昨日は酒を飲み過ぎてぶっ倒れてしまって更新できませんでした(汗)
最近、スキャンダル話が盛り上がっているということで、それに関連することについて数回に分けて話をしていこうと思います。
一度スキャンダルが発生すると、その報道内容の正誤以外にも、そこから派生した憶測やデマなども多く出回る問題が起きます。
炎上マーケティングのように、これを巧く利用しようとする方法もありますが、一般的には好ましい状況ではありません。
しかし、なぜスキャンダル報道があると、その報道の真偽だけではなく、そこから憶測やデマといったものが発生してしまうのでしょうか。
最近、ダニエル・カーネマンの『プロスペクト理論』のお話を多用していたのですが、その中で「アンカリング効果」という言葉が出てきました。
私はこの「アンカリング効果」が憶測やデマの発生プロセスを読み解く鍵だと考えています。
つまり、それがわかると、憶測やデマの発生をいかに抑え込んでいくかについて、一つの答えになると思うわけですね。
「変化」も重要だが、本質的な「絶対量」を忘れてはいけない。いつだって基本が大事。
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/bdf7548f7139201858d41566e5880152
指原莉乃が背負ったカルマ ~優越性ルールの侵害~ [途中] ←途中のままだ・・
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/85e5b4bb6e4a707ea700e555bca5051c
今回の参考図書はダン・アリエリーの『予想通りに不合理(増補版)』です。

◆◆◆◆◆◆
■人は真ん中を選ぶ
テレビ販売員のサムの例:
サムは、どのテレビを並べて展示するかを決める時、よくある同じような騙しの技を使う。
・パナソニックの36インチ(690ドル)
・東芝の42インチ(850ドル)
・フィリップスの50インチ(1480ドル)
あなたならどのテレビを選ぶだろう?
サムは、お客にとって、異なる選択肢の価値を見積もるのが厄介なことを承知している。
選択肢が3つあると、たいていの人が真ん中を選ぶことも心得ている。
サムはどのテレビを中間の値段に設定したいだろうか?
一番売りたいテレビだ。
抜け目がないのはサムだけではない。
飲食店経営コンサルタントのグレッグ・ラップは、メニューの価格設定を考えて報酬を得ている。
ラップがこれまでの経験から学んだのは、値の張るメイン料理をメニューに載せると、たとえそれを注文する人がいなくても、レストラン全体の収入が増えることだ。
たいていの人はメニューの中で一番高い料理は注文しなくても、次に高い料理なら注文するからだ。そのため、値段の高い料理を一つ載せておくことで、2番目に高い料理を注文するようお客を誘うことができる。
そして、2番目に高い料理からより高い利ザヤを確保できるよう調整しておくこともできる。
■英『エコノミスト』誌の3択
さすが世界的な経済誌『エコノミスト』ロンドン事務所の利口な人たちは、人間の行動について重要なことを知っている。
人間は、ものごとを絶対的な基準で決めることはまずない。
ものごとにどれだけの価値があるかを教えてくれる体内計などは備わっていないのだ。
他のものとの相対的な優劣に着目して、そこから価値を判断する。
たとえば、6気筒の車にどれだけの価値があるかはわからなくても、4気筒モデルよりも高いだろうことは想像できる。
・エコノミスト誌の年間購読料
(1) Web版だけの購読(59ドル)
(2) 印刷版だけの購読(125ドル)
(3) 印刷版とWeb版のセット購読(125ドル)
これをMITスローン経営大学院の院生100人に選ばせたところ、次のような結果を得た。
(1) 16人
(2) 0人
(3) 84人
さすがMITのMBA学生たちは優秀だ。印刷版とWeb版のセットの方が印刷版だけより得だと全員が気づいている。
では、選択肢が次の2択だったらどうか。
(1) Web版だけの購読(59ドル)
(2) 印刷版とWeb版のセット購読(125ドル)
結果は次のように出た。
(1) 68人
(2) 32人
学生たちは一体なぜ考え方を変えたのだろう。明らかに合理的な理由ではない。
私たちは、身の回りの物を常に他のモノとの関係で捉えている。
そうせずにはいられないのだ。
この宇宙が相対的だからだ。
■相対的な宇宙
「相対性」
これがキーです。
先述しましたが、人間は、ものごとを絶対的な基準で決めることはまずあり得ません。
ものごとにどれだけの価値があるかを教えてくれる体内計などが備わっていないからです。
他のものとの相対的な優劣に着目して、そこから価値を判断するしかありません。
だからこそ、以前述べたように、人間は「絶対量」ではなく「変化」に注目してしまいます。
「変化」も重要だが、本質的な「絶対量」を忘れてはいけない。いつだって基本が大事。
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/bdf7548f7139201858d41566e5880152
相対性は人生における決断を助けてくれますが、私達をとんでもなく惨めな気持ちにもさせることもあります。
