細田暁の日々の思い

土木工学の研究者・大学教員のブログです。

学生の論文について、お知らせ

2023-12-03 11:04:30 | 教育のこと

私が全力で講義している、「土木史と文明」ですが、今年で早、13年目となりました。

毎回、学生たちが書く論文も素晴らしいものが多く、ぜひとも全国の、全世界の皆さんに読んでほしいものがたくさんあり、これまでは私のブログで公開してきましたが、

大学当局としては、「講義における学生の答案」を公開することは、情報の取り扱い上の規則に抵触するため不可、とのことです。

論文と答案を一緒にされても困るのですが、

学生たちが自分自身と誠実に向き合って全力で書く論文を、ぜひ皆さんにも読んでほしかったのですがね。。。

いろいろ考えまして、結果的には、受講生の間で読めるようにシェアすることにしました。それだけでも効果はかなり残るようです(そのように、学生の努力に対するフィードバックの無い講義がほとんどだそうです。要は、レポートを出せ、というだけの講義。)。

また、いくら学生たちが頑張って書いたとはいえ、私のブログで公開し続けることにはやはり問題もあると認識しました。学生たちも文責を取り続けなくてはなりませんので。

いずれ、秀逸な論文を集めた本を出版してもよいのかもしれませんね。いろいろ考えてみます。

というわけで、一部の方には数年に渡ってお楽しみいただいてきた、学生たちの秀逸な論文を公開できなくなりましたが、ご了承ください!


教育哲学の対話

2023-07-02 15:51:28 | 教育のこと

6月27日、28日と明石高専を舞台に、土木学会のコンクリート委員会の「教育研究小委員会」の合宿委員会が開催されました。8名の参加委員によるクリエイティブな対話が重ねられた、大変刺激的な二日間でした。

私も様々な組織や場に身を置いてきましたし、それなりの議論は実践してきましたが、大変にクリエイティブで、得意技の異なる委員がそれぞれの独自の視点を織り交ぜながら、質の高いアウトプットを目指した対話であり、大変に心地よい時間でした。と同時に、スポーツをした後のような充実感と疲労感もありました。

このような対話を実践するためには、当然に良いメンバーが集まらねばなりません。

また、いきなり対話ができるわけでもなく、お互いの信頼感も必要でしょうし、ヴィジョンもそれなりに共有していないとできません。

この委員会では、HPにもあるように、昨年度に6回の公開座談会を開催し、誰に見られても恥ずかしくない議論をしてきましたし、そもそも何を目指して議論しているのかも発信してきました。

この国は順風満帆な状況では全くなく、どのような意味で危機的なのか、その辺りの危機感を共有できないと、ヴィジョンを共有できません。

教育だけでこの危機的状況が改善されるとは思いませんが、そもそも日本をどういう国にしたいのか、現状はどのような理由で理想的な状況からかけ離れてしまっているのか、という意識・知識を共有し、その上で土木分野における教育のあり方、哲学、実践方法などを議論しているわけです。

対話の具体的な内容になると、一見、対立しているような二つの考え方がある場合がほとんどです。例えば、大学教育においては「基礎をしっかりと教える方がよい。その方が後々の応用力が培われる」という考え方と、「実社会で求められているスキル(ICTとか)をしっかりと教える方がよい」という考え方が、対立構図として捉えられる場合があります。どっちかが良い、どっちかが悪い、という議論をしても、何の改善にもなりません。対話により、どちらにもメリット、デメリットはあるでしょうし、どちらも取り込んだアウフヘーベンも可能かもしれません。

クリエイティブな対話からは、多くの学びが得られますし、今後の実践に向けてのヒントも得られますし、自分自身や自分の手法を肯定することもできますし、改善のヒントも得られるでしょう。とにかく、対話。ディベートのような白黒付けたがるようなものからは私はほとんど何も得る気がしませんし、やりたいとも思わない。

豊穣な社会のための教育です。

同様なクリエイティブな対話が、豊穣な社会研究センターでも活発に繰り広げられることを期待しています。そのためには、豊穣な社会とは何か、現在の社会がどのように豊穣さからかけ離れているのか、その主な原因は何か、その辺りの考え方を緩く共有できるかどうか、が大事なのだろうと思っています。

+++ お知らせ +++

そんな我々の議論を主に教育者、指導者向けにオンラインで完全公開します。学生や部下の指導に悩む皆様には是非とも聴いていただきたいですが、土木教育の哲学に触れたい皆様、土木に興味のある多くの皆さまのご参加をお待ちしております。参加要件など詳細はまた改めてお伝えします。

◯令和5年度土木学会全国大会研究討論会◯
 日時 令和5年9月11日(月)13:00-15:00
 場所 オンライン

指導

2023-04-22 10:14:21 | 教育のこと

今週もいろいろと学ばせていただきました。

21日の金曜日の夕方が、ある投稿論文の締切日でした。私が連名で投稿する論文が2編。1つは、3月から準備が進められ、3月末の段階で8割くらいは仕上がっていたので、4月に就職した筆頭著者の元学生のH君は最後の仕上げをして投稿へ、という状況でした。

もう1つは、論文の執筆が4月に入ってから、という状況で、これまた4月に就職した筆頭著者の元学生のM君の担当でしたが、苦労するだろうなとは事前に思っていました。そして、案の定、仕上がり不十分な状態で締切りの週に入りました。状況を私の目で見て、そのままのやり取りを続けても締切りまでに仕上がるのは不可能、と判断して、オンラインでのミーティングを持つように指導しました。

指導した内容はまっとうなものであるし、M君と私の関係も、近い皆さんは想像付くと思いますので、ここで公開します。結論としては、締切りに間に合い、無事に投稿でき、私の指導の内容もM君はしっかりと受け止めたようです。

私が間に合わない、このままでは不可能、と判断した理由はいくつかあります。
・M君のワードのスキルが低く、投稿論文執筆のためのキャパシティーが足りない。
・論文のテンプレートをダウンロードできるので、それに上書きしていけばそんな変な体裁にならないはずなのに、ダウンロードもせず、自分で勝手に作っている。(そんな原稿を添削している暇はない。指摘しても、修正に反映も適切にされないので)
・私がワードの添削機能で添削したことが、次の稿に適切に反映されない。要は、「雑」ということ。(教員が添削意欲を失う)
・図表の作り方も不適切。見栄えもよくない。

結局、4/18(火)の夜の段階で、論文執筆は私が引き取り、テンプレートをダウンロードして、私が仕上げることになりました。図表も不適切なものは私が修正。考察、まとめ等も結局、私が執筆。

今回の件は、M君を非難したいわけではありません。それは十分に彼にも伝わっています。

元々、査読論文に投稿する、というチャレンジをしているから遭遇している困難であり、投稿しないで社会人になる学生など無数にいます。

スキル不足は自分で改善してもらうしかない。性格が雑な点については、改善はできます。また、テンプレートを活用する、など方法を知らないのであれば、それは学べば進歩します。

細かい指導は省きますが、田坂広志さんから私が学んだ「人格を自分の中に育てる」という考え方も伝えました。自分の中に一つの人格があるのではない。いろんな人格がいてよいし、それぞれの人格を育てることが、才能の開発、ということである、と。雑であると、良い仕事はできない場合が多い。であれば、しっかりした仕事をする、という人格を育てる。

4/18(火)の夜に、今後のアクションのために、私が指示したことを、ミーティングの最後に復唱させましたが、案の定、4つのうち2つしか言えない。メモを取っていたようではありますが、結局、きちんと把握できていない。雑、そのもの。これもしっかり指摘しました。

この後、ご本人が伸びるかどうかは、自分次第。

結果的に、この3月に修士を修了した私の指導学生3名は、皆、査読論文に投稿して修了していきました。これはとても良かったと思います。

後輩たちもこういうチャレンジに続いてもらえるとよいと思います。

そして、M君が在学中に一緒に研究に取り組んでいたウズベキスタンからの留学生のS君が、4/20-21に糸魚川のDENKAの工場で、彼の修士研究の本命の実験の供試体の作製をしました。私もフルに立ち会いましたが、これがまたいろいろと学ぶ貴重な機会になりました。この件は、次のエッセーにて。

私も教員として、いろいろと学ばせていただいております。ありがたい仕事です。

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後日談。。。

何と、早めに準備を開始して、原稿も早めに仕上がっていたはずのH君が、投稿の締め切り日をきちんと確認していなかったのか、詳細は知りませんが、締め切りまでに投稿できなかった、と痛恨の後悔とともにメールで連絡してきました。。。

私も開いた口がふさがりませんでしたが、別の論文集への投稿を薦め、本人もそうすることに決意し、早速準備を始めました。まあ、H君もしっかりけじめをつけないと、生涯気持ち悪いでしょうからね。別の論文集でしっかりと採択され、掲載されることですっきりすると思います。

まあ、教員という仕事は、若い方々と多くの時間をともにしますので、いろんな経験をさせていただける、ありがたい仕事です。。。


研究室の冬合宿

2023-02-04 18:13:44 | 教育のこと

今日は土曜日ですが、研究室の冬合宿を実施しました。

10数年前から開催し、研究室の看板行事の一つでした。修士論文や卒業論文の最終審査会の直前に、M2と4年生が全員発表し、議論する、という場です。本番よりも長い発表時間と質疑の時間を取り、議論を深める、という場です。OBOGにも声をかけ、毎回参加してくださる年配のOBもおられ、私も楽しみにしている行事です。

この冬合宿が、コロナ禍により、2021年と2022年はオンラインのみでの開催となりました。ですから、今日の冬合宿は3年ぶりの対面での開催となりました。オンラインでの参加もできるハイブリッド形式としました。

