細田暁の日々の思い

土木工学の研究者・大学教員のブログです。

いい人たち

2014-04-30 18:42:45 | 人生論

「この人はどうしてこんなことをするんだろう?」と思うことはよくありますが、どんな人も悪いことをしようと思ってしているわけではない、ようです。

以前、D.カーネギーの本で読んだことがありますが、どんな極悪犯罪者であっても、自分が悪いことをしている、という認識はないそうです。

数日前に、長女とそのような話をしました。

例えば、パリの街中でタバコをポイ捨てする人は無数にいますが、彼ら・彼女らはどのように考えているか。「だって建物の中で吸えなくなったんだから仕方ないじゃない。私一人が捨ててるんじゃない。みんな捨ててる。何が悪いの?パリ市の職員が掃除してくれるじゃない。彼らの仕事にもなってちょうどいいんじゃない?」とでも考えていることでしょう、きっと。

なるほど、と長女も納得していました。

その他のもっと悪いことについても、頭の中でシミュレーションしてみましたが、すべて上記のような理屈を作ることができます。武田鉄矢の今朝の三枚おろしでも、無差別殺人の犯人の思考回路が説明されていましたが、ご本人は悪いとは思っていないのです。自分が不遇なのが社会のせいだと思っておられる。

そのような世の中でどうしていけばよいかですが、価値観の似た人たちと仕事をするのが一番楽しい。回りくどい説明をしなくても分かってもらえるし、足の引っ張り合いでなく、常にポジティブな議論ができる。

悪いことをする人は、その人の哲学が正しくないからだと思いますが、私たちに価値観の近い人たちや、見込みのある(僭越ですみません)方々に対しては、正しいと思う哲学を示して、共鳴してもらうように努力を続けたいと思います。その哲学は独りよがりのものではなく、しっかりと勉強して、またしっかりと議論してブラッシュアップさせていきたいと思います。

そして、価値観のあまりに違う方々に対しては近づかないようにします。労力も無駄だし、おそらくこちらの哲学を示しても、共鳴していただくことは無いだろうからです。

ですが、それらの方々も、ご自身の哲学に基づいて正しいと思うことをやっておられるのだ、ということだけはよく認識しておきたいと思います。否定は、結局何も生み出さない。


教育の目的

2014-04-30 01:15:53 | 教育のこと

内田樹先生の教育に対する哲学がふんだんに詰まったブログの記事を読みました。大変長い文章ですが、教育に携わる方は、賛同するしないは別として、一度は読まれることをお薦めします。

考えてみると不思議なもので、私は大学の教員ですが、「教育の目的」についてしっかりと教わったことがありません。多くの師匠たちから学んだことや、自分で経験して身に付けたことなどから、自分自身の教育観を創り上げてはきたつもりですが、内田先生の文章を読んで大変に勉強になりました。

「金」のために、大学も多くの改革を強要され、もちろん、すべてが悪い方向に行っているとは決して思いませんが、多大な違和感を覚えつつ、教員生活を送っていました。その私の違和感の理由も、内田先生の文章に見事に説明されているように思います。

自分自身にできることは限られていますが、正しい見識を持つよう努力を重ね、自分の持ち場を守るために死力を尽くし、周囲に適切に影響していくしかないのだと思います。 


読書

2014-04-29 22:39:12 | 趣味のこと

私は読書が好きです。

良書だなと思ったら人にも薦めますし、本を読むことはとても楽しく、大切なことであることを学生たちにもことあるごとに伝えます。

私自身の読書の質や量は大したレベルではないと思いますが、いろいろな方々との巡り合いや、良質な情報源との出会い等で形作ってきた自身の読書文化ではありますので、後輩たちの何らかの参考になればと思い、簡単にまとめておきます。

最初に読書に導いてくれた師匠は、甲陽学院中学校・高校で国語をずっと教えていただいた中倉邦雄先生でした。本を学校で全員に配布してくださり、読書ノートを書く習慣を付けていただきました。一番最初の本が、星新一の本で、本を読むのが好きになったことを覚えています。その後も、今でもときどき読み返す本(中勘介の「銀の匙」など)もあるほどで、良質の本をたくさん読ませていただきました。また、中倉先生は、古典について、「今は魅力が分からないと思うけど、40歳くらいのおじさんになると分かるから。」とおっしゃっていました。私はもう少し若く、その魅力に気づくことができました。

その後、大学ではあまり本を読まなくなってしまいましたが、学部3年生の少人数ゼミで、岡村甫先生の「人間学とリーダーシップ」を受講し、ここで多くの面白い本をご紹介いただき、私自身の読書文化の構築に向けた模索が始まります。堺屋太一の「組織の盛衰」や「「新都」建設」なども読み、日本や組織を俯瞰的に見るものの見方に興味を持ち始めたのもこのころでした。

その後、いわゆる「小説」はほとんど読まず、ノンフィクションや解説本のようなものを多く読む時期が増えました。ですが、「ローマ人の物語」を読み始め、日本の歴史小説はそれなりに読むようになりましたが、「小説」には興味がわきませんでした。他人の見方ばかり吸収して、どんどん頭でっかちの人間になっていった時期かと思います。

