細田暁の日々の思い

土木工学の研究者・大学教員のブログです。

罪深き

2014-12-29 00:04:31 | フランスのこと

12月28日(日)のパリ。快晴ですが、非常に寒い一日です。週明けはもっと寒く氷点下になるようです。

パリらしい冬の午後、子どもたちと公園に遊びに出かけました。現在住んでいる貸しアパートからすぐのところに教会もあったので、子どもたちと三人で入りました。とても素敵な教会で、子どもたちと穏やかな気持ちになりました。

その後公園に行き、遊具等で遊びましたが、極めて寒く、子どもたちも遊具の金具がすごく冷たい、と話していました。

教会が暖かいので、帰宅する前にもう一度、教会に寄りました。下の写真は、教会の最前列で何らや敬虔な気持ちになっておられる子どもたちです。

 

わがままな人間が増えている今の世の中。

キリスト教では、人間は本来、罪深い存在とされているかと思います。

「世に棲む日日」で描かれているように、高杉晋作は、人間の一生はせいぜい、「三銭のプラス」というようなことを言いました。高杉晋作をもってしても、です。

基本的には、生きているだけで周囲に迷惑をもたらすのが人間という存在です。様々なものや仕組みに支えられて、生かされています。

私自身は、現在は性善説に近い立場で物事を捉えています。私は世の中に求められる役割を果たすべくベストを尽くす性質があり、時代の大きな転換点で、前に向かっていくポジティブな方々との連携が極めて重要なため、性善説的に思考し、行動しているのだと自己分析しています。また、そのやり方が、私自身の能力を最大限に発揮することも知っているからだと思っています。

知ってしまえば、自らが罪深き存在であり、多くに支えられている存在であることなど自明であり、何とか周囲に貢献したいという気持ちを持つことも難しくないはずなのに、そんな当たり前のことが難しい現代社会。日本社会。

そのようになるべく多くの方々に気付いてもらうことも、私の果たすべき役割の一つだと思っています。 

このエッセーを書き終ったらまた、子どもたちとトランプです。。。 


年の瀬 in France 

2014-12-28 20:14:53 | フランスのこと

二年連続で、年末年始をフランスで過ごすことになるとは、以前は思っていませんでした。

昨年の年末年始は、クレルモン・フェランにある奥さんの親友家族の家に遊びに行き、2泊しました。クレルモン・フェランに到着した12月30日に、10kmの仮装マラソンに奥さんの親友のロレーヌと一緒に出場したことを懐かしく思い出します。何とか1時間を切りましたが、アップダウンが激しく、終盤の長いダラダラ登り坂がかなり苦しかったです。

今年は、1年の終盤の3ヶ月を、私が日本に単身出張する形で家族と離れて過ごしました。3ヶ月弱の「日本出張」を無事に終えて、パリの家族に合流し、年末年始を一緒に過ごすことができてとてもうれしく思います。私のいないパリでの3ヶ月は波乱万丈だったようで、よくぞ乗り切ったものだと感心します。その分、家族それぞれがたくましくなり、様々な経験を積んだようで何よりです。

私は12月23日の早めの夜に到着する予定でしたが、Finnairのトラブルで24日の深夜1時ごろにタクシーで到着しました。貨物室のトラブルだったそうで、スーツケースが同じ飛行機に載せられず、リュック一つで到着。ヨーロッパに深夜1時に着く、というのはかなりの時差ボケに陥ることを今回身を持って経験しました。

今日は28日(日)ですが、今日、ようやく時差ボケも解消できました。

昨日、27日(土)の昼過ぎに、ようやくスーツケースが到着し、メンタルストレスも解消。

27日(土)の夜は、家族でお出かけ。長女の所属しているバスケットボールのクラブの誘いで、男子プロバスケットボールの試合を見に行くことができました。長女は、ユニフォームを着て、男子選手と一緒にコートに入場する役目も与えられ、大変に良い経験をしました。