場所は幹事学生が探してきた上郷森の家という場所で、初めてきましたが、大変充実した施設で、ゼミの会場も素晴らしく、宿泊施設も大変広く、充実していて驚きました。

参加学生は全員泊まり。私ともう一人の教員が宿泊。先ほど、10時から17時半ごろまでのゼミが終了し、私は一風呂浴びてきて、夕食前の時間です。

ゼミの開催前に私が挨拶しましたので、その内容を以下に記しておきます。

「この、学生にとっては大変な時期に、参加者の皆さんはそれぞれの思いで参加していることと思います。一所懸命努力していると思いますが、切羽詰まっている方もいるでしょう。

私自身は、実は今日のこの日をとても幸せに感じています。その理由を説明します。

一つ目は、メンバーについて。教員が4名参加していますが、前川先生もおられるし、細田、藤山先生に加えて、10月からは小松先生も加わり、今年しか知らない学生にとってはその状況しか知らないので、それを当たり前と思ってしまうかもしれません。以前は、私と椿先生二人だけのときもあったし、その前は椿先生お一人という時期も少しあった。メンバーというのはどんどん入れ替わります。4人も教員がいる、この4人がいる、というのもこの瞬間だけの状況であって、いつまでも続くものではない。一期一会とも言えます。研究室の外の人から見ると、この4人の教員がいる、という環境はうらやましいというくらいの環境かとも思います。こういう時間を皆さんと一緒に過ごせる、ということに大変幸せを感じます。

二つ目は、研究というものについてです。世の中、嘘が蔓延していたり、ごまかしや悪さばかりで私などは辟易としてしまいます。しかし、研究とは真理を探究するものですから、嘘をついては決して真理になど到達できません。この世の中で最も誠実に取り組まないと目的を成就できないのが研究なのかもしれません。こういう世の中において、研究という高尚な行為に皆さんと真剣に取り組み、真剣に議論できる場を持てること、そのことにこの上ない幸せを感じます。研究の成果が役に立つとか立たないとかも大事かもしれないけど、一旦そういうことは置いておいて、誠心誠意、取り組んでみる、ということを大事にしてみましょう。

今日は、OBの方々も、対面やオンラインで参加してくださっています。

私はいつも学生たちに言っていますが、厳しく言う局面もあるかもしれないけれど、それは間違っていては真理に到達できないし、少しでも研究の内容やプレゼンの内容が良くなるように、という一心での発言です。私も全力で臨みますが、皆さんから良い意見がたくさん出ることを期待しています。

それでは、私も一日、大変に楽しみにしています。良い時間になりますように。」

ゼミは終了しました。大変に充実した、ポジティブなエネルギーに溢れたゼミだったと思います。学生たちもベストを尽くしていたことがよく分かりましたし、グングン伸びているように感じました。教員もOBの方々も多くのアドバイス、コメントがあり、大変勉強になる議論ができたと思います。

こういう場を持てるために、一年間努力してきた、とも言えますね。

最後、まだまだ伸びていくと思いますが、その姿を見ることを楽しみにしています。

もうすぐ夕食、懇親会です。大いに笑って、ガスを抜ければと思います。


発言や判断の重さ

2023-02-02 06:47:59 | 教育のこと

現在、私が研究室の中で直接指導する学生やポスドクは、学部4年生が6名、修士1年が4名、修士2年が4名、博士課程が3名、ポスドクが2名、という状況です。19名ですね。その中には、留学生がいたり、社会人博士がいたり、と国籍も年齢もバラエティーに富んでいますが、これが現時点の私の直属の研究チームです。

大学の研究室は入れ替わりが激しいので、次の4月にはメンバーも大幅に入れ替わります。新陳代謝を繰り返しながら、前進し、努力の方向性良かったり周囲の条件が良ければ発展します。

すでに私の研究室を卒業して、社会で活躍している人たちも数知れず。

学生であれば、私の講義を通じて私の影響を受ける人も数知れず(特に、土木史と文明、とか、メインテナンス工学、といった風変わりな講義をデザインして提供していますので、影響は小さくないかと)。

学外の方々との連携も多いので、それらの方々への影響ももちろん小さくありません。

私の場合、ブログでの発信も細々とずっと続けているので、面識のない人にも影響していることも少なくないようです。

そして、周囲の皆さんにとって私自身がどのような人間に映っているかは推して知るべし、ですが、一応、私は「繊細な」というか「敏感な」方のタイプの人間だと思っています。私自身の発言、判断、行動の影響が小さいとは全く思っていません。良い影響だけでなく、悪い影響が及ぶ場合ももちろんあろうかと思います。職業が教師なので、なるべく悪い影響を小さく押しとどめて、良い影響を後輩たちに与えられるようにする職務、義務があると思っています。

私のこの性格、性質ですので、嘘はほとんど付けません。学生たちへのアドバイスもストレートです。グサッと来るときも少なくないかと思いますが、ダメなものはダメ、と言うべきでしょうし、頑張っているときは賞賛すべきかと。どういう判断基準で私が「ダメ」と言っているかが重要と思っており、それも含めて伝えるようには努力しています。もしくは、すべては伝えられないので、このブログ等から私の判断基準を感じ取ってもらっています。信頼関係がないと、教育は成り立ちません。

私自身も変化します。もちろん体は衰えてきますが、簡単には劣化しないようにありとあらゆる努力をします。不摂生だった若い時よりも身体的なパフォーマンスで改善・向上している部分もあります。また、年を重ねるごとに伸びていく能力もあります。その瞬間の瞬発力・能力はもちろん大事ですが、これまでに積み重ねてきた経験やそれに基づく勘も重要で、それらの総合的能力をフル活用して、学生たちの指導をすることになります。

私の長女の年齢と、学生たちの年齢もそれほど変わらなくなってきました。それも、私の心境にもちろん変化をもたらします。丸くなります。。。

いまだにとんがった部分をたくさん抱えておりますが、これでも若いころに比べるとはるかに丸くなってますし、「細田さんも丸くなったなあ」と結構いろんな人に言われます。。。

いずれにせよ、私の発言、判断、行動が周囲に与える影響は決して小さくないことを自覚して、自身の修行を重ねて、後輩たちが育つための環境整備やお手伝いをし、「適切に」とんがった情報発信も重ねていきたいと思っています。


細田のメディア等での発信

2023-01-21 12:18:41 | 教育のこと

講義等で学生に見せたり、世の中の方々にも見ていただいて良いような、メディア等での発信について、ここにまとめて、ストックしていくことにします。ブログの右の欄のブックマークに追加しておくので、必要であればそちらから最新のストック状況をご確認ください。

「豊穣な社会研究センター」プロモーションビデオ

YNU防災研(豊穣な社会のための防災研究拠点)のプロモーションビデオ

「八田與一」

「憧れ」(第1回の全国土木弁論大会(有馬優杯)での細田の弁論の原稿。八田與一が題材です。)

【津田永忠】岡山が産んだ土木・建築のトップエンジニア 〜土木スーパースター列伝 #12 from DOBOKU

【濱口梧陵<前編>】「津波防災の日」のきっかけを作った生き神様 〜土木スーパースター列伝 #11 from DOBOKU

【濱口梧陵<後編>】これぞ公共事業!“生き神様"の行動哲学 〜土木スーパースター列伝 #11 from DOBOKU

土木学会コンクリート委員会 教育研究小委員会の公開座談会

・「品質確保物語」(道路構造物ジャーナルNETでの連載)

「ドボクのラジオ(ドボラジ)2021.1.13 ON AIR 良いコンクリート構造物をつくるために。」

「ドボクのラジオ(ドボラジ)2021.1.20 ON AIR コンクリートは人づくり。」

「夢ナビ(高校生たちへのライブ講義)」


 

 


少人数ゼミ「人間学とリーダーシップについて考える」の三名の学生のレポート

2023-01-03 16:18:07 | 教育のこと

何年続けているのでしょうか。学部3年生の秋学期に、各教員が提供する少人数ゼミがあり、テーマは教員が自由に設定、回数は4回。

私はずっと、「人間学とリーダーシップについて考える」です。これは、師匠の岡村甫先生がやっておられて私が学部3年生のときに受講した少人数ゼミと同じタイトルです。

私のゼミでは、「7つの習慣」の第三の習慣までを必読の課題図書とし、あとは学生たちとの議論の中で様々な図書を紹介したりしてきました。どこまで議論が深まるかは、受講する学生たちの思考の深さや真剣さなどによりますが、私にとっては毎年、楽しい真剣な時間です。

以下、今年の3名の受講生のレポートをそのまま掲載します。

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一人目:大倉 風芽

 普段、日本で生活していると水道や電気とインフラからショッピングやレジャーに至るまでお金さえあればほとんど不自由を感じることなく生きていくことができる。このような昔の人からすれば天国のような生活を現代の日本ではできているわけだが、現状でこんなに不自由を感じることがないのにこれ以上何を求めるのかという思いや、これから先、自分の人生を賭けて取り組むべきことは何かということ、これから少子高齢化で先が見えない中でいつまでこの生活が続くかという危機感など手放しで喜べることばかりではないと感じている。私は地方から都会に移り住んでから特に、自分の生き方や目標が日々ぼやけていき、場当たり的に課題やバイトをこなすというような生活を送っていたのではないかと振り返ってみると感じていた。そんな中でこの講義では他では感じることのないような非常に大きな刺激を受けることができた。

