Me & Mr. Eric Benet

私とエリック・ベネイ

金子三勇士「チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番」8/11・12

2009-08-13 07:04:41 | ピアニスト 金子三勇士
中学一年生の時にロシア映画「チャイコフスキー」を最初、母と観に行った。
その後、学校全体でこの作品を観ることになり、二度映画館で鑑賞した。
12歳の私にとってこの経験は大きかった。
難解な映画が一度ではなく、二度観ることで理解が深まり、
そして映画の中に出てきた「ピアノ協奏曲第1番」「交響曲第6番 悲愴」
母がこの二枚のレコードを持っていたこともありその後、繰り返し聴いた。

映画の印象としては明るい画面で描かれたスケールの大きなロシアの風景や建築の美しさ、
そしてもう一つは、それとは対照的に暗い画面になるチャイコフスキーの苦悩の部分、
またチャイコフスキーを長年に渡って援助しつつ、
一度も会うことのなかったとされるメック夫人の存在。
映画の中では二人が列車に乗り合わせ会話していたかの場面がある。
二度目に観た時、これは二人の間を象徴的に描いた場面、
会うことはなかったが、会っているかのごとくにお互い親しく感じていた、
と解釈したが、親愛の情を持ちながら一度も合わずにいた二人の真意は、
12歳の私の理解度をはるかに超えていた。

11日の日は夫と友人のIさん、そしてIさんの18才のお嬢さんとそのお友達とご一緒した。
若いお二人はそれぞれコントラバスとバイオリンをされている。
Iさんは私と同世代なのだが、やはり初めてクラシックの曲として認識したのが、
このチャイコフスキー「ピアノ協奏曲第1番」だったそうだ。
夫は最初の第一楽章の繰り返し使われるテーマ、
その部分だけで後半は聴いたことがないようだ。
第一楽章も勇壮で華やかだが、第三楽章の憂愁はこの楽曲に甘美な、
そして聴き通した後の爽快感をもたらす。

金子三勇士は登場した。
ハンガリーでこの日のために仕立てた燕尾服を身に着けて。
ここ一年の間に、多くの経験を重ね、大舞台でも臆することなく毅然としている。
最初のフレーズが始まった時、困ったことになったと思う。
自分の思い入れの深いこの曲に金子三勇士が手を付けたかと思うと、
それだけで涙腺が緩くなってきた。
まだ、まだ始まったばかり。今からこれでは最後まで持たない。

第一楽章の終わり、第二楽章に入った時に、はっとした。
これは金子三勇士にとってたいへんなチャレンジなのではないか。
ここのところ、ソロのリサイタルが多かった。
またオーケストラをバックの演奏は一年に数回、
そしてその時は同じ学校のメンバーたちが彼をバックアップする。
したがって、どちらかと言えば、みんなが彼に合わせ、自分は引っ張っていく立場。

今回、中盤は三勇士が新日本フィルのメンバー達とどのように融合しようかと、
試行錯誤しているかに見えた。
指揮者がいて、コンサートマスターがいて、そして後ろに控える大所帯。
みんな、それぞれ自分の仕事をしながら、金子三勇士のお手並み拝見、
といったところだろうか。

ソロのリサイタルで自分一人で観客を惹きつけ続け、
満足させる演奏会を行うのも偉業だ。
しかし、普段、一緒に組んだことのないオーケストラ、指揮者と同じ壇上で、
一つの曲において融和させるのもたいへんな取り組みだという事を
この時に聴きながら、気付いた。

第三楽章序盤において、それは起きた。
三勇士の体の向きはピアノ正面というよりも、指揮者、オーケストラに向け、
開かれていた。
音楽家にしかわからない、一つの瞬間があるのだろうか。
演奏しながらお互いに相手を認めて、受け入れる瞬間。
その後は、全体のハーモニーが完璧に調和し、その中で、
三勇士はのびのびと演奏を終えた。

三枝成彰さんの解説で、クラシックのコンサートでも自分の感動を素直に表してかまわない、
一つの楽章ごとに拍手しても、立っても、前まで押しかけてもかまわない、
とお話されていた。

当然、私は立ち上がり拍手を送った。
主人と友人も立ち上がった。
金子三勇士、顔には出さなかったが、こちらに気付き目で微笑みを返してくれた。
私はとてもチャイコフスキーのメック夫人のように謙虚にはなれない。
応援する気持ちははっきりアピールさせて頂きます。

10代の音楽家の一年の成長には目を見張るものがある。
金子三勇士、また一回り、大きくなってこの日の演奏会を終えた。

8/11は、中央から左よりで鑑賞したが、翌日、12日は、右よりで観る。
金子三勇士と新日本フィル、最初から寄り添うように息が合っていた。
その中で第一楽章は力強さが増し、第二楽章は軽やかで弾むように楽しげだった。
第三楽章、コンサートマスターと三勇士の姿が重なる。呼吸が一つになっている。
そして、エンディングを迎えた。

この演奏会を聴き終えて、自分の子供の頃を振り返ることになる。
中学一年の私に「チャイコフスキー」の映画を観る機会を与えてくれて、
たくさんのクラシックレコードも持っていた母。
8/11、私の隣の席は小学校低学年の少女と母親だった。
場内には小中学生、高校生も多く見られた。
この日の演奏が何十年の先までの彼らの音楽観や生き方に繋がっていく。


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