フランスのプロバスケは非常にレベルが高く、とても激しいディフェンスで、数々のダンクシュートも見られ、単純に観戦を楽しみました。長女だけ、家族と離れた場所で観戦していましたが、ホームのチームのエース選手(アメリカ出身)のリバウンド力に感心しており、着眼点がしぶくてよかったです。

27日(土)はひたすら寝ました。朝4時に起床して一仕事しましたが、朝食後、一寝。昼食後、娘たちとトランプ等で戯れた後、バスケ観戦に出かける前に2時間弱、昼寝。バスケ観戦後、中華のお惣菜を買って自宅で夕食。その後、娘たちと坊主めくりをした後、長女と就寝前にチェスを一戦。その後、8時間程度快眠しました。

日本での3ヶ月出張の疲れをすべて取るかのような、良く寝た一日でした。

今日28日(日)は、やや活動的になってきました。1月14日が締切りのJCI年次論文集の原稿群との格闘を開始していますが、元留学生や現役留学生の英語の論文が年内にほぼ仕上がりそうです。講義関係の添削作業や、原稿の執筆にも着手を開始しており、精神的にも満足できる年末になりそうです。

今夜は、貸しアパートにお友達が数人遊びに来て、年末の楽しい時間を過ごすことになりそうです。


英単語

2014-12-26 14:03:53 | フランスのこと

パリに到着して丸二日とちょっと経過しました。

Finnairが6時間遅延したため、住み慣れたパリ15区の住居から、貸しアパートへの引越し作業に間に合わず、本当に最後の撤収のところだけ手伝うことになりました。それでも、住居の撤収は極めて大変なので、最後の最後だけでも手伝えてよかったです。

今回のFinnairの遅延の迷惑はかなりひどく、いまだに私のスーツケースが届かない状況です。成田からヘルシンキに向かう機体にトラブルがあったからですが、その機体の貨物室にトラブルがあったようで、荷物を積み込むことができず、いまだにどこかをさまよってます。着替えも何も無い状況でパリに着いたので、パンツ2枚、靴下3枚、Tシャツ1枚を街中の店で買って、何とかしのいでます。土木史の授業で学生たちが喜ぶ海外でのトラブルに、またネタが増えたことになります。

貸しアパートでは今のところ家族とのんびり過ごしています。26日は奥さんが出勤するので、少し変化が出るかと思いますが、特に冬休み中で時間のある子どもたちと、トランプ、その他のボードゲームや、絵本を読んだりしています。トランプでは、我が家では初導入の、ブラックジャックや、ポーカーでも盛り上がっています。

私は今回の6時間遅延の影響もあり、貸しアパートへの到着が夜中の1時になったため、どうにも時差の影響がぬぐえず、昼食後には昼寝をせざるを得ず、朝は3時や4時に目覚めてしまいます。

昨日25日は、昼食を私と長女で準備しました。炊飯器も日本に船便で送ってしまったため、ご飯を鍋で炊きました。八百屋で調達してきたアスパラガスや、トマト、菜っ葉などを準備し、以前に購入した餃子を焼きました。使い慣れない台所なので、たったそれだけの準備でも結構手間取りました。長女といろいろと連携をして、昼食の準備を整え、皆でおいしくいただきました。たくさんの野菜も、餃子も、ご飯もすべて無くなりました。

昼食をたらふく食べたので、当然に眠くなるわけですが、次女が許してくれません。ベッドに寝転がりながら、いろいろ遊びをした後、英単語の本を持ってきました。フランスの子どもが、フランス語で英単語を学ぶ絵本です。様々なジャンルの単語が絵とともに紹介されています。とても楽しい本でした。

次女がジャンルを選び(食べ物、動物、色、人間の体、などなど)、私が一つずつ英単語を読んで、次女が復唱していきます。

さすがに、インターナショナルプレスクールに1年以上通っただけあって、英語の発音は非常に上手です。ほとんど私が修正する必要のない発音がほとんどでした。ちょっとだけ発音が違っているときも、私が昼寝前でしっかり発音できていなかったこともあったので、しっかりとゆっくりと発音すると、見事に復唱していました。

