Me & Mr. Eric Benet

私とエリック・ベネイ

ポーランド大使ヤドヴィガ・ロドヴィッチ講演会

2009-10-07 00:23:31 | 私の日々
日本・ポーランド国交樹立90周年記念
講演者: ヤドヴィガ・ロドヴィッチ
 駐日ポーランド共和国特命全権大使
テーマ: ' Multi-Cultural Character of Polish Tradition
       - Language, Customs, Cuisine and Clothing'
(「ポーランドの伝統の多文化的性格―言語、習慣、食べ物、服装」)

青山学院大学のポーランド大使講演会に昨日、行ってきた。
女性の大使、そして美しい日本語を話す。
日本の人が話しているようには聞こえないが、とてもわかりやすく、
親しみを感じさせる柔らかい日本語。
最初の挨拶は日本語、講演は英語、最後の質疑応答が日本語。
この最後の質問は終了予定時間を20分近く越え、講演の内容に即したもの、
と限定されたにもかかわらず、学内からホロコーストに関しての質問などが出た。
この部分に関しては英語の返答になり、料理や観光、無難な歴史の話題など、
のどかに終わるかと思えた講演が、白熱したものになった。

講演を聞きにきていた人達は私の母くらいか、それよりも年上の女性もいる。
そして大学生、大学院生、中間が余りいない印象。

大使は能や日本料理に関しての著書もあり、ワルシャワ大学の日本語学科卒。
ポーランドはヨーロッパの中央に位置し、遮る山脈も大河も海もないことから、
他国の支配や影響を常に受けてきた。
第二次世界大戦において領土の38%、人口の25%が失われたという。
ポーランド、ウクライナ、ベラルーシ、リトアニア、ドイツ、ハンガリー、イタリー、ユダヤ系、
多民族で形成される国家。
13世紀から14世紀にかけてはイスラム圏の影響も強く受けた。
16世紀はギリシア哲学の思想に基づく都市構想が行われたそうだ。

21世紀となり、工業都市も増え、都市化が進んでいる。
映画、演劇なども盛んでアンジェイ・ワイダ監督などを生んだフィルムアカデミーもある。
ユダヤ人のコミュニティーもあるがヘブライ語ではなく独自の言語を使う。

ポーランドのかつての主食は魚、川魚などが食された。
今は魚、肉、パン、穀物など。
ポーランド貴族とイタリア貴族が16世紀頃から結婚するようになり、
その頃からイタリア料理が浸透し始める。

EUのメンバーになり、パスポートなしにIDカードのみでの加盟国間の旅行が可能になり、
もともと旅好きな国民性、他国での知識を自国に反映することが得意な国民性、
経済成長率も昨年度もプラス、国力をつけてきている。

日本に関しては日露戦争の日本の勝利以来、親日派が多い。
人口4000万の国で3万人が日本語を学習、65の語学学校があり、大都市の大学には日本語科がある。
寿司も人気があり、ポーランド文化と融合した独自の寿司もあるという。
日本のアニメ、ポップカルチャーも好まれているそうだ。

どうして大使は日本語を学んだのか?
人生の偶然、それを話すと長くなるけれど、川端康成、谷崎潤一郎、松尾芭蕉などの
翻訳された日本文学との出会いがある。若かったので、日本に夢を抱いた。
そして医学部も考えたが、縁あってワルシャワ大学の日本語科に入る。

民主化以降、悪くなった部分もあるというポーランド人もいるが?
変化には良い部分と悪い部分が伴う。しかしながら、以前は全く自由がなかった。
そういう時代特有の家族や友人間の結束の深さは確かにあったかもしれない。
貧しくてもその中での幸せはあったけれど、発言の自由さえなかった時代。
本来はかつて経済的にも活気のある国だった。
今は収入も増え、今の状態が国のあるべき姿に戻ったと言える。

なぜポーランドと日本間、お互いに親しみを感じるのか?
花見(日本は桜、ポーランドは林檎)、花をめでるなど、感性で似ている部分がある。
過去や祖先を大切にするなど、文化的に欧米の中では日本に近い部分がある。

日本語学習が盛んなのは、国策? 
国として力を注いでいるわけではなく、自然にそのような成り行きに。

ホロコーストに関して、ドイツとは違いポーランドは謝罪をしていないのでは?
(ここから日本語で了解を得た後、英語の返答になる)
16世紀、西ヨーロッパからユダヤ人が追われた時、中央ヨーロッパにおいてポーランドが受け入れた。
19世紀に反ユダヤ主義が起き、第二次世界大戦においては、
ポーランド在住のユダヤ人ほとんどが殺害された。
ドイツ軍、ナチの収容所、アウシュビッツは元々、名前も異なりそこでは、政治犯の処刑が行われていた。
自分の叔父も18歳で政治犯としてそこで殺されている。
その後の反ユダヤ主義の行過ぎた犯罪に対しての和解。
1970年代から生き残りの人の証言などにより、その和解についてのプロセスが始まった。
1990年代から行われるようになる。多くの文献が残されている。
そしてそれは今も継続されている。

時間切れと司会の人から言葉があり、大使も「この件に関しては、もう一度、講演が必要ですね。」と。

1939年のナチスドイツの侵略は9/1、そして9/17にはロシアに占領される。
カチンの森事件(ポーランドの将校1万5千人がロシア軍により殺された)から今年は70周年。
冷戦下では語る事さえ許されなかったこの事件が、
父親をこの時に殺害されたアンジェイ・ワイダにより映画化。
12月に岩波ホールにて上映される。

最初ソフトな印象を受けた大使の姿、講演後、SPとともに退場していく様子に、
今まで身近に触れたベルギーやフランス、タイの大使館員とは異なる国情を垣間見た。
恥ずかしながらこの講演を聞くまで、戦時中に侵略されていたポーランドに対して、
ホロコーストに関しての責任が追及されているとは全く認識していなかった。