細田暁の日々の思い

土木工学の研究者・大学教員のブログです。

実践

2014-02-28 22:36:26 | 研究のこと

あなたの研究の特長は何ですか?と言われ、何と答えるか、ですが、迷わず「実践」をその一つに挙げたいと思います。

以前から自分たちの研究のキーワードの一つは「実践」であると強く意識しながら取り組んできました。また、2013年度の始まる直前くらいに、「これ以降は『徹底的にやる』」と決意したのも覚えていますし、おそらくブログにも書いたことと思います。

徹底的にやると、強みはさらに強くなるものと思われますが、実践せよ、という私の強いメッセージは、私の研究室の学生たちに染みわたってくれているものと思います。

私を鞆の浦に導いた木谷さんに、卒論生二人のパワーポイントファイルをお送りしましたが、早速目を通してくださり、感想を送ってくださりました。一部、引用させていただくと、「赤間論文もそうでしたが、地域での実践が主になっているところがすごいです。渡辺君の取り組みでは、「回覧板での広報」がすごいですね。ここまで地域に密着し、実際に取り組んだまちづくり事例は、鞆の浦はもとより、全国でも少ないのではないかと思います。」とのことです。

お世辞は多分にあるでしょうし、地域に密着したまちづくりの事例も他にも好例がたくさんあるとは思いますが、私たちは防災という観点で徹底的に地域での実践を続けていきたいと思います。徹底した実践が、結局は広く展開する上でも近道であるように思っています。幸いにして、防災教育は、学習指導要領にも明記される流れにありますので、だからこそ、現場での実践が極めて極めて重要であると確信しています。

復興道路や山口県のシステムにも、深く関与していますが、これらも「実践」です。田老トンネルには、修士2年生の学生を中心に、研究室の学生たちが常駐に近い状態で研究に取り組みました。

これも過去のブログに書いたキーワードですが、「実践の権化」となるべく、今後も徹底的に実践したいと思います。


2月も終わり

2014-02-28 15:09:53 | フランスのこと

今日で2月も最終日です。フランスの1~2月は結局寒くなく、近年の日本の方がはるかに寒かったです。11~12月には寒い!と思う日も結構ありましたが、今年は例年とは異なったようです。

寒過ぎない方が活動はしやすいので、1年だけ滞在する者にとってはありがたい冬でした。今後、酷暑になったりするかもしれませんが。

2月の最後は、例年は息も絶え絶えで迎えるのですが、今年はもちろんそうではありません。たまたまですが、最終日の今日に、横浜国立大学では、私の指導する学生たちの卒業論文の最終審査会が行われており、私は過去最少人数にはなりますが、2名の卒論生が発表を無事に行ってくれているはずです。しっかりと発表ファイルの指導はスカイプでしました。

当たり前ですが、フランスで過ごすどの月も、私にとっては初めての経験で、これまでには無い過ごし方をしています。

この2月も最初の3分の1は日本出張で飛び回っていました。その後、パリに戻って、修士論文の最終審査に向けた指導(4件)、その後、少し息切れして小休息。また復活して、卒業論文の指導にエネルギーを注ぎました。その間、国際会議の論文を2本(筆頭著者1本)仕上げ、投稿しました。例年の2月の仕事量に比べたら圧倒的に少ないですが、子どもたちの世話もしながら、やりました。

明日からは、準備も含めて日本から来るお客さんたちの対応です。3月5日まで、かなり濃厚なスケジュールを組みましたが、素晴らしいものを見て、素晴らしい研究にも触れ、おいしいものをいただきながら、将来への議論を真摯に楽しく行うことと思います。

3月は、投稿論文の査読に対する修正を早急に行い、締切りを迎える原稿2本+国際会議論文1本をすぐに仕上げます。その後、日本から抱えてきた最後の大きな仕事(かなりページ数のある重要報告書の仕上げ)を一気に片付けます。これで肩の荷が下りることになります。

私のフランス滞在期間中に修了のタイミングを迎える学生はたくさんいますが、すでに博士課程修了が1名(12月)、今度の3月で修士が4名+学士が2名となる見込みです。あと1名、博士課程の学生が1名、9月に修了の予定で研究を続けていますが、これからしばらくはその学生の指導に精力を注ぐことになります。

フランスに来た当初は、日本の仕事が多すぎて、かなり時間に追われながら日々を過ごしていましたが、5ヶ月も経つと徐々に片付いてきて、特に4月以降はいろいろなことに時間を投資することができると期待しています。フランスからの外国出張(オランダ、ノルウェーなど)も複数入ってきますので、少しずつ活動領域を拡げていくことを楽しみたいと思います。


ヤクザ、チンピラ

2014-02-27 10:38:21 | 人生論

ヤクザ的、とか、チンピラ的、という話。

Webの辞書のようなもので調べてみると、とてもとても本物のヤクザにもチンピラにもなれそうもありませんのであくまで「的」な話。普段は真面目なことばかり書いていますので、フランスでの夜中に眠れなくなったときのたわごとと思っていただければ。

どのような立場にあれば、自分の特長を社会のために最大限に活用できるのか、ということは私のような年齢以上になってくると考え始めることのようです。

岩城先生と徳山から鞆の浦に向かう車の中でお話していたのは、「チンピラ型」。岩城先生のアイディアですが、非常に的を得ていて、神出鬼没の存在ということです。岩城先生や私(現時点では)はまさにチンピラ型で、どこに出没するか分からないような存在で、とにかく現場型。これはこれで一つのあり方かな、と思っています。特に、坊主頭+ヒゲにしてからは、見かけもチンピラでしょうか。