3ヶ月、家族と離れて暮らしていたので、娘たちにとっては父親と触れ合うのが楽しいようです。それを父親としては喜ぶべきですね。

トランプ、 ボードゲーム、英単語の練習など、それくらいの時間は大事に子どもたちに捧げようと思います。

論文の添削や執筆など、やるべきことは相変わらずたくさんあるため、未明の時間等をうまく活用して、これまた人生でまたと無いであろう、パリの貸しアパートでの年末年始を楽しく過ごしたいと思います。 


家族との再会

2014-11-24 15:14:18 | フランスのこと

束の間の休息が終わりました。

約二ヶ月ぶりに家族と会いました。これだけ離れたのは私にとっては初めての経験です。

金曜日の早めの夕方に自宅に到着しました。日本へ送る船便の手配のため、奥さんと次女が自宅にいました。

私が家に入ると次女が早速大騒ぎして、奥の部屋に行って早速本を読んでやったり、遊んでやりました。

その後、次女と近所に買出しに出かけました。ボジョレーヌーボーの季節ということもあり、ワインやチーズなどを少し買って、二人でバーで飲み物を飲んで帰宅。

少し待っていると17時半くらいに長女が帰宅。金曜日の放課後に公文を習っており、何とか早く終わらせて飛んで帰ったそうで、帰宅後、飛びついてきました。娘二人に抱き付かれて至福の状況。

その後、奥さんが夕食の材料の買出しに出かけ、ホタテ貝のバター醤油焼きがメインのおかずになり、日本からお土産で持ってきた辛子明太子や鞆の浦のチリメンもおかずになり、皆でワイワイ食べました。

私は時差もあったので眠たく、次女と二人でぐっすりと寝てしまいました。

翌日以降、土曜日と日曜日は、家族と過ごしました。土曜日には、長女がバスケットボールの試合に初めて出場し、一つか二つ年上のチームに借りだされた状況での出場、と推察しましたが、スタメンで登場、お世辞抜きで大活躍でした。得点も決めたし、とにかくパスカットが多い。ナイスパスもたくさんあり、チームの原動力となっていました。

土曜日の夜は、長女のバスケットボールのデビュー戦に皆で乾杯し、長女はものすごくご機嫌。私も、これほど親に褒められたことは無いんじゃないかな、と思います。そして、またまた私は次女と二人で寝てしまいました。

日曜日は、朝のパンを次女と買出し。朝食後、皆がそれぞれのやるべきことをやって、次女とマルシェに買い物。

昼食前に、長女とバスケットの練習を少しやりました。

昼食には、明太子のおにぎり、から揚げ、ソーセージ炒め、アスパラガスなどを作りました。昼食、夕食と私が作りました。今回の滞在中に5食、担当しましたが、私の得意とするところなので、多少は役に立ててよかったです。

日曜日の夜は、娘たちと一緒にお風呂に入りました。その後、本の読み聞かせを二人にしてやって、三人で寝ました。

家族が元気そうでよかったです。私も、滞在中の週末には昼寝もたっぷりさせてもらい、体力も回復しました。

火曜日の早朝に羽田に到着予定で、そのまま大学に向かい、講義をします。

27日の木曜日の夜には釜石に乗り込み、構造物の調査、仙台での会議、勉強会などです。

怒涛のように12月も過ぎていくことでしょう。

次の家族との再会は一ヶ月後です。離れて分かる、家族のありがたさ、です。


家族の待つパリへ

2014-11-07 08:26:01 | フランスのこと

二週間後にほんの数日ですが、パリに行きます。プライベートです。

土日はフルにパリで過ごせるスケジュールにしました。そうすると、24日の月曜のかなりの早朝にパリの家を出発して、午前の飛行機に乗り、25日火曜の朝7時前に羽田に到着して、大学に移動して講義連チャン、というタフスケジュールになります。

