週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

§ 今日は8月15日の終戦記念日で思う事(ポルポト ~カンボジアの悲劇~)

2018年08月15日 14時02分50秒 | たわごと(少し硬派に振って)
今日、8月15日の終戦記念日です。
政府主催の「戦没者を追悼し平和を祈念する日」が武道館で天皇皇后両陛下の臨席の下開催された。

日本では73年前に終戦を迎え連合軍の元に開かれた東京裁判(極東国際軍事裁判)でA級戦犯(平和に対する罪)、B級戦犯(戦争犯罪)、C級戦犯(人道に対する罪)が裁かれた。
戦地ではB級戦犯、C級戦犯が個別にさばかれた。

ラダ・ビノード・パール判事(インド派遣)は判事の中では唯一の国際法の専門家であったり、東京裁判では平和に対する罪と人道に対する罪とが事後法にあたるとして全員無罪を唯一人主張した。
パール判事の法的な思考は傾聴にあたいするが、戦争裁判との特殊な環境下で採用される事はなかった。
この事が今もって大きな問題として残っている。
刑法で言えば、行為後に制定された法律で裁かれる事が無いのが基本原則である。
本質的には、A級戦犯に関する罪については日本国民が裁くべきで有ったと私個人としては強く強く思っている。
無罪、有罪は別にして日本国民が何故に戦争に突き進んでしまったのか?
全員で知り、懺悔する機会であったと思っている。
時の流れのままに、うやむやにすべきではないと思っている。

私が言いたい事を如実に表している。
ポルポト元首相がカンボジア国民に対して行った虐殺を思うに、日本人も同じだと思わずにはいられない。
占領軍たる連合軍が罰しても、日本人が軍人(大本営や作戦部の立案に従事した高官だけ)や戦争への立案遂行した政治家などの責任を明らかにして糾弾して罰を与えていない現状。
カンボジアと全く同じであると思えてならない。
時が過ぎれば免罪では亦過ちを起こさないとは限らないと思っている。

ポルポト ~カンボジアの悲劇~

他国の事とは言えポルポトもその加担者も私は許す事ができない。

非戦闘員である民間人に対する戦争時(宣戦布告)紛争時(宣戦布告しない)の殺戮について、少しだけ追って記述します。
追記:戦争でしきたりに従うのも可笑しな話と言えばおかしな話ですが。
第二次大戦時(太平洋戦争)時に日本がアメリカ合衆国に宣戦布告する前にハワイの真珠湾に奇襲をした卑怯者との烙印が押されました。
数時間前に宣戦布告の伝達が手違いにより遅れたそうですが。
アメリカとすれば国民が戦争意欲を増すためにも卑怯者のジャップを懲らしめるとした方だ都合が良いのです。
20世紀に入り第一次世界大戦も戦時下の国際法の法り宣戦布告をして正々堂々と軍人同士が戦い優劣を付けました。
基本的に民間人を攻撃の対象とはしないのが本旨でした。
しかし、第一次世界大戦後のスペイン内戦において初めて無差別に民間人が攻撃対象として爆撃されました。
フランコ総統の率いる勢力がドイツなどの支援を受けてピカソのゲルニカの絵画に残る無差別殺戮を行ったのである。
アメリカから戻ってきたゲルニカの絵画ではありませんが、外の壁画はこちらです。
今では、民間人の被害も何のそのであるが。

非戦闘員への攻撃も毒ガスなどの化学兵器も核兵器も人道的に許されるべき兵器ではないと思っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カウンター