彦根城の「地震の間」彦根城を訪れ、国宝の天守閣に登り琵琶湖を眺めて井伊直弼の運命に思いを浮かべていた。16男に生まれながら何故城主になれ、 幕府の大老にまで昇りつめたのか?傑出した才とそれを生かす教......
昨年は彦根城を訪れ、幕府を支えてきた雄藩の史跡を見聞したときは、大河ドラマに井伊直虎が登場するとは知らなかった。彦根城では大河ドラマのはしり「花の生涯」での井伊直弼や側近の長野主膳、村山たかを思い浮かべた。まさか遙か遡る女城主直虎のことは全く知らなかった。
直虎の時代は幕府の要と言える大藩彦根藩とは全く違う土豪というか郷士の井伊家が舞台で最初は面食らった。しかし、今までの歴史ではあまり取り上げられない当時の在郷武家の実態が判り「なるほどそうだったのか」という場面が多い。
その一つは、困窮した村を救おうと直虎は知恵を絞る。流れ者から綿の栽培をしているという三河の情報から綿の栽培を奨励する。村人は人出が足りないとクレームを付けるが、当時困窮した農民が全国で逃散している実情を聞き、最初の3年間は年貢を取らないと噂を流し、流れ農民を引きつけ雇い入れる。歴史では困窮した農民が逃散したことは習ったが、彼らがその後どうなったかは触れなかった。井伊直虎がやったことは優秀な人材をリクルートし、自分には無い技術を取得したことだ。
そして流れ農民の中に綿を織る技術を持ったものがいて、やがて当時手の届かなかった綿織物の生産へと発展し、井伊の村々は豊かになるという筋書きだ。当時の庶民の着物は麻で、それが着心地と保温の良い木綿へとグレードアップすることになる。当に庶民の生活に革命をおこしたと言っても良い。綿織物生産は農業から工業への発展で、江戸時代に唱えられた「経世済民」のはしりがこのドラマで行われている。
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