すでに6週間、家族と離れており、私の人生で初めての経験です。会いたい気持ちが募っています。

私が日本に戻って6週間ですが、まさに息付く暇が無いくらいの状況になっていますが、それもまた楽しいです。

2週間後にパリに行ったときは楽しいに決まっているでしょうが、その後の年末までの超繁忙期もまた目一杯頑張るでしょうから楽しみです。

年末は、再びパリに行き、家族四人で最後の時間を一緒に過ごし、年始に一緒に帰国します。

帰国後はかなりバタバタするとは思いますが、新たな生活を、様々な方々のサポートもいただきながら構築していくことになります。

それも、また楽しいはずです。

一日一日が大切であり、もちろん先を見据えた計画が重要であることは論を俟たないですが、やはりその日、その時間にできうるベストを尽くすしかありません。

今日は青森河川国道事務所での委員会+研修会で日中の仕事も楽しみですし、夜の懇親会も大変に楽しみ。

明日、土曜日はせっかくの機会なので中尊寺辺り(あくまで予定)を一人で散策し、夕方に私の妹と合流して陸前高田に向かって宿泊。

明後日、日曜日は、南三陸を初めて訪れる私の妹とともに、早朝からレンタカーで南下し、石巻辺りまでをずっと視察して、仙台から帰宅する予定です。


外国を知ると

2014-11-01 09:25:07 | フランスのこと

よく一般論として、外国を知ると、日本を深く知れるようになる、というようなことを聞きます。

フランスに留学する前に、埼玉大のM先生とお話ししたときに、「海外留学するから日本を知れるようになるわけではない。そういう人もいるけど、そうでない人もいる。人次第ですよね。」と私がお話ししたら、「まさにその通り」とM先生は言われました。

人間はどうしても無意識の思い込み、というものも存在します。自分の考え方が間違っている、と思う人はほとんどいないでしょうから、どうしても自分の見方に縛られてしまう。特に組織には、文化があり、システムもあり、物の見方を上から強制される場合もあるため、自然自然に物の見方が凝り固まってしまう場合が多い。もちろん組織にいても、縛られない人もいます。

私は、組織という意味では、JR東日本と、横浜国立大学を見てきました。 また、学生時代の東京大学コンクリート研究室ももちろん、組織です。

複数の組織を見た、ということは物の見方が偏向的になることを抑制する原動力になっていると思います。

私はよく人から、「変わっている」と評されることが多いですが、私からすると、私のことを変わっていると思う人の方が、変わっている方だなあ、と感じます。私は、真っ当に思うことを誠実にやっているだけ、だからです。

そして、フランスで一年を過ごしました。

自分では明確に理由は分かりませんが、やはり、日本のことを以前よりは深く理解できるようになったようには感じます。

外国に真の興味を持つことができた、ということが理由なのでしょうか。

外国(今回は特にフランス)にも真の興味を持ち、いろいろと観察をし、同時に日本に対する興味もさらに強くなりました。

日本やフランス、さらには世界の状況、歴史について知りたいという気持ちが強くなったので、様々なツールを用いて勉強をしたのだと思います。読書ももちろんですが、人と話すことや、現地を見ることなども通して。

視点が増えると、また、思考の軸が増えると、自分自身も拡がっていきます。

日本に帰国して、とにかく人に会う機会がさらに激増し、ほぼ常に人に会っている状況になってきています。

自分自身の専門分野の人たちに限らず、様々なジャンルの方々と会う機会が増えてきている。そうすると、また視点も増えてきます。

たくさん、勉強することだらけです。


フランス滞在の総括

2014-10-03 23:50:30 | フランスのこと

帰国から少し日が経ちましたが、帰国翌日からの慌ただしい日々が終わり、金曜日の夜、ぐっすり寝ようと思い、寝始めたのですが、日付の変わる前に目覚めてしまいました。いろいろなことが頭をよぎり、フランス滞在の総括をブログに書くことにしました。

