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進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

JPN48なんていらない。あくまで『AKB48』であるべきだ。

2012-08-12 17:10:04 | AKB48_オピニオン
世間はお盆休みですか。

いろんなところが静かですね。

私は自宅で独りたまった仕事をしてたら、いつのまにか寝落ちしてましたよ (´ω`*)

飲まされ過ぎて疲れた身体を鼓舞して酒を飲んだのがよくなかったです(笑)

そして大量に贈りつけられてきた桃を剥いて食べたのですが、桃の皮を剥くのはレベル高いですよね。

リンゴとはワケが違ってノウハウが必要ですね。


独りだとついニュース番組いっぱい見ちゃうんだけど、ワイドショー脳になるのがわかる・・w

見てて特徴的だな~と思ったのですが、番組として「○○が問題だ」と主張するときに論拠を示すのではなく世論などの意見や意識を使うのね。

世論に対する意見を世論から持ってくるんだから、循環論法になってますね。

議論の結果も根拠も循環しているから、議論の責任の所在が曖昧になってるわけですよ。

ここでも聖徳太子か(笑)

「和」を以て貴しとなす


循環しているからネタには尽きないと思うけど、いつになっても議論が昇華しないですからね。

意図的にやってるのだとしたら、悪質ですね。

でもまぁ、どの組織もこの手のシステム的議論ができなくて袋小路にはまっているので、意図的ではないのかもしれません。


◆◆◆◆◆◆



閑話休題。



いちいち反応しなければよいのですが、運営の構想に「JPN48」があるという話する人がいますけど、本当でしょうか?

私は、そんなことあるわけないと思うのです。

「JPN48」があって嬉しいことが何かあるのでしょうか?

「JPN48」によって何かできることがあるのなら、それもいいでしょう。



ただね、一つ気になることがあるのです。

もしJPN48構想があるのだとしたら、それは単に批判から逃げたいだけなのではないかと思うのです。

争いを避けるために、向き合うべきことからから逃げてるだけじゃないかと。



率直に意見を述べさせてもらいます。

もしJPN48構想があるのだとすれば、愚かな考えとしか思えません。

私がその場にいたら「JPN48構想」反対します。

「JPN48」をつくったら「AKB48」をどうするのか?

AKB48の全てが、あらゆるものが『AKB48』に向かっていき、あらゆる活動や想いが『AKB48』に凝縮していくことが何より大事なのです。


『AKB48』とは何か?
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/af87f1dafba669f391cb2f4b218cfd2b


今『AKB48』の音を問い直してみると、実によくできている。

たとえば「ふぉーてぃーえいと」という音。

「さーてぃーえいと(38)」でもなければ「ふぃふてぃーえいと(58)」でもなく、

「ふぉーてぃーふぁいぶ(45)」でもなければ「ふぉーてぃーせぶん(47)」でもなく、

「ふぉーてぃーえいと」であったことの有意性。

これはもうセンスでしか語ることのできない曖昧で抽象的でふわったした話なのだが、

「えーけーびー、ふぉーてぃーえいと」で表現したいものは、ずばり、そのふわっとした情緒的な期待感なのである。


私は『AKB』が「秋葉原」に由来していることは、説明を欲しがる人にはしておけばよいと思っていて、

しかし、その実は意味ではなく音だということの方が重要だ。と思う。


そうすることで、「『AKB48』とは何か?」という問いに対する多様な解釈を生み出すことが可能になる。

それが多種多様な価値観を生み出し、メンバーを含めたAKB48関係者や消費者が物語を紡ぐことを助けるのだ。

そうして基礎づけられたアイデンティティー「物語」が『AKB48』へ還元し、「AKB48」は進化し続ける。



AKB48にとっての最高の資産は『AKB48』というブランドなのですよ。



例えば、絶不調の日本のエレクトロニクスメーカーについて考えます。

ソニー、パナソニック、東芝、・・・

サムスンやLG、はたまたホンハイなどに対抗するために合併して「ジャパン・エレクトロニクス」などと名乗ると思いますか?

名乗るわけないと思いますよ。

私はね。

ソニーとパナソニックが合併して「ソニー・パナソニック」はあるかもしれないけれど、「ジャパニックス」(センスなくてごめん・・)とかにはならんわけですよ。

行政主導で合併させられたらあるかもね。

ソニーが主導で合併すれば『ソニー』、パナソニックが主導で合併すれば『パナソニック』になるのが普通。



当たり前なのです。

「何のために事業活動するの?」という単純な動機の話が重要だからです。

ソニーは『ソニー』のために、パナソニックは『パナソニック』のために仕事するわけです。

同じようにAKB48は『AKB48』のために仕事するのです。

『JPN48』のためにできるわけがない。



ありがちなんだけど、ついつい↓こんなこと考えちゃうのはわかります。






いろんな企業の説明(ホールディングス化や合併)などで見ることのありそうな感じですね。

しかし、これ企業の資本構造や組織構造の話で商品ブランドの話ではないですよね。

整理したい欲求は「ホモ・オルド(整理人)」としてやめられないかもしれませんが、「過ぎたるは及ばざるがごとし」です。

何が大事なのか混同したらだめです。

みんなが納得するとか、そういう基準で決めたらだめね。


やすす先生が、昨年末のWSJでのインタビューで答えていたように、AKB48は、あくまでも『AKB48』であるべきです。


AKB48を創った男
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/fccb6a6b91474c53082190b49b06a4cf


つまり、↓こういうことです。






前にも語ったことがあるのですが、秋葉原を拠点にして活動している「AKB48」も支店(1グループ)なのですよ。

『AKB48』ブランドのね。



◆◆◆◆◆◆


■ [追記] ■

「JPN48構想」なんて如何にも・・・・が提案するような表面的で中身のないアイディアだと思います。

一見、それなりに理屈が通っていそうに見えますが、典型的な合理的に滅ぶパターンに見えます。

理屈は通ってますが、そもそもの問題定義が間違っているので、その間違ったフレームワークの中で合理的でも意味がないのです。

そういう意味では48グループが失敗例のケーススタディとなるため、先行して失敗する意味はあるかもしれません。

えぇ、かなりブラックですが、そのくらい私はこのアイディアにネガティブです。

いや、提案する人はいるとは思いますが、まさかやすす先生が受け入れるとは考えていないので、本当のところネタ的な扱いをしています。

が、ちょっと心配です。

だから一言いわせてください。

あまり言うとうざったいフラグ立ちそうなので、このくらいにしておきます。


敬愛するAKB48運営様


JPN48に手を出してはなりません。

海外姉妹グループも全て『AKB48』に統合するべきです。

海外も含めた全グループのエネルギーを「48フォーマット」という媒体を通じて『AKB48』一点に集中させる。

これを外したら、何のための「48フォーマット」だったのでしょうか?

