共に初来日
「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」では主役を引き立てた脇役達を
振り返っています。
今週登場するのは「カウボーイ、ビル・ワット」です。
来日回数は僅か2回。
しかも再来日は1974年の国際プロレスだったので老舗の日本プロレス
にはたったの1回しか登場していません。
しかしその1回が、昭和を代表する名チームを誕生させました。
初来日した1967年は日プロに大きな変化があった年。
ライバル団体でエースを務めていたアントニオ猪木が4月に古巣へ復帰
していたのです。
それまでの日プロではシングルはインター王者のジャイアント馬場、
タッグはインタータッグ王者の馬場と吉村がトップの体制。
この序列に新たに加わった猪木をどう絡ませるか、日プロ幹部は思案しました。
そして出した結論は吉村に替えて猪木をタッグ王座に就かせることでした。
そのためには馬場組が王座から陥落しなければなりません。
前年の11月以来無難に防衛を果たしてきたチームを打ち破るには相当な
挑戦者が必要です。
そこで選ばれたのがワットとターザン・タイラー。
共に初来日のラフファイターでした。
挑戦権は猪木に
時は10月6日の午後8時20分、所は6千人の観客に埋まった福島県
立体育館。
控室でのインタビューでワットは吠えました。
<試合前に日本組がベルトを持って頭を下げに来ないことを願う。
俺はファイトして堂々とベルトを獲りたいのだ。>(プロレス&ボクシング より)
ゴングが鳴り吉村と対峙したタイラーがコーナーに引っ張りこんで
二人がかりの滅多打ち。
ワットがポスト最上段からニードロップを落とすとタイラーが10分
8秒に体固め。
2本目は場外戦でタイラーを血祭りにあげた馬場が5分11秒に片エビ固め。
3本目は外人組が馬場をロープに張り付けると吉村に集中攻撃。
ワットが決め技のオクラホマスタンピートで3分16秒に押さえ込んで見事
王座奪取。
この試合で肋骨を負傷した吉村は31日のリターンマッチの出場権を猪木
に譲ることに。
ここに新チーム誕生の仕掛けが完了したのでした。
大阪府立体育館での決戦の1本目は14分8秒に外人組の反則負け。
2本目は勢いに乗るタイラーが3分34秒に馬場を体固め。
決勝の3本目は馬場が4分38秒にワットを押さえ込んで見事勝利。
第9代インタータッグ王者の誕生です。
馬場と猪木のBI砲は昭和を代表する強力タッグ。
ワットこそが、このチームの生みの親でした。
「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」では主役を引き立てた脇役達を
振り返っています。
今週登場するのは「カウボーイ、ビル・ワット」です。
来日回数は僅か2回。
しかも再来日は1974年の国際プロレスだったので老舗の日本プロレス
にはたったの1回しか登場していません。
しかしその1回が、昭和を代表する名チームを誕生させました。
初来日した1967年は日プロに大きな変化があった年。
ライバル団体でエースを務めていたアントニオ猪木が4月に古巣へ復帰
していたのです。
それまでの日プロではシングルはインター王者のジャイアント馬場、
タッグはインタータッグ王者の馬場と吉村がトップの体制。
この序列に新たに加わった猪木をどう絡ませるか、日プロ幹部は思案しました。
そして出した結論は吉村に替えて猪木をタッグ王座に就かせることでした。
そのためには馬場組が王座から陥落しなければなりません。
前年の11月以来無難に防衛を果たしてきたチームを打ち破るには相当な
挑戦者が必要です。
そこで選ばれたのがワットとターザン・タイラー。
共に初来日のラフファイターでした。
挑戦権は猪木に
時は10月6日の午後8時20分、所は6千人の観客に埋まった福島県
立体育館。
控室でのインタビューでワットは吠えました。
<試合前に日本組がベルトを持って頭を下げに来ないことを願う。
俺はファイトして堂々とベルトを獲りたいのだ。>(プロレス&ボクシング より)
ゴングが鳴り吉村と対峙したタイラーがコーナーに引っ張りこんで
二人がかりの滅多打ち。
ワットがポスト最上段からニードロップを落とすとタイラーが10分
8秒に体固め。
2本目は場外戦でタイラーを血祭りにあげた馬場が5分11秒に片エビ固め。
3本目は外人組が馬場をロープに張り付けると吉村に集中攻撃。
ワットが決め技のオクラホマスタンピートで3分16秒に押さえ込んで見事
王座奪取。
この試合で肋骨を負傷した吉村は31日のリターンマッチの出場権を猪木
に譲ることに。
ここに新チーム誕生の仕掛けが完了したのでした。
大阪府立体育館での決戦の1本目は14分8秒に外人組の反則負け。
2本目は勢いに乗るタイラーが3分34秒に馬場を体固め。
決勝の3本目は馬場が4分38秒にワットを押さえ込んで見事勝利。
第9代インタータッグ王者の誕生です。
馬場と猪木のBI砲は昭和を代表する強力タッグ。
ワットこそが、このチームの生みの親でした。