『幸せは食べて寝て待て』が静かなブームになっているよう。
NHKの水曜日22時のドラマは、今までもお気に入りだった。正直不動産しかり、燕なんとか、なんとか教室・・・。上質のドラマを提供してくれていて、NHKやるじゃんって思っていた。
主役の女優さんの静かな演技が、これまた、絶妙で、感情移入してしまう。
主役の女優さんが、今までは、相手を気遣う気持ちと罪悪感でノーと言えずに無理していたけれど、やっと、自分のカラダをいたわる方を選んで、ノーと言えて。でも、少しだけ、罪悪感が見え隠れしてくる自分との押し問答があって。でもでも、その罪悪感に打ち勝って、ノーと言えた自分をちょっと誇らしく思えてきた・・・というシーンがあった。
世の中には、平気でノーと言える人と、罪悪感から(自分が傷つくのが怖いから)ノーと言えない人がいる。平気でノーと言える人の中にも、ちゃんと思いやりの心はあるけれど、ノーと自分の気持ちを罪悪感なしに自然に正直に伝えられる人と自分は絶対正しいと信じ切って、相手は間違っているというスタンスでノーと拒絶する人がいる。こういう人は、罪悪感なんか微塵も感じない。
正義を振りかざす人は、怖い。
相手にも正義があるということがわからない。本当にわからない。
ただ、正義を振りかざす人は、必要悪の権化かもしれない。
ノーと言えない人にとって、まずは、親しい友人から、ノーという練習をさせてもらって、そこで、自分のカラダとココロを大切にする勇気を醸成していって、罪悪感を感じなくなったら、最終権化にノーと言える毅然人間になる。
そしたら、人生ゴールだ。
そう考えると、小学校でいじめられるって、かなり、ハードだ。
いきなり、最終権化登場だなんて酷だ。
無理だ。
そりゃ、学校に行きたくなくなる。
でも、考えてみたら、自分を守るために、学校に行かないというノーをカラダで訴えているってことだ。凄いノーだ。
親としてみれば、なんとか学校に行かせたい。
でも、小学生でいきなり最終権化と闘うなんて無理だ。
逃げるが勝ちだ。
私は、40代で初めて、いじめの洗礼を受けた。10年続いて胃がんになった。一人なら立ち向かえたけれど、二人がかりだったので、ノーが言えなかった。二人とも正義を振りかざしていた。ダブル正義だ。だから、言い返せない。公務員だったらとか、親だったらとか、保健師だったら・・・こうあるべきというような槍を言葉巧みに操り、痛いところを突いてくる。当の本人たちは、自分が正しいと本気で思っているので、罪悪感なんか微塵もない。あるはずがない。
あのね。
いじめっ子は、小さい頃から、そうやって正義っぽいことを巧みに操る訓練を日々積み重ねてきたプロだから、ほわーっと生きてきた人間は太刀打ちできないということを肝に銘じないといけない。
パチンコで初めて何万円もパチンコ玉が出て、依存症になっちゃうってよく聞く。おそらく、いじめっ子も幼い頃、正義っぽいことを言って、相手がしょんぼりなることでなぜか、快感を感じてしまったという初体験があるはず。
もともとの気質なのか、家庭が不快の多いおうちだったのか。
とにかく、ぎゃふんと言わせると快感を感じてしまったことがきっかけで、その日以降、ぎゃふん探しが無意識に始まったのだと思う。
ぎゃふんに病みつき。
10年ぎゃふん探しをやっていれば、そりゃ凄い。
SNSで、炎上。あれも、ぎゃふん探しで快感を感じてしまう人たちの格好の餌食になってしまったということかもしれない。
ぎゃふん人間が炙り出されている。
ぎゃふん人間は、正義を盾にしているので、まさか、自分がいじめているとは露とも思っていない。ここが、難しい。
ぜひ、『進撃の巨人』を体感してほしい。