本末転倒です。

間違っても目先の利益に目を奪われて、本質である『AKB48』の価値を貶めることのなきよう、願うばかりでございます。


ネットの片隅から愛を込めて

新劇場をつくるとともに、チーム構成を16人→12人にしてみるとか

2012-08-11 18:43:28 | AKB48_軽ネタ

「組閣」みたいなメンバーの入れ替えは必要ないが、

それとは別の基準で、チーム構成を変更するのはありだと思う。

私は以前から、1チームの構成人数として16人は多過ぎると思っている。


なぜ「チーム」を活動の基本単位とするべきなのか。 ~チーム学習のススメ~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/16f7d7e6a8ae2af8c876c1875a9b2019


チームの最適人員数
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/4c08df9971d936900bc3c69a6b0958af


劇場公演やいろんなものの編成が16人で最適化されているのかもしれないが、思い切って12人にしてみたらどうでしょう?

16人 → 12人 or 10人

12人 * 4 = 48 だし、ちょうどいいのでは。


今:
16人 * 4Team(A/K/B/4) = 64人


変更後;
12人 * 5Team(A/K/B/4/8) = 60人



64人 → 60人 でぴったしじゃん(笑)


公演を用意するのが大変とか、そんな細かい話はどうでもよい。

オリジナルである必要も無いし、もしくは、そこに優先的に投資すればよい。

チームが増えると公演回数が?

だから「新劇場」をつくればよい。


新劇場による「劇場への原点回帰」こそがAKB48の再生だ ~事件は現場で起きるんだ!~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/bdaaf2ea3af9f54f875a358221dc674c


AKB48第2幕は、新劇場&チーム12人でよいのでは?


枠が小さくなるからアサインが難しいとか、他のグループはどうするの?という話もあるが。

なぜ「チーム」を活動の基本単位とするべきなのか。 ~チーム学習のススメ~

2012-08-11 15:50:36 | AKB48_経営戦略・組織論系

今回はgooブログの文字数制限いっぱいで難しい・・1文字単位で削ってます(汗

当Blogはプロトタイプ段階でもエントリをリリースして後にデバッグしながら精度を上げていくのを基本としていますので内容は少しずつ変化していきます。


◆◆◆◆◆◆


チーム4を応援していると、こう言われる。


なぜ「チーム」にこだわるのか?


今のAKB48で「チーム」にこだわる必要はあるのか?


「チーム」に意味がないのだから組閣の意味がない。



もちろん主張するのだから理由はあるし、意味がないから組閣しないのではなく、チーム4の意味があるから今は組閣してはならないのだ。


◆◆◆◆◆◆


■なぜ「チーム」を重要視するか


個人としても組織としても、成長するのに「チーム」ほど優れた媒体はない。

チームが学習する時、チームとして驚くべき結果を生み出すだけではなく、個々のメンバーも、チーム学習が無かったら起こり得ないような急激な成長を見せる。


また、チームが学習できなければ、組織は学習し得ない。

個人の学習は、あるレベルでは、組織の学習と関連がない。

個人が常に学習したところで、まったく組織の学習にならないからだ。

しかし、チームが学習すれば、組織全体の学習の縮図になる。

チームが得た洞察は行動に移される。

チームで開発されたスキルは、他の個人に、他のチームに展開することが可能だ。

チームが成果を上げることで、より大きな組織のために協力して学ぶための方向付けと基準が確立される。

それゆえ、現代組織における学習の基本単位は「個人」ではなく「チーム」であり、「チーム学習」が極めて重要となる。


チームの重要性について語るにあたって参考図書として、下記2冊を使いながら私見を述べたいと思う。

ピーター・M・センゲ『学習する組織』藤本隆宏『ものづくり経営学』だ。

   




■チーム


チームの定義は「ある結果を生み出すためにお互いを必要とする人たち」のことである。

ピーター・ドラッカーは「個人が組織に忠誠を尽くすのは、組織の繁栄が個人の繁栄につながる」という互酬性の概念でチームを説明したが、私はより本能的な部分で人間は協調し合う存在だと考える。

激しい生存競争に生き残るために、人は協調することを本態的なものとして身に着けたのだ。


如何にして顧客の日常となり得るか ~ 「ゼロの力」とググタスの未来 ~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/4c9821ec2aceb2416ab5aa3af807c062


人は生まれながらにして、チームを受け入れる下地を持っていると、私は考える。


チームの最適人数については、以前にも述べたように、グリーンベレー(アメリカ陸軍特殊部隊)の研究により、生産性が最も高くなるのは8人前後と言われている。

(なのでどの世界でもチームは6~12人組むことが多い。そういう意味でAKB48の16人は少し多い。本当は10人くらいにしたいところだ。)

協調し合える上限としてはダンバー数(150人程度)という説もあるし、それをSNSが拡張しているという論説もある。


チームの最適人員数
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/4c08df9971d936900bc3c69a6b0958af




■チーム学習


チーム学習とは、メンバーが心から望む結果を出せるようにチームの能力を揃え、伸ばしていくプロセスである。

チーム学習においては、共有されたビジョンがあって有能な個人の集まりというだけでは不十分だ。

有能な個人の集まったチームが、しばらくビジョンを共有することはできるが、学ぶことはうまくいかない、という例は世の中にいくらでもある。

優れたアンサンブルは、才能があり、ビジョンを持っているが、本当に大切なのは「ミュージシャンが心を一つにして演奏する術を知っている」ことなのだ。

チーム学習には、個人のスキルや個人が理解しなければならない領域も必要であるが、本質的には集団的なモノ(理論と技術の体系)が最も必要だ。

したがって、

私は個人としてチーム学習を習得している


などということは有り得ない。

それは

私は個人として優れたジャズ・アンサンブルの実践を習得している


というのと同じくらい奇妙な主張である。

優れたアンサンブルは、個人だけでは実現も習得もできない。

集団的なものなのだ。

ジャズ・ミュージシャンはこれをよく理解している。

ジャズには「グルーブしている」という表現があり、アンサンブルが「一体になって演奏している」状態を指す。

しかし、この体験は言葉で表現するのは難しい。

だが、言葉にしにくい割には、ハッキリと実感できるものでもある。



そして、チーム学習には練習が必要だ。

しかし、この「練習」こそが、現代の組織におけるチームに欠けている。

稽古もせずに素晴らしい劇団や交響楽団をつくるなど有り得るだろうか?

