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~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

全然平気はzennzenn兵器だ

2022年03月12日 | エッセー
 全然平気な人は、生きていくうえで、全然平気が兵器だ。
 しかも、最強の兵器だ。
 核兵器レベル。
 その美容師さんは、核兵器の扱いに長けている。ネガティブな感情で核兵器を使用するなんて愚かなことはしない。

 今でも思い出す。
 尊敬する母と子の心理カウンセラーS先生は、私に、怒りの感情が未分化です。だから、子どもたちは混とんとしていて、迷路に迷っていますと。
 正反対。
 その美容師さんと私は全く正反対の幼少期を過ごして生きてきた。

 彼女と私の違いはなんだろう?
 ①持って生まれた気質
 ②聡明な人生の達人レベルな母とぶりっこ母
 ③守るべき最愛なる気の弱いいじめられっ子の弟と気の強いわが妹

 まぁ、全て、運命か。

 ただ、ふと思った。
 ぶりっこ母という反面教師から、子育て支援(母になる否人になる支援)が見えてきた。ゼンゼン平気というカッコイイ生き方を人生の武器に(味方)にする育児なるものが。
 駄々こねしたりぐずったりのイヤイヤ期のママの対処の仕方が、実は、子どもの人生の最大の武器を付与してあげれるか否かとつながっているかもしれない・・・と。今、つながった。
 私の母のようにただ心配だけしかしないから、周りがめんどくさくなって大事なことを話さなくなるような、あるいは、私のように他人の言動に左右されて夜も眠れないような、そんな自分に自信のない人間こそ、駄々こねっこ、ぐずりっ子は神さまからの最高の贈り物かもしれない。

 幼い子どもが、駄々こねした時、お菓子とかスマホなどでごまかさない。ただ、気が済むまで駄々こねしていいよと温かく見守る。
 それを貫き通すと決める。

 1歳半健診の場などで、ママたちに
子どもが駄々こねしたときに、その場しのぎであめ玉を与える癖がついてしまうと、子どもは『ママなんてたいしたことない。私がちょっと駄々をこねたらいうことを聞いてくれる。ママなんてチョロイもんよ。』と舐められる。大人を舐める癖のついたまま思春期になると、大変だ。親は力で勝負できない。
 ぐずったら、DVD。
 ぐずったら、あめ玉。
 ぐずったら、スマホ。
 ぐずったら、ゲーム。


一度、この味をしめてしまったら最後、ママは、わかっちゃいるけど、ついついその場しのぎ人間になってしまう。そして、子どもは親を舐めるというサイテーな人間に成長してしまう。
 新米ママは、人間として、ダメなものはダメという毅然とした大人になれるチャンスをみすみす逃してしまう。その代償は大きい。
 子どもがぐずった時は、真剣勝負をさせてもらえる格好のチャンスなのに、もったいない。
 育児は、ほっとする場をどれだけ提供できるか。
 育自は、子どもとどれだけ真剣勝負できるか。
 それが、テーマ。

 わたしのように、人間関係部門でぜんぜん真剣勝負してこなかった傷つくのが怖いタイプの人間でも、子どものぐずりのおかげでそのチャンスを掴むことができる。なんとありがたいことか。
 ぐずった時に、それをめんどくさいと思わないで、真剣で勝負させてもらえるチャンスだと肝に銘じる。そもそも、あめ玉やスマホやゲームでごまかすことは、真剣勝負を挑んできた子どもたちに失礼だ。大学試験で、裏口入学をさせるようなものかもしれない。え~~っ、そんなに?って思われるかもしれない。でも、一度、あめ玉やスマホで宥めると癖になりやすい。人間だもの。    ぐずって、それを許されて、今までのうっ憤をギャン泣きしてはらして、すっきりできたら、再生する。人は真剣勝負をするごとに自分が好きになる生き物だと思う。きっと・・・。なのに、あめ玉やスマホで誤魔化されたら、自分を好きになるどころか、きっと、どこかでごまかした自分を嫌いになるんじゃないだろうか。                        
 あめ玉やスマホやゲームでごまかさないで、ダメなものはダメという真剣で毅然とする。なおかつ、ぐずりや駄々こねという子どもの真剣勝負に寄り添って気が済むまで温かく見守れたら、サイコー!

 
子どもが、ぐずりという真剣で挑んで来たら、親も真剣で返す。
子どもが、駄々こねという真剣で挑んで来たら、親も真剣で返す。

 それだけの日々の積み重ねで、親も子も全然平気という武器を手にいれられるはず。その人なりに・・・。

 
 
 全然平気でなかった自信のない人間の私は、彼らに、どれだけのzennzenn兵器をプレゼントできただろうか。
 例の美容師さんは、大好きな気の弱い弟をいじめられっ子から守るためにめちゃくちゃ強力で無敵なzennzenn兵器を自分の手で作り上げた。守るべき存在こそ、つまり、わが子の存在こそ、全然平気をゲットできる格好の出逢いといえる。育児を通して、育自と言われる所以はきっとそれだ。

  スマホでごまかさない  は、真剣 である。

 子育てって、ちっとも思いどおりに行かない!
 子どもを育てることの本当の意味は、この思いどおりに行かない体験をすることだと私は、今になって思う。子どもを産んだ時は、どう育てようなんてはりきっていたけれど、なんのなんの思いどおりにちっとも行かないという真剣を振りかざす子どもたちとの悪戦苦闘、試行錯誤の日々で、竹刀でスルーすることを許されないと、真剣で挑んできたんだから、真剣で返すしかないと悟った。

 しかし、真剣で生きてこなかったので、真剣を探すのにめちゃくちゃ手間取っている。今もその最中。
 あと10日で定年退職というのに、まだ、まだ、私の真剣を模索中だなんて、人生が足りない。

 子どもがちっとも思いどおりに行かない時は、子どもが真剣勝負を挑んできている時だと心得よ。
 逆に、手のかからないいい子は、真剣を隠して生きる道(自分から逃げる道)を選んでしまったのかもしれない。親が怖いからか親を助けるためか。

 俗に、子どもの問題行動と言われるそのすべてが、真剣で訴えているとしたら・・・。
 言葉にうまくできないから、問題と言われる行動でカラダを張って真剣で訴えているとしたら・・・。
 







 





 真剣 な心は、人を動かす。





 













 






 親ガチャという言葉が登場した。











 













 












 
 
 





 

















 

 












 














 
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