行雲流水

阿島征夫、一生活者として、自由に現代の世相を評す。時には旅の記録や郷土東京の郊外昭島を紹介する。

偉大な指導者リー・クアンユー氏の死去でシンガポールはどうなる

2015-03-25 23:19:08 | Weblog

リー氏はシンガポールが英連邦自治州になった1959年に首相に就任してから31年にわたり政権を担当。数年前に政治の表舞台からは退いていたが、2011年まで閣内にとどまり、影響力を持ち続けた。リー・シェンロン現首相は長男に当たる。

リー氏の最大の功績は、シンガポールを豊かな国にしたことだ。1965年マレーシアから離縁され、独立国家となったが、水の供給はマレーシアに握られ、最大のピンチであったが、その後金融経済の自由化政策をとり、31年間に、シンガポールの国民1人当たりの所得は米ドル換算で90倍にも達し、日本も超えた。同期間にこれほど所得を伸ばしたアジアの国はほかにない。偉大な建国の父と言われる所以だ。アジアではよく見られる権力者特有の腐敗はみじんもなく、政治家や官僚にも厳しい規律を要求した。

国民に対しても統制は厳しく、私が初めてシンガポールを訪れた時はカラオケも禁止され、日本人専用のバーで秘かに歌ったほどだ。今はカラオケはシンガポール人の娯楽に入り込んでいるが、路上での唾、喫煙は罰金の対象だ。報道や言論の自由、政敵らに対しては厳しい統制を加えたが故に欧米からは、独裁的と批判されてきた。

リー氏を初めて見たのは1990年だったか、メーデーに招待され、スタジアムで首相を譲ったゴーチョクトン氏と、大声援を受けていた姿だ。メーデーの後、シンガポールの中学生が見る映画館に案内され、シンガポールの建国歴史映画を見せられた。その映画の中では、先の戦争下、日本軍に占領され、多くのシンガポール人が虐殺された場面が出てきた。リー氏は歴史は歴史としてきちんと子供に見せ、野菜すら自給できない資源の限られたシンガポールの将来への道を示していた。日本は石油精製工場の建設や電子機械工場をつくり、リー氏に協力してシンガポールの発展に尽くしてきた。

偉大な指導者亡き後シンガポールはどうなるのか、数年後とみられる現首相(リー氏の息子)の退任で、シンガポールは一時代が終わりを迎えることになる。まもなく建国50年を迎えるが、リー氏が心を砕いた国民平等という点でも、所得格差の拡大、外国人労働者と現地雇用者の賃金格差、人口過密化、不動産価格の高騰などピンチをむかえている。シンガポール国籍保有者は現在330万人で、その多くはマレー系先住民や中国やインドからの移民の子孫で、近年は近隣のアジア諸国からの移民も増え多民族国家化しつつある。リー氏の一種の統制国家体制は自由と民主主義を求める若い世代の台頭で変わって行くことは間違いないだろう。波乱が起こることなく改革が進むことを祈る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする