おとといの火曜日の話ですが,長女の小学校で遠足があり,私がお弁当を作りました。我が家では特段珍しいことではありませんが,その記事もブログに書きましたが,遠足でウキウキしている娘は早く起きてきて,私と一緒にお弁当を作りました。
遠足では,男の子とおかずの交換っこをしたそうで,豚肉ロースでシソと梅肉を巻いて小麦粉をまぶして油で揚げたものを,男の子にあげたそうです。
お弁当って,その家のいろんな雰囲気が出るので,子どもの頃は変なお弁当だと人目を気にしたり,と結構センシティブなものだと記憶しています。
父親が作ったお弁当,ですから,まあどんなに努力してもお母さん方のお弁当の美しさにはかなわないと思います。
それでも,私のお弁当を喜んでくれる長女の性格の良さに感謝ですし,おかずを交換した男の子も「おいしい」と言っていたそうです。
「パパが作ったと言ったら,変な顔しなかった?」と聞いたら,「すごいね,と言ってたよ」と長女。
よかった,一安心,というのが本音です。
私も性格は良いと思いますが(笑),とんでもないいたずら小僧でした。長女は私の性格の良さはしっかりと受け継いでいるようでして(笑),親としてもとても助かってます。感謝!
最も大切なことは,人によっても違うでしょうから,私自身のこと,ということで。
鞆の浦を知り,人が幸せに生き切る,幸せに死ぬ,ということが本当に大切であることを知った。また,最近,私の大好きな,さくらホームの羽田冨美江さんが鞆中学校の生徒たちへの授業で,老いるということの素晴らしさを語っておられるのをCD-ROMで拝見して,感激を受けました。今の我が国で,老いることのデメリットばかり議論されたますが,老いるということがどれだけ素晴らしいことなのか語れる人の割合はとても少ないように思います。
そして,羽田さんと出会って,私は,私自身がこれまで大事にしてきたこと,最も大切にしてきたことが,やはり正しかったんだという確信を持つことができ,大きな自信につながりました。自惚れるということでは決してなく,その方向で世の中のために身を尽くしていこうと決意を固めたのです。
私は,自分の母方の祖父母がそれぞれ亡くなるのを看取りました。祖母が亡くなるところは私の母と看取りました。祖父が亡くなるところも母と看取りました。私の父も,妹も弟も,その瞬間にはいないときもあったけど,皆でつながりながら看取りました。これは私にとって家族というものがどれだけ大切なものであり,私がどういう家族で生まれ育ってきたのかということを考える非常に大きな経験となりました。
そして,最近は,自分は夫であり,二児の父親であるわけです。私たち夫婦の両親やいろんな方々に支えられて育っている娘たちですが,私は奥さんや娘たちとの関わり合いから多くのことを感じ,学ばせてもらっています。ぶつかり合うときもあるけど,彼女たちとこの世で同じ時間を過ごすことができ,また本音のコミュニケーションができ,愛し合うことができ,本当に幸せであると思っています。
これが全てです。これ以上に大切なことはありません。
そして,最も大切なことが私自身の中でしっかりと根を張っているので,私は我が国のために全力を尽くすことができる,と思っています。
大切なものはすべて,なのですが,根幹が大事,原体験が大事,根底から支えてくれるものがあるかどうかが大事,と痛感します。その根底が揺らいでいるのが現代,現代の日本であり,痛切な危機感を感じます。だから,学校教育にも全力を挙げようとしています。
普段から各所で,特に研究室での指導,教育において,「目的」から考えるようにしなさい,と指導します。多くの人が「手段」から見よう,考えようとするので,うまく行かない,行き詰まる,失敗する。大事なのは手段ではなく,目的です。そして,目的から考える方が,プロジェクトを進めて行くのが圧倒的に簡単なのです。
ところが,何度言っても,なるべく具体的に言っても,なかなかこれを実践できる学生は少ない。
昨日,民間企業との共同研究の打ち合わせをしていました。2名の修士1年の学生が同席しました。昨年の卒論のときと研究テーマを変更しているので,言わばズブの素人ちゃんたちです。