私など、フランスではオフィスの机でじっとしていられますが、日本でオフィスに閉じこもっていろと言われると気が狂うかもしれません。実際、ほとんど自分の机で仕事をする時間は無く、ほとんどは出張しているか、講義・ミーティングルームで打ち合わせしているか、でした。

トップダウン的な組織の長をやらされても、それなりにはやると思いますが、自分の本当の長所が生かされないように思います(現時点では)。

一方で、チンピラさんよりもっと怖いヤクザ的な面も実は私は持っておりますが、おそらくほとんどの方は目にすることはないと思います。

決して自分自身のためだけにヤクザ的な面を発揮することはありません。決して本物のヤクザさんのような態度を取るわけではありませんが、そうした行動を取った方がごくごく一部の方を除いて皆が幸せになる、と判断した場合は、私は躊躇なくヤクザ的な行動で物事を進めてきました。もちろんそれらの行動は全て、悪いことでは全くありませんし、行動の理由をすべて論理的に説明できますが、普通の部下では決して取ろうとしない行動や判断、ということです。実は外堀を周到に埋めてから、それらの行動を取ってきました。ヤクザ的、と自分でも思う所以です。それらのヤクザ的な采配、判断(結局は、数えることができる程度)もあり、振り返ってみれば結果的にごく一部を除く必要もなく、皆が幸せになったと思っています。

ヤクザ的、というよりはいわゆる年功序列的な日本的なやり方ではなく、下克上的という方が適切かもしれませんが。

ヤクザの話は余計でしたが、一級のチンピラ(的)研究者になるべく、努力を続けたいと思いますが、どのような努力をすれば良いのやら。。。まずは見かけを磨くことからでしょうか。


不一致、つながっていること

2014-02-27 10:17:58 | 研究のこと

今夜は、夜中に子どもたちがそれぞれ別の理由で起きたために、私も起こされ、眠れなくなり、ワインを少し飲みながら読書や考えごとをしていて、結局、二つの記事を書くことにしました。

30代前半の大学教員になりたての頃、「研究」と「教育」をどちらも明示的にやるのが大学の役割、とは認識していたものの、「研究」と「教育」がどうリンクするのか、十分には理解しきれていませんでした。非常に未熟だったからでしょう。

今は、そのような未熟なレベルはもちろん脱却し、私の中では「研究」と「教育」は密接につながっていますし、何度かブログにも書いてきましたし、この記事の主題ではありません。

しかし、以前の私の中では、大学教員にとって最重要とも言える「研究」と「教育」すらはっきりとはつながっていなかった。

コンクリートの専門家(自称。おそらく「専門バカ」であった)であった(なろうとした)ころも、今と同じように読書をしたり、いろいろな研鑽は積み重ねていましたが、それらの研鑽とコンクリートの研究そのものが完全につながってはいませんでした。

今は、様々な読書や、様々な学習・経験・体験がほぼすべて、研究にも直接役に立っています。構造物の品質確保・性能確保マネジメントシステム、人財育成システム、防災教育システム(片田先生の表現をお借りするなら「国民強靭化」)などが私の研究のキーワードだからです。形だけのシステムではなく、中身が充実した実質的なシステムの構築です。

アウトプットのレベルが高いかどうかは別として、完全につながった状況では努力の効率がよくなります。勉強すればするほど、研究も進んでいくように思える。研究が進むので、教育の効果も大きくなるように思える。

先ほど挙げた研究のキーワードに加え、医療・介護、雇用、経済、会計検査、国際、技術開発、技術体系など(順不同)がそれらの周辺や上位に位置しており、興味の対象は拡がっています。全部自分でやるつもりは全くありませんが、それらの分野のスペシャリストとも連携が始まっており、知識や考え方を吸収し始めています。

留学期間の5ヶ月近くが終了しようとしていますが、勉強したいことが山積みになってきました。日本での忙しさは重々承知しているので、フランスにいる間でないとできないことを優先的に実施したいと思います。 


追い付けない

2014-02-25 17:20:19 | 人生論

私が心から尊敬する方は多くおられますが、特に若いころは、それらの方々の考え方や技術力、実行力等に「憧れ」、盗めるものは盗み、何とか近づきたいものだなあと半分諦めながら努力しておりました。

今は不惑も過ぎ、41歳になる手前ですが、憧れという気持ちは薄れ、尊敬の念は変わらず、もしくはより大きくなってきているように思います。近づいているかどうかは分かりませんが、同じような方向に私も進んできているのは確かです。

今朝は「日常」に戻って二日目でしたが、相変わらず朝の通勤のメトロの中ではいろいろなことを考え、RER線に乗り換えてからはフランス語のスピード・ラーニングの教材を聴いていました。明日の水曜日は、いよいよ?フランス語会話のレッスンの初回です。上達するには反復練習と実践が必要なのは分かっていますが、そのきっかけになればと思っています。

メトロの中で思いましたが、この私でも、自分の身を置く環境を最大限に生かして、できうるベストの努力を重ねています。自分自身の特長を理解した上で、それを伸ばすための最大限の努力を行います。時間が限られているのは百も承知ですから、将来も見据えてですが、自分にとって最も効率の良い努力を心がけます。

私の尊敬する方々が、そのような努力をずっと重ねておられるのは当たり前のことでしょう。

だから、いつまでたっても「追い付けない」。

追い付けないのは当たり前で、追い付く必要がない、と今は思っています。

その代り、私自身も誰にも負けないような得意技や、一生かかっても成し遂げたい大きな仕事を持つようにしたいと強く思っています。

誰も追い付けないような得意技を持った、志と意欲の高い方々が、縦横無尽に連携することがすでに始まっていますが、今後ますます加速していくと思います。

そのような大連携の中で自分の存在価値があるよう、これからも日々勉強です。


素敵な?日常

2014-02-24 19:41:22 | 人生論

今日は一週間ぶりに研究所に出勤しました。

先週は,疲労の蓄積のため休息を取ることにしたこと,待ちに待った滞在許可証の受取り,体調を崩した次女の自宅でのお世話などのため,月曜日以外は研究所に来ませんでした。

