週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

#223 -’24. 東京大神宮を参拝し

2024年09月05日 20時33分07秒 | ご朱印・納経(神社仏閣)

五社巡りを始めての三日目です。

この日で結願を願ってまず最初に東京大神宮に向かいました。縁結びの神社と言う事で絶大の人気を博す神社です。私みたいな男性で老人は皆無でした。女性に大人気ですが、男性も片手で数えられる程度は訪れていました。

東京大神宮のHPから一部借用させて頂きます。

御由緒

 江戸時代、伊勢神宮への参拝は人々の生涯かけての願いでした。明治の新国家が誕生すると、明治天皇のご裁断を仰ぎ、東京における伊勢神宮の遥拝殿として明治13年に創建された当社は、最初日比谷の地に鎮座していたことから、世に「日比谷大神宮」と称されていました。関東大震災後の昭和3年に現在地に移ってからは「飯田橋大神宮」と呼ばれ、戦後は社名を「東京大神宮」と改め今日に至っております。
 現在広く行われている神前結婚式は、当社の創始によるものであり、今も神前において伝統的な結婚の儀式を守り伝えております。

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2 重陽の節句の御朱印です。(菊の節句)

畳屋さんのすけみつさんの畳ナビから引用させて頂きます。

重陽の節句(菊の節句)と仲秋の名月(十五夜)に向けて

十五夜のイメージ写真

9月は前半に重陽の節句(菊の節句)、後半には仲秋の名月(十五夜)があります。
重陽の節句は七夕の後にくる一年で最後の節句です。菊が咲く季節と重なるので菊の節句とも言われています。
奇数(陽)の中で一番大きな数字「9」が二つ重なる9月9日を陽が重なると書いて重陽と呼び大変おめでたい日とされてきたようです。
そしてその頃咲く菊の花は不老長寿の妙薬とされ、重陽の節句の日には菊の花を浮かべたお酒を飲んだり、菊を鑑賞する宴が開かれたりしていたそうです。
現在でもこの時期に菊を鑑賞する催しや菊祭りなどが開催されますね。
平安時代から続くこの節句に、菊を飾り菊の花を浮かべたお酒を飲むなんて言うのも素敵なひと時ではないでしょうか?
畳替えした和室と菊の花はとてもよく似合いますよ!

そして9月の後半には十五夜がありますね。お月見です。
仲秋の名月と呼ばれ、月見に最適な日となります。
この十五夜は「芋名月」とも言われています。この時期に収穫される里芋をお供えするためそのように呼ばれ、月見団子は里芋の代わりとも言われています。
ススキと月見団子、窓の外には仲秋の名月。足元を見れば青い畳。
日本のよき風景が浮かんできます。

寒い冬が来る前に、畳を交換しませんか?

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7 手水舎に浮かんでいる花を見ると重陽の節句(菊の節句)から菊の花などが浮かべられているようでした。その時は何も思わず、手水鉢などに花を浮かべて綺麗にしている位に思っていました。重陽の節句を知って奥が深い風流な季節感漂う配慮に驚きました。

8 この重陽の節句の十五夜限定朱印の掲示が無ければ素通りする所でした。

9 東京大神宮は伊勢神宮とも深いつながりを持っています。

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#222 -’24. 五社巡りの道すがら(飯田橋~溜池山王~明治神宮前)

2024年09月05日 12時44分18秒 | ご朱印・納経(神社仏閣)
  1. 靖国神社を参拝した時初めて靖国神社の御朱印を頂いた。

その時頂いたパンフレットの中に靖国神社を含む五社の事に関するものもあった。

それでは、と言う事で五社巡りを開始した。五社と言っても総て東京内である。唯一つだけ、多摩の府中市にあるだけで外は総て都内である。一日で総て参拝を終えて結願する事も可能であるが、今回は三日間かかった。

  • 一日目は、靖国神社です。(五社巡りを知った。)
  • 二日目は、車での移動で渋滞に少し巻き込まれましたが、初めて大國魂神社を参拝しました。
  • 三日目は、昨日です。最初に訪れた所は女性に大人気の東京大神宮です。次に向かったのは東京の守り神の日枝神社です。その次の結願の神社は国民の総意で造営された明治神宮です。明治神宮は明治天皇の崩御後の大正時代に建立された明治神宮と神宮の杜です。

今回は三社の内容は明記しません。どのように移動したのかの視点で目に留まった所をスマホで撮影した画像をアップします。

〇 飯田橋から大神宮神社に向かう道すがら。

1 外堀通り沿いの交差点です。左に行くとお濠に沿って市ヶ谷・四谷方面です。右に行くと後楽園など水道橋です。正面に向かうと江戸川橋を経由して面影橋方面です。後ろに向かうと九段方面です。

2 その後ろ方向に向かうこと120m先を右折して坂を上ります。

3 飯田橋散歩路との道標があり東京農大が開校された所だそうです。今は世田谷にあり、大根踊りで踊る応援団で有名です。

4 坂を上る途中の赤い花を咲かせているサルスベリです。

〇 大神宮神社から地下鉄経由で日枝神社に向かう道中です。

5 JRで飯田橋に来ると橋の端に出た所を左折するとこの大神宮通りに出たようです。東京大神宮を参拝して地下鉄の南北線に向かいます。

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7 時々家内と食事する牡蠣のお店が、入っているさくらテラスです。そのお店を調べたら貝殻荘で今は午後5時以降の夜間しか営業していないようでした。入らずに無駄足に成らず良かったです。昼食を求めて沢山のサラリーマンが歩いていたのでパスして正解でした。営業時間が誤っていたようです。すぐていせいします。お待ちの程。

三井のショッピングパークの牡蠣ビスロト貝殻荘の頁に飛んで下さい。ランチ時も営業しています。

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10 地下鉄南北線です。こちらの南北線は開業時からフルスクリーン形式のホームドアでした。完全な形式のホームドアです。その後に開業した地下鉄もこの完全な形式では無く、ハーフ形式のホームドアです。飯田橋~溜池山王に向かいます。

11 溜池山王駅のエスカレーターで地上に向かいます。地上に出ると首相官邸の裏手です。

12 ザ・キャピトルホテル東急で駅に地下で直結しています。

13 違った角度から首相官邸です。

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16 そじ坊がありましたが、ランチ時刻直前ですが多くの方が昼食を求めて歩いているのでスルーして、日枝神社に参拝に向かいました。豊洲のそじ坊で食事を頂いた時の記事はこちらです。

〇 日枝神社からTBS社屋前の赤坂駅から明治神宮前です。

17 正面に特徴あるTBSの社屋がみえます。赤坂と言えば赤坂見附でしたが、新しい地下鉄も通り赤坂駅が出来て久しいです。

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20 地下の赤坂駅です。

21 地下鉄千代田線に乗って明治神宮前駅に到着して地上に上がってきました。

22 1964年に開催の東京オリンピック水泳競技の会場だった代々木第一体育館です。東京都庁舎と同じ丹下健三によって設計されました。屋根は二つの柱に牽引された吊り橋形式で視界を遮りません。オリンピック後は50mプールと高飛び込みも可能な10メートル、5、3メートルの飛び込み台がありました。夏はプールで冬はスケート場に成っていました。競泳選手がウォームアップする為にサブプールが通路の下にありました。記憶違いでなければ、50×12メートルだったとおもいます。メインプールは50×22メートルで8コースだったと。水深は最深部は2.1で飛び込みスタート台下が一番浅かった気がします。基本、オリンピック後、一般開放されたブールは縦に50mを泳ぐことは禁止で22mの横に泳ぐことが出来ました。大学時代は粋がって日赤から頂いた水難救助員のエンブレムを水着に付けていました。

23 参宮橋の前から表参道を通り明治通りを横切り青山通りに通る大通りが大好きでした。その頃はパリのシャンゼリゼ通りなど行った事もなかったのに何処かそんな風情に憧れた物でした。竹下通りが流行り出すまえかも。右側の南国酒家の入るビルも変わりません。

24 古風な駅舎も変わり、モダンに成った原宿駅です。大混雑の原宿駅でしたが、新しくなってから使用した事がありません。何時か使ってみなければと思っています。駅構内の導線なども良くなっているのかも。竹の子族がいた時代はこの辺りで攣るんでおどっていたような。

25 渋谷方面です。

〇 明治神宮の参拝を済ませて五社の御朱印も頂き東京五社巡礼結願です。その後の表参道の街歩きです。と、言ってもホンノ1ブロックの片側をあるいただけですが。

26 こちら側にも入り口が出来たとは知りませんでした。

27 何やさんの前に列を造り並んでいるのか分かりませんが、列がありました。はっきりとはみえませんが。

28 まだ、免許を持っていない時、長兄たちが原宿に行くだとか銀座に車で行くときは可能な限りお供をさせてもらいました。そんな思いで多き千疋屋です。

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