Me & Mr. Eric Benet

私とエリック・ベネイ

COCO AVANT CHANEL

2009-09-16 09:07:10 | Weblog
『ココ・アヴァン・シャネル』上・下巻
エドモンド・シャルル=ルー著
加藤かおり・山田美明訳
ハヤカワ文庫

金子三勇士のリサイタルで度々、シャネルネクサスホールを訪れるようになり、
このようなコンサートがシャネルのファウンダー、ココのスピリットに基づくと知った。

今週末の映画の封切りを前にこの本を手に取った。
熟読したとは言えない。
上巻はココの履歴、戸籍や住民票の検証のような記述が続く。
読後に知った事なのだが、シャネルは自身を偽る言葉を多く残していて、
この本の中で著者はその生い立ちや環境を現地に出向き調査、
真実の究明に筆を費やしたようだ。

好んだ黒白のモチーフ、孤児院の制服であり、世話をする修道女達の制服から、
インスパイヤーされたシンプルさの象徴であったこと、
5という数字へのラッキーナンバーとしてのこだわり。

上巻の最後、始めてココの素顔が窺えた。
それは、愛する男性の突然の事故死、知らさせた時も涙を見せることはなく、
遺体のある場所に駆けつけるがすでに封棺されたと知ると、
葬儀も墓地への出席もこばみ、そして事故現場に行き、人知れず泣き崩れる。

二度の大戦をはさんだ激動の時代。
芸術においてもアールデコ、ヌーボー、キュビズム、シュールレアリズム、
移り変わりが激しかった。
経済的にも景気の大暴落や、ストライキ。
数々の身近の人に裏切られたり、また反対に自ら利用したり。

芸術家達との係わりの部分では彼女自身もクリエーターであり、
自然と友好を暖めるようになる。
また自分は職人であると思い、アーティストに対して尊敬の念も持っていたようだ。
亡命してきた作曲家を自宅の一つに住まわせたり、
バレー演出家に匿名を条件に援助したり。
多くの収入を得ているココが志は高く、才能はあっても
ビジネスに繋がらない芸術家への援助は当然と思っていた節がある。

愛する人の急死という出来事を二度も経験し、
また、ストライキにより自分の物と信じていた会社から締め出された事、
シャネルのNo.5を巡っての調香師側との長く続いた裁判。
戦後、戦犯として追われる危惧。
このことは、ココにとって最も大きな打撃だったと察する。

しかしながら戦争中にシャネルのとったドイツ側との接触、
イギリス首相チャーチルとかつて同じ別荘地で過ごした事から、
独断で自分が和平交渉について物事を動かせると本気で考えていたなど、
理解に苦しむ言動も多い。

特筆すべきは、晩年だろう。
スイスでの隠遁生活を経て、70歳を過ぎたココはパリに戻る。
かつて宛てになっていた人脈はもうない。
自分の中での創作意欲も衰えている。
その時代の流行からも遠ざかっている。
それでもコレクションを再開。

酷評され、自分でもそれを当然と受け入れるがアメリカでは高い評価を受ける。
その後も作品制作、コレクションの発表を続け、
88歳の死の当日もいつも通り日曜の朝の散歩の後、
自宅にしていたホテルリッツに戻り、ベッドで息を引き取る。

老境に入ったシャネルは昼間は忙しく仕事に励んだが、
夜は夢遊病の発作を起こしホテル内を歩き回ったりすることもあったようだ。
最後の言葉が「苦しい・・・」「殺される・・・」
「人はこうやって死ぬのね。」

メイドに看取らるだけでこのような言葉を残して亡くなった彼女を
華やかな世界に身を置きながらも不幸な女性だったと簡単に括れるだろうか。
最後まで鋏と針と糸を手放さず、70歳過ぎてから復活し、戦い続け、
88歳まで現役を貫いたココ・アバン・シャネル。

映画では監督がアンヌ・フォンテーヌ、そして主演は『アメリー』のオードレイ・トトゥ。