その間,自宅で仕事もしましたが,ゆっくりと休養も取り(時間を気にせず睡眠も取り),読書もたくさんしました。「宇宙創成」を読み終わったことも,すでにブログに記した通りです。普段,張り詰めた日常を生きているので, たまには緩めることも重要であることはこれまでの経験からもよく分かっています。これほど緩めたのは、11ヶ月近く前の、家族でのベトナム旅行以来です。

週末は,奥さんが料理を頑張ってくれて,トルコ風のサラダや,手長エビのトマトソースパスタ,ホタテガイのグリル等をいただくことができました。どれも大変においしく,家族で舌鼓を打ちました。

土曜日の夕方には長女に誘われて,近所の公園に子どもたちと遊びに行き,卓球,バスケットボールのパス,縄跳びでの遊び(二重跳び,郵便屋さんお入りなさい,高跳びなど)に興じて,童心に返りました。

今日の月曜日から日常に復帰です。早朝のお弁当作りから始まりました。

通勤のメトロ,電車の中でもいろんなことを考えましたし,研究所のオフィスに到着してからも,非常に集中した状態でいろんな業務をこなしています。

日常とは,面倒くさいことも多々あります。ですが,日常を真摯に生きることを通してのみ,社会にわずかながらも貢献することができます。家族四人もそれぞれの持ち場に散って日常を真剣に生き,朝の時間や帰宅後の時間で楽しくコミュニケーションすることになりますが,やはりその日常はとても貴いです。

束の間の非日常が終わりました。

3/2~3/5は、岩城先生、石田先生、小松君がフランスを訪問するので、周到にその準備を行っています。研究所で国際ワークショップも開催するので、とても楽しみです。3/4~5のブロトンヌ橋などの橋梁群視察とル・アーブルの視察には、何と春日さんも特別参戦され、異様に盛り上がることと思われます。

3月のその後は、論文、解説文、各種報告書の原稿の執筆に全力を挙げるつもりで、すっきりと吐き出した状態で3/30日本着の出張に向かいたいと思っています。早くも、次回の日本出張の予定も詰まり始めました(自分でも詰め始めました)。

素敵な?日常を満喫したいと思います。 


間違うこと

2014-02-22 21:35:48 | 研究のこと

サイモン・シンの「宇宙創成」を読了しました。もともとは2013年7月に岡村甫先生に紹介されて購入し、パリに持ってきてはいたのですが読んでおらず、2月6日に高知工科大学に岡村甫先生のインタビューで訪れた夜に、石田先生から強く薦められ、先ほど読み終わりました。

非常に面白く、大変に勉強になりました。感じたことは多々ありますが、その中で研究者としての自らと関連することについて以下、感じていることを正直に書いておきます。

研究を行っていく上で、また生きていく上で、「間違える」ということは当たり前のことだし、恐れるべきことではないと思います。ですが、人間は一般的には「間違える」ことを避けたがる傾向にあると思います。

あくまで相対的な話ですが、私自身は「間違えない」ように心がける性向が強いタイプの人間だと思っています。それは、教師という仕事をしていることにもよると思っていますし、大学受験までの小中高の勉強、特に高校の初期段階まで極めて優秀な成績を収めてしまったことにも理由があると思っています(基本的には、暗記する能力が相対的に高かったことと、暗記をする努力を厭わなかった、ということだと理解しています。高校の初期段階が終わった後は、成績が徐々に下降し、大学の教養課程では見事に勉強せず、凡庸化いたしました。)。

研究を進めていく上では、間違いを恐れていては前進できません。それは、「宇宙創成」にもさんざん描かれているし、この本の登場人物ではないですが、本の中でコメントが紹介されている有名な物理学者のファインマンも、新しい法則を探すときの第一ステップとして、「当てずっぽうで考えてみる」ことを挙げ、これが最も大切だ、と述べています。もちろんその後に検証するわけですが、当てずっぽうの論理が間違えないわけがありません。

私自身は、間違えないようにと心がけてしまう傾向が強いことを自覚している人間ですので、おそらく本質的には研究者向きでないのだと思います。 科学者に向いていないという方が適切かもしれません。実際全く向いていません。数学的な才能もゼロに等しいです。

ですが、間違えないようにするという才能も必要であり、チームで研究を進めるときにはアイディアを生み出す人と、それを検証する人とで役割分担をする必要もあり、その中では私の能力は役に立ちます。特に、学生と研究を行うときは、大抵の学生は間違いばかり起こしますから、それを正しい方向に持っていくのは教師の一つの役割です。学生と大学教員の関係、役割分担はいろんなバリエーションがあると思いますが、私のような相対的にはレベルの低い研究者であっても、学生のインスピレーションや努力と、私のビジョンや方向修正能力等がうまく組み合わさって、多少なりとも世の中に貢献できる知見が生み出された経験は何度かあります。

また、世の中は科学だけではありません。私は科学の分野では使い物になりませんが、社会の課題を解決していく分野ではそれなりの役割を果たせると思っています。

例えば、最近力を入れて取り組んでいる、復興道路のコンクリート構造物の品質確保や、その取組みを全国に展開していくプロジェクト、学校での防災教育を軸に据えた地域防災力の向上、などは、上記の「間違えない」という私の特性をフルに活用しようとしていると感じています。