 その中でも特に印象に残ったのが自由についての「自由とは、なにかをなしたい要求、なにかをなしうる能力、なにかをなさればならぬ責任」という1文である。

 今までの自分の生活を振り返ると俗に言うような無制限になんでもできる自由よりも、能力や責任というような制約のもとでいかに要求を満たすかということを考えていた時の方がその時は不自由さを感じていても後から振り返ってみると充実した自由な時間だったと感じることが多く、この意見はとても腑に落ちるものだった。また、このような真の意味での自由を手にするためには金や人間関係、家族、仕事といった個々の要素や、自分自身の持つ1つの役割だけでなく、原則のような広くゆがみのない視点、あるいは古くから日本に存在する絡合のような視点が必要であり、それに沿ったような自然な生き方をしていく必要があると感じた。

 また、絡合という考え方が古くから日本にあり、個人ではなく群れとして生き残っていくことを考えていたということもとても興味深いと感じた。現在の社会を見渡すと個人主義が跋扈し、未婚率も高まりつつあるなど社会全体として群れや家族という価値観が失われつつあるが、このような自然に逆らうような変化が続くとは思えない。技術や社会の変化が大きい時代だからこそ人間同士の結びつきをより重視していくべきではないだろうか。

 一方で、ゼミでもう少し議論をしたいと感じる点もあった。それは第1の「習慣の刺激と反応の間」に取り上げられている内容である。この章では社会で広く受け入れられているという遺伝子決定論や心理的決定論、環境的決定論を自己達成予言だと断じており、第二次世界大戦中のナチスドイツのホロコーストを生き延びたフランクルを例に「何が起ころうとも、それが自分与える影響を自分自身の中で選択することができる」「刺激と反応の間には選択の自由がある」ということを述べているが努力と遺伝の割合に関する研究結果や近年増えている社会的弱者が道連れを狙って行う犯罪などを考えれば、多くの人にとって、刺激と反応を切り離して考えることは難しいため、厳しい現実を直視し受け入れたうえで何を目指し、どう生きていくかを考えながら過ごすほうが良いのではないだろうか。

ミッションステートメント

この講義を通して学んだことを基に今の自分の立場や役割を考え、ミッションステートメントを立てました。

・自分が生れた時代、地域、家庭環境などすべてに何かしらの意味を見出し、成長の糧にする。

・家族、地域、国家の中で脈々と引き継がれる価値の恩恵を受けている身として、それを何らかの形で維持・強化して次の世代に引き継げるようにする

・学生として自分の未熟さ、至らなさを自覚し謙虚に勉強や人付き合いを行う。

・常に「今、この瞬間の利益」と「10年後、100年後の利益」の両方を考え、最善の決断をする力を養う。

・自分の後に続く人が現れるような生き方をする。

 今20代で学生の私が思いつくようなことのほとんどは後数年もすれば変わっているかと思いますが、それでも大きくは変わらないであろう自分の生まれや最終的に自分が死んでから続いてくれる人が現れるかという視点で考えました。

 どんな目標でも考えるだけ、書くだけでは意味がないので日々の生活に落とし込んでいき、継続して実践したいと思います。

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二人目:小野寺 一馬

「主体的な人生を実現するためには」

はじめに

 最近、書店では成功するためのバイブル本のようなものを多く見かける。実際に私自身もそのような本を何冊か読んだ時があるが、そこでは成功するために自分の社会的イメージを重要視しており、取るべき態度や行動、時には人を操るようなテクニックが書かれているものがほとんどである。「7つの習慣 人格主義の回復」では、このような状態を個性主義と呼んでいる。私たちのゼミでは、この「7つの習慣 人格主義の回復」を通して感じたことを議論の中心としていた。この本を読むまでの私は、個性主義的な考えに固執していた。社会的に成功を得るためには上記のような個性主義的なスキルを磨く事が第一優先だと思っていたし、そのテクニックを実践したりもしていた。しかし、この本の内容では人格主義と呼ばれる人間の内面にある人格的な部分の重要性について説いている。今回は読書や議論を通して考えたことをレポートとしてまとめる。

人格主義

 「人格主義の土台となる考え方は、人間の有意義なあり方を支配する原則が存在するということである。自然界の存在する引力の法則などと同じように人間社会にもまた、時間を超えて普遍であり異論を挟む余地のない、普遍的にして絶対的な法則があるのだ。」

 上記は、この本を定義づける重要な一文である。人間が社会の中で成功を得るためには人格主義に目を向け、原則に沿って自分の内面に向き合うことが最重要なのである。原則は人間の条件、良心、自覚の一部となっているともいえる。以下に原則を列挙する。

・公正…平等と正義の概念の土台になっている。

・誠実、正直…協力関係や長続きする人間関係、個人の成長に不可欠な信頼の土台となる。

・人間の尊厳…アメリカ独立宣言の基本的な考え方の土台になっている。

・可能性…私たちは常に成長することができ、潜在する能力を発見、発揮し、さらに多くの

才能を開発できる

・忍耐、養育、励まし…潜在能力を発揮し、才能を開発するプロセスの中で必要な原則

・この他にも、奉仕・貢献・本質・美徳、といった原則がある。

 原則は、価値観とは異なる。私は初め、原則とは人の生活の中から生まれるものだと勘違いしており、この原則と価値観を混同して考えてしまっていた。人間が自然の中で、自然の法則に逆らいながら生命を維持できないように、原則もまた、人間社会に存在する法則である。人間は社会の中で人と関わりながら人生を営むことを「生きる」という。原則に逆らいながらも生物として生命を維持することは可能だが、社会の中で「生きて」いくには、原則に沿って生活を営む必要がある。原則中心の生活というのは、何も特別なことではなく、人間を人間たらしめる根幹に極めて則った、自然的な生き方なのである。

主体的に生きる

 人生は率先力を発揮し、主体的に生きてこそ、自分の人生に責任と誇りを持つことができる。人間と動物の決定的な違いは、「自覚」である。自分という個人を客観視することができる能力が、人間という種が大きく繁栄した大きな要因であった。人間は社会という場の中で、現代の社会通念や世論、周りの人の考え方にしばしば影響を受ける。これらは社会通念の鏡と呼ばれ。この社会通念の鏡のみを通して自分自身を見つめてしまうと、自分自身を歪んだ形で見つめることになる。本の中では、現状3つの社会的な地図-決定論-によって人間の本質が説明されることがほとんどだと言われている。1つ目の地図は、遺伝子的決定論である。これは個人の肉親の性格や性質が遺伝子的に個人に受け継がれているとするものだ。2つ目の地図は、心理的決定論である。これは、育ちや子供時代の体験や経験が個人の性格、人格を作っているというものだ。3つ目の地図は、環境的決定論である。上司、配偶者、子供、あるいは世界情勢や国の政策といった、個人を取り巻く環境の中にある何かが個人の現在を作っているというものだ。これら3つの地図はどれも、刺激/反応理論と呼ばれる、特定の刺激に対して特定の反応を示すように条件づけられているという定義に基づいて説明されている。しかし、実際には刺激と反応の間に選択の自由がある。どのようなことが個人のみに起こっても、それが個人に与える影響を個人自身が選択できるのだ。そして、その選択の自由の中にこそ、人間を人間たらしめる4つの能力、自覚・想像・良心・意思がある。自覚とは、自分自身を客観的に見つめる能力である。想像とは、現実を超えた状況を頭の中に生み出す能力である。良心は、心の奥底で善悪を区別し、自分の行動を導く原則を意識し、自分の考えと行動がその原則と一致しているかどうかを判断する能力である。意思とは、他に存在するさまざまな影響に縛られずに自覚に基づいて行動する能力である。こうして刺激を受け、自分でその刺激から得るものを選択して反応するというのが主体的に生きるということなのだ。私自身も、3つの社会的な地図によって他人の性格を推し量ることが度々あった。自分自身では、刺激と反応の間に、選択の自由が生まれているのを分かっていながら、他人を推し量る際には、社会通念の鏡を通して見ていたのだ。あるいは自分自身を見つめ直すうえでも、そうだったかもしれない。社会通念の鏡を通して自分を判断するというのは、ある種の無責任である。自分自身の人生は、周りの影響によって左右されるというのは、例えば自分が何か重大な失敗をしてしまったときに、周りのせいにすることである。無責任な人というのは社会の中にも存在するが、それは選択の自由を放棄した至って人間的でなく動物的な反応なのだと思った。そうして考えてみると、主体的に生きるというのが、本来人間が生きる道であるのだと思い知らされる。もう一つ、主体的に生きるということを考える手段として、関心の輪/影響の輪というものが紹介されている。自分の関心をもっていることを関心の輪として記し、その中でも自分が影響を与えることができる領域を影響の輪とする。この影響の輪を自分で広げていくことができるのが、ポジティブで主体的な生き方と言える。反対に関心の輪ばかりに労力をかけることは、反応的で動物的な生き方であり、それによって自分自身の人生の幅が狭まってしまうのは分かり切ったことだろう。

