総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

怒りを感じてはいけない教

2024年05月06日 | エッセー
 国際仙骨後頭骨学会の山口純子さんによると、
 骨の歪みは、自分の中の負の感情をなかったことにしようとする時に発生するという。
 人類の歴史は、戦争の歴史でもあって、その長い歴史の中で、近代のリベラルな世界観は、戦争が人の妬みや恨みや憎しみから引き起こされると考え、幼いころから『人を嫌ってはいけません。』『恨みからは何も生まれません。』『仲よくしましょう。』などという教育を行ってきた。
 その結果、負の感情を感じることへの罪悪感という怒りの感情よりもはるかに心にダメージを与える感情を持ってしまった。

 そんな時代に教育を受け、感じてはいけない教に洗脳された私たちは、急に『いいんだよ。どんな感情も感じていいんだよ。』と言われても、ピーンと来ない。だって、洗脳されているんだから。

 思春期に、『うざい』『クソババァ』『べつに』の三つの言葉を放ったら、子育て大成功と言われている。
 思春期に、親に『うざい』という言葉が溢れ出た時は、洗脳を解くチャンスだ。
 山口さんいよると、うっとうしい・きらいを抑えると頭痛になるという。
 原因不明の頭痛が続いていた女子高校生の事例。
 彼女は、仙骨が大きく歪んで、左側がちょっと下がった感じ。左側の場合、交感神経が刺激されてしまい、気が立った状態になって、その状態が続くと頭痛が起こりやすくなるそう。
 最近、カチンときたり、うっとうしいと感じたことはないかと尋ねても、ないという。
 ただ、AとBの二つの進路のどっちもやりたいことで悩んでいて、でも、本当は、今はAを選びたい。でもでも、Bのために親が奮闘してくれ、強く勧められたから、言い出せない。どっちもやりたいことだけれど、親がよかれと思って敷いたレールを選んで、もし、失敗したら、親のせいにしてしまう。Aを選んで失敗しても親のせいにはできない。
 
 彼女は、親が強く勧めることにうっとうしいと感じていた、そのうっとうしいの本当の気持ちは、人のせいにしないで自分で自分の責任を取りたいという思春期を乗り越えるために必須な疼きみたいなものだったと、山口さんとのやりとりで気づけた。
 彼女は、自分で自分の人生の責任をとりたいのに、親が強く勧めることにより、邪魔されて、うっとうしいと感じたということに気づいたことで、そして、自分で自分の進路を決めたということで、原因不明の頭痛とサヨナラできたそう。
 
 浅はかだった。
 私は、思春期に『うざい』『クソババァ』『べつに・・・』と親に言えたら、子育て大成功といわれるから、次男が『うざい』という単語を吐いたとき、単純に喜んだ。
 彼女は、親に『うざい』という感情が湧き出ることもなく、無意識にその感情を消していたから、頭痛という症状で、ココロがカラダに訴えたと言える。
 我が家の次男以降は、『うざい』と言えたから、大丈夫って安心していた。でも、長男は、優しい子で、『うざい』って言えない性格だった。中学1年の夏休みから、右下肢のリンパが腫れて、パンパンになって痛くてトイレまで行くのも大変という時期があった。朝、38℃の熱が出て、夕方、36℃代に下がるというマラリアと反対のような症状も続いた。
 その後の長男は、眼光鋭い無口な高校生となった。
 あの時の、長男のココロは怒りだらけだったと思う。それを、言葉でぶちまけられなかったから、ひどい身体症状を呈した。
   私自身が、怒りの感情が未分化ですと言われた人間なので、感情をキャッチするのも感情に名前を付けるのも表現するのもへたくそで、だから、きっと、長男の気持ちを察して、表現することもままならなかった。
 あの時、山口さんのようなカラダとココロのカウンセリングをしてもらえるような方に出逢えていたら、長男ももっと自分らしく生きれたのかもしれない。
 『うっとうしい』はおとなになるために大切な感情か・・・。


 最近、いいのかな?って気になることがある。
 国が1歳半健診や3歳児健診で、統一の問診を示している。虐待予防の観点から、最近、お子さんに怒鳴ったことがありますかという設問がある。
 はいと答える人は少ない。
 当たり前だと思う。
 怒鳴ったことがないということの方が、アンビリーバブルなのに、ハイなんて答えるわけがないと思う。
 あなたは、法定速度を破ったことがありますか?って、警察の人に聞かれて、ハイなんて答える人がいないのと同じように・・・。

 本当は、怒鳴ってしまって、夜、寝る前に、ごめんねって子どもの寝顔を見て涙することがありますか?っていう質問なら、素直に、ハイって答えらえて、悩み相談につながって、本当の意味での虐待予防になると思う。

 戦争の反省から、仲よくしましょうとか恨んではいけませんとかけんかをしてはいけません。となって、『怒りを消す教』の洗脳が蔓延している。
 育児の世界でも、『おもちゃは譲ってあげましょう。』『母親は、怒鳴ってはいけません。』『子どもの前での夫婦げんかは面前DVで子どもの脳の発達を妨げます。』

 怒りをしっかり感じて、しっかり表現する。
 自分の気持ちを消さないで、意識に刻んで、言語化したら、なんだかスッキリしてストレスが消えるという体験が、のびのびと飛び交うような社会になったらいいな。