数学では説明できないけれど、進むべき方向性は私にとっては明確であり、私のそれを「哲学」と呼ぶ仲間もいます。

哲学(フィロソフィー)とは、正しいものでないといけないと思っています。おかしな方向に進んでいくと、社会もおかしくなってしまう。

私の、「間違えない」ように心がける習性は、独りよがりになろうとせず、多くの有用な知識を信頼できる方々から貪欲に吸収して見聞を高め、仲間たちと真摯に議論を重ね、自分の関与するプロジェクト等において明確なビジョンを示すことにつながっていると思っています。 

しかし、大きな方向では間違えないように配慮していても、具体的に課題を解決して状況を改善していくためには、多くの試行錯誤が必要であり、そこでは私も間違えることを恐れはしません。失敗を失敗とも思わないし、失敗からこそ勉強でき、新しい発見があることを何度も経験しています。

私自身は、社会の課題を解決していくこと、またその過程で自分も含めた人財を育成していくこと、が私自身の役割であると考えており、そこでは「間違えないように心がける」という科学者にとっては資格喪失にすらなりそうな、卑怯にも見えるし、臆病にも見える私の特性も、役に立っているように思うのです。

科学者だけが人間なのではないし、人それぞれが自分の本分に気付いて、大いに力を発揮できるようにありたいものです。そのような社会にしていくことにも、私は貢献したいです。 


2014-02-19 22:52:30 | 人生論

謎、というタイトルよりは、「なぜ?」の方がよいかもしれませんが。

大ファンである竹村公太郎さんの「日本史の謎は『地形』で解ける」の文庫本2冊を読み終わりました。過去に読んだ内容も多かったのですが、忘れていたことも多く、すべてがあまりに面白く、読んだ後の知的充足感、満足感は非常に高かったです。

竹村さんは義理の両親の住んでいた公務員宿舎でご近所さんだったことがあるそうで、間接的に個人的につながっていることもあり、一度お会いしたいなと常々思っておりますし、セメント技術大会での特別講演で度肝を抜かれる圧倒的に面白い講演を聴いて、ますますファンになったことを今でも強烈に覚えています。

竹村さんは、「なぜ?」を徹底的に突き詰めます。いつもいつも考えているので、ひょっとした瞬間にヒント、解が訪れます。一流の方々がよく言われる状況です。いつもいつも真剣に考えていると、解が自然にやってくる、と。私もごくたまに経験することはありますが、もっとそのレベルに近づけるよう、精進したいと思います。

・なぜ、江戸は世界最大の都市になれたか?
・貧しい横浜村がなぜ、近代日本の表玄関になれたか?
・「小型化」が日本人の得意技になったのはなぜか?
・なぜ日本の国旗は「太陽」の図柄になったか?
・日本文明は生き残れるか?

などなど、どれもこれも知りたくて仕方ないような謎が、次々と解き明かされていきます。

どれもこれもあまりにも大きな謎なので、100%真の答えというのは無いのかもしれませんが、地形、気象に基づく論理的な考察は、いいかげんな歴史学者などの論じるものとは説得力が異なります。

また、大石久和さんの考え方も、日本人を知る上で大変に参考になります。

・日本人はなぜ、インフラに対する意識が低いのか?
・日本人はなぜ 、自然災害を受け止めることができるのか?

藤井聡先生の土木チャンネルも、いろいろな識者や最前線の方々との対談、講話から非常に多くのことを学ぶことができます。

・公共事業がこれほどバッシングを受けてきたのはなぜか?
・「土木」に対する国民のイメージがよくない根源的な理由は何か?
・郵政民営化がよくなかった(よくないのですが)とすれば、なぜか?
・経済学とは何なのか?

学問(学問に限りませんが)が細分化され続けてきた現在、上記のような全体的ななぜ?こそが本当に大事なのだと思います。

全体的な議論は軽視されてきたのでしょうし、学会では「いいかげんな考察」で一刀両断されるのかもしれません。細かいことが好きな方々が多いので。

しかし、上記のような問いに論理的に答えることは、全体を俯瞰的に理解することにとても有用であるし、日本という国、日本人を知る、愛する上でもとても効果的です。

そのような情報が真に求められているので、竹村さんの本がベストセラーになるのでしょうか。

私どもの専門領域でも、このような大きななぜ?を常に意識して仕事をしていく必要があります。
・なぜ、コンクリート構造物の施工はいいかげんになりがちなのか? 

例えば上記の問いについても、日本のコンクリートの父、吉田徳次郎先生が著書で3つの理由を看破されています。

大きななぜ?に対する答えを信頼できる方々から次々と吸収し、自分自身でもいつもなぜ?について考え続けたいと思います。そして学んだことを講演や講義、防災授業等にフィードバックし、自分の言葉で語れるようにすることで自分自身の血肉にしていきたいと思います。


休息

2014-02-19 16:45:58 | フランスのこと

昨日、2/18に修士論文の最終審査会があり、私はフランスにいるために出席はできませんでしたが、私が主査を務める4名の学生も無事に審査をクリアしたようです。よく頑張ったと思いますし、私も遠隔での指導は初めてでしたがホッとしました。

私自身もやらなくてはならない業務はたくさんあるのですが、仕事に積極的に取り組む意欲が減退し、昨日はゆっくりと休むことにしました。今日も研究所には行かず、自分のペースでリラックスしながら仕事を再開する予定です。昨日は、何も考えずにベッドの中で寝る時間を久しぶりに持てました。

フランスに来るまでの9月末まではまさに息付く暇の無い日々でした。10月にフランスに来てからも、二度の日本出張(どちらもパンパンのスケジュール)と、引越しのための10月中旬の日本渡航もありました。年末年始も非常に貴重な経験はしましたが、のんびりした、という感覚ではありません。結局、ずっと突っ走ってきたのだな、と感じます。