練習せずに優勝できるスポーツ・チームなどあるだろうか?

現実には、チームが学習するプロセスは、練習と本番の絶え間ない繰り返しであり、練習、本番、また練習、また本番と続く。

(独立系研究機関としては世界最高峰)米SRI社長のカーティス・R・カールソンはこれをイノベーションを生み出す「叩き上げのプロセス」と呼んでいる。


しかし、その重要性にも関わらず、「チーム学習」はまだあまり理解されていない。

これと同じような練習の機会を、どう経営や組織に組み込むのかを、我々は学習し始めたばかりだからである。

チーム学習による効果がもっとわかりやすく説明できるようにならない限り、チーム学習は「よくわからないもの」の域を出ないだろうし、チームが学習すると何がおきるかについて何らかの理論を持たない限り、個人が集団の圧力に屈して順応する「集団順応思考(グループシンク:集団浅慮)」と「集団の知性」との違いも区別できないだろう。

これは大きな課題だ。



■組織に根付くチーム学習を阻害する防御本能


実は、組織にはチーム学習を妨害する強い力が内在している。

どんな組織にも、その組織を守るための防御システムが深く根付いており、これがチーム学習(つまりは新しい何かを学ぼうとする思考および行動)を阻害する。

詳細を説明しないが、この妨害する強い力の最たるものは「習慣的な防御行動」と呼ぶものだ。

これは一種の習慣的な反応で、効率よく恐れや困惑から自分や他者を守るものの、学習も妨げてしまう。

(組織や個人を守るために必要なものであるから厄介なのだ。)


たとえば、意見が衝突した時によくやるのは、相違点を「丸く収める」か、無制限の「勝者総取り」的な自由討論の中で「遠慮なく意見を言う」かのどちらかである。

これは「抽象化論争」に繋がりやすく、結局何も生み出されないことがある。


この力に気づかないでいると、どんなに努力しても効果は出ない。

むしろ、どんどん効果が裏目に出て、学習がより一層阻害される。

チーム学習には、学習を阻害するチーム内の相互作用のパターン(防御パターン)に気づく方法や、これに創造的に対処する方法を学ぶことも含まれる。


先述したように、チーム学習に関して何らかの理論を持たない限り、個人が集団の圧力に屈して順応する「集団順応思考」と「集団の知性」との違いを区別できないだろう。


チーム学習を困難にしているものとして、以前述べた学習の難しさもある。


高橋みなみの努力、原みづきの努力、やすす先生の努力 ~努力と競争戦略と学習のトリレンマ~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/955b300923bbc4c6a1a256fab4a5c0df



■ダイアログとディスカッション


チーム学習はダイアログ(dialogue)ではじある。

それは、チームのメンバーが、前提を保留して本当の意味で「共に考える」能力のことである。

「ダイアログ」の語源は「対話:ディアロゴス」であるが、ギリシャ人にとって「ディアロゴス(dia-logos)」は、

個人では得ることのできない洞察をグループとして発見することを可能とするような、グループ全体に自由に広がる意味の流れ


を意味した。

興味深いことに、ダイアログという習慣は、アメリカ・インディアンの文化のような、多くの「原始的な」文化の中で守られてきたが、現代社会ではほぼ完全に失われている。

今日、ダイアログの原則と習慣が再発見され、現代の状況に適用されはじめている。


「ダイアログ」は「ディスカッション」とは異なる。

ディスカッションは「叩打(パーカッション)」や「衝撃(コンカッション)」を語源としていて、文字通り、勝者が全てを得る競争の中で考えを互いにぶつけ合うことである。

ダイアログでは、複雑で微妙な問題を自由かつ創造的に探究し、互いの話にじっくり「耳を傾け」、自分の考えを保留する。

対照的に、ディスカッションでは、様々な考えを発言したり、弁護したりして、その時に下さなければならない決定の裏付けとなる最善の考えを追求する。

ダイアログとディスカッションは、潜在的には補完し合う関係にあるが、ほとんどのチームには、両者の違いを見分け、意識して使い分ける能力が欠けている。



■ダイアログを巡る知の潮流


現代物理学の有名な「不確定性原理」を定式化したヴェルナー・ハイゼンベルク『部分と全体 -私の生涯の偉大な出会いと対話』の中で、こう語っている。

科学は対話に根差している。様々な人々の協力が最も重要な科学的結果に至ることがある。


ハイゼンベルクは、協力して学ぶことの驚くほど大きな可能性、集団になれば個人的にできる以上の洞察力が深まり、知性が高まること、を示している。


チーム学習に大きく貢献したのは、現代物理学者のデヴィッド・ボームだと思われる。

ボームは量子論者で、集団が「より大きな知性の流れを受け入れるようになる」ための「ダイアログ」の理論と方法を発展させるのに尽力した。

ボーアは2つの大きな知的な潮流の統合を試みた。

「システム的あるいは全体論的な自然観」と、もう1つは「認識と行動の間の相互作用」である。

ボームはこう語っている。


量子論に示唆されるのは、この宇宙は基本的に不可分の全体だということだ。

たとえマクロなレベルで見れば個々の部分に分割できるように見えるとしても。

とりわけ量子論レベルの精度ともなれば、観測機器と観測対象はそれ以上縮小できない方法で互いに関係し合うということになる。

したがって、このレベルで考えれば、認識と行動は切り離せないものである。


わかりやすくいえば、今起きていることが、どれほど自らの認識に左右された自らの行動の結果であるかに目を向けるということだ。

ボームは、科学の目的は「知識の集積」ではなく、私たちの認識と行動を導き、形作り、恒常的な「自然と意識の間の相互作用」をもたらす「メンタルマップ」の創造だと主張した。



