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進化する魂

フリートーク
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夏の終わりの風物詩、24時間テレビ批判に反論する

2012-08-30 16:53:55 | 社会
さて、今年も夏の終わりの風物詩がやってまいりました。

ちょっと過ぎちゃいましたけど。

日テレ『24時間テレビ 愛は地球を救う』の登場です。

(単なる過去エントリ引用の手抜きネタです)


伊集院光、24時間テレビの在り方を語る
http://kyousoku.net/archives/15662053.html


伊集院光さんは24時間テレビを擁護しておりますが、擁護の仕方が変ですね。

そもそも擁護などする必要がありません。

24時間テレビには、実に真っ当な大義名分があるからです。


◆◆◆◆◆◆


まず、初めに言っておきますが、これはポジショントークです。

私の家族にはいわゆる「障害者」がいます。

見た目にはわからないし、普段は何もないように生活しているのですが、内容としては命に関わるレベルの重症度です。

秋ごろには、何度目かの手術が待っています。


だから言っておきますが、これは家族に障害者がいる人間のポジショントークです。

ですが、そのポジションを取る人をどれだけ増やせるかが、この問題の本質であるという点を理解して頂きたく思います。


◆◆◆◆◆◆


実は2年前に、当Blogで24時間テレビ批判の批判をやりました。

当時はいろんなサイトにトラックバック貼ったりコメントしたりを結構頻繁にしていたのですが、一部でお騒がせしてしまったことが恥ずかしい思い出です。

今見返すと、言葉に品がなくて非常に辛いものがあるので、このエントリをリメイクすることにします。


[24時間テレビ] くだらない批判が多すぎるからこそ、やる意味がある
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/1e509e78202552254b7dd05dc3520538


浅い理解にしか繋がらない表面的な番組編成に対して不満はあるものの、番組内で嵐の桜井くんが言及したことがこの番組の主旨をうまく表していると思います。


この番組を見ただけでは、一つ一つの問題について深い理解を得られないとしても、

自分達にできることは何か。

まずは知るところからはじめるしかないんじゃないか。


教科書どおりの発言ですが、しかし、その通りだと思います。

一つの障害や病気について深堀しようとすれば、それだけで簡単に24時間かかってしまいます。

そして何よりも、その障害や病気に関わらない人は、そんな24時間テレビを見ようとしないでしょう。

誰にも見てもらえない困難を取上げた番組を作成しても、そんなものは製作者の自己満足にしかならないし何の意味もありません。

私は、昔(もう10年以上前に)聞いた日本テレビのある番組制作者の言葉を今も忘れられません。


テレビ局にとっての最大の資産は何か?
それは、決してコンテンツ(番組)ではない。
人にその番組を見たいと思わせる力、「編成力」だ。


砂漠のオアシスにロバを連れて行っても、オアシスの水を飲むかどうかを決めるのはロバなのです。

視聴者側のコンテキストを発火できるかどうかが重要です。

24時間テレビも、これと同じです。

どれだけ内容の素晴らしい番組を作成しても、最終的に消費者が動きを変えなければ何の意味もありません。

見てもらって、そして何かを感じ取ってもらえなければ、番組として何の価値もないのです。

私は日本にこのようなテレビ番組があることを誇りに思います。


◆◆◆◆◆◆


では、2年前のエントリのリメイクを進めます。


日テレ24時間番組に対してYahoo!のコメント欄が大荒れ「数億円のCM収入料とタレントのギャラを、全額募金しろ」([2ch]ニュー速VIPブログ)
http://blog.livedoor.jp/insidears/archives/52363584.html


毎年この季節に恒例の番組と言えば日本テレビの
『24時間テレビ33 愛は地球を救う(以下、24時間テレビ)』だ。
2010年8月28日、29日に放送され今年のマラソンのランナーは、はるな愛。

無事完走することもでき母と抱き合う場面もあった。
チャリティー番組『24時間テレビ』のゴール時点での募金額は
2億7992万6839円という集計が発表されている。尚、この数字は番組終了間際の仮集計で、
最終的にはこの番組を通し例年9億円~10億円の募金が集まっているようだ。