1年間、いろんなことがありましたが、やはり最も学んだことは、自分の家族に関することでした。

まず、我が妻へ、感謝します。大変な状況の中、自分の仕事も頑張りながら、私たち家族の短期・中期的な生活環境が良くなるように、子どもたちの将来のことを常に考えながら、段取りや毎日の生活をしてくれて、ありがとう。私が一人、先に帰るので残りの時間は大変かもしれませんが、みんなで力を合わせてやってください。やってくれることを信じています。渡航前や、渡航後しばらくはいろいろありましたが、やはり私はあなたを愛していることに気付きました。我が愛する妻よ、ありがとう。

そして、娘たちへ。何も言うことはありません。パパは君たちが大好きです。もちろん分かっているだろうけど、またと無い時間だから、一所懸命に、そして楽しんでください。そのうちパリに行くから楽しみに待っててください。

フランスでの滞在中には、日本に何度も戻ってきて、東北の復興道路や山口県の品質確保等を中心とする実務プロジェクトにも自分の思ったように関与することができましたし、パリにいても時間があるので、Skypeなどを使って結局は学生の指導も適切に、人によっては日本にいるより十分にできたと思います。結果、研究は大いに進展した、と思っています。

家族がいたこと、私の所属した研究室のリーダーが病気療養中であったこと、などもあり、所属した研究所での研究、という観点では満点ではないのかもしれませんが、今後に向けて信頼できる人脈はいくつかしっかり築いてきました。また、最後の9月に様々な研究者とのディスカッションも深まり、勢いを付けて日本に戻ってくることができました。今後の連携の芽も、病気療養から復活中のリーダーと真剣に議論することが最後のミーティングでもでき、とてもうれしかったです。

本はたくさん読みました。今後の肥やしにします。

フランスはとても素晴らしい国でした。問題も多く抱えていますが、日本と相対的に比較しながら、両国の長所、短所をじっくりと時間をかけて観察できました。もちろん、私の観るレベルでの比較になりますが、自分のレベルを超えた観察はできないので、これでいいです。じっくりと消化していきたいと思います。

仏滞在中にたくさんの方々が訪問してくださったのも、心から嬉しかったです。旧交を温めたり、いつも会ってる方々だけど、日本を離れて徹底的にコミュニケーションできたり、初対面で完全に意気投合したり、といろんなパターンがありましたが、やはり最も大切なのはコミュニケーションであることを、皆様からも教えていただきました。本当にありがとうございました。

私や私の家族のフランスでの滞在に際して、数えきれない方々のサポート、応援をいただきました。心から感謝いたします。この留学の機会をいただいて、私や私の家族が成長することがまず第一でしたが、それはもちろん、我が国家の将来のためであることは心の底、腹の底から承知しております。少し時間がかかるかもしれませんが、学ばせていただいたことを、私なりに還元していく所存ですので、今後ともよろしくお願いいたします。

 


終わること

2014-09-25 16:56:21 | フランスのこと

日本への帰国が明後日に迫ってきました。今週は木曜日まで非常に忙しく、いろんな方とあったり、研究もしたり、家事もしたりです。

今日木曜日は首都大学東京の清水哲夫先生と初対面ですが、パリの街中でお会いした後、研究所に行って、2人の研究者と別々にミーティング。合計で4時間ぐらい研究のディスカッションをして、私の研究所での生活も終わります。

1年前、日本での生活にケリを付けて、フランスへ渡航してくることは私にとっても家族にとっても容易なことではありませんでした。今回は、私単身で戻りますので、それほど大変ではなく、日本での生活は忙しいとは思いますが、勝手を知った日本ですので、まあ何とかなるに決まっています。

フランスでやりたかったことを全部やり切ることはできませんでした。が、滞在を終わるに際して、ケリを付けられることについてはなるべくしっかりと仕上げをしようと思い、実行しています。