人生の終わりを思い描く

 私は、この横浜国立大学に入学するための受験勉強の際に人生の終わりについて考える機会が多かった。自分の命が尽きる時、自分は何を感じて死ぬのだろう。どのような時間を過ごしたら後悔しない人生を送ることができるのだろう、ということを毎日考えていた。この本でも記述されていたが、人生の設計図を作るというのは、自分にとっての成功がどこにあるのかを知る方法の1つであり、とても重要なことである。本では、「終わりを思い描くことから始める」習慣は、すべてのものは二度つくられるという原則に基づいている。すべてのものは、まず頭の中で想像され、次に実際にかたちあるものとして創造される。第一の創造は知的創造、そして第二の創造は物的創造である。ということが記述されている。家を建てる時も、設計図を図面に書き起こし、設計計画を立ててから実際に施工を始める。そうしなければ、変更が重なり施工費用が2倍に膨れ上がることもあるし、思い通りの家ができないことだってあるだろう。こうして、第一の知的創造を経て綿密な計画を立てることで、第二の創造の質も大幅に向上する。人生の終わりを思い描く、つまり最終的な目標を立てるのは、家の設計図を描くのと同じことであり、施工は日々の目標を達成しながら生きていくことと同じことである。普段の生活ばかりに目を向けているのは、いきなり第二の物的創造をしていることになる。すべてのものは二度つくられるという原則を常に意識し、第一の知的創造を欠かさないことが、人生を主体的に生きることにも直結するのである。人生の終わりを思い描く、知的創造の中には、個人のミッション・ステートメントを作ることが有効である。ミッション・ステートメントは原則中心で成り立つものであり、それゆえに個人のミッション・ステートメントは個人の憲法と成りえる。憲法は生きていく上で最も基本的な土台となるものであり、自分の成長の度合いによって、より良いものに磨きがかかっている。人は誰でも自分の中心を持っている。大抵は普段はその中心を意識していないし、その中心が人生のすべての側面に大きな影響を及ぼしていることにも気づいていない。中心にはいろいろなものがある。家族・配偶者・自己・教会・敵・友人・娯楽・所有物・仕事・お金。お金中心や、仕事中心の生活というのは一般的にもあまり良いイメージが無いが」、家族や配偶者中心の生活というのも良いことではない、ということを知った。それは他への依存に他ならないからである。このことを知った時、私は大きな衝撃を受けた。それまでの私は、家族や配偶者ができたら、自分の全てを掛けることが良しと考えていたためだ。しかし、配偶者や、家族を大切にするということも自分の内面の価値観から生まれたものであり、それは誠実や本質などといった原則から生まれるものである。よって、他に依存せず主体的に生きるためには、原則を中心に置き、個人のミッション・ステートメントを意識することこそが重要なのだ。

個人のミッション・ステートメント

私が立てた、個人のミッション・ステートメントは以下の通りである。

・家族との時間を大切にする。どんなに忙しい日々でも家族の時間は削らないようにする。

・自分の内面に誠実に生きる。意思を強く持ち、自分の弱い部分に負けない。

・家族・友達・先生など私を愛してくれる人にはそれ以上の愛を持って接する。

・常に目標を立て、それを達成することを繰り返す。また、目標は立て過ぎず、口に出す。目標は必ず成し遂げる。

・片方からの意見や情報に囚われず、必ず反対意見を踏まえたうえで自分の価値観に従う。

おわりに

 私はこの本を通して自分を見つめ直すことで、人生に大きな変革をもたらすことができた。今まで、自分が正解だと思っていたことや、身につけようとしていたものが本当に自分の人生に必要なのかを考えることができた。しかし、これらのことを考えても、実際に自分の人生に発展させる、実践するということは非常に難しい話である。これを可能にするのが第3の習慣の中の、時間管理のマトリックスである。第Ⅱ領域に時間を費やす、ということを日々意識することが、主体性をもった人生に必要な時間管理の方法である。私は、この本を読書し、議論することで深い学びを得ることができた。読書しただけであれば、私の認識が間違っていた部分も多かったが、意見を交わし、さらにこうして文字に起こすことで本の内容をさらに深く理解することができた。意識さえすれば、人生はいろいろなところから学ぶことができると再確認した。ゼミでの学習を通して、日本の政治や経済についても興味が出始め、学習意欲も増した。本読むというのもこれまで以上に習慣となったと思う。今回立てたミッション・ステートメントは変更や項目が増えることもあるとは思うが、これまで以上に意義のある人生にできると期待が高まった。他でもなく自分の人生を豊かにできるように、これからも様々なことから学習することを忘れずにいたいと思う。

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三人目:権頭 望夢

 私たちは少人数ゼミにおいて、スティーブン・R・コヴィー著の7つの習慣を読み、議論を行った。少人数ゼミでは主に、前書きから第二部の第三の習慣までの内容について議論を行った。

 『7つの習慣』とは、「効果的に生きるための基本的な原則をかたちにしたもの」、「どれもが基礎であり、第一の偉大さにつながるもの」と記されており、これを身に着けることは、「継続的な幸福と成功の土台となる正しい原則を自分の内面にしっかりと植え付けること」とされている。これらの文言には、スティーブン・R・コヴィーが7つの習慣の書の中で解説・定義している概念が含まれている。これらの概念について、本文中に記された定義とあわせて、私の、この本を読み、議論を行ったうえでの解釈を交えて記していく。

 まず、「第一の偉大さ」について、本文中で第一の偉大さとは、「優れた人格を持つこと」と記されている。本文中では第二の偉大さ(才能に対する社会的評価)と比較し、現代社会では第二の偉大さである才能に対する社会的評価が重要視され、皆それを高めることを重視して行動しがちであるが、真に重要であることは第一の偉大さである優れた人格を持つことであり、第二の偉大さが必要となる場合もあるが、これだけを持っているのではいつかそれによる見せかけの、表面的な部分が破綻しぼろがでる、とされている。次に、「原則」について、本文中では、「時間を超えて不変であり、異論をはさむ余地のない、普遍的にして絶対的な法則」と記されている。例えば、私たちが平等や正義を主張するのは、私たちの中に根本的な原則として、自分や自分の周囲の環境は公正である、という原則が存在しており、その原則をどれだけ忠実に守るかは人それぞれではあるが、基本的には多少なりともその原則に沿った行動・思考を行っている結果である。この原則に背くことなく、できるだけ忠実に生きることで、人や幸福や成長を得ることができる、ということが作者の主張である。この原則には、例えばプロセスの原則が存在し、きちんとした段階を踏んだうえで物事を進めていかなければ決して恒久的にそれがうまくいくことはないとされており、確かに考えてみれば、私たちはそれを当たり前としているし、それが幸福や成長を得ることにつながるということには納得ができるだろう。これらを踏まえると、7つの習慣を身に着けるということは、幸福や成功を得るために本質的に必要であるものを身に着ける行為であるということができるのである。

 7つの習慣のうち第1の習慣は、「主体的である」ことである。筆者は、主体的であるということに関して、自発的に率先して行動をすることだけでなく、受けた刺激に対して自分自身の価値観に即した反応を行い、人はそれができる自由を持っているということを認識していることであると述べている。つまり、主体性のある人物は、自身の現状が周囲の環境によって決定されているのではなく、受け取った刺激に対して自身が行動を選択し、その通りに行動した結果によって決定されるということを自覚しているということである。そのため、どんな刺激を受けようとも、自分の選択次第ではたとえ刺激が一般的な価値観で判断される悪いものであったとしても、自身の中で良い方向にもっていくことが可能となる。このように、主体的であることによって自身がどのような環境に置かれ、どのような刺激を受けようとも、反応を自由に選択することで幸福や成功を得るための道をつくることができるのである。

 第2の習慣は、「終わりを思い描くことから始める」ことである。ここで言う終わりとは、具体的には人生の終わりである。第2の習慣では、自分が人生の最後に何を残し、周囲の人々に何を残したと認識されたいか、ということを考え、そのためには自分はどのような人物であるべきか、ということを自身の中で定義する。そのような人物になるためにはどのようなことをすべきか、ということを、人生における行動の尺度・基準として生きていくということが、第2の習慣の目的である。第2の習慣は、「すべてのものは二度つくられる」という原則に基づいていると、筆者は述べている。全てのものは、一度創造主のなかでイメージとして創造され、そのイメージが形になることで二度目の創造が行われる。第2の習慣が本質的な幸福や成功を得るために必要とされているのは、第一の創造を他者ではなく、自身で行うことで、自分の人生を自分で決定できることを自覚したうえで、それを行っていくことが必要であるからであると、私は解釈した。

 第3の習慣は、「最優先事項を優先する」ことである。筆者は、第3の習慣は第1の習慣と第2の習慣で身に着けたことを実践し、個人的な結果を得る習慣であると述べている。第3の習慣は、原則中心の生き方ができるようになるために存在する。「中心」について本文では第2の習慣の項で触れられているが、中心とはだれもが持っている、人生において何に重きを置き、軸として生活をしていくか、というものであり、例えばお金中心の人は経済的安定を求めることをまず考えて思考・行動を行う。その中心を原則にした原則中心では、人生における思考・行動を不変の存在である原則に基づいて決定することになる。その結果、物事に対して原則中心ではない人とは違った考え方ができるようになる。何かを選択するにも、選択肢に意味を持たせるのではなく、選択したこと自体に意味合いを持たせることになる。その結果、第1の習慣、第2の習慣が実践できるようになる。また、ここにおける最優先事項とは、人生を豊かにする、重要ではあるが緊急ではない事項のことである。第2の習慣が身についておらず、自身が優先すべき事項が分かっていない人は、重要かつ緊急である事項を優先しがちであるが、実際に優先すべきことは人生を豊かにする事項であり、それに気づくこと、重要かつ緊急な事項が本当はそれほど優先されるべきではないということを知ることが、第3の習慣の目的なのではないかと解釈している。