■劇場というパラダイム


劇場(theater)」と「理論(theory)」の語源は同じ「見ること(theoria)」だという。

現実が変化しても、劇場は依然として変わらない。

私たちは、この劇場の中で活動している。

問題を定義し、行動を起こし、問題を解決する。

この劇場を生み出した、もっと大きな現実との接触を失いながら。

誤解して欲しくないのは、それが必要だから我々は劇場を使う。

いろんなものを諦めながら我々は決める。


揺れ動く恋心 ~「選択の自由」と「報酬の不規則さ」の曖昧な関係~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/be92949e9750b92b79177e0a876afe2a


ほとんどの思考はそもそも集団的なものである。

たとえば、「言語」は完全に集団的なものである。

そして言語がなければ、知ってのとおり、思考はそこに存在し得なかった。

私たちがもっている前提の大半は、文化的に容認されている前提の集積から得たものだ。

本当の意味で「自分で考える」ことを身に着ける人はほとんどいない

(そういう人は必ず「誤解」される。常識を逸脱する「天才」か「変人」のどちからとして)


それゆえ、先に紹介したボームの言葉の意味が重要になってくる。

取り組むべき重要な課題は「メンタルマップを創造すること」だ。

普段、当Blogで物語と呼んでいるものだ。


※ここをもうちょ深堀したい・・が文字が足りない



■チーム学習における知識移転


チーム内で起きる「知識移転」について「ティーチング」の観点から少しだけ触れておきたい。

人が人に教えることによって発生する効果についてだ。

「ティーチング(教える)」には3つの便益があるという。


・相手に対するティーチングの貢献

もちろん、ティーチングのやり方次第なのは言うまでもない。

下手なティーチングはラーニングを阻害さえしかねない。

かたや上手なティーチングは、暗黙知の形式知化につながり、複雑性を低下させて、因果関係を明確化し、ラーニングを促進させる。


・ティーチングが自らのラーニングに直接的に貢献する

相手を効果的にティーチングしようとすれば、ティーチャー(教え手)はラーナー(学び手)を理解する必要がある。

理解を通じて相手の能力などについて、様々な知識を得る。

この知識こそ、まさに「ラーニング」である。

「教えることは学ぶこと」なのである。


・自らの内なる能力の構築を促進する

ティーチャーは、自らの能力そのものの内容を、分析、認識していなければならない。

それは、自らの能力をより明確化することに他ならない。

能力を明確化する分析や取り組みのプロセスは、相手に対するティーチングを駆動させると同時に、ティーチングする自身の能力に関わる深い知の獲得を促す。

この知識は、自らのそれと異なる環境を持つ相手に対峙する時に、発生する可能性が高まる。

異なる環境下で、自らの能力が機能すべくティーチングすることは、より高度なラーニングの引き金になり得る。


なぜAKB48は予定調和を壊し続けることをモットーとするのか? ~多様性とイノベーション~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/a6c037c1f0413c59b507b4c0357c8227


・ティーチングには3つの条件が必要

モチベーションと能力が必要。

組織として学習する能力がなければならない。

相手を正確に評価できなければならない。


ストーリーの文脈(物語)の中における自分の役割を理解し、自らの能力をたえず開拓し、それらが相互に切磋琢磨することによるダイナミズムが、知識移転と組織学習を可能とするのだ。



■チームの中核的な学習能力を伸ばすアプローチ


文字数制限にひっかかるので、最後に簡単にチーム学習において重要となる3つのキーと5つの方法論を『学習する組織』から抜粋しておく。

ピーター・M・センゲは、チームの中核的な学習能力を伸ばすアプローチとして3つを主張している。

・志の育成

・内省的な会話の展開

・複雑性の理解


また、その方法論として5つ説明しています。

(本当は「ディシプリン」という言葉なのだが、説明しずらいので言葉を変えています。)

・システム思考(複雑性を理解するための思考法)

・自己マスタリー(熟達、わかりやすくいうと「匠」とか「極み」みたいな話)

・共有ビジョン(ビジョンの共有だと思って)

・メンタルモデル(先述した劇場とパラダイムの項を好意的に読んで欲しい)

・チーム学習(本エントリのまんま)


伝えるのが難しいのだけど、簡単に説明する。

まず、何事においても「志」は重要。

志がなければ何もはじめられない。

だが、志の育成を考えるにあたって、複雑性の理解が大事。

なぜなら、世界と言うのは複雑なもので、先述したように個々人と全体は不可分なものだから。

個々人の目指すところや理想などを追求するにあたっては、全体に対する理解、全体と個々人の相互作用の関係性などへの理解が必要。

その理解を深めるためには、内省的な会話の展開が不可欠。

また、それが志を育て、それが志がそれらを推進する。

この3者が好循環していくことで、その3つともに育まれていくものなのだ。


で、その方法論として挙げられているのが上の5つだがここでは述べない。



■そしてチーム4に話を戻す


文字数が足りない・・

本エントリの内容を総合して(笑)

【ドウデモ】 なんのために解散するのよ。

2012-08-11 14:12:24 | ブログ情報(News Release)
野田さんもずいぶん追い込まれてるなぁ・・。

衆院の解散総選挙に関する話だけど、太平洋前夜の日本みたいな雰囲気だと思う。

(いや、もちろん、その時代に生きてないから当時の雰囲気なんてわからないけど・・。)

何のために解散するのよ。

話が進まないから?

なぜ?

話し合わないからではなくて?

みんなで成長しようよ。

もちろん私も成長しなきゃいけない。

「ダイアログ」ね。


なぜ「チーム」を活動の基本単位とするべきなのか。 ~チーム学習のススメ~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/16f7d7e6a8ae2af8c876c1875a9b2019



今が気に食わないから変えろ?