大学に勤務を始めてしばらく経ってからも、しばらくは小説には興味がわきませんでしたが、最近は読書全体に占める小説の割合がかなり増えています。

良質の小説には、この世の真実や、人間社会の真理が凝縮されているように思います。41歳になっても知らないことはもちろんたくさんあるし、生きるということは真面目に生きていく過程でいろんなことがつながっていくことであり、小説を読むことは今の私にとって生きていく上で不可欠な要素になっています。

本の情報を得るソースですが、

・人からの紹介(これがどんどん増えていく)
・「Japanist」(志誌、季刊誌)の本の紹介欄(これで出会った良質の本は非常に多い)
・内藤廣先生の本、武田鉄矢の「今朝の三枚おろし」、内田樹先生の本等の中で紹介されている本
・好きな作家を見つけて、その人の本をたくさん読む。藤井聡先生や三橋貴明氏なども含む。
・本屋をうろうろして気に入った本

などで、読み切れないほどの本が溜まっていきます。

大分昔、新聞を購読していたころ(もう購読しなくなって6年近くになります)は、新聞の書籍紹介欄の情報なども活用していましたが、新聞を購読しなくなってからの方がむしろ読む本のジャンルの幅は広がっています。

若い人は、まずは信頼する人、尊敬する人で本をたくさん読む人にお薦めを紹介してもらうのがよいと思います。 


馴染むこと(研究室の学生たちへ)

2014-04-28 19:01:29 | 研究のこと

今日は、研究所にいる時間は、英語の論文執筆。夜は、日本から来ておられる横浜国大職員の方とディナー。楽しみです。

先ほど、午前に、1時間ほどskypeで修士2年の学生の研究指導をしました。SWATに関する研究を行う学生で、次回の私の日本出張時の東北の調査等にも同行する予定です。

研究室には新しく4年生も配属されていますが、私は4/7(月)の歓迎会で会ったきり、フランスに来ているので全く会話していません。まだ4年生の研究テーマは決まっていませんので、私の研究指導を希望する4年生や、研究・東北での調査に興味のある学生がskypeミーティングに同席すると思う、という事前の学生からの情報がありました。

ですが、スタートしてみると、研究の打ち合わせについては周辺学生の同席は不要と判断したようで、一人しかいません。後半の東北調査の話題になったら呼んでくる、という段取りになっていたようなので、急遽変更させて、周辺学生も全員最初からskypeミーティングを傍聴させました。

研究について、学生とは全くの素人です。これまでやってきたこととは根本的に異なる取組みと言っても過言ではありません。研究をうまく進めるこつはあると思いますが、教員と一対一の関係のみで研究を進めることは、私の研究室においては得策ではないと思っています。学生に入ってくる情報が偏り、かつ少なくなり過ぎるからです。

現在の私の研究室の研究テーマは、もちろんテーマごとに詳細は異なりますが、実務と連携したものも多く、蓄積も多くなってきているので、研究の周辺状況の動きも早いものが多いし、私に蓄積されてきている知見やノウハウも多くなっています。

研究に限らず、何事においてもそうですが、未経験のことをやるときには、まずは「馴染む」ことが重要です。よく分からないけど、最前線の人の話を聴いてみる。キーワードや、図の意味もよく分からないかもしれないけど、とりあえず目や耳に入れる。また、情報に触れて自分でヒントだな、とかチャンスだな、と感じたことをたぐり寄せて、何とか自分で道を切り開く努力をしてみる。

現在、指導教員(もしくは指導教員候補)の私が研究室には不在なわけです。不在なことがすべてデメリットではありませんが、例えば研究室ゼミにはいない。

研究室ゼミであれば、学生の発表等に対して、私がコメントやアドバイスをしますが、その中にもちろん最前線の情報や研究哲学等が散りばめられます。自分の発表でなくても、他のメンバーの発表に対してでも、それらの情報を何となく聴いておく、ということが極めて重要だと思っています。

だから、結果的に今日のskypeミーティングでは、6名くらい(かな?)の学生たちに対して、1時間くらい、口頭ですが種々の情報を提供しました。全くのビギナーもいるので、どれくらいキャッチできるかは知りませんが、それは学生たちの問題です。

指導教員が不在、ということのデメリットはもちろんありますが、不在だからこそ、個々の研究ミーティング(skype)を皆でシェアしたり、という工夫によるメリットも生じ得ると思います。ポジティブに考えて工夫すれば、何事もチャンスになるのであり、そのような考え方で学生たちがどんどんチャレンジしてほしいと思っています。多分、工夫すれば、私が日本にいるときよりも、よくコミュニケーションできるのではないかな、とも想像しています。とにかく日本では時間がありませんので。

次は、5/1(木)の日本時間の夕方に、1.5時間ほど、私がskypeで研究室のメンバーに、今年度の研究テーマの説明をします。パリ時間では午前の6時からですが、その日はメーデーでパリは休みだそうですので、自宅からのskypeです。

質疑も含めて1.5時間で私の研究テーマを全部説明するのだから、ほとんど表層的な説明に留まってしまいます。学生たちは、今日の1時間のミーティングのような、表層的に留まらない、もう少し踏み込んだ、かつ研究哲学もふんだんに含まれるようなコミュニケーションがなされるよう、主体的に工夫、チャレンジしてみてください。指導教員、上司をどううまく使うか、がその人の伸びる鍵です。


