行雲流水

阿島征夫、一生活者として、自由に現代の世相を評す。時には旅の記録や郷土東京の郊外昭島を紹介する。

感動、中山晋平音楽祭

2018-04-09 20:51:20 | 芸術
中山晋平のような大作曲家が母校の都立立川高校の前身旧府立二中の音楽教師だったとは最近になって知った。彼は大正12年9月から1年間教鞭を取った。昨日は同校OB会やOBの音楽家によって中山晋平生誕130年、童謡発祥100周年を記念して中山晋平音楽祭が府中芸術劇場で開催された。
 
自分が子供の頃歌った「シャボン玉」「証城寺のタヌキばやし」「背比べ」「てるてる坊主」、学生の頃歌った「カチューシャの歌」「ゴンドラの唄」カラオケで歌った「船頭小唄」、盆踊りでの「東京音頭」など中山晋平という作曲家の存在の大きさを再認識した。
 
数々の思い出がある歌に感動したが、先生の生き様も紹介され、「そうっだったのか」とうなずくことが多かった。その一つが信州から上京して東京音楽学校に入学し、生活費を賄うため島村抱月宅に書生として家族の面倒を見たこと、そして抱月が芸術座を興し、トルストイの「復活」が大ヒット、その時の主題歌が「カチューシャの歌」だった。ところが抱月はそれを唄った女優の松井須磨子と不倫関係となり、中山晋平は困ったことだろう。抱月がスペイン風邪でなくなり、松井須磨子はあとを追って自殺、中山の衝撃はかなりのものだった。
 
当時コンビを組んでいた野口雨情から船頭小唄の作曲を頼まれていたが、唄自体悲しい詩であり、抱月、松井の事件で2年間棚上げし、ショックから回復してからの作曲だった。自分はそうしたことをこれまで全く知らないでカラオケで唄ってた。
 
また、府立二中の教師になったのは関東大震災で家もピアノも壊され、路頭に迷ってた時代、教師の口が掛かりとにもかくにも飛び付いたようだ。OBの手記の中で中山晋平は「あの時代は生活が苦しく、僕のような風来坊はどこでも使ってくれない時代だったのに君でなければと言われ、喜んで拾ってもらった」と語っている。
 
中山晋平は山田耕筰と作曲家として双璧を成すが、北原白秋の「砂山」を二人が作曲している。これもこの音楽祭で教わった。他の作曲家も作曲しているが、現在もこの二人の2曲が歌い継がれ、甲乙付けがたい名曲だ。

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