嫌いなことから物事を変えることはできないんだよ。


チーム4のメンバーを入れ替えたところで、問題は何も変わらない
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/bf007919e6f741b14ea38f27b5e1fb68


そんなことしてるから付け込まれて・・

「伝える」ではなく、「伝わる」努力

2012-08-11 01:15:36 | AKB48_軽ネタ
ハマ市民としてムネアツです。





ちくしょう。

みんな夏を満喫してるなーいいなー(笑)


◆◆◆◆





伝える技術や道具は世に溢れている


しかし、人は人に理解させることはできない。


人は人に理解を与えることはできないし、与えてもらうこともできない。


想いに実態も形もないから、取って渡すわけにもいかない。


最後は自分で理解するしかない。


だから本質的に人は孤独なんだ。


完全な伝える技術や道具を持たない。


本態的に人は弱い。


独りだから。




伝わるのだと、信じるしかない。


人は自分で理解するから。


想いは伝わるもの。


伝わっていくもの。


伝える努力、ではなく


伝わる努力


さぁ、一歩先に進もう。



◆◆◆◆


なんじゃこりゃぁぁぁああああ!!!


AKB48はプールOKなの?!






みんな夏休みを満喫しやがって・・


ちょううらやましいぃいい


(あっ、NGOは夏休みなんかないか・・)

おそるべし韓流

2012-08-07 11:46:00 | ブログ情報(News Release)
某国から書き込んでいます。

VPN経由で書き込めばアクセス制限を回避できるのはわかりました(笑)



この国に来るのは初めてではないのだが、なぜか今回は韓国人と間違えられる。

こっちではオシャレ男子というと韓流というイメージが定着してきてるらしい。

確かに、街中を見てもオシャレ男子は韓流っぽい。

現地の人に聞いてみたところ、韓流アイドルが人気らしい。

話には聞いていたが、女子ではなく「男子」にまで浸透しているとは・・。

ソフトの力で確実に浸透してきている・・おそるべし韓国。



そして、なぜかいつもこの国に来ると10歳近く若く見られるのはなぜなんだ・・

この国の人が老けてるだけだと思うが(汗

揺れ動く恋心 ~「選択の自由」と「報酬の不規則さ」の曖昧な関係~

2012-08-06 00:29:31 | AKB48_行動原理系
さて、ニワカな知識でAKB48について語るシリーズの続編です。


「変化」も重要だが、本質的な「絶対量」を忘れてはいけない。いつだって基本が大事。
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/bdf7548f7139201858d41566e5880152


指原莉乃が背負ったカルマ ~優越性ルールの侵害~ [途中] ←途中のままだ・・
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/85e5b4bb6e4a707ea700e555bca5051c


人はおとりに釣られる。 相対性の前では全てが錯覚。 ~おとり効果~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/7fc79b658340efabf6fb9461cbf8231d


如何にして顧客の日常となり得るか ~ 「ゼロの力」とググタスの未来 ~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/4c9821ec2aceb2416ab5aa3af807c062


エンターテイメントが感動を求めてやまない理由 ~ピーク・エンドの法則~ [作成中]
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/1437ce8f735583fa0634880965a7d219


AKB48と自分のモノという意識の深い関係 ~所有意識~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/e763b2d0812b7407b30562276345df02


人と違うことは良いことなのか? ~独自性欲求~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/1f96c889e6710c1b2bddda22cc72366e


今回の参考図書はダン・アリエリー『予想通りに不合理(増補版)』です。





◆◆◆◆◆◆



■揺れ動く恋心


こんな経験をしたか、もしくは聞いたことはないだろうか。


元カレ(元カノ)と今カレ(今カノ)の間で揺れ動く経験。


架空の女性マリ(まりやぎのマリね)は元カレと今カレの2人について悩みを抱えていた。

マリの前には、2つの選択肢がある。

新しい彼にエネルギーと情熱を注ぎ込んで、(できることなら)長く続く関係を築く。

あるいは、消えかけている元カレとの関係に時間と努力を注ぎ続けることもできる。

元カレより今カレの方が好きなのはハッキリしていたが、マリは元カレとのこれまでの関係を手放すことができないでいる。

そうこうしている内に、今カレがそわそわしはじめた。


マリにこう質問してみる。

「君は、そうまでして愛する今カレを失う危険を冒したいのかい?」
「今カレとのデートを重ねているうちに、やっぱり元カレの方が好きだと気づくかもしれないという万に一つの可能性のためだけに、吹っ切れないのでいるのかい?」

すると、マリは首を横に振り、泣きながらこう言った。

「いやです。」


選択の自由というのは、何がこれほどまでに難しいのだろう?

たとえ大きな犠牲を払ってでも、できるだけ多くの選択肢の扉を開けておかなければならない気がするのはなぜだろう?

私達は、なぜハッキリした態度を取ることができないのだろう?


■扉ゲーム実験


MITで行われたコンピューターゲームをベースとした実験「扉ゲーム実験」の結果を使って、人間の選択に関するある特徴を浮き彫りにする。


実験1:

コンピューター画面に「赤」「青」「緑」の3つの扉が現れる。

被験者は、3つの扉どれかを開いて部屋の中に入る。

部屋の中をクリックすると、1クリック毎に賞金が手に入るが、その額は部屋によって異なる。

額は部屋ごとに変るが、固定ではなくある範囲でランダムで決定される。

クリックの上限は100回だ。

簡単な実験だ。

この実験で最大にお金を稼ぐには、最も高い賞金が用意された部屋を見つけて、その部屋でクリックしまくることだ。


実験結果は予想通りとなった。

最初に3つの扉すべてを開けて部屋に入り、最も賞金の高かった部屋に戻ってクリックしまくるのだ。


考察:

単純な設定とハッキリした目標(この場合はお金を稼ぐ)が与えられれば、人間は誰でも、かなりうまく喜びを追い求められる。

この実験をデートに置き換えると、マリは1人目の相手と試しにデートし、別の相手でも試し、そのうえ3人目にも浮気したことになる。

3人みんな試した後は、最高の相手に戻り、ゲームの最後までそこで過ごした。

しかし、マリはハッキリ言ってたいして苦労していない。

他の誰かと浮気している間に、それまでの相手はマリが自分の腕の中に戻ってくるのをおとなしく待っていたのだ。

もし、そうではなく、しばらく放っておいたら他のデート相手がマリに背を向けるとしたらどうだろう?

選択肢が閉ざされはじめても、マリはそのままにしておくのだろうか?

それとも、できるだけ長い間、すべての選択肢にしがみつこうとするだろうか?