訪問客

2014-04-28 18:29:24 | フランスのこと

フランス滞在期間が、私や私の家族にとって意義のある時間にしたいと思うのは当然ですし、そうなるようにいろいろ工夫しております。

一方で、フランスを訪問される方々の時間が少しでも素敵なものになるよう、スパイスのような役割を果たすことができればそれもまた幸せです。出張等で来られるときに声をかけていただいたり、もちろん私(がコーディネーターとなり)と時間を過ごすことが目的で来ていただくことも大歓迎です。

奥さんが働いているということや、私が日本出張を何度も実施することもあり、親族が訪問することも普通よりは多いように思いますが、これまでの訪問客と、今後の予定は以下です。ご来訪の予定があれば、できるだけ早めにお知らせいただければ、可能な範囲で最善の対応をいたします。

声をかけていただいたのに、私の日本出張中で対応できない先生もおられましたが、そういうこともありますので申し訳ありません。。。

2013年9月:義理の母
2013年10月下旬:母
2014年1月:指導学生の佐藤君、横山君のインターンシップ
2014年3月:岩城先生、石田先生、小松君、春日さん(フレシネーのPC橋梁視察、IFSTTARでミニ・ワークショップ、Brotonne橋とル・アーブルの視察)
2014年4月:大森先生(15日)、片平さん(本日28日夜) 
2014年5月:妹が旅行で訪問
2014年5月:坂井先生ご一行(23日、IFSTTARでミニミニワークショップ開催)
2014年5月下旬:両親
2014年6月:M先生?
2014年6月下旬:義理の両親
2014年8月:T中学校の先生ご夫妻(新婚旅行)
2014年8月末:T先生らとトルコの橋梁視察(第三ボスポラス等) 


フランス語学習、その後

2014-04-28 16:18:03 | フランスのこと

さて、フランス語の学習のその後の経過です。

フランス滞在を始める前に、フランス語の文法書(初歩的なもの)などを何冊か購入しましたし、辞書も購入し、Speed Learningの教材(全12巻)を一括購入しました。

また、開始が遅くなったのですが、2月末からは、フランス人の先生による英語でのフランス語の個人レッスンも開始し、週に一回のペースで6回くらい終わったかと思います。日本出張やらで途切れることもありましたが。

遅々とした歩みではありますが、少しずつ進歩しているとは思います。

『「なぜ?」がわかると超かんたん!フランス語文法』という本も、日本にいるときや、フランス滞在開始直後は読んでも全く面白くなく、あまり理解もできなかったのですが、今朝、通勤メトロで読んでみると非常に面白く、何となく理解していたことの理解が深まったりするページが非常に多いことに気付きました。

スポーツでも研究でも語学学習でも何でも同じだと思いますが、成果が出ないステージはつらいですが、少しでもできるようになってくると面白く感じる。少しずつ分かってくると、Speed Learningのテキストの文章の理解も少しずつ深まってくる。

このステージでどれくらい努力できるかで、進歩の度合いが変わるんでしょうなあ。

フランス語習得が滞在の目的では全くないので、どこまで進歩するかは私のモチベーション次第なのですが、語学って身に付けておいて損は決してないだろうし、生涯の趣味や、年を取ってからの趣味にもなる可能性も考え、少なくとも滞在中は適切に付き合っておこうと思います。

趣味って大事だなと思いますが、趣味にしてもいいかな、と淡い期待を持って想像しているものは、今のところ以下です。

水泳、フランス語、書道、柔道、ウォーキング、料理教室。 

人生は長いと思われるので。 


修行論、内田先生

2014-04-26 19:22:06 | 人生論

何事に対しても、批判する人というのはいるもので、批判、批評が悪いわけでは決してないでしょうし、私もそのような行為をすることもありますが、やはり、私自身はポジティブに世の中を見たいと思う人間です。だから、内田先生の見方にも共感するのだろうと思います。

村上春樹を批判する人がいてもいいし、村上春樹を称揚する内田先生の文章を批判する人がいてもいいのですが、私はそれらの方々の文章に魅せられることはないし、そのような批判的な文章を読むくらいであれば、「芥川龍之介大全」を読んでいたい。

内田樹先生の本は、我々の仲間の間で流行っていますが、「修行論」も含蓄深い哲学が記されています。以下、カッコは引用です。

「修行はそういうものではありません。走っているうちに「自分だけの特別なトラック」が目の前に現れてくる。新しいトラックにコースを切り替えて走り続ける。さらにあるレベルに達すると、また別のトラックが現れてくる。また切り替える。
 そのつどのトラックは、それぞれ長さも感触も違う。そもそも「どこに向かう」かが違う。はっと気がつくと、誰もいない場所を一人で走っている。もう同一のトラックを並走している競争の相手はどこにもいない。修行というのは、そういうものです。」

「生き延びるためにもっとも重要な能力は、「集団をひとつにまとめる力」である。」

「加齢や老化を「敵」ととらえて、全力を尽くして健康増進とアンチ・エイジングに励んでいる武道家がいたとしたら、彼は生きていること自体を敵に回していることになる。」

「多くの人が考えているのと違って、大学教育とは、何か有用な知識や技術を「加算」することではない(そう信じている教師も少なくはないが)。そうではなくて、「学び」への衝動の自然な発露を妨害している学生たち自身の「無知への居着き」を解除することなのである。」

「しかし、人間の心身の能力を爆発的に開花させようと思ったら、私たちは「そのような能力が自分に備わっているとは思わなかった能力」を見つけ出し、磨き上げ、その使い方に習熟せねばならない。」