共同研究の打ち合わせ後,懇親会も行い,かなりじっくり彼らととコミュニケーションできました。その結果,彼らの感想や発言を聞いて納得したのは,「目的」から考える,ということの難しさです。
「目的」から考える,ということはマネジメントでもあります。何が研究の目的なのか,社会でどういうことが問題になっており,ニーズがあるのか。視野が広くないと,知識もそれなりにないと,そもそも目的など見えません。「目的」から考える,ということはマネジメント能力,とほぼ等価かもしれません。
一方で,「手段」も大事なのですが,これは勉強であったり,トレーニングであったり,がキーワードの一つですが,学生には取っ組みやすい。
要は,ほとんどの学生にとって,「目的」から思考する,ということが実現不可能なのです。私も学生時代にはできませんでした。今は,簡単にできます。自分もできなかったことを押し付けてはいけませんね。
ではどうすればよいか。大人とコミュニケーションするのが一番です。私と一緒に研究するのであれば,私とコミュニケ―ションするのが一番近道です。対話を通して,視野不足を補い,知識も補い,ものの考え方も吸収してしまう。つまりは,私を活用しながら目的から考える思考方法を達成してしまうわけです。
これも簡単そうで難しいでしょうね。コミュニケーション能力が必要だからです。私と堂々とコミュニケーションできる学生は,それほど多くないと思います。
というわけで,「目的」から考えるようになる,ということはとても難しいことであり,いかにそれをできるようにするか,が学生時代に研究をすることの意義といってもよさそうです。
できるようになる近道は,コミュニケーションと,そこからヒントを得た上での自分の生活の中での「実践」です。これ以外には無いでしょう。まあ,大人でも本当にできる人はそんなに多くないのだから,学生たちはとにかくチャレンジするつもりで貴重な研究生活を満喫してもらえればと思います。できるようになれば,リーダーになること間違いなしです。
梅雨時なので誰でも不調なのかもしれませんが,調子を取り戻す一つの考え方として。
かなり以前のブログにも書いたことなのですが,誰でもできることなのに,なかなか実施できない70数項目とかいうのがありまして,真の成功者はそれらを実施しているそうです。元々は岡村甫先生が紹介されていたアメリカの方の著書の内容です。その項目の一つに,「一瞬で変化を起こす」という項目がありました。
明日からやろー,来週からやろー,いつかやろー,と誰でも思うのですが,成功する人は思い立ったら瞬間的に変化を起こす,ということです。
今朝,そのような実例があったので,日記に書いておきます。
ここのところ,私の本調子ではないわけです。朝,4時に起床するつもりが惰眠をむさぼり,5時15分くらいに起床。今朝は,長女の遠足のお弁当を作る約束になっていたり,午後の民間企業との共同研究の打ち合わせや講義の準備も万端ではない状況でした。起床したときは,メンタル的にも結構な不調。
ですが,まずはどうしてもやらなくてはならないお弁当作りから開始。豚肉(塩で味付け)でシソの葉と梅肉を巻いて,小麦粉をまぶして,油で焼き上げる料理を開始。並行して,他のおかずの準備も開始。そうこうしているうちに,遠足が楽しみで仕方ない長女が普段よりもかなり早起きをしてきたので,お弁当も一緒に作りました。ついでに,私のお昼のお弁当も作っちゃいました。さらについでに,子どもたちの夜ご飯も作成。お弁当の材料の残りが基本ですが。
6時25分になると,NHKのテレビ体操の時間。面倒くさいのですが,体操をすることにしました。これが好循環につながることになります。体を動かすことは,アクティブになる非常に根幹的な要素でして,始めるときは面倒でも(しかも,やや時間の無駄,という感覚もあった),終わるときには充実感でたっぷり。たった10分の運動ですが,その波及効果が一日全体に及ぶことを,人間はイメージしきれません。