 以上のような内容を踏まえたうえで、私たちは何点かの項目について議論を行った。特に、第2の習慣に関連するミッションステートメントと、第3の習慣の優先事項の優先についての議論が活発であった。特に印象に残っている議論は、優先事項をどのように設定し、重要であるが緊急ではない事項に対して時間をつくるか、というものであった。議論の中では、第2の習慣の中でミッションステートメントを設定し、それに基づいて自分に必要なことを見定めることで重要で緊急でない事項を認識、それを行うために緊急かつ重要な事項に対してどのように向き買っていくのかを考える、という一応の結論が出たものと自分では解釈している。ここで、ミッションステートメントとは、信条・理念を表明したものである。どのような人間になりたいのか、何をしたいのか、ということと、それらを形作る価値観や原則を書き記す。第2の習慣をより具体的に行っていくためにより具体的な目標、価値観等を決定していくものであると私は解釈している。このミッションステートメントを決定することで、自分が本来目指したいと思っているもの、そのための実現の手段が見えてくるので、おのずと最優先事項も決まってくる。そのため、まずミッションステートメントを設定し、その価値観により第3の習慣を実行していくことがよいのである。

 私自身も、日々重要かつ緊急な事項に対応することに追われ、自分が目指しているものが分からなくなっていると感じていた。そのため、これをどうにか改善したいとは考えていたものの、その方法はわからなかった。しかし、今回少人数ゼミで『7つの習慣』を読み、またその内容について議論を行うことで、改善の方法が見えてきたと感じている。

 私の場合、7つの習慣を読んだことで第1の習慣についてはそれを自覚したつもりではある。しかし、第2の習慣を身に着けていないことが問題である。そのため、ミッションステートメントと言って良いのかはわからないが、人生の終わりを想像し、その時にどのような人物でありたいかを、現時点でできる限り想像してみた。その結果、

①土木の知識、技術を生かすことで、社会に貢献する

②興味、関心のある物事に対して徹底的に興味、関心を持つ

③家庭をもって父親でありたい

という3項目が考えられた。これらのミッションステートメントには、それぞれに対して理由が存在し、それらは原則に基づいていると認識している。

 まず、①の土木の知識、技術を生かすことで、社会に貢献する、というミッションステートメントであるが、これは、興味のある学問である土木の分野で少しでも功績を残したい、という理由と、大学に通うに際して支援してもらった両親に対して、その効果を少しでも見せることで恩を返したい、という理由が存在し、それぞれ楽しみや貢献、恩といった原則から成り立っている。また、②の興味、関心のある物事に対して徹底的に興味、関心を持つ、というミッションステートメントは、限りある人生のなかで、興味・関心のある事項を可能な限り突き詰めていきたい、という理由があり、③の家庭をもって父親でありたいというミッションステートメントには、将来的に家庭を持ち、周囲からみてしっかりと父親であると認められるような人間になりたい、という理由があり、それらの根本にはやはり原則が存在する。これらのミッションステートメントを設定することで、これを根拠として思考・行動を行うことができるようになる。そして、ミッションステートメントを達成するために必要なことが分かってくるので、最優先事項も見えてくるし、やらなければならないこと(優先かつ重要)で、ミッションステートメントの達成のために必要な事項があれば、それを行う意味が見えてくるし、それが重要で緊急ではない事項に変わるかもしれない。

 私は、現状第2の習慣までを実践し、第3の習慣を実践しようとしている状態である。7つの習慣を読み、少人数ゼミで議論を行うことで、私が抱えていた問題が解決に卯木き出している。そのため、少人数ゼミが終わっても7つの習慣を読み続け、さらに先の習慣の実践にも挑戦しようと考えている。そして、今後の人生においても、今回の少人数ゼミの実施で学んだ、第1から第3までの習慣、ミッションステートメントの重要性と役割、今回自分で設定したミッションステートメント、第3の習慣と優先事項の決定方法、最優先事項の本質などを忘れず、常に意識した状態で生活を送って行こうと考えている。

〈参考図書〉

スティーブン・R・コヴィー(2013)『7つの習慣』(キングベアー出版)


コンクリート委員会 教育研究小委員会の公開座談会、ひと段落。

2022-12-22 08:54:12 | 教育のこと

昨日、第6回の公開座談会を開催し、動画もアップしました

土木学会のこの教育研究小委員会のHPはこちらです。過去の動画や、文字起こししたファイルなども整備してきます。ぜひ各方面に拡散していただければと思います。

この後、年度末に向けて、第1~6回の座談会の文字起こし・文章の精査・図表の貼り付けを行い、公開します。

来年度、2023年度の早めに委員会メンバーで合宿を行い、第1~6回の座談会のテーマについてreviewし、議論を深め、文章版を充実させます。

そして、まだまだ議論し、世の中に発信すべきメッセージは山ほどありますので、第7回以降の公開座談会を企画し、実践していきます。

引き続き、ご愛顧のほど、よろしくお願いします!

 

 


第6回公開座談会「インフラの維持管理のあり方について(第2弾)」(12月21日(水)、16:00~17:00です!)

2022-12-20 08:48:24 | 教育のこと

土木学会コンクリート委員会 教育研究小委員会(201委員会) 第6回公開座談会「インフラの維持管理のあり方について(第2弾)」(12月21日(水)、16:00~17:00です!)のご案内です。

今年度最終回今度の教育公開座談会のテーマは、再び、インフラの維持管理!
1回ではとても語りつくせなかった維持管理について、委員が話題提供し、討論します。

第6回公開座談会 2022年12月21日(水)16:00-17:00 (15:50頃より入室可能)

議論テーマ:インフラの維持管理のあり方について(第2弾)

前半部 話題提供

1)松永 昭吾 委員:維持管理分野における分業のあり方と教育
2)玉田 和也 委員:維持管理分野における人材育成のあり方
3)細田 暁 委員長:我が国における維持管理の目指すべき方向


後半部 前半の話題提供を受けた自由討議



【座談会の趣旨】
 土木学会のコンクリート委員会では,「教育研究小委員会」(委員長:細田 暁 横浜国立大学教授)が活動しており,公開での座談会を積み重ねていくことにしました。毎回テーマを設定し,委員のメンバーやゲストを招いての座談会を行います。奮ってご参加ください!

 座談会は録画(録画も公開)し、文字起こし、アーカイブ化していきます。
 ちなみに、第1回「土木工学教育における動機付けや教育法」の動画はこちら。第1回の座談会についてのブログはこちら
      第2回「土木工学教育における新たな試行」の動画はこちら。第2回の座談会についてのブログはこちら
      第3回「企業における人材教育」の動画はこちら。第3回の座談会についてのブログはこちら
      第4回「維持管理のあり方と人材教育」の動画はこちら
 


教育研究小委員会(201委員会)メンバー

細田 暁 横浜国立大学
千々和 伸浩 東京工業大学
宮里 心一 金沢工業大学
玉田 和也 舞鶴工業高等専門学校
林 和彦 香川高等専門学校
渡邉 賢三 鹿島建設
村田 裕志 大成建設
上東 泰 NEXCO中日本
松永 昭吾 インフラ・ラボ
武田 字浦 明石工業高等専門学校

学生による論文(91) 「自然災害対策の過去と未来」  藤田 光 (2022年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-11-25 06:30:55 | 教育のこと

「自然災害対策の過去と未来」  藤田 光 

 今回の授業のテーマは、自然災害からの克服ということがテーマであった。

 授業でも話を聞いたように近年は自然災害が猛威を奮っている。近年では、2011年の東日本大震災、2014年の御嶽山噴火、2016年の熊本地震、至る所で発生している豪雨等が挙げられる。

 まずは、今回の講義では大河津分水路の話がかなり印象に残った。実際に自分も大河津分水路には訪れたことがあるので、そのときの経験も元に以下記す。

 信濃川は日本一の長さを誇り、水流や流域面積においても日本屈指の大河川である。信濃川の水の流れは、流域の農業や工業を育て、古くから“母なる川”として人々に愛されてきている。

 元々、大河津分水路が建設される前は、信濃川や信濃川水系の分流の中ノ口川などの堤防決壊による水害は3年に1度起きており、その度に越後平野は壊滅的な被害を受けていた。また、川の水が引いても水が引かない沼の多い所で、胸まで浸かっての田植えの作業を余儀なくされていた。

 そのことから、享保年間に寺泊の本間屋数右衛門らが幕府に分水路の開削を請願した。しかし、享保16(1731)年に分水路として開削された松ヶ崎掘割において、分水地点の堰が破壊され、分水路である掘割が阿賀野川の本流と化してしまう被害が発生した。また、これにより、河口の新潟湊では、阿賀野川の水量が減ることにより、土砂の堆積が減ったことに悩まされていた。そのことから、新潟湊の関係者は大河津分水構想に猛烈に反対していた。

 その後、明治元(1868)年に発生した新潟平野の大洪水を契機に、越後平野を水害から守るためには大河津分水の建設が不可欠と考え、100人を超える人たちが大河津分水路建設の請願を繰り返した。それにより明治3(1870)年には大河津分水路の工事が始まった。しかし、分流路下流部の度重なる地滑りや分水工事への反対運動、外国人技師からの大河津分水路ができると信濃川河口の水深が浅くなり、新潟港に影響が出るという報告があったため、明治8(1875)年に工事は中止となってしまった。

 その後、政府と県のより信濃川の堤防改築が進められたが、明治29(1896)年7月22日には、歴史に残る大水害「横田切れ」が発生した。長岡から新潟まで、越後平野のほぼ全域が一面泥海となった。多くの家屋や田畑が浸水し、被害総額は当時の新潟県の年間予算とほぼ同額であった。また、低地では11月になっても水が引かず、伝染病で命を落とす人もいた。実際に博物館の中には「横田切れ」における様々な被害の様子が展示されており、かなりの被害を受けたということを実感することができた。この「横田切れ」をきっかけに大河津分水を求める声が一段と強まった。