(道場では)(細田が解釈を加えるなら、「研究室という寺子屋においては」)、「自分の柔らかい部分をさらすことが許される」・・・「稽古は常に愉快に実施することを要す」(植芝盛平先生の道場訓)

「「自分の能力を高める努力」と「競争相手の能力を引き下げる努力」では、後者の方がはるかに費用対効果が高い。私が自分の武道的な能力を高めようとする努力は、さしあたり私ひとりにしかかかわらないけれども、同門の人々を委縮させ、恐れさせ、不安がらせ、能力の成長を阻害し、稽古をする意欲を失わせようとする努力は、高い感染性をもつからである。」

「「ものを創る」のはむずかしいし、手間暇がかかるが、「ものを壊す」のは容易であり、かつ一瞬の仕事だからである。100年かけて丹精した建物が一夜の家事で灰燼に帰すように、あるいは10年かけて築いた信頼関係が、わずか一言の心ない言葉で崩れ去るように、創るのはむずかしく、壊すのは易い。だから、相対的な優劣・強弱・勝敗に固執すると、人は無意識のうちに、同じ道を進む修行者たちの成長を阻害するようになる。」

「ほんとうに射程の長い研究をなしとげようと望むなら、研究者たちは長期にわたって淡々と(家庭生活を営んだり、友人と遊んだり、小説を読んだり、音楽を聴いたり、旅行をしたり・・・・・しながら)ゆったりと継続することができるような研究スタイルを構築しようとするはずである。
 寝食を忘れ、家庭を持たず、友人を遠ざけ、研究外的なすべての活動を断念して、ブレークスルーの到来を待つ「マッド・サイエンティスト」型の研究スタイルは、その際だった外見ほどには生産的ではない。少なくとも、例外的な天才以外にはお薦めできない。」

上記のように、「修行論」の前半戦にも、私の大学での教育、研究室での教育、研究者としての修業哲学に通ずるところが多々ありました。

冒頭での話に戻りますが、批判、批評のみは、我々教育者が本来果たすべき役割とはほど遠いところにあるように思います。


労働哲学

2014-04-26 02:49:37 | 趣味のこと

村上春樹のファンであることは何度もブログで書いていますが、内田樹先生の「もういちど村上春樹にご用心」を読みました。書籍の帯に「これは村上春樹さんへのファンレターです」と書いてある通り、内田先生によるポジティブな村上春樹論です。

村上さんご自身が、書評というものを全く読まないらしい。書評は馬糞だと言い切るくらい相手にしないそうです。

内田先生のこの本の中にも、いわゆる文壇の方々は村上春樹を徹底的に批判するか、無視するかだそうでして、私が学生の頃に東大の総長だった蓮実重彦氏もクソみそに批判されるそうです。

「批評」って楽なんですよね。ブラッシュアップするための批評は必要だと思うのですが、批評が目的になった批評って、何かを生み出すのかしら。

その点、内田先生の村上春樹論は読んでいて非常に楽しい。

以下、「村上春樹の労働哲学」というエッセーからの一部引用です。

「・・・・ ほんとうにそうだと思うんです。僕たちの世界には理由もない壮絶な暴力や邪悪なものがたしかに存在する。そういうものに僕たちはほんとうになにげなく角を曲がったとたんに出くわしたりする。それがもたらす被害を最小化するためにも、日常生活の細部で決して手を抜いてはいけないんです。アイロンをきちんとかける。鉛筆を尖らせて削る。適切な塩加減でスパゲッティをゆでる。そういった気配りは少しも表層的なことではなく、生きる上での根本に関わることなんです。」

「「文化的雪かき」という言葉が『ダンス・ダンス・ダンス』で出てきますが、ああいうことを主人公の責務として描いた作家なんてこれまでいないんじゃないですか。一人一人の雪かき仕事のような無名の、ささやかな献身の総和として、世界は辛うじて成り立っている。そういう労働哲学、僕はとても好きです。」

小説家に共鳴するのは、その人の哲学に共鳴するからです。

一つ一つの仕事をしっかりやるしかないんですよね。

先ほど、日本の神話(第1巻)「くにのはじまり」(このシリーズは秀作です。大人も楽しめる本格的な絵本で、我が家の子供たちも大好き)を読んでやっている途中に、次女が足の指の爪が気になったらしく、伸びて剥がれそうになっていた部分を剥ぎ取っていました。剥ぎ取った部分をソファーの上にそれとなく捨てていました。

それを見て、「たった一つ捨てるだけ、と思っているかもしれないけど、あなたが5つ捨てて、家族四人全員が捨てたら20個のゴミになるよ。家がすごく汚くなる。だから、たった一つのゴミでも、ゴミ箱に捨てるなり、ティッシュにくるむなりするようにしよう。」と伝えました。納得していたようでした。

私がいつもブログで言っていることも同じです。一人一人が自分の本分を果たし、勇気をもって連携するしかないのです。それが、壮絶な暴力や邪悪から我々の大切なものが壊されていくのを最小化する唯一の道であろうと思います。

村上春樹の面白さ、すごさは他の切り口でも内田先生が紹介されていますので、ファンにはお薦めです。


6月上旬の日本出張の予定

2014-04-25 16:32:48 | 研究のこと

早めに公開しておいた方が、何かとスムーズに行きますので、現時点でのスケジュールを公開します。適宜アップデートしますが、すでに隙間はほぼありませんが、まだ入ってくると思います。。。