ここからが本題なのですが,人間とは,一日の業務量,一週間の業務量を想像するとゾッとして身がすくんだり,どうしようもないと思ってしまいがちですが,山のような大きな相手を見て解決策を考えるべきではなく,とにかく現時点の自分をポジティブに変化させる目の前のことに専念する方が,不調のときは得策なのです。
不調の自分が,山のような相手を見て,有効な解決策を講じることができるはずがない。そうであれば,まずは元気を取り戻せるように,「一瞬で変化を起こす」アクションの方が大切。10分の体操をやろう,という自分に変化を起こす勇気を持つことが大事。その気持ちが,すべての変化の原動力になります。元気になればいくらでも解決策は湧き上がってくるし,何よりも,解決するパワー,能力がけた違いに向上し,悩んでいたこと自体がアホらしくなる。だから,変化を起こすことの方が重要なのです。
この間の週末に,想定していた半分しか仕事が進まなかったこともブログに書きましたが,たった数日前のことですが,半分しか進まなかったことなど,今ではどうでもよいことになっています。過去は過去。悔やんでも変わらない。人間とは常に,前進していかなくてはならない生き物です。とにかくその時点で,自分の心身の状態と相談しながら,付き合いながらですが,ベストを尽くすことがとにかく大切。人間は誰でもなまけ心を持っていますが,そのなまける自分と闘いながらのベストで十分。
今日は,朝のお弁当作り,テレビ体操で自ら仕掛けた変化のおかげで,元気にクリエイティブな一日を過ごすことができました。
現在,夜の11時を少し過ぎましたが,研究も大いに進み,土木史の講義も少しテコ入れでき,302室のたまり場が私のすごくうれしい感じでにぎわっていたのもよかったし,まあとにかく良い一日でした。
変化は一瞬で起こすべし。その効力を再認識しました。
週末にもいろいろと進めたい仕事があるのは誰でも同じかと思います。私も同じです。
今週は,諸々の調子がやや上向きになったので,週末のはかどりにやや期待もしていましたが,思っていた半分くらいの進捗でした。ですが,半分進んだだけでも良し,としましょう。
昨日の土曜日の午後は,長女に誘われて,娘二人と屋内プールに遊びに行きました。奥さんは海外出張から帰国する日だったので,家にいるよりは外で運動することで結果的に良い一日になりました。昼食は明太子スパゲッティを作り,夜は讃岐うどんでヘルシーな食事にしました。
今日の日曜日は,いくつかの仕事を進めましたが,夕食前に,またまた長女に誘われてMonopolyのゲームをしました。最初は「何だかなー」という気分でしたが,奥さんも次女も昼寝しており,私も昼寝から起床したところで,一人で時間を持て余している長女からのお誘いだったので,一緒に遊ぶ大事な時間だと思い直し,ゲームをしました。
久しぶりに,このゲームを最初から最後までやりましたが,途中からはかなりエキサイティングで,お金の計算もするし,抵当やらの経済の勉強にもなるし,とても楽しみました。私はイケイケの投資タイプで,長女はその逆でしたが,私の資産が威力を発揮する場面が多い一方で,資産が多いゆえの維持管理費の出費が莫大になる局面も複数回ある,など,とても刺激的でした。二人で大笑いしながらやりましたし,その後,夕食でも会話が弾み,お風呂にも仲良く入りました。
フランスへの渡航も近づいて来て,家族で具体的な相談も始めています。
仕事も大事なのですが,やはり家族はとても大切。
そのバランスを,我が娘が思い出させてくれます。ありがたい娘です。
今,この日記を書きながら,「仕事しよー」と思っていたのですが,横にいる長女が,「今日も本読んでー。さやえんどうじいさん(というポーランドの民話)を読んでー。」ですと。読んであげることにいたしましょう。仕事はその後で。
「感受性」「感性」について以前,このブログで書いたことがありますが,今日は感性を刺激する側,つまり教師について。
6/1(土)に東北の復興道路の調査を終えた後,仙台駅の近くで夕食を取りました。私の尊敬する田村隆弘先生と私と,今回の調査に参加した私の学生たち4人。そのうちの1人は,田村研究室を卒業して,大学院生として私の研究室に入ってきました。
田村先生,私ともにフィロソフィーを語る「教師」ですので,とても前向きな,また大調査を終えた充実感にも浸った,楽しい時間でした。