実験2:

実験1に手を加えることにした。

今回は、どの扉もクリック12回分のあいだ放っておくと、永久に消えてしまう。

しかも、1回クリックする度にその扉は12分の1ずつ小さくなっていく。


(長くなるので経過を省略するが)

結果は面白いものとなった。

実験1の結果より、実験2の獲得金額がかなり小さいものとなったのだ。


考察:

被験者は、扉が閉ざされてしまわないよう必死になってしまったのだ。

この実験からハッキリわかるのは、あちらこちらへと目まぐるしく動き回るのは、ストレスになるだけでなく、不経済だということだ。

毎日一つや二つ新しい扉が加わる日々の生活のことを考えると、はたしてこれが効率的な方法なのだろうか。


実験3:

実験2に、手を加えることにした。

扉をあける費用を3倍にしたのだ。

部屋の中でクリックするのに消費するのは1回だが、扉を開ける(部屋を移動する)のにかかる費用を3倍にしてみた。

結果は、実験2と変らなかった。

被験者はみな、選択肢を保持し続けることに熱中したのだ。


実験4:

実験3に、手を加えることにした。

各部屋で獲得できる賞金の正確な金額を事前に被験者に伝えた。

それでも結果は変らなかった。


実験5:

実験をやる前に、練習をしてもらってから実験をすることにした。

それでも結果は変らなかった。


実験6:

「復活」オプションをつけてみた。

12回放置すると扉は消えるが、1回クリックすると扉は復活するようにした。

だが・・意外にも被験者は扉を消さないように必死になった。



失うと思うだけで耐えられず、選択の扉が閉じるのを防ぐためにできることなら、なんでもしたいというわけだ。


■価値のない扉に惑わされる


無用の選択肢を追い求めたくなる不合理な衝動から自由になることはできるのだろうか?

近代では、人々は機会がないことではなく、目まいがするほど機会があり過ぎることに悩まされている。

私達は、やりたいことは何でもやれるし、なんでもなりたいものになれると、言い聞かせられ教育されている。

私達は、あらゆる方向に自らを成長させなければならないのだろうか?

人生の全ての側面を味わわなければならない?

死ぬまでに見るべき1000ものモノのうち、999番目で止まっているか、しっかりと見届けなければならないのか?

私達は無理に、いろいろなことに手を広げすぎてはいないのだろうか?

扉ゲームの中で、扉から扉へ走り回る人間の行動は十分に奇妙だ。

しかし、もっと奇妙なのは、ほとんど価値のない扉、消えかけているチャンスや、自分にとってほとんど興味のないチャンスを追いかけたいという抑えがたい衝動だ。


マリは、元カレにはまず見込みがないと既に結論を出していた。

なのになぜ、今カレとの関係を危険にさらしてまで、魅力に変える元カレとのしおれかけた関係に栄養を与え続けるようなまねをしたのだろう。

同じように、私達は安売りしている品物を見て、ほんとうにそれが必要だからではなく、バーゲンセールが終わるころには全て売れてしまって二度とその値段で買えなくなるからという理由で、特売品を何度買ってしまったことだろう。


ダニエル・カーネマンは「保有効果」を使って、この特徴を説明している。


AKB48と自分のモノという意識の深い関係 ~所有意識~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/e763b2d0812b7407b30562276345df02



■価値のある扉を忘れる


扉ゲームは消える扉がわかりやすいからいい。

だが、実際には扉が消えていくということに気づかないことが多い。

人生の中で、本当に消えかけている扉があり、すぐに注意を向けなければならないのに、私達は気づかない時がある。


たとえば、息子や娘の子供時代がいつのまにか過ぎ去ってしまうことに気づかずに、職場で必要以上に働く。

こうした扉は、閉まるのがあまりにゆっくりで、消えていくところが目に入らないことがある。

しかし、私達には、大切な選択の扉が閉じようとしている時に警告してくれる体内アラームのような機能はない。



■2つの選択肢


たくさんの扉を閉じて、あと2つだけ残っているとしよう。

こうなれば選ぶのは簡単だと言いたいところだが、そうではない場合が多い。

同じくらい魅力のある2つの選択肢のどちらを選ぶかを決めるのは、もっとも難しい決断の部類に入る。


ある女性ヤギ(まりやぎのヤギね・・)は、デジタルカメラを選ぶのに、ほとんどそっくりの2機種のどちらにするかで3ヶ月迷った。

ヤギがようやく一方に決めたとき、こう聞いた。

写真を撮る機会を何度ふいにしたか、どちらにするか決めるためにどれだけ貴重な時間を費やしたか、この3ヶ月のあいだ家族や友人を写したたデジタル写真が手に入るならいくら支払うか?


「カメラの値段以上だ」とヤギは応えた。


似たような経験をしたことはないだろうか?


2つの物事の類似点とわずかな相違点に注目していた時、ヤギが忘れていたのは、「決断しないことによる影響」を考慮にいれることだ。

ヤギは撮れずに終わった素晴らしい写真のことを考えていなかった。

家電量販店で過ごした時間だけのことではなくて、さらに重要なのは、どちらかに決めることで生じる違いが、ほんの僅かだという点を考えに入れてなかったことだ。

どちらのカメラを選んだとしても、同じように満足しただろう。

(どちらを選んでも細かい愚痴はこぼすかもしれない。)


■諦める勇気


多様性の観点から言えば、選択肢をできるだけ多く確保しておくのは適切な方法論に思える。

しかし、一方で私達は決めることができない、という事実も確かにある。

マリの揺れ動く恋心は、選択肢があることによる苦しみだ。

逆に、選択肢を捨てることによる便益もある。

極端な例かもしれないが、有名な話を持ち出すことにしよう。


井ケイの戦い

紀元前204年、中国の楚漢戦争の中での話。

劉邦軍の別働隊として進発した韓信軍は、趙へとやってきていた。

趙を攻めるに先立ち、兵力不足の劉邦本軍は韓信に対して兵を送るように命令し、韓信はこれに答えて兵を送ったために韓信軍の兵力は少なく、三万程しかなかった。

一方、趙は三十万と号した大軍を派遣して韓信軍を撃退しようとしていた。

韓信軍は、あらかじめ二千の兵を別働隊として分け、趙の本城を襲うように指示しておき、自らは、河を背にして布陣し城壁を築いた。

水を前にして山を背に陣を張るのが布陣の基本であり、これを見た趙の将軍は「韓信は兵法の初歩も知らない」と笑い、兵力差をもって一気に攻め滅ぼそうとほぼ全軍を率いて出撃、韓信軍に攻めかかった。