5/26(月)~28(水) オランダのデルフトにて国際会議。

5/30(金)パリ出発
5/31(土)夕方、成田着。夜に、浦和辺りで博士課程の留学生の指導をするかも。
6/1(日) 朝一番で、山口宇部空港へ。津和野、グラントワ等の視察(さかなクンのショーを通じて、大ホールの良さも体感)、油谷の棚田、萩泊。
6/2(月) 午前:吉田松陰の墓所の前にて、山口県品質確保講習会のビデオメッセージの撮影。山陰本線復旧現場(須佐橋りょう)の視察、目視評価、品質確保の議論。 午後:鞆の浦へ移動。日本の将来についての検討会、夜は福山駅前に宿泊。
6/3(火) 午前:始発にて新横浜へ移動、共同研究打ち合わせ。午後は、外環自動車道の現場で実構造物調査等の研究。
6/4(水) 午後から釜石の南三陸国道事務所で品質確保のレクチャー、目視評価実技、議論等。釜石泊。
6/5(木)  釜石付近の国交省のトンネルの品質調査、釜石泊。
6/6(金) 小本、田老の現場訪問、議論。
6/7(土) 復興支援道路のトンネル現場で実構造物の品質調査、議論。
6/8(日) 前日に引き続き、実構造物の調査。8日の夜は宇都宮の友人宅に泊。
6/9(月) 午後:東北地方整備局にて、品質確保の会議。
6/10(火) 昼前の便で、成田発。

6/11(水)~13(金) ノルウェーでの国際会議に出席。


切符

2014-04-24 16:40:44 | フランスのこと

フランスでは、私は通勤等に回数券を買っています。SuicaのようなICカードを買うこともできるのかもしれませんが、私の場合は手続きが面倒か、購入できないようなので、回数券にしています。通勤(メトロ+RERのA線が一つの切符)の回数券と、メトロだけの回数券、メトロの子ども用の回数券などを、大量に買い込んでフランス専用の財布に収納しています。

子どもたちも切符でメトロなどに乗るのには慣れていて、改札を通った後は、無くさないように親に渡すように今はしています。

メトロでも、RERでも、切符を買わずに無賃乗車している輩は非常に多いようです。改札を飛び越えて行ったり、前の人に続いて切符なしで通り抜けたり、いろいろと悪いことをする人たちをしょっちゅう見かけます。改札には駅員がいない場合がほとんどのように思います。

パリでは、それらに対応する臨時の検札が結構ある、と聞いてはいましたが、滞在初期にはあまり見かけませんでした。滞在途中から、私の通勤ルートのメトロとRERの乗り換えの駅のある部分で、頻繁に検札に遭遇するようになりました。もちろん、私は切符を持っていますので、何の問題もありません。

Nationというその駅で、多くの検察員が駅構内の通路をふさいで検札をするときには、その箇所より手前の、かなり離れたある箇所に、多くの人たちがたむろしています。検札している情報が伝わり、検札が終わるまでそこにたむろしているのでしょう。「何とまあ、モラルの無い方々だろうか」と半ばあきれて、それらの人々を見ながら通り過ぎたことが何度もありました。

今朝、通勤時に、Nationの駅で、メトロからRERに乗り換える改札でいつものように切符を通そうとしたとき、私の前に、改札を飛び越えたワルの若い男がいました。「またやっとるな、バカが」と思っていたら、みんなが流れていく右側へと行かず、その男は左の方へ。何だろうと思ったら、数人の警官が左側の死角に隠れていて、ワルをする奴がしょっ引かれていました。

歩行者が平気で信号無視をする国です。信号ごときに支配されたくない、決定するのは自分、というような考え方らしいですが、切符の件はさすがに犯罪でしょうから、種々の食い止める仕組みがあるのですね。

メトロだけの場合は、改札を出るときに切符が不要な場合が多く、より無賃乗車をしやすいのですが、昨日は、私のメトロの最寄駅で改札近くの死角に検察員が複数いてびっくりしました。初めての経験でした。もちろん切符を持っていますので、びっくりはしましたが、何の問題もありません。(ただ、メトロの改札を出る前に、切符をゴミ箱に捨ててしまうこともこれまで何度かあったので、今後は改札を出てから捨てるようにしようと思いました。)

現在、フランスはバカンスの時期で、多くの旅行者がパリに来ていることもあるのかと思いますが、私の滞在が始まって以降では、かなり厳しい検札を何度かこの短い期間に目撃しました。

海外に長期間住む、ということはやはり短期の旅行では決して分からないことに気付かせてくれると聞きますが、身をもっていろいろと体験しています。

結論としては、当たり前ですが、意図的であろうとなかろうと、無賃乗車は決してしないようにしてくださいね。 


芥川龍之介

2014-04-24 16:04:22 | 人生論

武田鉄矢の「今朝の三枚おろし」の過去の番組を聴いて触発されて、「芥川龍之介大全」を昨日購入しました。200円でこんなすごいものを買って鑑賞することができるなんて、やはり便利な世の中になったものです。