 なんせ、私自身が、『怒りの感情が未分化です。そのために、子どもの心も混沌としています。』と宣告され、怒りを封印してしまったがゆえに、人生、かなり回り道をしてしまった人間だから。
 だから、怒りの感情を尊重したい。

 もし、私に娘がいたら、ちゃんと怒れる女性に育ってほしいと願う。
 保育園でお友達におもちゃを取られたら、ちゃんと『返して。』って訴えられる=怒りの感情をきちんと伝えられる子どもに育ってほしい。
 娘が、少しでも、むくれたり、ぎゅっと手を握りしめたり‥と、怒りの感情を早期発見に努めるし、もし、発見したら、その怒りを表出する手助けを喜んでせっせとする。

 娘も息子ももちろん同じだけれど、私が、怒りの感情が未分化ゆえに、怒りの感情剥き出しの夫(結婚後に判明した)に、なぜか、惹かれてしまい、結婚してしまったから。
 だいたい、惹かれ合うという現象は、電池のプラスマイナス、あるいは、北極と南極みたいな現象と同じなのだそう。
 つまり、男女は、自分と正反対のタイプに惹かれやすい。
 人類が生き延びるためのDNAの戦略なんだそう。極端にならない様に、プラスマイナスゼロに持っていこうとする。
 ほんと、そう思う。
 私もそうだった。
 自分にないものを持っていそうな人に興味をもってしまっていた。自分と似ていたら、つまんない。私が凡庸だから、そして、怒りの感情が未分化だから、怒りの感情の強い人を無意識に選んでしまう傾向があったような気がする。刺激的な生き方をしている男性に惹かれた。よく言えば、刺激的だけれど、要するに危険人物に興味をついつい持ってしまいがちであったということ。
 結婚前、夫の語る小中高の武勇伝は、魅力的だった。
 でも、結婚して、それは、単なるガキだったがゆえの行動だと、あるいは、怒りの感情剥き出しな行動だということがわかって、自分の判断力にがっくり(笑)。

 だから、私に娘がいたら、穏やかな結婚生活を送ってほしいので、ちゃんと怒れる女性に育てて、自分と正反対の人を無意識に選ぶときに、ちゃんと普通に怒れる男性に惹かれるようにしたい。
 私の二の舞はさせたくない。アッハッハ。

 イヤイヤ期も反抗期も、だから、めでたい。

 なのに、怒りを封印するようなこのご時世を危惧してしまう。
 怒りをきちんと感じて、上手に手放す方法を流布しないと、ヤバい。

 蓄積された怒りは、思春期に、外に発散するか内にこもって心身症になるか。内にこもった人は、外に発散するタイプの人に惹かれやすいかもしれない。そして、結婚して、DVに逢う可能性も高くなる。
 DVは、もちろん、よくない。
 でも、内に怒りを封印してしまいがちな女性が、本当の意味で人生を味わうためには、心の奥底に沈殿しているほんとうの気持ちを噴火させることがめっちゃ重要なことなのだ。
 爆発させるための、発火剤が、DV夫とも言える。
 それまでは、『言い返したい。イヤだと言いたい。できないと言いたい。でも、そう言ったら、どう反撃されるかわからない。怖い。無理。この場は、私が我慢して夫がキレないようにしよう。』というその場しのぎの思考が邪魔をして、怒りを封印してきた。理不尽に立ち向かう勇気がなかった。
 でも、いよいよ、夫がキレて私を殴った・・・時、その場しのぎ思考を一気に飛び越えて、心の奥底の怒りの封印が溶ける。 『いやだ~~~。やめて~~~。』という心の奥底から絞りだされた怒りの叫びこそ、宝物。
 思考は邪魔だ。感情こそ。
 ただ、夫がキレると怖いというのも感情で、でも、それは、過去の夫像という思考が、夫がキレたら怖いから、もし、言い返したらもっと怖いことになるかもしれないという不安予測を立てた結果の感情。言ってみれば、自分で勝手に不安になって、自分で勝手に怖がっている。この怖がりは、本物ではない。だって、思考に付随した感情だから。本物の感情は、思考を通過しない。
 今まで、攻撃されると傷つくという反応で生きてきたから、攻撃される前に手を打つ人生だったから。ずっと、本物の怒りの感情を押し殺してきた。
 それはそれは、強固。
 だから、その強固な自分の中にある怒りの感情の封印を解くには、それ相応の攻撃じゃないと溶けない。
 夫から、暴力レベルの攻撃を受けて、初めて、思考を飛び越えて、『やめてー。おかしいんじゃない。』という怒りの感情=ほんものの感情がほとばしる。
 皮肉なことに、DVにあって、そこで、無意識に封印していた怒りを表出できた時に、実は実は、喜怒哀楽の全てが大事という人生の再スタートラインに立てるという幸運のチャンスが訪れる。
 だから、DV夫は、必要悪。
 

 でも、叶えば、娘がDV被害になんて合ってほしくない。
 だから、娘が、怒りをしっかり感じて、安心して表現できるような母になりたかった。娘がいないので、今は、そんな母を増やしたい。

 せっかく、娘のイヤイヤ期にイライラするという自分に出逢えたのに、イライラすることはいけないことだとか怒ってはいけませんとママの沈殿した怒りを再封印する風潮は解せない。
 
 
 

 

 
 
 

 

 ところで、片頭痛は原因不明の頭痛というのだろうか?
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 骨が歪まない、お前もか | トップ | 小さないいな »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

エッセー」カテゴリの最新記事