フランス語のレッスンも昨日、最終回が終わりましたが、終盤は異様に盛り上がりました。私が事前にエッセーをフランス語で作文をして、それを先生のChristianに添削してもらって仕上げる、という作業を4回行いました。4つのフランス語でのエッセーが形にのこりました。その過程でChristianとはより信頼関係も増し、親密になれました。パリには今後何度も来るでしょうから、ぜひまた会って食事でもしたいです。

子どもたちのお弁当作りも、ちょうど100個で終わることができそうで、これも人生の記念になると思います。どうでもいい日常ですが、日常をしっかりと生きることでしが、何も生まれないと思っています。

研究も、9月には非常に充実したディスカッションを重ねることができ、今日はその仕上げです。

長らく苦しめられてきたある報告書の作成も、帰国までに完了です。これには相当に悩まされてきましたが、この1年の滞在期間があって、多くの方のご協力もいただいて何とか立派な報告書ができたと思っています。 

自分自身の書き物、実構造物の調査結果のレポートなどを、残りの金曜日と土曜日で仕上げ、すっきりして帰国したいと思います。

秋学期の講義の準備はついに手が回らず(題材は山ほど入手してますが)、まあいつも通り、講義の実際の進捗と合わせて講義資料に昇華されていくのでしょう。

フランス渡航前はいろいろと課題もあった家族内の人間関係も、私としてはとりあえずのベストと思える状態にまで改善されてきたと思います。あと数日、しばらく離れる家族とのコミュニケーションも大切にしたいと思います。

明日金曜日からの二日間は、せっかくなのでパリの中をゆっくり散歩もしながら、終わりに向けて仕上げをしたいと思います。もちろん、日本へ帰るスーツケースの準備も。 


Mon Cher Professeur, Christian (Essay in French No.4 and the last)

2014-09-25 06:06:16 | フランスのこと

J’ai pris des leçons de français avec Christian 22 fois depuis le 26 Février 2014.

C’était un bon temps pour moi, et j’ai appris beaucoup.

Bien sûr, c’était la première fois que j’apprenais le français avec des explications en anglais, et j’ai senti beaucoup de choses.

J’étais heureux de pouvoir communiquer avec un français ayant une large expérience de la vie et un esprit ouvert, discutant de différents sujets de société, d’histoire, de culture française ou japonaise.

Quand j’ai emmené mes enfants à la leçon, Christian nous a toujours bien accueillis. Mes enfants ont dû sentir quelque chose en voyant leur père qui appréciait la leçon.

Christian était toujours souriant et capable de me guider convenablement, donc je pouvais être décontracté pendant la leçon.

Il a expliqué les nuances très ambiguës avec de très bons exemples.

Je suis aussi professeur au Japon, donc j’ai essayé de mon mieux afin que Christian puisse enseigner de bonne humeur.

C’était un moment d’études agréables, ouvert vers l’international, réalisé par nos efforts communs. Cette période d’apprentissage a été un trésor pour moi.

A l’avenir, je vais essayer de continuer à pratiquer le français.

VIVE LA FRANCE !


 


Je vais bientôt partir pour le Japon (Essay in French No.3)

2014-09-25 06:03:23 | フランスのこと

Je vais bientôt partir pour le Japon.

Je vous remercie de votre aide cette année.

Il y a eu beaucoup de changements des membres du Labo. Donc ce n’était pas facile de me souvenir des noms de chaque personne du Labo et de communiquer avec eux.

Je suis désolé.

J’ai pu réaliser ce que je souhaitais faire en France. J’ai fait la connaissance de bons amis chez IFSTTAR.

J’espère que nos relations se développeront et grandiront à l’avenir  de manière continue.