その中で田村先生が学生たち4人に向かって,「君たちは高い感性を持っている。だからここにいる。」とおっしゃっていました。
立場上,教える側にいる我々も全力で,日々感じながら,生きています。生きてきて経験したことは当然に教えますし,我々は生涯勉強です。その後ろ姿を見せます。
教師と学生の関係で言えば,学生の感受性を刺激できないような教師は失格であり,私は職を辞すべきだと思っています。いろんな意見があろうかと思いますが,研究だけで生きて行きたい方は,研究所で研究しておられればよい。ただしその場合は,研究一本で勝負できるほどの力量が必要ですが。
税金で給料をもらっている大学教員は,その給料の少なくとも数倍は世の中に貢献しないと,大学にいる価値はないと思います。研究だけで貢献することはかなり困難です。一方で教育は,将来の人財を育てるかけがえの無い仕事。お金には換算しがたいですが,どれだけ真剣に学生と向き合えるかが,一つのバロメータであろうかと思います。向き合い方はいろいろありますが。
私も数多くの方々に教えられてきました。また感受性を刺激していただきました。それらの方々のおかげで,私の感受性が高まり,日々,感じながら生きているおかげで,次第に感性も豊かになってきたように思います。
しかし,何年一緒の職場で働いていても,感性が一度も刺激されない場合だってある。
若者こそ,自分が指導を受ける人,上司になる人を厳しく見るべきです。感受性を刺激できないような人の下で,一級の人間を目指した旅のスタートを切ることは決してできません。
厳しいようですが,若者たちは憧れのベクトルも持って,上の人間たちを厳しくみてもらえればよい。
上の人間たちは,下の世代から厳しく見られていることを自覚して,真剣勝負で生きるべきです。そうできない場合もあるでしょうが,そのときは下の邪魔だけはしてはならない。
谷口智彦さんの「明日を拓く現代史」を読んで大きな刺激を受けましたが,我々は東日本大震災後の日本復活を担う世代なのだと思います。多様化した社会ですから,多くのリーダーが出てくると思いますが,私たちの熱血ドボ研も,これからかなり大きな役割を担っていくと思います。
今現時点での学生たちも,これから15年程度での,東日本大震災後の大勝負に直接関わることも可能だと思います。そのためには,今の段階から,日々感じることが最重要かなと思います。だから,この記事を書きました。
数年くらい前までは,「普通に」コンクリート工学の研究をしていたつもりですが,ここ数年で私自身の研究,教育活動に大きな変化が生じています。
特に今年は,学校での防災授業にも本格的に取り組み始めており,川崎市の小学校での7/8(月)の実施(3年生の3クラス,全てで1回ずつ実施)は決まりましたが, さらに,横浜市保土ヶ谷区での実施にも話が広がりそうです。これまでの4校(横須賀高校,鞆小学校,鞆中学校,川崎市の小学校)は,防災授業を実施するに至った経緯もそれぞれなのですが,今回の保土ヶ谷区は,区の区政推進課の係長と話をすることになっており,しかも保土ヶ谷区と横浜国立大学が提携を結んでいることもあり,やや大きな話になるかもしれません。
私が防災授業を行うようになったきっかけは,二つあると思っていまして,一つは東日本大震災。もう一つは,「土木史と技術者倫理」という講義を2011年の秋から担当することになったことです。
二つ目のきっかけである土木史の講義については,私は立候補して担当することになりました。今では,この講義を担当させていただいて,本当によかったと思います。この講義は真に重要であると,心の底から思いますし,いくらでも勉強することがある。高橋裕先生や合田良実先生のようになれるかは別として,私も生涯,土木史の勉強は続けたいと思います。いつの日か,私も私らしい教科書なり本を書いてみたいと思います。
心の底からやりたいと思っていることには,多くの仲間が集まってきます。保土ヶ谷区での取組みは,私の同級生の横浜市職員が担当者を紹介してくれました。
