衛は、1841年に蘭医学者の三宅艮斎(ごんさい)と出会い、お互いに尊敬し合う関係を築きます。当時、日本の各地で天然痘やコレラなどの伝染病が流行し、多くの人が命を落としていました。儀兵衛は艮斎の医療を支援し、後に、艮斎が江戸で多くの蘭学医と協力して、種痘所を建設するときにも多額の寄付をしています。予防接種を目的に建てられた種痘所は、現在の東京大学医学部の前身でもあります。

30歳のときに、儀兵衛は佐久間象山の弟子となり、津波防災の科学的な知識を得たのも象山からのようです。

同じく30歳のときに、儀兵衛は勝海舟と出会い、終生の友となります。勝海舟が咸臨丸の館長として日本で最初のアメリカ渡航をしたときにも、儀兵衛を強く誘いましたが、深く悩んだ結果、広村の教育を放り出すことができず、泣く泣く断りました。

我が国の発展のため、儀兵衛は教育事業に情熱を注ぎました。1852年に「広村稽古場」を開き、学問と武道の両方を教えました。現在も、耐久中学・高等学校として残り、1870年に建てられた稽古場の建物が「耐久舎」として中学校の敷地内に残っています。



私の研究テーマの一つが、コンクリート構造物の「耐久性」です。なんとも言えない親近感を覚えてしまいました。。。

儀兵衛が広村での教育事業をさらに本格的なものにしようと考えていた47歳のころ、32歳の福沢諭吉と出会います。二人はすぐに打ち解け、儀兵衛は諭吉から教育事業における様々な助言を受けました。

レジェンド儀兵衛④〜政界への進出とアメリカでの最期

土木の分野では、津波防災で有名な儀兵衛ですが、晩年は政界でも大活躍しています。ここでは、ごく簡単にですが、梧陵の活躍をご紹介します。

巨大津波からの復興事業などの功績が認められ、1868年に正式に紀州藩の役職に就く。3年後に和歌山藩大参事(副知事のような役職)に就く。

明治政府から、初代の郵政大事に指名され、西欧の郵便制度の導入に着手。

1880年に和歌山県議会の初代議長に選出。

1884年に64歳のとき、すべての役職から引退し、いよいよ念願の海外渡航計画を実行に移す。

1884年5月30日、福沢諭吉の弟子である金子弥平をお伴に、横浜港からアメリカに向けて出発。アメリカの自然の雄大さ、列車の速さなどに驚く手紙を諭吉に送っている。

ナイアガラの滝の観光を終えて、ニューヨークに着いてから、体調を崩す日が多くなり、1885年4月21日、ニューヨークの病院で息を引き取った。

金子が力を尽くして立派な棺を用意し、多くの防腐剤をしこみ、厚いガラスでふたをした鉄の棺は、約1か月後に横浜港に到着した。海舟と諭吉の提案で横浜にて開かれたお別れの場には数えきれないほどの人が3日間、長い列をなした、とのこと。

おわりに

皆さん、濱口儀兵衛の生き様、いかがでしたか?まさにレジェンドですよね。儀兵衛の防災、公共事業に対する考え方、教育事業への情熱、は現代のわれわれもお手本にすべき素晴らしいものと思います。

もっともっと濱口梧陵のことを、多くの国民に知ってもらいたいですね!

参考文献:時代を切り開いた世界の10人 レジェンドストーリー,10巻 浜口儀兵衛,学研教育出版,2014