心身が休息を求めていたのだと思います。昨日は頭をからっぽにしてぐっすり眠ることができ、今日は意欲が少し戻ってきています。おそらくもう少し休息が必要かと思います。

私が関与している急ぎの仕事で、私のアクションを待っておられる方々にはご迷惑をおかけしますが、今日から少しずつ再開しますので、もうちょっとお待ちください。

 


できました、読みました

2014-02-19 01:57:38 | 研究のこと

大学にて学生の研究を指導し始めて10年以上経過しています。卒論生や修論生は数えきれないほど指導してきましたし、博士課程の学生も3名が修了し、今は2名を指導中です。計5名のうち4名は留学生です。 

私自身は出来の悪い学生でしたので、30歳で助教授として仕事を始めたときには大したレベルの研究ができず、学生たちにも迷惑をかけたと思っています。

ですが、10年が経過したので、学生の指導についてはそれなりに作法を体得してきてはいます。

博士課程の留学生は、母国ではトップエリートですから、その指導は容易ではありません。ご自身のプライドが高い場合がとても多い。上には上がいくらでもいますので、私自身も大学で不要なプライドなるものを粉々に砕かれましたが、彼らにも謙虚になってもらうよう、教師側も全力で対峙します。

彼らと研究を進めていく上で、まずは研究と勉強は違う、ということを納得してもらうことから始めます。

例えば、数値シミュレーションを活用した研究を行うとして、最初は数値シミュレーションを使いこなすようになることから始めます。そして、既往の実験結果等を練習としてシミュレーションしてみることになるでしょう。

そのような研究の初期段階で、私との打ち合わせで、「できました」という人が多い。「そうですか」で終わってしまいます。

数値シミュレーションなど、中身のモデルや、インプットデータの作成方法をしっかりと理解していないと、何の議論もできません。 

シミュレーションしてみた結果、うまく合わないときに初めて、「なぜなんだろう」と考え始め、鍵になるモデルの勉強を真剣に勉強したり、インプットデータの作成方法等について深く考えるようになります。要はうまく行っているときは大して考えないのです。課題にぶち当たって初めて人間は本気で思考します。課題を解決するために、知識を使いこなすようになります。

特にトップエリートの留学生は、母国では、研究というものを行ってきていません。答えの決まった問題を上手に解くことで褒めてばかり来られたエリートたちです。「できました」というのも当然でしょうか。

でも、我々がやるのは、答えの分かった演習問題ではありませんし、ちょっと取組んだらすぐに答えがでるような低レベルの研究テーマを設定するつもりもありません。

「できません」が失敗ではなく、真実に到達するために必ず通らなければならないステップだと認識できるところから、研究はスタートします。

同じように、文献を読んで、「読みました」という学生も、基本的には何も分かっていないに等しい。そこからどういう知見が得られたのか、研究と関連付けて説明できなければならないはずだし、分からないところも自分なりの仮説で分析したものを指導教員と議論するくらいでようやく本当の「読みました」、です。

答えのある問題を正確に解けるようになる教育も大事なのですが、研究的な思考方法を身に付ける教育も同様に非常に重要と思います。自然に身に付ける方もたくさんおられると思いますが、多くの国民が研究的な思考をするようになるだけで、世の中は相当に変わるのではないか、と思っています。世の中をポジティブに見ることができるようになるので。


教え子

2014-02-18 23:42:35 | 教育のこと

教え子というのは教師にとって特別な存在です。

今日、横浜国立大学土木の卒業生からFacebookで連絡がありました。職場で私の話題が出たそうで、懐かしく思い、連絡をくれた、とのことです。たった二年前に卒業した女性ですが。

女性だからうれしいのではなく(本当に)、教え子から連絡をもらえば教師とはうれしいものです。その方は私の研究室の学生ではなかったので、余計にうれしく感じました。

学生と教師という関係は、簡単なようで実は結構難しいのですが、卒業して社会人になれば、皆無条件にかわいくなります。社会の荒波で闘っている同志に思えます。頑張っている様子を見たり、頑張っているという噂を聞いたりするととてもうれしいですし、心から応援したくなります。

なぜなのでしょうね。

学生と教師のときからそのような関係でありたい、とは思っていません。やはり教育の現場では厳しく対面すべきであろうし、真剣に生きる姿を通してしか真の教育はできないというのが私の信条ですので。学生からすると気軽には話しかけにくい存在かもしれませんが、学生からしても卒業すると話しやすくなるのでしょうね。社会の厳しさを知るからでしょうか。

教え子の「子」というニュアンスは、日本以外にあるのでしょうか。愛情が詰まった表現のように思います。

同じ釜の飯を食い、同じようなベクトルで夢に向かうことを心の底で誓った仲間だと思えることが、愛情につながるのでしょうか。そのような仲間がたくさん増えていくことが、以前よりももっと楽しみになってきています。 


実戦

2014-02-15 14:15:56 | 研究のこと

自戒をこめて。また、後輩たちの参考になればと思い。

よく講演、研修での講義、防災授業等の出張講義をする機会があります。20代であったJR東日本勤務時代からコンクリート製品会社の協会の勉強会で招待講演のようなものをさせられたこともありましたし、大学教員になってからはその機会も増え、特に東日本大震災以降は相当に機会が増え、私にとっては自分自身の考えを伝える貴重な場にもなっています。

これらの講演は私にとっては「実戦」であり、スポーツで言えば公式試合に相当します。

大学での講義も「実戦」であり、私はそのつもりで日々取り組んできました。

講演、講義する、ということは聴講者との真剣なコミュニケーションです。最近、「コミュニケーション」について考えたり、勉強したりする機会が増えてきました。これまでは感覚でやってきましたが、「コミュニケーション学」なるものもあるようなので、そのうち勉強してみたいとも思っています。