不出来な大学生,研究者としてスタートし,しかし,心の底から大切だと思うことを,信念を大切に努力してきた結果,山口県のひび割れ抑制システムや,復興道路の品質確保の最前線で携われるようになり,実践からの叩き上げで,建設マネジメントに大いなる興味を抱くようになってきました。また,小学校での教育も私自身にとても合っていると以前から思っていたのですが,いつの間にか小学校などでの授業もできるようになっています。
心の底から大事に思うことを,実践し続けることの重要性を,40歳になって実感し始めています。
今日も,初めて,土木学会の「公共調達シンポジウム」に参加しています。いつものコンクリート系のシンポジウムと違って,わくわく感が強いです。近いうちに,公共調達シンポジウムでも発表できるよう,日常の研究教育活動で精進したいと思います。
先週末の金曜日まで、実に一か月近く、休みがありませんでした。その間には東北での大型調査も入ったり、講義の負荷も例年よりかなり大きく、心身が疲弊しているのを感じていました。
先週末は久しぶりに家族で一泊の旅行に行きましたが、仕事は一切せず、長女と百人一首をしたり、のんびりすることにしました。昨日からは奥さんが海外出張に行くこともあり、私の両親にサポートに来てもらっており、かなり楽をさせてもらっています。
ようやく、仕事に対する意欲が戻ってきて、体調も良くなってきたように思います。
しばらく、本を読む意欲も無くなっていました。昨日は、谷口智彦さんの「明日を拓く現代史」を楽しく読みました。三井住友建設の春日さんにご紹介いただきましたが、非常に非常に勉強になる本です。
今日の水曜日は日中に時間がたくさんあったので、なかなかうまく作れなかった、 JCIデータベース委員会の報告書を作成するためのHPを立ち上げました。先週も格闘したのですが、どうにもワードファイルのリンクが上手に張れず、今日、ようやく立ち上げることができました。
その他、仕事が滞っている状態ではありますが、それでもとにかく一歩でも前へ進むことに専念し、パワーが回復してくるのを待つことにします。
6月14日(金)の夕方に、東京大学名誉教授の高橋裕(ゆたか)先生のご講演を聴いてきました。
これからの技術者に期待される人生観、倫理観についてのご講演で、廣井勇先生とそのお弟子さんたちである、青山士(あきら)、宮本武之輔、八田與一などについての非常に興味深いお話でした。
私自身が大学で土木史の講義を担当していることもあって、基本的な情報は身についていましたが、それを補う様々なお話があまりに面白く、ひたすらにメモを取りました。さっそく、昨日の土木史の講義でその知識も活用しました。
いつもは土木史を教える立場で、学生たちからは好評なのですが、この日は授業を受ける立場でした。非常に面白い。そして、そのお話は自らを奮い立たせるものです。私も私なりに全力ではやっているつもりですが、もっともっとすごい方たちのお話を聴くと、襟を正す厳正な気持ちにさせられます。
廣井先生のお弟子さんたちは、廣井の国際感覚、国家観、人生観、使命感、責任感を引き継いだ、と高橋先生はお話されました。また、「日本のため」という日本至上主義が当時の常識であった中で、「人類のため、国のため」と大河津分水路の碑で高らかに謳った青山には心から感動を覚えました。
これからの技術者は、宮本武之輔のように、誰とでも話せる言葉を持ち(コミュニケーション力をしっかりと身に着け、上記のような国際感覚、国家観、人生観、使命感、責任感を持ってほしい、と高橋先生は最後にまとめられました。
その週にもやもやといろいろ感じていたことも吹き飛びました。
私がこれまで、尊敬する先生や先輩方から学んできた考え方の尊い源流がそこにはありました。
周囲の雑音に惑わされず、自身の信じる道を自分のペースで歩んでいこうと改めて思いました。
私の「土木史と技術者倫理」は都市基盤の学生たちには2年生の必修科目となっています。2年生は,やる気の非常に高い学生と,やる気がどん底まで落ちる学生との差が付きやすい学年かもしれません。
昨日の土木史の講義のレポートに,以下のような記述がありました。