すごい。芥川龍之介すごい。

昨日は、「今朝の三枚おろし」で紹介されていた、「馬の脚」と「おぎん」を読みました。これらの作品を読むのは初めてでしたが、深く、斬新で、感銘を受けました。その後、今朝にかけて、「蜘蛛の糸」「鼻」などを読み、感嘆していました。昨夜は、寝る前に、長女に「蜘蛛の糸」の話をしてやりましたが、「面白い!」と絶賛で、今夜は「鼻」を話してやることにしています。近いうちに、長女が自分で芥川の名作を読めるように段取りしてやろうと思います。 

以下、「芥川龍之介大全」(351編が収録されている)の中にある、「校正後に」という作品の中にある、芥川自身の言葉。

「僕の書くものを、小さくまとまりすぎていると言うて非難する人がある。しかし僕は、小さくとも完成品を作りたいと思っている。芸術の境に未成品はない。大いなる完成品に至る途は、小なる完成品あるのみである。流行の大なる未成品のごときは、僕にとって、なんらの意味もない。」(新思潮第七号)

「夏目先生の逝去ほど惜しいものはない。先生は過去において、十二分に仕事をされた人である。が、先生の逝去ほど惜しいものはない。先生は、このごろある転機の上に立っていられたようだから。すべての偉大な人のように、五十歳を期として、さらに大踏歩を進められようとしていたから。」(新思潮第二年第一号)

「絶えず必然に、底力強く進歩していかれた夏目先生を思うと、自分のいくじないのが恥かしい。心から恥かしい。」

まさに、芥川龍之介はイチローのようです。王貞治とイチローの関係とは違うのかもしれませんが、真に一流の人の言葉には学ぶべきことが多いです。

我々凡人が同じような気持ちでやると火傷をすると思いますが、わずかなりとも同じような気持ちを持って、我々のミッションを果たすべく、努力を重ねたいと思います。

それにしても、良い本を見つけました。短編なのですぐ読めるし、ワインでも飲みながら芥川龍之介の作品を鑑賞するなんて、大人ではないですか!!! 


過ごし方

2014-04-23 19:58:49 | フランスのこと

いろいろな方々に支えられ、資金的にも税金でのご支援もいただきながらの留学生活です。この記事の内容は誤解を招きかねないので、無駄な生活は送っていないことをあらかじめお断りしておきます。。。もう41歳ですので、自分一人が満足すればよい、というような低次元で物事を考えはいたしません。自分自身の時間をマネジメントする主役はもちろん私自身ですが、私自身を使って、どのように中長期的に全体がよくなるか、ということを私なりに試行錯誤しながら全力で考えて実践しているつもりではあります。(いつもながら、見事な「言い訳」。。。)

基本的には真面目な人間でして、責任感も強い人間のつもりですので、40歳というタイミングでの1年間の留学は非常にありがたい貴重なチャンスではありながら、どう過ごそうか悩みもしましたし、常に試行錯誤を続けております。半年の折り返し地点を過ぎましたが、今後も試行錯誤は続くものの、一つのパターンができつつあるのは確かで、それについてこの記事でまとめておきます。

「どうせ一年行くんだから、日本のことなんかほっぽり出して、好きなようにやってくればよい」というようなアドバイスを年配の先生からいただいたこともありますが、まあ無理です。

事前にもいろんな「アドバイス」をいただきましたが、残念ながらほとんど役に立つものは無く、ほぼ唯一、私の行動原則を構築するのに大きな影響を及ぼしたのは、前川先生の「後ろ向きの仕事ばかりをやる」(ご自身が30代のときにタイのアジア工科大学で2年間を過ごされた時のモットー)でした。その通りに過ごせてはいませんが、これまで取り組んできた研究をきちんと形にする、ということは非常に重要なミッションの一つであると当然に考えておりました。まだ5ヶ月以上残っていますので、しっかりと論文、解説文等で形に残すこと、講義・講演(英語も含む)資料等に残すことは、今後も変わらず優先順位を高く設定したいと思います。

フランス滞在を開始するに当って、当然に頭をよぎったのは、日本で活発に動いている研究プロジェクトへの関与です。復興道路の品質確保等、かなりダイナミックにプロジェクトが動き始めた状況で1年間、日本を不在にすることはもちろんマイナスだと思っていました。

ところが、種々の理由で日本にどうしても帰国しなくてはならない(博士論文の最終審査、予備審査、幹事長を務める委員会の最終報告会、日本の修士・卒業論文の最終追込みの時期等)ときに、研究活動ばかりを詰め込んだ出張にしてしまうことにし(自然になり)、これが大変濃度の濃い研究活動となることを発見しました。

2013年10月末、2014年1月末、3月末に、日本出張を実施しました。3回の日本出張のほぼすべての時間、研究です。もちろん、日本でそのような研究漬けの時間を体験できることはありません。改めて、自分は研究が大好きであることも認識しました。どの出張も土日も全く休み無し、です。

次回の日本出張もすでにほぼスケジュールが固まりましたが、大学に一度も顔を出せませんが、5/31(土)に日本到着で、日本各地を飛び回って、東北地方でも集中的に構造物の調査を行い、6/10(火)にノルウェーでの国際会議に向けて成田を出発する行程となりました。同志の方々のご協力もあり、土日もすべて現地調査等、研究漬けです。

日本出張を有効に活用することで、むしろ日本にいるときよりも研究は進むかもしれない、とも感じています。そして、フランスに戻ってじっくりと時間を使いながら後ろ向きの仕事や、勉強を行う。このブログを書くことも、自分の中での重要性は増してきているように思います。完全に「仕事」の一部です。