嫉妬や僻みは、自分と他人との境遇を比べるところから生じるのです。
モーセの十戒で
と戒めたのも、それなりの理由があったわけです。
■余談:給料と相対性
1992年に、アメリカの証券規制当局が各企業に経営幹部の報酬と役得をこと細かに開示するようはじめて義務付けた。
報酬が公開されれば、理事会も幹部に法外な給料や手当を出しづらくなるだろうとの狙いがあった。
これまでどんな規制も法律も株主の圧力も抑えることのできなかった幹部の給与増加がこれで止まるのではと期待された。
1976年、平均的な最高経営責任者の給与は、平均的な従業員の36倍だったが、1993年には131倍にもなっていたのだ。
ところがどうだろう。
幹部の報酬が一般に公表されるようになると、マスコミが定期的に最高経営責任者の報酬ランキング特集を組むようになった。
公になったことで幹部の報酬が抑えられるどころか、アメリカの最高経営責任者たちは自分の収入をよその最高経営責任者の収入と比べるようになり、その結果、幹部の報酬はうなぎのぼりに上昇した。
この傾向を助長したのは報酬コンサルティング会社で、顧客である最高経営責任者たちに、法外な給与を要求するように助言した。
そしてどうなったか。
いまや平均的な最高経営責任者の給与は、平均的な従業員の369倍、報酬を開示する以前の3倍の額になっている。
おかしな話ではないか。
給料の多さと幸福感との間に、私たちが思っているほどの強い関連がない、というよりむしろ弱いことは、これまで繰り返し立証されている。
研究によれば「最も幸福な」人々が住んでいるのは、個人所得が最も高い国ではないこともわかっている。
それなのに、私たちは、より高い給料を求めてやまない。
そのほとんどは、単なる嫉妬のせいだ。
ニューヨーク・タイムズ紙の見出しによればこうだ。
■まとめ
今回は、まず「おとり効果」について説明しました。
私たちはいろんなところで「おとり」に釣られています。
AKB48には「おとり効果」が内在していると、よく言われます。
各メンバーの相対評価がやりやすい環境があるためです。
あっちゃんとぱるるを比べてみたり、オリメンと9期を比べてみたりなどといったことがやりやすいわけです。
AKB48が大所帯で、多種多様なメンバーが在籍しているため、その中である程度に世界が完結しており「おとり効果」が発揮されやすい状況を作り出しています。
選抜総選挙はその最たるものです。
その一方で、スキャンダルなどがあると、この「おとり効果」が逆方向に働いてしまう場合もあります。
正しくない情報で選択肢を作り上げられると、あたかもそこに真実があるように釣られてしまいます。
間違った情報でも、それらの言葉が並びたてられると、あたかもその中に事実が埋もれている錯覚が起きると言うことです。
私は、今回の指原の件だけについて述べているわけではありません。
もちろん本当のこともあるのでしょうし、まちがったこともあるのでしょう。
ただ、間違った情報であったとしても、私たちは自然と釣られている可能性があるということに注意が必要だということです。
そして、間違った情報を放置すると、それらの錯覚を引き起こす要因になるということです。
だから私は、以前からコミュニティの力が大切だと主張しているわけです。
最近、スキャンダル話が盛り上がっているということで、それに関連することについて数回に分けて話をしていこうと思います。
一度スキャンダルが発生すると、その報道内容の正誤以外にも、そこから派生した憶測やデマなども多く出回る問題が起きます。
炎上マーケティングのように、これを巧く利用しようとする方法もありますが、一般的には好ましい状況ではありません。
しかし、なぜスキャンダル報道があると、その報道の真偽だけではなく、そこから憶測やデマといったものが発生してしまうのでしょうか。
最近、ダニエル・カーネマンの『プロスペクト理論』のお話を多用していたのですが、その中で「アンカリング効果」という言葉が出てきました。
私はこの「アンカリング効果」が憶測やデマの発生プロセスを読み解く鍵だと考えています。
つまり、それがわかると、憶測やデマの発生をいかに抑え込んでいくかについて、一つの答えになると思うわけですね。
「変化」も重要だが、本質的な「絶対量」を忘れてはいけない。いつだって基本が大事。
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/bdf7548f7139201858d41566e5880152
指原莉乃が背負ったカルマ ~優越性ルールの侵害~ [途中] ←途中のままだ・・
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/85e5b4bb6e4a707ea700e555bca5051c
今回の参考図書はダン・アリエリーの『予想通りに不合理(増補版)』です。

◆◆◆◆◆◆
■人は真ん中を選ぶ
テレビ販売員のサムの例:
サムは、どのテレビを並べて展示するかを決める時、よくある同じような騙しの技を使う。
・パナソニックの36インチ(690ドル)
・東芝の42インチ(850ドル)
・フィリップスの50インチ(1480ドル)
あなたならどのテレビを選ぶだろう?