「・・・・ さらに,今回の講義で先生はいつも以上に熱く語って下さっていました。それはきっと,今回の内容である古代ローマが好きだからだと思います。好きなことならば,より熱心に取り組めるのは当たり前です。同じEP(都市基盤)に,どうしてもやる気になれないという方が数人いますが,彼らも,土木,シビルエンジニアリングを好きになることが必要と思います。
以上から,学びは経験に基づくアプローチと,それに対する熱意が重要だと考えます。」
というものでした。
やる気になれない,とはかわいそうな状況です。本人のせいばかりではないでしょう。どれだけやる気になれない人であっても,自分の好きなことに対しては熱心に取り組むはずです。
私は,シビルエンジニアリングという仕事,職業の面白さ,尊さを何とか学生に伝えたいと思って全力で講義も行っていますが,私の力も及ばないことも当然にあるし,本当に興味を持てないのであれば早く別の道を探した方がよいかもしれませんね。
同じ都市基盤EP(EPとは,Education Program,教育プログラムですなわち,以前の土木工学科です)に,非常にやる気の高い学生たちがたくさんいる現状を考えると,心からかわいそうだ,と同情してしまいます。
これまでに,良い出会いに恵まれなかったのでしょうね。
今日も雨の中,わざわざ六本木から私に会いに来てくださる企業の方もおられますが,私は,やる気のある方々と,これからも楽しくやっていきます。
ようやく,読書欲も戻ってきました。
今日は,国際会議用の英語論文を書く!
昨年の4年生の赤間君の卒業論文を製本しました。300部ほど製本し,少しずつ,読んで欲しい方々に郵送を始めています。さっそく,届いた方から御礼の連絡もいただいており,赤間君が始めた鞆の浦の研究が,少しずつ世の中に認知され,多少なりとも貢献できればと思います。
それにしても,やはり製本する,ということは大きい。書物という媒体で,いつでも読める形で発信していくことは大きいですね。
この間の日曜日の勉強会で,ゼネコンの技術者と話しているときに,「細田先生は情報発信力が強いので,先生のことは大体は把握している」と言われてました。これだけブログで公開していればそうでしょうか。
ブログの読者数も以前よりはかなり増えているようで,それは私の付き合う方々が増えたことにもよります。また,私は認知していなくても,読んでいただいている読者の方もじわじわと増えているようです。
私の情報発信のツールとしては,HP,ブログ,facebook,論文,解説文,講演,授業などがあると思いますが,いずれ,本の出版も考えたいと思います。教科書の出版もあるだろうし,防災授業や復興道路プロジェクトなど,私の研究に関連する内容もいずれは本で出版するのが良いと思い始めています。
今日は,土木史の講義で,古代ローマ帝国についての情報を,強烈に発信しました。塩野七生さんのローマ人の物語の内容を活用して,かなり強烈な情報発信であったかと思います。学生たちのレポートを見ていると,インフラと国家の関係にも大きな興味を持てるようになっており,また,教科書を現代から遡っていく無手勝流講義ですが,いつの間にか古い時代にまで来ており,逆に興味が強くなってきていることにも学生たち自身が驚いているようです。今日の講義が一番面白かった,という感想がいくつかありました。
いくつか,ややネガティブな記事が続きましたが,やはり私は若者たちに向かってポジティブなエネルギーや情報を発信するのが大好きです。彼らが少しでもキャッチしてくれ,彼らの将来につながってくれることが,私の心からの喜びです。多くの学生たちが,私の講義をきっかけに読書をするようになってくれているようで,これは本当にうれしいことです。
さて,復興道路の調査結果の取りまとめが重要で,今週の後半には東北,東京で調査結果が発信され始めます。調査した方々から私のところに結果が集約されてきており,私の責任で取りまとめます。今夜の重要な仕事。
すべての活動が,最終的には情報発信につながっていきます。しかも,ありがたいことに,発信した情報をキャッチしてくださる方々がいる。これは本当に幸せなことなのだと思っています。頑張ろう!