真剣にコミュニケーションする、ということは、自分の世界から相手の世界に一歩、数歩、踏み込んで対話をする、ということです。講演、講義の場合は多数の聴講者を相手に行うコミュニケーションなので、その場の空気を読むのがさらに難しくなります。場の空気をつかめば講演は成功するし、つかみ損ねれば皆にとって無駄な時間になります。

「俺の話を聞け」的な態度は論外ですが、まずは聴講者の皆様が非常に貴重な時間を割いてその場に集まっておられることに敬意を表し、その場を最大限に活用し、有意義な時間としたいと思っていることを表明。表明するからには、そのためのベストを尽くすことになります。

そして、何のための講演なのか、を講演者が十分に承知し、その目的を達成するために手段を選ばずにいろんな角度から情報を提供します。例えば、2/3の仙台での復興道路の品質確保の研修会では、私の講演は、「産官学の真の協働で、コンクリート構造物の品質確保にチャレンジすることは、本当にやりがいのある、重要な取組みである。実践するための種々のツールや、仕組みも整いつつある。後は、関係者のマインドの問題である。スキルは後から自然に付いてくる。動き出せば、世界最高レベルのプロジェクトになる。」ということを伝えることが目的でした。

上記のメッセージを伝えるためには、とにかく聴衆に「共感」してもらう必要があります。自分のメッセージを押し付けるのではなく、聴講者に当事者意識を持ってもらい、心を奮わせてもらい、大きなうねりを創り出す必要があります。 感覚的にではありますが、私は聴衆の視線や雰囲気を肌で感じながら、緩急を付けながらいろんな情報を発信しているつもりです。

以上のような実戦感覚は、練習ではなかなか身に付かず、公式試合でないと身に付きにくいと感じます。真の緊張感の中で養われる感覚だからです。

ふりかえってみると、私の場合は、高校のバスケットボール部の公式試合(私はポイントゲッターだった。ディフェンスとの至近距離での空気の読み合いは今でも体の芯に染みついています)や、日常の講義での鍛錬、そして自分の子どもたちや、その友達たちとのコミュニケーション(子どもとのコミュニケーションが一番鍛えられる)等によって培われた感覚なのだろうと思っています。

もちろん、コミュニケーションは上記のようなものだけではなく、日常のほぼすべてと言ってもよいと思うので、それらのコミュニケーションを真剣に行うことで、場の空気を読む感覚や、必要に応じて場の空気を支配する能力は、どんどんと研ぎ澄まされていきます。

今の私は、フランスで生活しているので、フランス人とのコミュニケーションの場も増えていますが、基本は同じ。もともと、外国人とのコミュニケーションは得意な方ではありましたが、フランス人とのコミュニケーションは容易ではない場合も多く、何度もぶつかっていますが、そのたびに学習し、結果的には良好な関係を築けています。これも毎回が実戦であり、大変に貴重な経験をしているのだな、とこの記事を書きながら認識しました。

結局はいつもの結論になるのですが、日々を真剣に生きるしかありません。真剣に生きていれば、その過程から常に学ぶことができ、それらの集積により「勘」が養われます。

余計なお世話かと思いますが、聴衆の「共感」を呼べない講演、場の空気を読めない講演、をされる方は多々おられますので、後輩たちの参考になればと思い、記しておきました。 


妨げるもの

2014-02-14 17:53:42 | フランスのこと

どのような環境であれ、何も妨げるもの、障害の無い理想的な環境など無いわけです。あるのかもしれないけれど、何も妨げるものが無い環境に数日身を置いたら飽きてしまいそうです。

思い通りにいかない環境だからこそ、知恵を絞るのであり、工夫するのであり、課題を克服してやろうと全力を尽くすのだと思います。

日本で大学教員を務めた10年間も、課題、障害の連続でした。文句を言っても仕方なく、どうすれば自分たちの活動のレベルが向上するのか、そればかりを考えて日夜努力してきたつもりです。

フランスでの生活も、課題だらけです。ウォシュレットが使えない、とか。それは冗談にしても、家庭のマネジメントと、研究者・教育者としての留学生活とを、自分の納得の行くように両立させることは必ずしも容易ではありません。

課題が無ければ、自分自身の成長もあり得ないと、今は心の底から思えます。

数か月に一回、日本出張を重ねることは、実は事務手続き上、必要なことでもあるのですが、どうせ日本出張をするのであれば最適な時期に行い、濃密な内容になるようにベストを尽くすのは当たり前です。

せっかく1年の留学に行くのに、日本に出張で来るなんてもったいない、日本のことなどほったらかしにして、欧州での生活に専念すればよいのに、というようなアドバイス?を年上の方々から何度かいただいたことがあります。私自身のことは私が一番知っているのであり、私の行動を最適化するための戦略は私が立てるのが一番良いに決まっています。

結果的には、すでに2回目を終えた日本出張はどちらも非常に濃密なもので、行くたびに研究プロジェクトが大いに進むことを肌で感じます。また、ずっとフランスにいると、フランスでの時間の価値を忘れがちになるかと思いますが、日本出張を挟むことでフランスでの時間を大切にしよう、と何度も再確認できます。すべての時間は貴重であり、とても充実した時間を日本でもフランスでも過ごすことにつながっているように感じます。当初は、フランスでの1年間は充実したものになるのだろうか、と私でもやや不安でしたが、4ヶ月が経過した今、その心配はもはや不要です。

私が研究室を長期間不在にすることで、結果的に研究室のメンバーの責任感も強くなり、多くのメンバーが成長するきっかけにつながっているようにも思います。私とのコミュニケーションがぱったりと途絶え、フランス渡航後、ほとんどコミュニケーションを取っていない学生もいますが、それはご本人たちの課題として、改善のための努力をしてもらいましょう。私は手取り足取りの教育者ではありません。