サムは、お客にとって、異なる選択肢の価値を見積もるのが厄介なことを承知している。
選択肢が3つあると、たいていの人が真ん中を選ぶことも心得ている。
サムはどのテレビを中間の値段に設定したいだろうか?
一番売りたいテレビだ。
抜け目がないのはサムだけではない。
飲食店経営コンサルタントのグレッグ・ラップは、メニューの価格設定を考えて報酬を得ている。
ラップがこれまでの経験から学んだのは、値の張るメイン料理をメニューに載せると、たとえそれを注文する人がいなくても、レストラン全体の収入が増えることだ。
たいていの人はメニューの中で一番高い料理は注文しなくても、次に高い料理なら注文するからだ。そのため、値段の高い料理を一つ載せておくことで、2番目に高い料理を注文するようお客を誘うことができる。
そして、2番目に高い料理からより高い利ザヤを確保できるよう調整しておくこともできる。
■英『エコノミスト』誌の3択
さすが世界的な経済誌『エコノミスト』ロンドン事務所の利口な人たちは、人間の行動について重要なことを知っている。
人間は、ものごとを絶対的な基準で決めることはまずない。
ものごとにどれだけの価値があるかを教えてくれる体内計などは備わっていないのだ。
他のものとの相対的な優劣に着目して、そこから価値を判断する。
たとえば、6気筒の車にどれだけの価値があるかはわからなくても、4気筒モデルよりも高いだろうことは想像できる。
・エコノミスト誌の年間購読料
(1) Web版だけの購読(59ドル)
(2) 印刷版だけの購読(125ドル)
(3) 印刷版とWeb版のセット購読(125ドル)
これをMITスローン経営大学院の院生100人に選ばせたところ、次のような結果を得た。
(1) 16人
(2) 0人
(3) 84人
さすがMITのMBA学生たちは優秀だ。印刷版とWeb版のセットの方が印刷版だけより得だと全員が気づいている。
では、選択肢が次の2択だったらどうか。
(1) Web版だけの購読(59ドル)
(2) 印刷版とWeb版のセット購読(125ドル)
結果は次のように出た。
(1) 68人
(2) 32人
学生たちは一体なぜ考え方を変えたのだろう。明らかに合理的な理由ではない。
私たちは、身の回りの物を常に他のモノとの関係で捉えている。
そうせずにはいられないのだ。
この宇宙が相対的だからだ。
■相対的な宇宙
「相対性」
これがキーです。
先述しましたが、人間は、ものごとを絶対的な基準で決めることはまずあり得ません。
ものごとにどれだけの価値があるかを教えてくれる体内計などが備わっていないからです。
他のものとの相対的な優劣に着目して、そこから価値を判断するしかありません。
だからこそ、以前述べたように、人間は「絶対量」ではなく「変化」に注目してしまいます。
「変化」も重要だが、本質的な「絶対量」を忘れてはいけない。いつだって基本が大事。
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/bdf7548f7139201858d41566e5880152
相対性は人生における決断を助けてくれますが、私達をとんでもなく惨めな気持ちにもさせることもあります。
嫉妬や僻みは、自分と他人との境遇を比べるところから生じるのです。
モーセの十戒で
隣人の家、畑、男女の奴隷、牛、ろばなど、隣人のモノを一切欲しがってはならない。
と戒めたのも、それなりの理由があったわけです。
■余談:給料と相対性
1992年に、アメリカの証券規制当局が各企業に経営幹部の報酬と役得をこと細かに開示するようはじめて義務付けた。
報酬が公開されれば、理事会も幹部に法外な給料や手当を出しづらくなるだろうとの狙いがあった。
これまでどんな規制も法律も株主の圧力も抑えることのできなかった幹部の給与増加がこれで止まるのではと期待された。
1976年、平均的な最高経営責任者の給与は、平均的な従業員の36倍だったが、1993年には131倍にもなっていたのだ。
ところがどうだろう。
幹部の報酬が一般に公表されるようになると、マスコミが定期的に最高経営責任者の報酬ランキング特集を組むようになった。
公になったことで幹部の報酬が抑えられるどころか、アメリカの最高経営責任者たちは自分の収入をよその最高経営責任者の収入と比べるようになり、その結果、幹部の報酬はうなぎのぼりに上昇した。
この傾向を助長したのは報酬コンサルティング会社で、顧客である最高経営責任者たちに、法外な給与を要求するように助言した。
そしてどうなったか。