 そして、明治40(1907)年に工事が決定し、翌々年から大河津分水路の工事が始まった。工事では、当時の最新の大型機械や最先端の技術が使用された。それでも困難をきわめた工事であったが、1000万人の先人の献身的な頑張りのおかげで2880万m^3という膨大な土量を掘削し、大正11(1922)年、ついに大河津分水路に初めて通水した。実際に博物館ではその時の工事の様子の模型を見ることもでき、実際の工事の様子が理解しやすかった。また、今年は大河津分水路通水100周年を迎える重要な年にもなっている。

 しかし、通水から5年後の昭和2(1927)年には、大河津分水路へ流す水量を調節していた自在堰が河床洗堀により陥没し、水位調整機能を失うという事態が発生した。これにより、信濃川下流部では水不足となり、新潟市では海水が川を逆流し、水道から塩水が出てくる状況にもなってしまった。そこで、陥没した自在堰に代わり、可動堰を建設する補修工事が昭和2(1927)年に開始され、青山士や宮本武之輔など多くの技術者と従業者の奮闘によって、昭和6(1931)年に可動堰は完成した。吹雪や台風とも戦いながらの工事であり、偉人の凄さをそこでも感じることができた。

 大河津分水路の完成により、今まで303回で106回起きていた信濃川下流域での水害の発生回数が93年間で12回に減少した。また、かつての越後平野は水害が多く発生していた地帯であり、土地が低く水はけの悪い場所であったが、大河津分水路が完成することで、湿田が乾田化され、機械化に伴い米の収穫量が2~3倍に増え、越後平野は日本有数の米どころに発展した。また、大河津分水路が建設される前は、水はけの良い越後平野の山際に鉄道や道路が建設されていたが、大河津分水路の建設後、平野の中央に新幹線や高速道路が建設され、新潟と首都側を結ぶ主動脈となっている。加えて、信濃川本流の川幅を狭くすることが可能になり、新しい土地や街が誕生し、地域の発展に結びついている。

 大河津分水路の可動堰が完成した後も大河津分水路の機能を維持するために様々な工事が行われている。具体的には、川底が削られることを防ぐための堰堤の建設や洗堰と可動堰を新しくする工事が行われた。加えて、現在は、分水路の河口を広げるために、橋脚を架け替える工事が行われている。実際に現場を見に行くことでメインテナンスの重要さを実感すると共に、将来のことを考えた工事の重要さも実感することができた。

 ここまでは大河津分水路がどのような流れで建設され、どのように水害が抑えられると共に、地域住民の生活の質に大河津分水路がどのように貢献しているか等を述べてきた。しかし、水害以外にも自然災害には、地震や火山噴火、土砂災害、高潮、津波等、様々なものがある。その中でも今回の講義で細田先生もおっしゃっていたように、南海トラフの巨大地震が近い将来必ず来るとされている。過去の地震災害を振り返りことも大事なので、まず、東日本大震災について私が経験したことを以下記し、その後、大地震が発生した際に考えられる課題について、横浜を例に述べる。

 東日本大震災は、2011年3月11日14時46分に起きた。その日は小学校の授業が終わり、家に14時30分頃に着いていた。元々、その日の16時30分からピアノのレッスンがある予定であった。そのため、地震が起きていた時はピアノの練習を行っていた。その時はテレビを付けていなかったし、今のようなスマホも持っていなかったため、緊急地震速報に気づくことはできなかった。そして、まずはP波が来たが、P波がいつもの地震よりも長かったと感じた記憶がある。その後、S波が来たが、今までに経験したことのないような大きな地震であったため、かなり怖かった。その後しばらくはテレビをしっかりと見ていたが、かなり激しい地震であったということがテレビを見ていて実感させられた。しばらくして、大津波警報が出て、津波の怖さも感じたと記憶している。しかし、自分は海抜約10mの家に住んでおり、海からの距離も2kmほどは離れていて、近くの川からも800mほどは離れていた。また、津波の高さの予報は3mであったため、津波の心配はないということで家からは逃げなかった。しばらくして、海から離れた方向にある藤沢駅の方の様子を見に行こうと母が声をかけてきたので、藤沢駅に向かったが、藤沢駅の電車やバス等の公共交通についても運休や運転見合わせが多数発生しており、駅は多くの人で一杯であり、かなり混乱していた状態であったと記憶している。そこでこの地震による影響は自分が住んでいる藤沢でもかなり大きいものであるということを実感した。そして、午後6時頃となった。東北地方で至る所で津波による被害が発生したことや、地震に関連した災害犠牲者が多数発生したことについてのニュースがどのチャンネルでも放送されていた。黒い濁流がどんどん人家を襲い、人々の命を奪って行った。この映像を見た時に、平和で豊かな生活が送れている日本でも自然災害には勝てない時があることを知り、自然災害がここまで恐ろしいものであることを身に染みて感じた。その後も、福島第1原発の爆発もあり、原発の近くに住んでいる人は放射能の問題がある等して避難を強いられる等、かなりの影響もあった。また、東日本大震災の後、原子力発電が停止されたことで、私の人生では前代未聞の計画停電も実施され、かなり脅えた。

 この東日本大震災の経験を元に、今後来ると言われている南海トラフ巨大地震や首都直下型地震に備えていかなければならない、と感じている。今回、細田先生が授業中にお話しされていたように南海トラフ地震について、しっかりと対策していたら相当の被害額が抑えられることも学ぶことができた。そのことから今後起こりうる地震に対する対策をしっかりと行っていく必要がある。地震に対する対策を考えるためには、今の状況で地震が起きた際の被害を考えることが重要であることから、首都圏で大地震が起きた際に横浜で予想される災害について述べる。

 まず、横浜は盛土・切土の地形が多いことから、大地震が発生すると土砂災害の危険がある。また、建築後の年月がかなり経っている家屋等もあり、それらの家屋は倒壊する危険性もある。さらに、多くの家で火元を使っている時間帯に大地震が発生すると、住宅地では、大規模火事へと発達してしまう可能性もある。東日本大震災では津波による火災が大部分を占めていたが、阪神淡路大震災は朝方の時間であったため、地震直後では電気・ガス関連による火災が多く、地震の数時間後およびその翌日以降では電気関連による「電気火災」が多かったとされている。加えて、特に長い年月誰も住んでいない空き家や長い年月使われてきた老朽化している倉庫等は以前の大地震でも倒壊等の大きな被害が出ていることから、注意が必要である。また、横浜は高速道路網や鉄道網等といったインフラが張り巡らされており、それらインフラへの影響も大きいと予想される。現に、東日本大震災でも多くの高速道路網や鉄道網に被害が発見され、復旧には場所にもよるがかなりの期間を要した所もあった。もし首都圏で大地震が発生した場合、東北地方よりもよりインフラが立体的に張り巡らされていることから、破壊を起こしたインフラのみならず周囲のインフラにまで悪影響が及ぼす可能性があることから、復旧・復興に時間がかかるも考えられる。また、横浜の住宅街では、電柱が多く用いられていることから、電柱が倒れ、火災が発生することも考えられる。加えて、津波が押し寄せることが考えられる。本当に規模が大きな津波が来る場合は、横浜駅周辺やその他海の近くのエリアを襲う可能性がある。

 上記からも分かるように横浜にはかなりの課題がある。首都圏の他の地域や南海トラフで被害が予想されている地域では同じ被害も起こりうるが、それに加え様々な別の被害が起こる可能性もある。先ほども述べたように災害が発生してからでは遅いのである。そのことから、上記に挙げたような課題を解決していくために今度ハード、ソフト両面からさらに対策を行っていく必要があると考える。

 今回のレポートでは実際に防災対策の事例として授業でも取り上げていただいた大河津分水路を挙げた。その後、東日本大震災での体験談を述べた後、これから取り組まなければいけない横浜の防災上の課題を挙げた。昔の事例から学べることを学び、これからの防災対策やインフラ設備について考えることの大切さについても改めて実感することができた。

 【参考文献】
*1. 信濃川大河津資料館 展示資料
*2. 大河津分水路とは 大河津分水 通水100周年(2022年11月19日最終閲覧)
https://www.hrr.mlit.go.jp/shinano/ohkouzu100th/ohkouzubunsui.html
*3. 解体新書 大河津分水路可動堰
*4. 阪神・淡路大震災教訓情報資料集【04】火災の発生と延焼拡大 内閣府 防災情報のページ(2022年11月19日最終閲覧)
https://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/hanshin_awaji/data/detail/1-1-4.html
*5. 学んで助かる 震災からわが身を守る 第4回「津波火災」の怖さ NHKアーカイブス(2022年11月19日最終閲覧)
https://www2.nhk.or.jp/archives/311shogen/fa/se1/fourth.html


学生による論文(90) 「生態系との共生」 長谷部 颯真 (2022年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-11-25 06:29:32 | 教育のこと