韓信は初め迎撃に出て負けた振りをしてこれを誘き寄せ、河岸の陣にて趙軍を迎え撃った。兵力では趙軍が圧倒的に上であったが、後に逃げ道の無い漢の兵士たちは必死で戦ったので、趙軍は打ち破ることが出来なかった。

趙軍は韓信軍、更に河岸の陣ごとき容易に破れると思いきや、攻めあぐね被害も増えてきたので嫌気し、一旦城へ引くことにした。

ところが城の近くまで戻ってみると、そこには大量の漢の旗が立っていた。

城にはわずかな兵しか残っておらず、趙軍が韓信軍と戦っている隙に別働隊が攻め落としたのである。

大量にはためく漢の旗を見て趙兵たちは「漢の大軍に城が落とされている」と動揺して逃亡を始め、更に韓信の本隊が後ろから攻めかかってきたので、挟み撃ちの恐怖にかられた趙軍は総崩れとなり敗れた。

これが世に言う「背水の陣」である。



選択肢を諦めることによって、得るものがある時もあるのだ。


高橋容疑者逮捕のその裏で ~諦める勇気~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/e775ef9c7e932f041e6e96a485efb8a4

「決める」ということは「諦める」ということと同義語だ。

なぜなら「諦める」必要がなければ「決める」必要がない。

だから、2つの可能性があるとき、どちらか一方を選ぶ必要がある場合、もう一方を諦めなければならない。

「決断」や「英断」というものは、その一方で同時に「諦める」ということなのだ。

「諦める」ゆえに「覚悟」が必要なのである。

一方の可能性を捨てる「勇気」であり、「意志」であろう。


「決める」ことのできない人は、「諦める」ことができない人である。

優柔不断は「諦める」ことが出来ない人のことをいう。

また、責任のある意思決定というものが往々にして苦しいのは、何かを「諦める」ことだからなのである。



■記憶に残る「幕の内弁当」はない


アンチに悩む人へ ~記憶に残る「幕の内弁当」はない~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/618ed3aee1b857694cbeb5370df658b3


■報酬の不規則さ


B.F.スキナーの「定率強化スケジュール」と「変率強化スケジュール」の話。

ググタスとコメント数上限、メンバーの投稿タイミングなどと絡めて。


(つづく・・かも)

夏バテ

2012-08-04 12:05:57 | AKB48_軽ネタ
今日は午後から久しぶりに完全フリーで、どうしたらよいかわからなくなってる(笑)

ダラダラしちゃうな~・・

明日は朝早いので、酒ではなくコーヒーをドリップしてみた。

あぁ~、やはり豆の鮮度が重要だ。

うまい。



最近「様子がおかしいですよ?」と言われる。

みなさんから心配の声をかけていただき、真にありがたい。

そして申し訳ない。

確かに自覚症状あり。

疲れなのか、それとも失恋なのか・・w

夏バテだと思っていたのだけど、

恋やぶれちゃったのかな、気づかない間にね。

ブログの内容も何か変だよと言われるので、ちょっと様子を見るか・・

宣言通りに行動しないのが常なので、どうするかわかりませんが(笑)



しっかし、夏ですねぇ~。(^ー^夏)

休みとって子供達と緑豊かな山を歩いてみたい。



おっ、そうだ『ギンガムチェック』のジャケシャめちゃくちゃカッコいい!!






大島優子が引き立ってるわ~。

季節的にもいいしね。

でも評価が分かれているようですね・・今の若い人にはあの感じウケが悪いのかな?

それとも私の感性が古いのか・・。



セレクションの結果は今日になったのか。

私の中でとむとゆかるんは鉄板なのだけど・・

ゆかるん落ちるのでは?と心配してる人はどういう理屈で言ってるの?

ゆかるんが落ちるなら、他に落ちなきゃいけない正規メンいっぱいいるんだけどな~。

将来性だって、そんなの使い方次第だからねぇ。

公平性なんて求めていないけれど。

生活態度が悪いとかあるのかねぇ・・。



しるしるみしるさんでー見てたらマック食べたくなってきたわ~。

パスタでも作るかな。

HKT48森保まどか ピアノ上手すぎww

2012-08-03 17:32:54 | AKB48_軽ネタ
私はピアノ素人でありますので、素人の戯言だと思って頂ければこれ幸いです。


咲子師匠以外の2人のピアノを初めて聞きましたが、驚きました。

HKT48の森保さんの演奏に。

弾き始めた瞬間、聴いてる側の目が覚めるレベル。


ピアニスト対決 AKB48松井咲子 乃木坂46生田絵梨花 HKT48森保まどか(AKB48タイムズ)
http://akb48taimuzu.livedoor.biz/archives/13151200.html


HKT48 森保まどか 週刊AKB 120427 ピアノ



咲子師匠がTEPPENとった時もピアノの上手/下手の基準について意見を述べたことがありました。


TEPPEN での咲子師匠のご活躍にムネアツです。
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/7c5a74bb59ab3a44dcfcf9f8e0aae929


一般的な意味でのピアノの上手さでは、咲子師匠が一番でしたが、アレンジ力という観点では、森崎さんの方が上だったと思います。
審査員が一般人だったら、森崎さんがTEPPENだったかもしれません。
ただ、そのアレンジを十分には使いこなせていませんでしたね・・。
そこが審査員の低評価に繋がったのかなと。
なんにせよ、審査員が一般的なピアノの上手さを評価基準として重視しているのがわかりました。



私自身は素人なので黙ってろという感じではありますが、
(よく家族にも言われるのですよ。素人は黙ってろと・・。)

趣味程度にピアノを聴いてきた浅い経験からして判断すると、HKT48の森保さんが圧倒的にうまいです。

コメントの中に、ピアノの上手/下手は個人の感覚の問題とありましたが、それ以前の話ですね。

基礎技術力に差があるという話です。

(いやもちろん他にも聴いてみないとわかりません。)

