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1988年、新生UWFを長野市で生観戦

2016-02-05 07:00:16 | 日記
社会現象と報じられたプロレス

 昭和の末、プロレス界には大きな波が押し寄せていました。
力道山から連綿と続いたプロレス、つまりヒーローが悪役を打ちのめすお決まりの
展開を否定し、強い者が勝つと理論武装した若手集団が異常な人気を博していたのです。

 毎週金曜日は「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」と題して当時の生観戦を
振り返っています。
今日は1988年の確か7月に長野市運動公園体育館で行われた新生UWFの大会です。

 プロレスファンばかりでなく格闘技ファンをも魅了したヒーロー前田日明が率いる
UWFは、紆余曲折を経て社会現象と一般紙に報じられる程の異常人気を博していました。
チケットは発売15分で売り切れ、東京ドームをはじめとする全国主要都市の大会場は
毎回満員の客で溢れかえっていました。
 それ程の人気団体でしたが長野県には強いコネがあったのでしょう、旧UWF当時
から度々興業が行われ、新生UWFも早々に長野市に参上したのでした。
 UWF熱に感化された友人に誘われて私も会場に足を運びました。

実は退屈な試合

 UWFの試合を簡単に言うならば、ロープに飛ばない、技を受けない、反則をしない、
プロレスでした。
ストーリーも演出も無いので、従来のプロレスファンにとっては盛り上がりの無い展開に
なりがちです。
しかし、真剣勝負はそうだろう、と好意的に受け止める多くのファンがそのスタイルを
支持していました。

 プロレス界の守旧派だった私には、当日の試合は実は退屈でした。
当時のUWFを特徴づけていた技はふたつ。
華麗に投げるスープレックス、そしてズバッと決まるキック。
 しかしどの試合でも蹴りも投げ技もほとんど出されず、終始マットに転がって地味な
関節の取り合いが続きました。
余程退屈な展開だったのでしょう、メインのカードすら記憶が曖昧です。
 藤原と船木が戦い関節技で藤原が勝利した様な気がします。
マット上で延々と続いた手や足の取り合いの中、唐突にギブアップの意思表示。
目の前で見ていながら、どちらが何をして勝ったのか、その場でも分からない試合でした。

 ハイライトは全試合終了後にありました。
その年の3月に断髪式を行った60代横綱・双羽黒こと北尾光司が突然現れ、会場は
騒然となりました。
と言ってもリングに登場したのではありません。
格闘王と呼ばれた前田日明を視察に訪れたのです。
 控室へ通じる通路に置かれた椅子に腰掛ける北尾は巨大でした。
残念ながら前田とはその後の接点が無く、両者の対戦は行われずに終わりました。
 この日の北尾の眼中には全く無かっただろう高田と武道館で一騎打ちを行い、壮絶な
KO負けを喫するのはこの日から4年経った1992年10月の事でした。
コメント
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