Bonnes recherches

AKIRA HOSODA


帰国まで一週間あまり

2014-09-19 17:37:33 | フランスのこと

9/27(土)に日本に向けて出発します。1年の滞在が終わるときの気分はどうだろうな、と大分以前には想像していましたが、非常に淡々と過ごしています。これも、私の仏滞在が特殊な形態を取っていたことによると思います。

もし、1年間、家族と一緒にずっとフランスにいてその間日本に戻らず、帰国時も家族全員で帰るとなると、こうは行かないと思います。

しかし、私の場合は、仏滞在中に5回の日本への研究出張を重ね、また私は単身で帰国します。すでに段ボール5箱も宅急便での送付手続きが完了し、私自身の荷物はスーツケース 2個+αのみです。フランスを離れることにも、日本へ戻ることにも、特段の感慨は現時点では感じません。日本での戦場のような日常へ、闘志がフツフツと湧いてきている状況です。

あと一週間ですが、最終週は研究ミーティングも複数予定されていますが、日本から出張で来られる二組のお客さんとも面会できて、スケジュールが詰まっています。バタバタバタっと終わってしまうのだろうな、と想像しています。

パリでの子どもたちのお弁当作りも今日で94個に達し、休日にも一個作って帰国までにちょうど100個で終わろうと企んでいます。いろんなことに、付けられるケリは付けて、帰国しようと思います。

吉田徳次郎先生の著書から、コンクリートの品質、コンクリート構造物の品質とは何か、を体得しようとインプットを重ねています。読んですぐに体得できるものではないので、適切なインプットを脳に与え続け、いずれかの段階で私の脳が完全に体得するものと期待しています。

書き物も、講義の準備もまだまだやり残していますが、まあ、そんなものでしょう。とにかく、自身のやりたいように、残りの一週間、大事な時間を使います。


パリのお弁当作り(100個の写真集)

2014-09-15 18:16:52 | フランスのこと

Facebookで私とお友達の方は、いつもおっさんの作ったお弁当の写真をうんざりしながら眺められているかと思います。

ブログなるものを始めたのは大学院1年生のときでした。「自分自身のHPを作りなさい」という岡村甫先生の指導があり、手作りのHPを作り始め、その中に公開日記を設置したのが始まりでした。今や、私の人生の不可欠なツールになってしまったブログですが、ルーツをたどると岡村先生の助言にあったのだな、と今、改めて感じ入りました。

ブログはかれこれ20年近く続けていることになりますが、一度やり始めると、しつこく続けるのも私の特徴の一つです。

パリでは、子どもたちのお弁当を作る機会が、日本よりも圧倒的に増えたので、これも記録に残しておこう、と思い立ち、続けてきました。9/27に日本に向けて私一人、帰国しますが、それまでの機会をフルに活用すると、何とかお弁当の写真が100個になりそうです。一つだけ、私の母親のお弁当が紛れていますが、どれか分かりますか?

このエッセーの最初のアップロード時点(9/15)では84枚の写真をアップロードします(9/22で96枚までアップロードしました)。最後、フランスを出発するときに、100枚の写真集になっていることでしょう。


私にとっても大切な思い出になるでしょうが、これらのお弁当を毎日食べてくれた娘たちが、すくすくと育って大きくなり、大人になったときに少しでもパリでの親父の弁当のことを、懐かしく、良き思い出として思い出してくれればと思います。











 


 


Sur mon apprentissage du français (Essay in French No.2)

2014-09-11 03:33:35 | フランスのこと

Sur mon apprentissage du français

J’étudie le français (leçons privées) depuis la fin Février 2014.

Mon professeur est Christian Brandt, il est très bon avec moi.

Le temps avec lui va être un trésor pour moi.

Je suis professeur au Japon. J’ai reçu le « Best Teacher Award » deux fois
à l’université de Yokohama. Mais c’est très passionnant d’apprendre
une nouvelle langue comme un étudiant à Paris.

La langue est presque tout dans notre monde.

J’ai ressenti beaucoup de choses au sujet de la culture française
en apprenant et en communiquant avec lui.

Chaque fois, j’attends avec impatience la prochaine leçon de français
parce que J’aime le temps de la communication avec lui.

Sa façon d’enseigner m’a donné une grande perspective pour être meilleur professeur.