体がくたびれ切った状態で月曜日を迎えました。丸一ヶ月,休みが無い状態ですが,今週末,久しぶりに休みになります。
今日は,鞆の浦の羽田冨美江さんから,赤間君の論文が届いた,という御礼のメールが来ました。そして,9月7日(土)の防災シンポジウムにも東京まで応援に来て下さるそうです。この防災シンポでは,鞆の浦の今後についても大きな影響を与えるかもしれない情報を発信することになりそうですので,羽田さんに応援に来ていただけるのはとてもうれしいです。
今日の午後には,木谷正道さんが研究室に来られ,渡辺君,伊藤さんも参加して1.5時間ほど打ち合わせをしました。非常に刺激的な打ち合わせでしたが,9月の首都圏防災ウィークに向けた打ち合わせと,9月の鞆の浦ビッグイベントに向けた打ち合わせでした。このような打ち合わせを普通に行っている今の状態は,数年前では全く想像もできませんが,我々の動きは加速しています。
昨夜遅くと,今朝は,あまり気分が晴れませんでしたが,これらの私の想いをともにする方々とのやりとりを通じて,気持ちが少しずつ戻ってきました。
そして,かわいい子供たちと夕食を食べたり,触れ合い,何が一番大切なのかも,再認識しました。
一つ下の記事も踏まえてですが,土木学会のコンクリート標準示方書の改訂,というような学術的な活動にも直接携わることができ,一方で首都圏防災ウィークでの防災イベントや,鞆の浦の地域の課題解決,さらには復興道路の品質確保,というような本当に心が躍動するようなプロジェクトにも多く関わることができるという,今の状況に,心から感謝すべきです。
やはり私の持ち味は,徹底したポジティブパワーだと思いますので,明日にはエネルギーが充満していることを期待して,今夜はゆっくり休みます。
ごく一部の読者は,今日,私がどのようなことを書くかを気にしておられるかと思います。
昨日の日曜日は,示方書勉強会とその懇親会でした。帰宅する頃にはあまり気分が晴れやかでなく,起床後ももやもやしたものが残っています。
あまり詳しくは書きませんが,私の感じていることを書いておきます。以下,懇親会での全体の雰囲気から私が感じたことです。
Visionとは,それに向かって皆が力を発揮でき,結果が良くなっていくためのものです。誰かが勝つとか,俺はすごいんだ,というような類のことはVisionとは言わない。
「否定すること」は重要ではあります。何でも肯定,では物事は進歩しないし,仮説が棄却されることが進歩の原動力ではあります。しかし,「基本的には」,「否定」からは何も生まれない。特に,人や,人の考え方を否定することから,何かが生まれるでしょうか。なぜ連携しようとしないのか,が私には分からない。真の連携の威力に気付いた人からすると,もはや否定する人には近づこうという気持ちも失せてしまいます。
「5年前と変わっていない」でよいのか。5年の間には,大震災も起こりました。私自身は5年前とは明らかに変化しています。私自身の考え方も変化したし,実践するやり方も,内容も変化しています。連携する仲間も変わりました。そもそも,5年前には山口県の取組みにも出会っていません。
大震災も経て,これからさらに大地震が襲ってくる可能性も高く,いまだにデフレから脱却できない混迷の社会において,コンクリートの研究者がコンクリートのことだけをやっていてよいとは思えない。もちろんコンクリートの研究は大事ですが,5年前と同じ考え方では,世の中から見てどう思われるでしょうか。世の中とは,例えば小学生です。小学生に自分たちのやっていることを魅力的に伝えられるでしょうか?小学生に伝わる,ということは,世の中にも理解される,ということです。「土木はすごいんだ」「コンクリートはすごいんだ」と威張っていても,世の中には理解してもらえないし,理解されないでは,その先の発展はありえません。