いまや平均的な最高経営責任者の給与は、平均的な従業員の369倍、報酬を開示する以前の3倍の額になっている。
おかしな話ではないか。
給料の多さと幸福感との間に、私たちが思っているほどの強い関連がない、というよりむしろ弱いことは、これまで繰り返し立証されている。
研究によれば「最も幸福な」人々が住んでいるのは、個人所得が最も高い国ではないこともわかっている。
それなのに、私たちは、より高い給料を求めてやまない。
そのほとんどは、単なる嫉妬のせいだ。
ニューヨーク・タイムズ紙の見出しによればこうだ。
世界はいまや金持ちが大金持ちに嫉妬する時代
■まとめ
今回は、まず「おとり効果」について説明しました。
私たちはいろんなところで「おとり」に釣られています。
AKB48には「おとり効果」が内在していると、よく言われます。
各メンバーの相対評価がやりやすい環境があるためです。
あっちゃんとぱるるを比べてみたり、オリメンと9期を比べてみたりなどといったことがやりやすいわけです。
AKB48が大所帯で、多種多様なメンバーが在籍しているため、その中である程度に世界が完結しており「おとり効果」が発揮されやすい状況を作り出しています。
選抜総選挙はその最たるものです。
その一方で、スキャンダルなどがあると、この「おとり効果」が逆方向に働いてしまう場合もあります。
正しくない情報で選択肢を作り上げられると、あたかもそこに真実があるように釣られてしまいます。
間違った情報でも、それらの言葉が並びたてられると、あたかもその中に事実が埋もれている錯覚が起きると言うことです。
私は、今回の指原の件だけについて述べているわけではありません。
もちろん本当のこともあるのでしょうし、まちがったこともあるのでしょう。
ただ、間違った情報であったとしても、私たちは自然と釣られている可能性があるということに注意が必要だということです。
そして、間違った情報を放置すると、それらの錯覚を引き起こす要因になるということです。
だから私は、以前からコミュニティの力が大切だと主張しているわけです。
一方で、今回のスキャンダルでは週刊誌の報道があまりに裏付けの乏しいまま報道されているのかという点について愕然としています。記事の全文を見ても、とても裏付けが乏しいように感じました。ほぼファンの独白のみであり、裏付けとしては電話をかけたという一点のみです。これでは、ファンと友達関係であったという証明にはなれど、恋人であったという証明としてはあまりに乏しい。なぜ、社会的な影響力を一定程度有しているのか疑問が浮かびました。
文春の取材が甘い例は今週号の原監督の問題についても現れています。昨日の読売新聞の反論を読みましたが、なるほど新聞サイド(批判されているサイド)の方が週刊誌以上に情報を開示しており、具体性に富んでいます。例えば読売サイドの情報では原監督以外にも選手について書かれていたとの情報がありました。真偽はともかくとして情報量が多かったです。(しかも、紙面を割いた量は少ないのに)
1.なぜ週刊誌の情報がここまで正しいように扱われてしまうのか。2.なぜここまで裏付けが甘いのかという二点について今回興味がわきました。
む
む
む
難すぃ…話ですね前半は
私も同意見です。
少し気になったのは「自称元カレ」の存在です。この人物はなんか変な感じがします。うまく説明はできませんが。
したがって、結局訴えられないしで裏付けが甘いことになります。これは新聞系の週刊誌はまだましなような気がしますが。
しかし、現実として熱愛報道等で不利益を伴う人等は仕事への悪影響がある程度計ることができるので本来はペナルティを重くしなければならないと思うのですが・・・。
コメントありがとうございます。
>辞めることと、地方で逆風の可能性の高い中成果を上げることを要求するのとどちらのほうが厳しいのかは一概に言えない
仰る通りだと思います。
おそらく、多くの人々は、自分がその立場に置かれたら「責任とって辞めます」と言うような気がしますよ。
その方が"本人が楽"ですからね。
批判を受けながら活動する方が度胸も勇気もいります。
自分の為だけだったらとっくに辞めてると思います。
>週刊誌の報道があまりに裏付けの乏しいまま報道されている
噂では文春側は「証拠と証言はそろっている」と言ってるようですが、現在出てきている内容では証拠能力は低いですね。
ただ、指原を含めたAKB48陣営は事実上、報道内容を認めているので、ここで闘うのは生産的ではないと私は思います。
というのも、ANNで指原の声を聴いた時、私の感覚では、指原は認めているなと思いました。