もちろん、フランス滞在中に、研究成果を出すこと、国際的なネットワークを構築すること、等が公式に求められている要件ですが、41歳の研究者にとって、それは難しいことではありません。

誰かの評価を受けるわけでなく、ほぼ完全に、自分が納得する過ごし方をできるか、のみが問われています。だから悩むのだろうと思います。

何度も日本に帰ってきて大変ですね、ということを言われることが多いのですが、私にとってベストと思う過ごし方をしているので、まったく大変とは思っていません。

上記の私の過ごし方に、いろいろとご批判もあるかもしれませんが、第三者への説明責任はきちんと果たせますし、公式文書で成果をきちんと説明してください、と要請されても何の問題もなくしっかりと書くことができます。私自身が心から納得する過ごし方しかできませんので、今後も模索を続けたいと思います。今日は、長女のお迎えの前に、芥川龍之介の作品がぎっしり詰まった電子図書を購入する予定です。


日記

2014-04-23 18:52:25 | 家族のこと

長女が4年生になりました。新しい女性の先生のご指導のもと、日々の勉強を頑張っています。宿題も増えたようで、家でも頑張って勉強しています。

日記帳に毎日日記を付けることになったそうで、初日の日記を長女が書いていたときに、「コツを教えてあげようか?」と話しました。何せ、ブログをかれこれ20年近く続けている実績を持っておりますので。。。

長女の日記帳の最初のページをのぞいてみると、 「案の定」、筆が進まずにページの途中で止まっていました。

そこで、日記のタイトルをまず考えることを、ほぼ唯一のコツとして伝えました。

とにかく伝えたいこと、読んでほしいことの要点が何なのかをよく考え、それを日記のタイトルにすることを教えました。さらに、日記の内容はポジティブな内容でも、ネガティブな内容でも構わず、とにかく自分が感じたこと、考えたことであれば何でもよい、と教えました。

そうすると、とたんに書きやすくなったようで、日々もりもりと日記を書いています。

以上のコツを伝えたとき、長女が、「ああ、パパの日記の『時代遅れ』みたいなタイトルね。」と言っていました。私がブログを書いていることは知っており、「時代遅れ」の記事の内容は長女にも話してやったので、覚えているようです。

「そうそう、その通り。「時代遅れ」というパパのブログのタイトルを聞くと、何となくどんなことが書いてあったのか内容が思い浮かぶでしょ?それが大事なんだよ。書きたいことを適切に表すタイトルを付けること、それが本当に大事。そして、頭の中でぼやっと思ったことを、文章にきちんと書けるようになること、これがとても大事。日記はそのとても良い訓練になるから、続けるとよいよ。」

と話しました。毎日、頑張って面白い日記を書いておられるようです。


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2014-04-23 18:08:38 | 人生論

4/18(金)の夜から、奥さんの親友の家族が四人で遊びに来て、我が家に三泊し、4/21(月)の夕方に帰っていきました。奥さんが学生時代にフランスに留学していた時の親友で、今は家族ぐるみで付き合っています。この間の年末年始にクレルモン・フェランの彼らの自宅に遊びに行き、二泊しましたので、これで短期間に五泊をそれぞれの自宅でともにした間柄になるので、かなり濃厚です。おまけに、4/19(土)の日中には、もう一人の親友であるパトリシアの家に皆で遊びに行き、三家族(すべて子供が二人)のパーティーとなりました。イースターの家族イベントも含まれており、かなりすごい体験でしたが、フランスを体験するという意味ではこれ以上ないかと思います。

なかなか平坦な生活が訪れない、私のフランス滞在ですが、自分自身の時間にはやはり恵まれています。

昨日も、濃厚な家族イベントの後ということもあったのかもしれませんが、ほとんどじっとしていました。特に調子が悪いというわけではありませんでしたが、じっとして、You tube等から私の好きな情報を入手し、「勉強」していました。

3月末に日本出張に出かける前に、かなりの不調に陥りましたが、今のところ振り返ってみると、フランス滞在期間中で唯一の大型不調であったと思います。もちろん、大型不調の間には、研究的な活動はほぼ進みません。その代り、日常であれば入ってきにくい情報をたくさん吸収する時間となりました。例えば、武田鉄矢の「今朝の三枚おろし」。You Tubeにアップロードされているので、ひたすら聴いていました。

専門家であることは大事だと思います。真の専門家でないとできない判断、指導等はあると思うので、私も真の専門家になれるよう、努力を続けたいと思います。中途半端なレベルの「偽の」専門家が溢れる世の中ではありますが。

一方で、自分の分野に閉じこもって、かつクオリティの低い仕事に埋没する専門家には決してなりたくないと思っています。自分の分野を大事にしつつも、殻を破って様々な分野の方々とコミュニケーションしたり、勉強することも、私にとっては真に大切であるという思いを年々強めています。

武田鉄矢さんの「今朝の三枚おろし」からは学ぶことが非常に多く、昨日もたくさん聴いていたのですが、脳の働き(特に「海馬」)と、芥川龍之介のすごさ、についてはかなり感銘を受けました。「脳は疲れない」という10年くらい前の著書を三枚におろす、という内容なのですが、非常に興味深かったです。この著書もアマゾンで購入しました。