私自身も,自分自身の存在意義についても深く考え,大学に籍を置く人間として,何をなすべきかを常に考え,真剣に実践してきているつもりです。
基本的には,私のやり方は変えるつもりはありませんが,「目立ってくると」,批判,批難も増えてくるということも認識できて,その点では有意義でした。多少の批判や批難で自分自身の信念を変えることは絶対にありませんが,世の中にはそういう方々が大半であることを認識して,全体をどのように良くしていくか,が使命であると再認識しました。
私は,自分の良心,感性を信じて,世のために実践を重ねて行こうと思います。
6/7(金),6/8(土)と,発刊が近づいている示方書の維持管理編の読み合わせ会でした。
二日間,拘束されていやだなあ,というのが正直な気持ちだったのですが,思いのほか面白かったです(大学生みたいな感想ですいません,いつまでも子供なもので...)。
数名ずつのグループに分かれて,担当箇所を一字一句吟味していきました。一人が声で読み上げて,その場で修正していく。恥ずかしながら,ここまでの読み合わせを初めてやりましたので,とても勉強になりました。また,そのような作業が,発刊される示方書の実際の文章になっていく,ということにもとてもやりがいを感じました。
そして,今日,6/9(日)は,以前から継続して行っている,プライベートの示方書勉強会です。3月に発刊された,設計編,施工編の勉強をします。実際に改訂に携わったメンバーも多くいますので,疑問もぶつけ合いますが,裏事情も含めた詳細な説明もしてもらい,濃厚に勉強できればと思います。
私自身は,設計規準の策定,改訂に直接関わったのは,PC工学会の高強度PC鋼材の設計施工指針の作成が初めてでした。何も分からないまま,指針作成WGの主査に据えられ,実務者が作成していく過程をすべて見させていただき,今となっては非常に良い勉強をさせていただいたと感謝しております。
その後,今回の示方書の改訂のメンバーにも入り,施工編,維持管理編を中心に実際の内容の作成に関わるようになり,少しずつ理解が深まってきています。
今日実施する示方書勉強会は,私の日記によると,2007年9月に富士の民宿にて,表層品質の調査のときに「示方書勉強会をやろう」と有志で決意し,その後,実行に移し,継続してきました。
一つの区切りとして,2009年6月12日にJR東日本の石橋忠良博士にインタビューを行い,多くの知識を吸収しました。もう4年前になるのですね,早い。
そして,その後は,示方書勉強会の効果もいろいろなところに派生していますが,JCIのランドマーク委員会での角田先生,池田先生のインタビューなどにもつながっていると思いますし,勉強会のメンバーが実際に示方書の改訂のメンバーに入るようになってきています。
示方書の改訂作業があったので,その期間,勉強会の頻度は落ちていましたが,また次回の改訂に向けて情報交換や切磋琢磨をする一つの場として,機能を高めていきたいと思っています。
金,土,日としっかり勉強すると,気持ちがよいです。やはり,勉強と実践,ですね。バランスが大事。
3週間連続で土日が無くなっています。
今週の土日は,示方書の維持管理編の読み合わせと,プライベート勉強会である示方書勉強会。
先週は,復興道路の品質調査と凍害構造物の視察。
先々週は,鞆の浦。
体に疲労が蓄積しているのが明白で,そろそろ一息が必要です。来週の17日の月曜日は長女が学校が休みということもあって,家族で休暇を取って箱根にアジサイを楽しみに行くことにしています。温泉,おいしい食事,アジサイで心身を癒したいと思います。
というわけで,今日もこれから一日,維持管理編の読み合わせ,楽しんできまーす。