「生態系との共生」 長谷部 颯真 

 砂防ダムは、山や谷が多い日本の土石流や土砂崩れを防ぐ、もしくは軽減するために考えられ、作られた、まさに先人の知恵である。講義中にもあるように、その被害を大きく抑えた恩恵は計り知れない。川の流れを遅らせたり、一度の土砂の流出量を減らしたりと、砂防ダムでなくては得られない効果ばかりだ。しかしながら、砂防ダムにはいい面だけではなく、欠点も存在している。それは、生態系の破壊につながってしまっていることだ。砂防ダムには生態系を破壊する三つの原因がある。一つは、川の生態、特に川魚の住処を奪ってしまうことだ。川魚は、下流から上流へと自由に移動できることが種の繁栄につながる。だが、砂防ダムが川を分断してしまうことで魚の移動を妨げてしまい、水生生物に悪影響を及ぼしてしまう。二つ目に、海岸線の浸食につながることである。川の砂防ダムが、海の問題に結びつくのも不思議かもしれないが、砂防ダムで上流の土砂を止めたり緩和したりするために結果海岸線まで影響を受けてしまうようだ。それと同時にミネラルや栄養素の供給も弱まり、海がやせてしまう。そのため海の魚や藻、貝といった生態系にも被害を与える。最後に、骨材の不足である。今まで建築用の骨材は川から流れてきていたものを使用していたそうだが、川から骨材がとりにくくなり、代わりとして山や海底を削って骨材を得ている。そのため山や海の環境を害する問題となっている。

 生態系の破壊は砂防ダムに限らない。コンクリートの地表面の浸食やダムでの環境破壊など、人の暮らしを豊かにするものはほかの生命への悪影響となることが多いように思われる。土木が、自然と共生しながら活動していく営みであるのならば、私たちはこの事実とどのように向き合うべきなのか。

 このように語っているが、私の意見としては別にもっと生態系を大事にしろとかダムとかの開発を自粛しろとかは考えておらず、むしろ人の安全や生活を守るためならいくらかの犠牲は仕方のないものだと思っている。しかし開発によって生態系が壊されることを許さない人がいるのも承知しているし、それが原因で開発が滞っていることも知っている。この問題は土木に携わるならば向き合わなければならないものだろう。そこで土木に関する人たちがどのような行動をとるべきかを考えてみる。

 私は、地域と協力して守るべき生態系を定めて、焦点を当てて保全していくべきであると思う。地域ごとに特色ある生態系があり、優先して守るべき生態があるはずだ。ならば、それらに配慮した工事や、時期を選んで行うようにすればよい。例えば、石河内ダムではクマタカに配慮して、営巣期には工事を休止し、設備に目立つ色を使わないようにしていた。これは生態系と土木工事がうまく共生できている事例だと思う。ほかにも、その生態系が工事終了後にきちんと存続できているかを確認するのも必要だろう。先ほどの砂防ダムの話でも、川魚の移動を妨げる問題の解決策として、魚道が設けられている場所もある。しかし、管理が行き届いておらず、その魚道が落ち葉や土砂で埋まってしまって役割をなしていないものもある。工事期間に配慮しても、結局工事の後にはなじめずにその土地を去ってしまうものもあるかもしれない。よって、生育の確認もしていくべきだ。

 土木を介して人の暮らしは豊かになり、それと同時に環境を守ることができたらどれだけいいだろうか。近年は建物の緑化やビオトープの制作によってさらに環境保全が進んでいる。今はもう、土木工学者も生態学を深めていく時代なのかもしれない。


学生による論文(89) 「大災害から得る教訓を活かすことの重要性」 中村 亮介 (2022年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-11-25 06:21:56 | 教育のこと

「大災害から得る教訓を活かすことの重要性」 中村 亮介

 2011年3月11日、日本周辺における観測史上最大の地震である東北地方太平洋沖地震が発生した。この地震によって、東北地方と関東地方の太平洋沿岸部に大津波が押し寄せ、壊滅的な被害が発生した。また、巨大津波以外にも、地震の揺れによって、液状化現象、地盤沈下、ダムの決壊などが発生し各種インフラが破壊された。神奈川を含む首都圏では地震によって鉄道などの公共交通が麻痺し、多くの帰宅困難者が発生するなど、大きな混乱が起きた。この地震による被害の名称である東日本大震災による直接的な被害額は16~25兆円と試算されており、これは被害が大きかった岩手・宮城・福島の3県の県内総生産の合計に匹敵する。このように東日本大震災は甚大な被害を及ぼしただけでなく、日本経済にも大きな影響を与えていることが分かる。しかしながら、私はこの地震による被害は前例から学んでいなければもっと大きな被害が発生していたと考えている。

 その前例が1995年に発生した阪神・淡路大震災である。1995年に発生したこの地震では、建物の倒壊や火災によって大きな被害が出たが、この震災を教訓に耐震基準の見直しが行われ、建物への耐震性を上げる取り組みが行われていた。実際、2つの大地震による死因を見てみると、阪神・淡路大震災は圧死・損壊死等が死因全体の83.3%を占めている一方で、東日本大震災では圧死・損壊死等は4.2%であった。もちろん、地震の性質や被害地域の大きさも異なり、津波の発生の有無もあるので、一概に比較することは出来ないが、建物等の倒壊の割合が減少しているのは確実と言える。このことは、阪神・淡路大震災の教訓が見事に活かされた事例と言える。

 よって、私たちが次に行わなければならないのは次に東日本大震災級の大地震と大津波が発生した場合に東日本大震災の教訓をどのように活かすかということである。東日本大震災では道路・空港・鉄道などの交通インフラが大きな被害を受けた。インフラの復旧について、道路網は東北地方整備局が沿岸部への都市への救援のためくしの葉作戦を行ったことは有名であり、また復興支援のため従来あった東北自動車道に加え、より太平洋寄りを走る三陸沿岸道路を初めとした復興道路が新たに建設された。鉄道においては、常磐線や仙石線などが線路を従来走行していた場所より内陸に移設したり、駅を高架駅にするなど様々な津波対策を施して復旧している。

 震災から11年が経ち、東北地方の地震・津波対策はかなり整備されてきたと言える。次に起こるであろう大地震である首都直下や南海トラフ地震への備えが果たしてどれほど行われているのか分からないが、少なくとも今挙げた2つの地震は日本経済の大動脈である太平洋ベルトに大きな被害をもたらすのは確実であり、東日本大震災よりも経済被害は大きくなることは容易に想像出来る。被害を少なくするための東日本大震災から得ることの出来た教訓の一つは内陸にインフラ網を新たに整備することではないかと私は考える。例えば、新東名高速道路は東名高速道路に比べて内陸に建設されており、通常時は東名高速の交通を肩代わりする存在として、地震などの有事の際には、被害が少ないと推定される新東名高速道路が代替手段として機能するように整備されている。まだ全通はしていないが、いずれ起こる大地震に備えて代替手段を一つでも多く整備しておくことは、東日本大震災から得ることの出来た教訓の一つなのではないか。加えて、日本は地震の他にも台風や豪雨など自然災害が世界的にも多い国である。この国で生活をしている人々は自然災害への知識や備えについて他国に比べて関心を持つ必要があると考えており、土木を学んでいる者としてそれらを周知していく必要があると今回の講義を受けて改めて思った。


学生による論文(88) 「米とインフラについて考えたこと」 中田 宙希 (2022年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-11-25 06:20:49 | 教育のこと

「米とインフラについて考えたこと」 中田 宙希

 米どころといったらどこを思い浮かべるだろうか。私は、新潟県と北海道が日本一の米どころだと思っている。両道県は都道府県別の米の収穫量のトップ2である。小学校の時以来日本の統計データをあまり見ていないこともあり、また当時は今とは違い新潟県と北海道が競っていたこともあり、両道県を日本屈指の米どころだと思っている。ただ現在は新潟県と北海道でコメの生産量に差があるようである。ここで、北海道と新潟県についての米の変革を見ていきたいと思う。

 まず、北海道についてである。現在では北海道はゆめぴりかやきらら397、ななつぼしといったおいしいお米が有名であるが、かつて北海道のコメはとてもまずいことで有名であったらしい。そもそも米は温暖な地域に生息する植物であり、北海道で育てることは気候的に難しいものであった。また、寒さに強い品種を作ろうとすると味が落ちたり、味を良くすると環境に耐えられなくなったりするなど、北海道で育てるためのコメの品種改良にだいぶ苦労した過去がある。さらに、北海道は稲作どころか畑作もできないような土地が広がっている地域であった。植物が枯れた後その寒冷な気候によりうまく分解されなかったために形成された泥炭が堆積した土壌であったためだ。この泥炭地を改良するために、まず泥炭由来の土地は排水できないため排水設備を整備した。また、植物が育つ土壌にするためによそから土壌を運び込む客土と呼ばれる作業をした。さらに、農業をするにあたって取水用の用水路も整備した。これを一万一千ヘクタールにわたって行い農地を拡張したというのだから相当な大事業である。これらの事業によるインフラの整備効果には計り知れないようなものがあると感じた。全く米が作れなかったような北海道の土地を日本屈指の米どころに変えてしまったのだからストック効果が絶大なものであろう。

 次に、新潟県についてである。新潟県についても北海道と同様に現在ではコシヒカリなどのおいしいお米が有名であるが、かつてはまずいお米の代名詞だった。コシヒカリが作られる前までの新潟産の米は鳥すら食べないほどおいしくないお米という意味で鳥またぎと呼ばれていた。そのような状態であった新潟県がなぜ国内屈指の米どころとなれたのかというと、こちらもまたコメの品種改良と治水によるものであった。コメの品種改良は、戦後コメの増産のために病気に強い品種を作ろうとして改良を重ねられていった結果作られた米がコシヒカリである。味を良くしようとして作られた米ではなかったようであるが、結果的に味の良いコメとなったため新潟県以外にも広がるほど成功した品種である。また、治水の点は、暴れ川であった信濃川の治水事業により平野部の洪水が減り、安定的に農業を行えるようになったことが挙げられる。今では日本の田んぼはすべて乾田化を達成しているが、以前は田んぼを水量に応じて乾田、水田、沼田と三種類に分けていた。沼田が一番水の多い形態である。新潟は水田が広がっていた。乾田化していない田んぼは米の収量はあまり多くならない。信濃川には現在大河津分水路と関谷分水路という二つの分水路が存在するが、その分水路のおかげで田んぼを使いやすいように保てているという側面がある。新潟県においてもインフラ整備のおかげで稲作産業に大きな影響を与え、新潟県を日本屈指の米どころにした。