私がいずれ海外で1年程度過ごすこと、研究室のスタッフが抜けたり入れ替わったりすることがいずれ来ること(必ず来る)、を想定して、かなり以前から研究室の運営のマネジメントを行ってきました。PC係、実験室係をそれぞれ2名ずつ配置し、スタッフですので謝金をきちんと支払い、研究室の運営に携わってもらうシステムは相当に前から構築しています。また、私の赴任直後は秘書さんもいませんでしたが、今は週に3回、我々の研究室の活動をがっちりとバックアップしていただいています。これらのシステムを構築するためにはもちろんお金が必要ですが、基礎的な研究も行いつつ、お金も稼げるように、また毎年の研究資金に大幅な変動が生じにくいように、さらに仮に資金不足のときにも何とかしてお金をかき集めるように、地道でしたたかな努力も重ねてきたつもりです。

このブログは、学生たちだけでなく、私の後輩の研究者・教育者たちもたくさん読んでいますので、上記のような多少生々しい話も記載しておきました。

我々は、Civil Engineerですので、環境に文句を言う、責任転嫁をする、ことだけはあってはならないと思います。いろいろと言い訳をする方もおられますが、愚痴を言う時間があるなら少しでも状況を改善できるための知恵を絞り、実行に移すべきと思います。ポジティブな人たちはポジティブな人たちだけで集まり、徹底的に真摯に議論し、実践していきますので、そのような人たちがいることを認識し、まずは自分自身を置く環境を改善することに注力すべきと思います。

さて、今日もオフィスでの時間は4時間ちょっとですが、最大限に集中力を高めて仕事に取組みます。 


2月後半

2014-02-13 21:25:03 | 職場のこと

例年、2月は地獄のようなスケジュールですが、今年は例年とは異なりつつもやはり忙しいです。

2月の上旬は日本出張で、予定されたスケジュールをこなすので精一杯でした。できうるベストを尽くしたと思います。

2月の中旬以降をフランスで過ごしますが、2月一杯は、これまでに溜まっている宿題や、締切りを迎える論文・原稿、修士や卒論の学生たちの指導などで終わってしまいそうです。日本ではこの時期は親戚にもバックアップしてもらいながら、何とか乗り切るのがやっとですが、フランスでの今年は、シッターさんたちの力は借りるものの、何とか家族で協力して乗り切る予定です。私も家庭にかなりの時間を取られますが、限られた時間で業務をしっかりとこなしたいと思います。日本出張中は必要な睡眠時間も確保できなかったので、2月の残りは規則正しい生活をし、家族と十分にコミュニケーションを取りながら、仕事には最大限の集中力で臨むつもりです。

3月初旬にはお客さんたちが訪問されるので、すでにほぼスケジュールは固まっていますが、充実した時間となるよう、ホストとしてベストを尽くしたいと思います。熱血ドボ研のメンバーが4人もル・アーブルに集結する、というすごい展開になっています。

その後、3月の下旬までが一つの大事な時間。修士論文を終えた学生たちのデータの引継ぎをしっかりとして、投稿論文等へ備えたいと思います。和英のジャーナル論文の執筆の本格的な再開も、この時期になろうかと思います。

3/30に日本着の予定で、再度日本出張となります。その出張は1週間程度とする見込みで、前回の出張ほど濃厚になることはないと思いますが、免許更新も含め、事務手続き系をしっかりと行います。が、おそらく種々の出張が組み込まれるかと思います。。。

4月にパリに戻ってきてからの時間がとても楽しみ。日本の慌ただしい時期を終え、私も自分のやりたいことに腰を据えて注力できると期待しています。その頃には留学も後半戦に突入していますので、留学期間の終わりもしっかりと見据え、やるべきことに優先順位を付けて悔いの無いように過ごしたいと思います。やりたいことはまだまだ無数にある。。。。


日本出張後半戦と総括

2014-02-12 17:57:32 | 研究のこと

怒涛の日本出張が終わりました。タフな二週間になるとは予想していましたが、予想を超えて刺激的な二週間となりました。

最終盤の大雪事件はすでに書きましたので、出張後半戦も含めた総括を記しておきます。

1/31(金)に田老トンネルを訪問して品質確保についての濃厚な議論を行った後、2/1(土)午前に首都圏に戻り、午後は東京大学にて示方書勉強会を行いました。

超繁忙期で、しかもご家族の体調が崩れたりが頻発し、結局の参加者は5名。しかし、各自がこってりと話題提供し、まさに最前線の情報にどっぷりと浸かることができ、皆が満足しました。懇親会も含め、示方書勉強会の原点に戻ったね、と皆で盛り上がりました。勉強会のメンバーが力を付けて最前線に出始めてこそ、組織的に役割分担しつつ勉強していくことの意義が高まると思っています。

翌日、2/2(日)にようやく大学に初出勤。大学には出れていなくても、各現場で担当の学生の研究指導はしっかりと行っておりますので、誤解が生じないように記しておきます。事前に学生たちに調整しておいてもらったスケジュールに従い、13:00からびっしりと研究ミーティング。17:00過ぎに終了し、有志で軽く懇親会。留学生も含む学生たちとのコミュニケーションはやや久しぶりでしたが、彼らの意欲を引き出す教育者の難しさを再確認し、私にとっては勘を取り戻す良い機会となりました。出張中、実家で夕食を食べる機会がほとんど無いため、懇親会は早めに退席して、実家で夕食を取りながら家族との会話を楽しみました。

2/3(月)はメインイベントの一つ、仙台にて復興道路構造物の品質確保の研修会。準備も気合も万全で臨みました。私を含め、4名の講師が発表しましたが、すさまじいレベルの研修会となりました。山口システムに端を発し、いよいよ最強レベルの産官学協働の品質確保・性能確保のプロジェクトがダイナミックにスタートしました。最早、止めようにも止められない状況に至ったというのが関係者の実感です。その一翼を担うことができ、心から幸せです。懇親会も異様に盛り上がり、何度おっさんたちと抱き合ったか数知れませんが、最後は國分町のスナックで二曲カラオケの必殺技も披露して、十分に疲労してホテルにたどり着きました。

2/4(火)は新幹線で帰京し、念願であった横浜そごうの竹葉亭にてうなぎを食し、大学へ。いくつか学生の研究指導をした後、共同研究先の企業との打ち合わせ+懇親会。今年は成果が出るか不安なところがありましたが、学生たちが頑張ってくれ、来年度以降も我々の研究活動をサポートいただけそうで何よりです。懇親会でも様々な話題で盛り上がり、研究についてもいくつか貴重なアイディアが生まれ、有意義でした。

2/5(水)は熱血ドボ研の定例会。三部構成で、第一部はNHKの放送博物館の見学。非常に有意義な見学で、これだけでも十分だ、と皆が感想を言っていました。第二部が圧巻で、会計検査院の局長をされた先生との意見交換会。我々が展開している品質確保のプロジェクトや、これから仕掛けようとしているインフラの維持管理の人財育成プロジェクトについて、多大かつ有意義なアドバイスをいただき、会計検査院とのポジティブな協働の可能性が見え、今後の熱血ドボ研の活動にとって大変に大きな一歩になりそうです。懇親会はいつものごとく、皆がスパーク。メガトン級のプロジェクトのアイディアがいくつも出て盛り上がりました。おそらく、ほぼ全て実行するものと思われます。2/5の午前には、共同研究先と目視評価についての打ち合わせ+情報交換。双方の情報のレベルが高く、刺激的な研究ミーティングでした。

2/6(木)は高知工科大学へ。師匠の岡村甫先生へのJCIランドマーク委員会のインタビュー。岡村先生のお話はこれまで何度もお聞きしていますが、ご本人からこれほど深い話をじっくりとうかがうのは2年前の3月に続いて二回目で、しかも今回は兄弟子の石田先生も一緒だったので、大変に大変に勉強になるインタビューでした。自分自身のルーツを確認するとともに、今後の生き方について改めて決意を固めさせられる機会になりました。自分自身の生き様を貫こうと思います。インタビューの前は、内藤廣先生設計の牧野富太郎植物園の本館も訪れ、幸せでした。インタビュー後は岡村先生に夕食にご招待いただき、インタビュー第二部が21時半ごろまで続きました。その後、インタビュアーたちで懇親しながら余韻に浸りました。

2/7(金)は朝一番の便で東京へ。二週間の日本出張はほとんど隙間の無い行程だったので、大学へ戻る前にそごうに寄って、本屋で買い物、その後、靴屋でスニーカー+室内スリッパの立派なもの(パリ自宅用)を購入。出張中二度目のラーメン(一風堂)で昼食を終えてから大学へ。種々の事務手続きや、研究指導を終えてから、16:00から共同研究先が訪問してこられ、情報交換+懇親会。今回は私からお声掛けしましたが、これまで遠慮されていたようで、「今後はずうずうしくお願いさせていただきます」と横浜の飲み屋でおっしゃっていました。「下町ロケット」もご紹介いただき、パリへ戻る機内で興奮して読みました。ポジティブなコミュニケーションから、研究についてもいろいろなアイディアが出てとても楽しい時間でした。その後、昨年、鞆の浦の研究を始めた赤間君が横浜まで会いに来てくれ、赤間君の後継者の渡辺君も参加して懇親会。疲労でくたくたでしたが、教師にとってはうれしい楽しい時間でした。

2/8(土)は大雪の予報でしたが、研究室冬合宿に参加するために浦和から三崎口へ出陣。10:00~17:00までがっちりと研究室ゼミで、私にとっては久しぶりのゼミでした。各研究が良くなるための意見やアドバイスを全力でしたつもりです。懇親会では学生たちがよく頑張っていることをうれしく思いながらゼミの時間を過ごしたこと、最終審査に向けてベストを尽くしてほしいこと、を伝え、大雪の中を帰路につきました。その後の大雪騒動はすでに別の記事に記した通りです。

今回の出張は、ほぼすべての時間が研究でした。一つ一つの仕事を全力で行ったつもりで、ふりかえってもベストを尽くせたと思います。

これほど濃厚な出張はもちろん経験したことはありません。海外に家族で滞在している間の、単身での母国日本への出張であるからこその濃厚さでしょうし、学生たちの研究の最終盤である冬のこの時期の出張であったことも理由の一つでしょう。

今回の出張は、私の大切な人たちと会うためのものであり、大切な方々とのポジティブなコミュニケーションはあまりにも楽しく、刺激的であり、勉強になるものでした。生きることは真剣にコミュニケーションすることであると私は思っていますが、どれだけたくさんの素敵な方々とコミュニケーションしながら生きているのかを再確認することができました。お付き合いいただきありがとうございました。

パリに戻って二晩が経ちました。大雪騒動もあり相当に疲労が蓄積していましたが、何とか日常に戻れそうです。

日本での時間とパリでの時間にはあまりに違いがあり、戸惑うところもありますが、だからこそフランスに来ている意味があるのだと改めて感じます。今朝から奥さんがトルコに出張に出かけたので、子どもたちとどっぷりです。

2月の後半は、私も各種の仕事(大半は日本の仕事)でやや追い立てられるのですが、日本の皆様も頑張っておられるでしょうから、私も頑張りたいと思います。