クラシック・ピアノのコンクールなどは基本的に減点法による採点でありまして、一定水準以上の技術力がないと表現力は評価されません。

その基準で言えば森保さんという話。

いつものあれでございます。


型破りとは型のある人がやるから型破り。

型のない人がやったら、それは形無し。

(中村勘三郎)


決して松井さんが下手なのではありません。

音大でピアノ専攻してるだけで一般的には相当なレベルです。

(普通にピアノ教室通っているだけでは受かりません。)

コンサートで弾いてるショパンの「革命」は練習時間がなかっただけに練習不足感が否めないで、あれでは判断できません。

一方で「子供の領分」は少し練習してきたな感が出てますが、素人の私にはあれだけでは判断できません。


が、森安さんのは一般的にいう「うまい」のレベルを超えてますね。

もっと長い時間聴いてみないと何とも言えないところもあるのですが、部分的であれショパンの「黒鍵のエチュード」をあのレベルで弾けるのは普通じゃないです。

ピアノやっていればプロになったであろうなと、ルックスもいいし、プロ・ピアニストにもなれたと思うレベルだと、素人ですが思います。


これは是非とも活かしたいですね。

やっぱりAKB文化祭をやるべきなんだ・・。


◆◆◆◆◆◆


あまりに私が素人過ぎるので、ピアノ知ってる人に聴いてもらいました。
(時間があれば、さらに他の人にも聴いてみたいと思います。)


まず、全員うまい。

それだけ先に言っておく。

咲子師匠は特段うまいとは思わないが、音大生という感じでピアノを弾けていると思う。

生田は咲子師匠よりも間違いなくうまいと思う。

プロコフィエフというあえて一般の人が知らない曲を弾くあたりにずる賢さを感じるが、他の曲も弾けるのでであろうなということは、わかる。

非常にうまいと言っていいと思う。

森保については、短か過ぎてこれだけでは判断できないことを前提に言うことにする。

これが他の2人と同じくグランドピアノで弾いた音なら相当うまいと言えるかもしれない。

これはあまり高くない電子ピアノだと思うが、このレベルの電子ピアノだと一層判断が難しい。

電子ピアノと同じレベルの音でグランドで弾けるなら、プロ並みの安定感といえるかもしれない。

その場合は、一番うまいと言えるかもしれない。

だが、短すぎてわからない。

黒鍵のエチュードではなく、もう少し難しいエチュードを聴いてみたい。

3人とも(プロということではなくアマとしては)十分に技術力はあるので、人の好み次第というのを前提にいうが、これしかサンプルがないなら生田が一番うまいという判断になる。

森保はよりうまいかもしれないが、これだけでは判断できない。


以上です。


◆◆◆◆◆◆



あまりに私が素人過ぎるので、さらにピアノ知ってる人に聴いてもらいました。
(このベテランの意見を聞きたかったが、ようやく聞けた。)


(一通り聞いてもらって)

みんなうまいじゃん。


最初の人(咲子師匠)はうまいよ。

この時の演奏の出来だけで評価しろと言われると、肝心なところの音はずすとか練習不足だから評価下がっちゃうけど、ちゃんと練習すればよくなると思う。

うまいと思うよ。


2番目の人(生田)は、うまいのかわからない。

このプロコの曲が簡単すぎるからね。

ちゃんと練習したことはわかるけど、単調な曲だからちょっとね。

抑揚をつけれるかなど、ピアノがうまいかどうかはこれだけで判断できない。

他の曲を聴いてみたいな。


3番目の人(森保)は、電子ピアノな上に短すぎるから、想像で語るしかないんだけど、期待させるものはあるかな。

きっと弾けるのだろうなと想像させるものがあるというか。

電子ピアノでなくても、このレベルで弾けるならうまいといえるね。


順番つけるとなると・・この曲だけじゃわからないんだけどあえてつけるなら
1.森保
2.咲子師匠
3.生田
かな。
みんなうまいし、人によって変わると思うけどね。


ということで、人によって評価は変わるようです(笑)

チームAの空いた2つのポストに入るメンバーを考えた!

2012-08-02 12:20:06 | AKB48_オピニオン
提案というわけではないのですが、アイディアを一つ考えました。

チーム4推しだからってチーム4を中心にAKB48をかき乱すなと言われそうな話なのですが、多事争論は大事です。



前田敦子が卒業するとなった時に書いたエントリが↓下記です。


前田敦子卒業後のチームAに入るメンバー
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/9ac3c2a225a39cf636adf9df8d6989cd


よって、AKB48の生え抜きが選抜されるとみている。

おそらく、研究生だろう。



これを書いた時は「研究生=武藤十夢」を念頭に置いて書いていました。

(チーム8に力を入れた方がいいので、武藤十夢はチーム8で人気メンとして活躍してもらう方がいい思う。)


その後、指原のHKT48移籍のため2つポストが空いたので、わからなくなったというのを後日述べました。



その後、何も考えていなかったのですが、昨日ひらめいたのです。


あぁ、いい手があったと。






島崎遥香永尾まりや






チームAチーム4兼任






あらゆる次元で「摩擦」を起こせる手だ。


田野しいやつらが引き起こす創造的摩擦 ~イノベーションのジレンマを超えるバリュープロポジション~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/cfdd89f383a05dfda9d5ac8a934d4b7c


なぜAKB48は予定調和を壊し続けることをモットーとするのか? ~多様性とイノベーション~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/a6c037c1f0413c59b507b4c0357c8227



誤解されたくないのですが、これでチーム4の問題が解決できるなんて少しも考えていません

ただ、人材戦略の一環として、一考の価値がある話かなと思ったのです。


(私は組閣もチーム4のメンバー交代もない前提で考えています。)

チーム4と新しく出来るチーム8のエースの2人がそれぞれ兼任とか、まゆゆとぱるるの兼任とかいろいろ考えたのですが、最終的にチーム4から対照的な2人が兼任というのがよいかな~と思った次第です。


◆◆◆◆◆◆


早速「田野ではダメなのか?」と聞かれたので、ここでも考えを述べておこう。

誰を兼任させるのが最も効果的かを考えた結果、あの2人と思っただけで、他のメンバーがダメというわけではない。


話は変わるが、田野ちゃんを推す理由がない。

なぜなら、田野ちゃんは運営が推さんでも田野ファミリー(ファン)が推してくれる。

推す必要がないのだから、運営は余計なことはしない方がいい。