詳細は省きますが、私自身の分野で真の専門家たるべく努力する過程で学ぶ、多くの根源的な知見、発見と、他の分野でのそれらとがつながることが多いのです。アナロジー、でもあります。

コンクリートやインフラ、インフラの維持管理などを人間や病気などで例えて分かりやすく説明することは多いですが、その理解がさらに深まっていくというイメージです。これは、寄り道のように見えて、実はそうではないと最近の私は強く思い始めています。

水のように非常に便利なもの、不可欠なものは、逆に人間にとって非常に怖い存在となることがある。物事すべてに長短の裏表がある、というのはこの世の真理だと思いますが、水についてはそのように感じてきました。コンクリートにおいても、水は絶対に不可欠です(セメントの化学反応は「水和反応」と呼ばれ、水が絶対不可欠)が、コンクリート構造物の劣化にも水が最大の敵となります。人間社会にとって津波、海面上昇等が大きな脅威となることは自明です。

昨日も、武田鉄矢さんの情報で、「酸素」についても同様であることを学びました。言われてみれば当たり前ですが、「リンク」したのは初めてです。酸素が生きていく上で不可欠なのは当たり前ですが、酸化反応が老化であり、さび付くことである。脳も酸化していくそうです。我々の分野での鋼材の腐食現象は当然に酸化現象です。

長くなるので、芥川龍之介の話はここではしません(機会があれば別の記事で)が、フランスにいる期間こそ、寄り道を大事にしたいな、と3月下旬の不調時に学んだ経験をもとに思っています。

医学、人間の体、等についても興味を持ち始めているので、土木工学の専門家として、またこの世をたくましく生きていく一人の人間として、これらのテーマにも適切に興味を持って勉強をしたいと思っています。 


見えないもの

2014-04-18 17:42:42 | 研究のこと

人は、「見たいものしか見えない」ものですが、唯一人、ユリウス・カエサルは共和制の限界を見抜き、帝政の必要性を見抜き、ルビコン川を渡ったのでした。

ユリウス・カエサルは人類史上屈指の天才ですから完全に別格として、普通の人には見えないものが見えるすごい人たちというのは日本にもたくさんおられ、私も若い駆け出しのころにはそれらの方々に強く憧れていたことは、このブログでも何度も記してきた通りです。

このブログでも、「つながった状態」というのを何度か書いていますが、その状態では、以前は見えなかったものが見えるようになってきます。今後、同志たちと研鑽を重ねることで、次々といろんなことが見えるようになってくるのだろうと思います。

この記事では、コンクリートのひび割れ、という一般の人にとってはどうでも良さそうなものについて、見える、ということで簡単にまとめます。

私も、学生のころからコンクリートのひび割れに関する研究をやってきました。何となく大事だとは思っていましたが、本当に人生をかけて研究をするような対象なのか、と若干の?疑念?を抱きながら研究をしていたことは申し訳ありませんが否定できません。

その後、コンクリートのひび割れていない部分(専門用語でかぶり、と言います)の品質、すなわち表層品質の研究を、学会で組織的に議論しながら行ってきましたが、私も多くを学びました。

そして、H21年3月から関与することになった山口県のひび割れ抑制システム(現在は、より上位の品質確保システムに移行中) で徹底的に鍛えられました。ひび割れ、の本質的な意味についてかなり深く議論してきましたし、学会でも勉強を重ねてきた表層品質の意義についても理解を重ねてきました。

多くを書くことはしませんが、ひび割れとは、結局人間関係の間の亀裂であり、また我々に多くのことを教えてくれる「目に見える」先生でもあります。すべてのことを教えてくれる先生ではありませんが、意欲のある我々を適切に導いてくれるので、 結果的に構造物全体の品質も良くなり、人間関係の亀裂も修復してくれます。もちろん、我々人間を鍛えてくれます。コンクリートのひび割れも自然であり、やはり自然は偉大であると痛感します。そして、ひび割れとは、「金(money)」の問題でもあるのです。絵空事ではなく、現実社会での優秀な先生です。

4/1に復興支援道路のあるトンネルを初めて訪問しました。東北地方整備局の前道路課長にぜひ行ってみてほしい、と言われて行きました。このトンネルの覆工コンクリートと、以前から関わっている田老第六トンネルの覆工コンクリートを比較して、おそらく誰にも見えてないのでしょうが、私には本質が見えました。私に見えた本質は、周囲の皆様に伝えておきました。詰まらない本質が見えても仕方ないのですが、カエサルの見た帝政とは比べ物にならないにしても、皆が幸せになる道筋が見えた、ということです。

トンネル覆工コンクリートのひび割れ、またはひび割れを抑制することに何の本質的な意味があるのか、多くの方々には分からないと思いますが、私には分かりました。

ひび割れ、というものは世の中では嫌われ者ですが、かなり賢い先生です。ひび割れとうまく付き合っていくことが、我々技術者、研究者や、実務の方々の技術力を大いに鍛えてくれることになると思います。早速、トンネルのひび割れを対象にした研究も組織的に開始しましたので、楽しみです。

僭越ですけれど、コンクリートのひび割れに関しては、人に見えない本質が、私には見えるようになってきたというのは事実であり、そのような人間にはひび割れに関する動きを、正しい方向に誘導する責務があると感じています。

コンクリートのひび割れ以外にも、見えないものが見える方はたくさんおられると思うので、それらの方々が良心に基づいて、世の中を良い方向に導いていただければと思います。