 米がまずいといわれていた新潟県と北海道であるが、今では米の有名生産地である。時の判断により整備されたインフラは地域に大きな影響を与え、地域に大きな稲作資源を生み出した。米について考えてみることにより、改めてインフラ整備事業の存在の大きさ・ストック効果の大きさを実感できた。ただし、秋田県の八郎潟のように、干拓して田んぼを作ったはいいが、干拓が終了したころには減反政策に転換し、農家に多額の借金を負わせ、自殺する人まで生み出したような事業もあるため、インフラ整備事業自体が悪であるとは思わないが、先見性を持ち、正しいタイミングで事業を進めないと時には人民を苦しめることになることには気を付けなければならないと感じた。情勢や計画性を考えたうえでインフラ整備をすることは必要なことであり、政権が変わるごとに政策が変わるようではいけないだろう。もっと中長期的な視点で施策が決められるような世の中でありたいと思った。


学生による論文(87) 『希薄な地縁と自然災害』 中嶋 駿介 (2022年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-11-25 06:19:23 | 教育のこと

『希薄な地縁と自然災害』 中嶋 駿介 

 私は小学生時代を愛知県の名古屋で過ごした。愛知県から想起される自然災害問えば南海トラフ地震ではないだろうか。近い将来に必ず起こると言われ続けている南海トラフ地震。その当事者となる愛知県では、災害に対する意識が他県とは一味違うことを肌で感じた。その最たる例が避難訓練の質が極めて優れていることだ。小学校での避難訓練自体は全国どの学校でも行うだろうが、愛知県の避難訓練の優れている点はそれが抜き打ちに近い形で行われることだ。東京の学校では、「何日の何時から避難訓練を行います」と日時が指定して行われる。しかし、愛知の学校では「何日に避難訓練を行います」としかアナウンスされないのだ。訓練が実施される日付こそわかるものの、その日のうちどのタイミングで訓練が実施されるか分からない。このことには、訓練をより実践的にする効果がある。授業中に訓練が実施されることもあれば、教室を移動している最中に実施されることも、校庭で遊んでいるときに実施されることもある。このように実践的な環境で訓練が実施されるという点で愛知県の防災に対する意識は非常に優れていた。

 しかし、(地震に限らず)自然災害に対する不安が限りなくゼロに近い状態で生活できることこそが望ましいことなのではないだろうか。「大きな地震が来てもこの建物は大丈夫」「大雨が降ってもここは浸水しない」このような安心感を共有できる社会を目指すべきではないだろうか。先に挙げたような常日頃の訓練が重要であることは間違いない。だが、やりようによっては災害に対する不安を最小限に抑えて生活を送ることが可能だと私は考える。

 本当にそのようなことが可能なのであろうか。静岡県の試算をもとに考察してみよう。この試算は南海トラフ地震を対象として対策を施さなかった場合と施した場合の死者数を比較している。前者の場合は津波によって約96000人が死亡し、後者の場合は16000人が死亡するという。約80%も死者を減らすことができる試算だ。このように、現状のままでただ災害を迎えるのではなく、対策を打てば被害を格段に減らすことができる。すなわち、災害への不安を少しでも減らすことが可能なのである。

 それにもかかわらず、全国の防災インフラの整備は緩やかにしか進行していない。愛知県は日本最大の海抜ゼロ地帯である。南海トラフ地震による津波被害は甚大なものとなることが見込まれる。このようなリスクを抱えているにもかかわらず、木曽三川の河口部における耐震工事はいまだ完了していない。津波が発生した際にはこの河口を遡上する形で津波による被害が拡大することは間違いないだろう。

 では、なぜ防災インフラの整備は円滑に進展しないのだろうか。その一因として、国民が防災インフラの整備に無関心であることが挙げられると私は考える。要するに、防災インフラは「自分たちの自分たちによる自分たちのための」ものであるという意識が欠如しているのだ。「国民」と言ってしまうと主語があまりに大きすぎるかもしれないが、同様の問題はより身近なスケールでも見られる。新潟県の大河津分水路は、越後平野を洪水から守る偉大な防災インフラである。このインフラが2019年の台風19号の際に威力を発揮することとなった。台風によって信濃川の上流にもたらされた大雨は、時間差をもって大河津分水路を襲った。このとき、通水以来過去最高の水位を記録したという。一歩間違えれば越流、浸水という危機的な事態になったが、すぐそばの学校では避難するどころか運動会が行われていたそうだ。このエピソードからは、歴史的に重要な防災インフラを持つ地域の市民でさえも防災への意識が希薄になっている傾向が読み取れる。ましてや、都市部で暮らす多くの市民が防災インフラに無関心であるのは仕方がないことなのかもしれない。

 このような無関心を生み出してしまった一因は、私が以前のレポートで提唱した「地縁」の希薄化にあるのかも知れない。多くの人が生まれた地で一生を送っていた過去の時代とは違い、仕事などの都合で居住地を転々としながら生きる現代人。(私の家族もそうであった。)このような現代人にとって、自分に縁もゆかりもない土地の所有物、ましてや防災インフラに無知、無関心なのは仕方がないことなのかもしれない。しかし、この現状を容認できないことはこれまでに述べてきた。「自分たちの地域は防災インフラを所有しているのだ」という防災インフラへの意識を改革し、いずれは「防災インフラに投資をしよう」という社会を築いていくことが必要だ。そのために、インフラを管理する土木事務所が率先して地域の市民向けの交流会、見学会を開催するのは一つの手だろう。防災インフラと市民の距離を縮めようとする努力の蓄積によって社会を変え、自然災害に打ち勝つことができる社会になっていくと考える。

参考文献
静岡県危機管理部, 『静岡県地震・津波対策アクションプログラム2013』, http://www.pref.shizuoka.jp/bousai/seisaku/ap2013.html, 2022年11月18日閲覧

 


学生による論文(86) 「自然災害の恐ろしさを蔑ろにする日本人の末路」 重里 友太 (2022年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-11-25 06:18:28 | 教育のこと

「自然災害の恐ろしさを蔑ろにする日本人の末路」  重里 友太 

 今日本は世界でもTOP10に入るほどの平和な国であり、非常に安定した国家であるといえる。その反面、国民は平和ボケした人間が多く、日々を安定して暮らすことができていることに慢心してこの国をより発展させようという意識がなく、その証拠としてこの国の国内総生産は減少しているのである。そんな日本が50年前は世界屈指の経済成長率で発展していたということ、また一時期は世界最大の経済大国であったということは考えられない。なぜこのような違いが生まれてしまったのだろうか。その謎を解く鍵はやはり「平和」という状態にあるだろう。世界大戦後の日本はどうしようもない壊滅的状態に置かれており、いわばなにがなんでも都市インフラを整備するしかなかった。この時代に整備された代表的なインフラとして、黒部川第四発電所つまり黒部ダムが挙げられる。黒部ダムは1950年代の関西の電力不足が深刻であったために、黒部ダムを作ることによって電力不足を解消しようとした。黒部ダムの工事にあたっては厳しい自然条件の中、171名の犠牲者を伴いながらも7年という歳月を掛けて完成した。当時は安定な暮らしとはかけ離れており、人々は死というものと向き合いながらにして日本をよりよくするために必死に工事を行っていたのである。それに対し現在は技術の向上によって安全性が保証され、難しい工事でも工夫することで安全面が確保された施工が可能になったが、少しでも難工事だとお金を掛けて行うことが無駄だと言って必死に工事を行うことがなくなってしまった。今までずっと向き合ってきた死という危険から今の日本人は目を背けることができてしまうようになったことで、死という存在が遠ざかり、それにより人々を本気にさせる機会が少なくなってしまった。これが平和ボケと言われる所以であると思う。過去最大級の災害が来ると言われたとしても、人々は死ぬことはないと心の底では思っているだろう。それが自然災害の被害を抑えるための都市インフラを整備するのが無駄であると思っている原因である。近年様々な災害が起こっても犠牲者がほとんど出ないのは都市インフラを整備し続けていたおかげであるにも関わらず、死者が出ていないからとインフラを整備する必要がないと勘違いしてしまっている。講義内で述べていたように南海トラフ地震が起きた場合の経済損失が1200兆円と推定されているが、35兆円をインフラ整備に充てることによって経済損失が700兆円に抑えられると試算されている。30年以内に南海トラフ地震が起こる可能性が高いと言われているにもかかわらず何の対策もしないのは、どうせ自分には関係ない、自分は死なないと安心している人々が沢山居ると言うことと、人々を不安にさせる情報だけが先走りしているために対策を行うことで損失を抑えられるという事実を把握していないからだと考える。日本がまた本気になるためにはもしかしたらまた痛い目に遭わないといけないのかもしれない。もし痛い目に遭えば人々はまた本気を出すことができ、物事の本質を見ることができるようになることでまた50年前のような経済成長が期待できるかもしれないが、それは経済成長のためには経済損失を伴わなければならないということであるから、いわば自作自演の経済成長ということになり、非常に情けない。そうならないためにも、今一度今まで自然災害と闘ってきたという事実を再確認し、自然災害と向き合う必要があると思う。