Merci beaucoup Christian

Akira Hosoda, 10 September, 2014

(This essay was revised by my dear teacher, Christian Brandt) 



 


Sur mon séjour en France (Essay in French No.1)

2014-09-11 02:31:16 | フランスのこと

Sur mon séjour en France

J’habite à Paris depuis Octobre 2013.Je suis allé dans beaucoup de villes en France : 
Paris, Le Havre, Honfleur, Amiens, Chartres, Clermont-Ferrand, Lyon, Meaux, Reims,
Strasbourg, Annecy, Le grand Bornand, Toulouse, Carcassonne, Millau, Rennes, Brest.

Je vais aller à Vichy et Arles aussi, en Septembre.

J’ai quarante et un an et je ne suis pas un adolescent, donc, je respecte la France,
mais je ne l’admire pas. Je peux voir les avantages de la France et du Japon.

La France chérit des choses vieilles et traditionnelles et les utilise bien.

J’ai été surpris que la ligne de métro n°6 près de chez moi soit arrêtée
pour entretien pendant deux mois.

Aussi, c’était très impressionnant que les Français aiment beaucoup les enfants.

Je suis devenu un fan de la France cette année.

Akira HOSODA, 3 September 2014

(This essay was revised by my dear teacher, Christian Brandt) 


再び、メトロ6号線

2014-09-08 18:24:54 | フランスのこと

6月末から2ヶ月間、私の最寄駅を含む区間がメインテナンスで運休していたパリのメトロの6号線。8月末に運転を再開しました。

鋼桁の塗装なども行ったようで、落書きだらけだった桁もきれいに銀色に光っていました。

以前のこのブログのエッセーで、私がなぜ6号線の中の時間を好むのか、考察しました

今朝も、次女をスクールに送った後、6号線で通勤しましたが、いろいろと考えました。やはり、私にとってはメトロ6号線の中の時間は、人生の思い出に残る特別な時間となりそうです。

私は教師をしていますが、一風変わった教師なのだろうと思います。

鞆中学校の海野先生からは、「細田先生は本当にピュアだ。」と言われました。先月、イスタンブールに出張しているときに、徳山高専の田村先生にその話をしたところ、「ピュアという表現が非常に適切だ。」と言われました。

何がピュアなのかいろいろと議論しましたが、ある側面がとてもピュアなのであって、いいおっさんですから、いろいろと悪いこともしてきましたし、すべてがピュアな仙人では決してありません。ものの観方がピュア、といったところでしょうか。

今朝の6号線では、以前からたまに考える、私が教師となったルーツについて、音楽を聴きながら考えていました。

直接的な契機は、大学3年生のときに、岡村甫先生の少人数ゼミを受講したことでした。これが無ければ、私がこんな職業に就いていることはまああり得ないと思います。

でも、その少人数ゼミで、私にとって運命的な出会いをすることができたのは、それ以前の私の生い立ちに理由があります。

私の両親はどちらも島根県の大田市出身ですが、父方の祖父は中学校の教頭、母方の祖母は小学校の先生でした。

思い返せば、島根の田舎でかなりの時間を過ごしましたが、そこでの時間が私の教師の素養を育んでくれたように思います。

一つ一つ説明することはできませんが、父方の実家は大家族で、その親戚が夏休みなどに一同に会する様子は壮観で、我々の母親たちが一所懸命食事を作り、長老を囲んで皆で夕食を食べたりしていました。

母方の実家は、私の母が一人娘ということもあって、私たち孫は祖父母を独占でした。これでもか、というくらい、島根の自然で遊ばせてくれました。それが、今の私の教師らしからぬ野性の原点かと思います。

私の祖父母たちの世代は、戦争も経験していますから、大変な時代を生きてきた方々だと思いますが、その方々が、全うに家族を営み、生きてこられたおかげで、私も今、生き甲斐を持って生きることができているのだなと感じ入り、メトロ6号線で涙がこぼれました。

どうも、最近、涙腺が緩いようでして、感性が鋭くなっているようです。ピュア度が高まっております!

今週は、ロンドン、南仏への出張が入っており、立て込んでおりますが、研究は各方面と連携してぐいぐい進めております。