報道内容の表現方法が間違っている可能性は高いですが、そのような事象があったのは事実なのだろうというのが今の私の考えです。
指原がなぜ反論しないのか、理由は簡単です。
反論するためには正しい情報で訂正しなければなりません。
すると、本当のことを言わなければなりません。
恋人同士の間に起きたケンカやすったもんだについては、当人同士でさえ解釈がわかれることなので、そうすると泥沼化する可能性があります。
それに、たぶん週刊誌が情報を持っているかどうかは別として、その関係があったと言われる男性が他に何らかの情報を持っている可能性もあります。
ラジオ番組に出演したやすす先生によると、指原本人は「お友達だった」と否定はしているようですが、それでもやすす先生は手を打ちました。
ここで「否定しない」ということで、泥沼化を避けるために下手に反論せず、暗に報道内容を認め、その上で処分を下して、話題を次に持っていくのが最もリーズナブルです。
>1.なぜ週刊誌の情報がここまで正しいように扱われてしまうのか。
おとり効果で1/3くらい説明がつけられるように感じます。
肯定意見と否定意見の両方を同じ紙面に載せないと、おとりに釣られます。
>2.なぜここまで裏付けが甘いのかという二点について今回興味がわきました。
売上が生命線ですので、何よりも「話題性」が大事だからだと思います。
論文誌であれば、使えない情報を載せても意味がないわけですので、情報の「正当性」が重要ですが、週刊誌は「話題性」が大事なので、裏付けよりも話が盛り上がるモノがよいと思います。
それに、そもそも人が情報の正しさよりも、情報の面白さに注目しがちだからだと思います。
コメントありがとうございます。
あちゃ~・・出来る限り短く書こうとするので、どうしてもわかりにくくなってしまい・・
あとその時の余裕度によっても焦って書くとたいていろくでもない出来に・・
精進が足りませんね。。
コメントありがとうございます。
Unknownさんのコメントに対する返信にも書きましたが、私は報道について「肯定しないが否定もしない」方針で行くのがベターだと思っています。
細かいところに恣意的な解釈や事実の歪曲がある可能性は多いにあると思いますが、全体としてそのような関係(どこまで深いかわかりませんが)の男性がいたという点について指原は認めているわけですので、これ以上の闘いは指原本人も傷つくことになりますので「肯定しないが否定もしない」で行くのがベターです。
この「事実上認めている」というような中途半端な決着が嫌だという人々も多いことはよくわかっています。
このようなやり方についていけない人もいるでしょう。
しかし、運営はAKB48全体の利益を考えた場合、最もよいと思われる方法を選んだと思います。
当然、これによって離れていく人がいることも覚悟の上だと思います。
もはや状況がここに至っては、離れる人がいない道はありません。
HKT48への移籍は、運営がコスト覚悟で、AKB48はどの道へ進むかについて意思を示したということです。
ただそれだけだと思います。
コメントありがとうございます。
>本来はペナルティを重くしなければならない
ここはバランスが非常に難しいですね。
実に高度な政治的な問題です。
もちろん報道機関としてあるべき姿勢というのはあると思います。
ただ、それをどのようにして担保するのか。
ねつ造や歪曲によって不利益を被る人々がいる一方で、不正を暴くのに活躍する一面もあります。
明らかな不正を、確実な証拠がないという理由によって見逃してよいのか?という問いも一方ではあるわけです。
トレードオフです。
私自身答えを持っていません。
その情報を欲しがらない人が多ければ、週刊誌の商売があがったりなので、誤報は少なくなるかもしれませんが、自分自身さえ制御できない人間にそのようなことが容易くできるわけもなく・・。
でもこのバランスを適正に保つために、何が私たちにできるのかは、ずっと考えて行かなければならないことです。
コメントありがとうございます。
めちゃくちゃ長い上に内容が馴染みのないもので読むのが大変でした(汗)
内容については特に違和感ないです。
ここまで詳しい話は知りませんでしたが、人類の進化の過程を裏付ける証拠が不足している点については小さいころから知っていました。
(宇宙人とか、どこかの宗教が進化論を認めないとか、まぁそういう話がありますよね。)
私自身、進化論を肯定も否定もするつもりはないですが、ただ進化論があると話がしやすいです(笑)
「信じたい」というのがより正確かもしれません。
信念ですね。
なんせブログのテーマは「進化する魂」ですから(笑)