そんな『24時間テレビ』に対しYahoo!ニュースのコメント欄では
約1200件もの投稿がされており批判が相次いでいる。そんな批判の一部を紹介したいと思う。


これらの批判に反論してみます。


・三億円弱の募金集めるのに、15億円かける馬鹿な番組。


批判者は、費用対効果について批判したいようですが、これは単純に24時間テレビの目的や効用が「募金」にしかないとする狭い認識に基づく誤解です。

24時間テレビの目的は募金だけではありません。

番組の目的は、その視聴者に対する影響力(気づきの機会になること)であるので、この指摘は意味を成しません。

テレビ番組の効用を無視するというのは、落ち目とはいえ広告料によって成り立っている日本におけるテレビビジネスを否定することになります。

意味がないなら、誰も広告を出稿しないでしょう。

少なくても、24時間テレビの費用対効果の効果を募金額で算出するということが誤解であることは言うまでもありません。


・日本テレビは、数億円のCM収入料とタレントのギャラを、全額募金するべき


心情的には理解できる批判であるものの、これも誤解に基づく意見になります。

24時間テレビの目的が募金の金額であるなら、この指摘にも意味がありますが、24時間テレビの目的は募金額の多寡ではありません。

24時間テレビの目的は、番組を1人でも多くの視聴者に届けることと、1人でも多くの視聴者に番組の主旨に沿った気づきを得てもらうことです。

タレントへ支払う出演料や、演出費用、もろもろの製作費などは、その目的を達成するための必要経費になります。

つまるところ、これも番組意図を誤解した間違った批判ということになります。


・なぜ午後8時45分にゴールなんだ? 完璧に計算されてる。


24時間テレビにおけるマラソンの要件は、無理のないペースで、番組のクライマックスにゴールすることです。

この要件を実現するために、製作者側は計算して番組を制作しています。

このマラソンの目的は、競技大会とは違い計測時間を競うものではありません。

必ずしも運動の得意でないランナーが苦難を乗越えてゴールする姿を見てもらって、

それによって視聴者に何かを感じてもらうことに意味があるのです。

そのために終盤にゴールした方が視聴者に感じてもらうものが多いのであれば、そうなるように計算してペース配分を組み立てる方がよいでしょう。

ペース配分を意図しているからといって楽しているわけでも、苦しくないわけでもありません。

その条件で24時間走り続けることは過酷なマラソンであることには間違いないのです。

24時間テレビのマラソンとは、そういうマラソンなのです。

これは決して騙しているわけではありませんので、茶番批判は適切ではないと思います。

計算すること自体を批判するのであれば、批判者は計算してはならない理由を述べなければなりません。


・そろそろこの企画止めない? わざとお涙頂戴誘ってるようで、わざとらしい。


こういう社会的な想像力の欠如が、まさに24時間テレビが問題として扱うものなのです。

どんな世界でも、当事者にとっては涙だけでは語れない物語があるものです。

当事者にならなければわからないことは、この世の中に山ほどあります。

それを第3者に伝えるためにはどうすればよいのか。という問題です。

自分は絶対に当事者にならないと考えるならば、批判すればよいのですが、このような想像力が欠如する者に限って、自分が追い詰められた時に自暴自棄になるものです。

準備がないからです。

社会的な準備(気づきと行動)を支える番組と理解してみてはいかがでしょうか。


・不謹慎かもしれないけどこの番組は障害者を”見世物”にしてるとしか思えないんだよね。


では、障害者をどう扱うべきなのか、考えなければなりません。

扱うべきではないということなら、それはそれで意見として成立するでしょう。

回答としては、1つ前の質問と同じものになります。


・感動の押し売りはやめてほしいですね。


感動するかどうかは視聴者の判断ではありますが、そうすることで最も伝わると製作者側で考えるからでしょう。

製作者は材料を提供するのみですが、最高の状態で材料を提供したいと思うのが人情というものです。

それと、プッシュ型の情報配信は全て押し売りなので、この件についてだけ押し売り批判するのは適切ではないと思います。


・AKBの前田って奴は感情が現れないのがよくわかりました。


どうしてそんなことがいえるのか、よくよく考えた方がよいと思います。