さて、ニワカな知識でAKB48について語るシリーズの続編です。
「変化」も重要だが、本質的な「絶対量」を忘れてはいけない。いつだって基本が大事。
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/bdf7548f7139201858d41566e5880152
指原莉乃が背負ったカルマ ~優越性ルールの侵害~ [途中] ←途中のままだ・・
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/85e5b4bb6e4a707ea700e555bca5051c
人はおとりに釣られる。 相対性の前では全てが錯覚。 ~おとり効果~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/7fc79b658340efabf6fb9461cbf8231d
如何にして顧客の日常となり得るか ~ 「ゼロの力」とググタスの未来 ~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/4c9821ec2aceb2416ab5aa3af807c062
エンターテイメントが感動を求めてやまない理由 ~ピーク・エンドの法則~ [作成中]
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/1437ce8f735583fa0634880965a7d219
AKB48と自分のモノという意識の深い関係 ~所有意識~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/e763b2d0812b7407b30562276345df02
人と違うことは良いことなのか? ~独自性欲求~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/1f96c889e6710c1b2bddda22cc72366e
今回の参考図書はダン・アリエリーの『予想通りに不合理(増補版)』です。

◆◆◆◆◆◆
■揺れ動く恋心
こんな経験をしたか、もしくは聞いたことはないだろうか。
元カレ(元カノ)と今カレ(今カノ)の間で揺れ動く経験。
架空の女性マリ(まりやぎのマリね)は元カレと今カレの2人について悩みを抱えていた。
マリの前には、2つの選択肢がある。
新しい彼にエネルギーと情熱を注ぎ込んで、(できることなら)長く続く関係を築く。
あるいは、消えかけている元カレとの関係に時間と努力を注ぎ続けることもできる。
元カレより今カレの方が好きなのはハッキリしていたが、マリは元カレとのこれまでの関係を手放すことができないでいる。
そうこうしている内に、今カレがそわそわしはじめた。
マリにこう質問してみる。
「君は、そうまでして愛する今カレを失う危険を冒したいのかい?」
「今カレとのデートを重ねているうちに、やっぱり元カレの方が好きだと気づくかもしれないという万に一つの可能性のためだけに、吹っ切れないのでいるのかい?」
すると、マリは首を横に振り、泣きながらこう言った。
「いやです。」
選択の自由というのは、何がこれほどまでに難しいのだろう?
たとえ大きな犠牲を払ってでも、できるだけ多くの選択肢の扉を開けておかなければならない気がするのはなぜだろう?
私達は、なぜハッキリした態度を取ることができないのだろう?
■扉ゲーム実験
MITで行われたコンピューターゲームをベースとした実験「扉ゲーム実験」の結果を使って、人間の選択に関するある特徴を浮き彫りにする。
実験1:
コンピューター画面に「赤」「青」「緑」の3つの扉が現れる。
被験者は、3つの扉どれかを開いて部屋の中に入る。
部屋の中をクリックすると、1クリック毎に賞金が手に入るが、その額は部屋によって異なる。
額は部屋ごとに変るが、固定ではなくある範囲でランダムで決定される。
クリックの上限は100回だ。
簡単な実験だ。
この実験で最大にお金を稼ぐには、最も高い賞金が用意された部屋を見つけて、その部屋でクリックしまくることだ。
実験結果は予想通りとなった。
最初に3つの扉すべてを開けて部屋に入り、最も賞金の高かった部屋に戻ってクリックしまくるのだ。
考察:
単純な設定とハッキリした目標(この場合はお金を稼ぐ)が与えられれば、人間は誰でも、かなりうまく喜びを追い求められる。
この実験をデートに置き換えると、マリは1人目の相手と試しにデートし、別の相手でも試し、そのうえ3人目にも浮気したことになる。
3人みんな試した後は、最高の相手に戻り、ゲームの最後までそこで過ごした。
しかし、マリはハッキリ言ってたいして苦労していない。
他の誰かと浮気している間に、それまでの相手はマリが自分の腕の中に戻ってくるのをおとなしく待っていたのだ。
もし、そうではなく、しばらく放っておいたら他のデート相手がマリに背を向けるとしたらどうだろう?
選択肢が閉ざされはじめても、マリはそのままにしておくのだろうか?
それとも、できるだけ長い間、すべての選択肢にしがみつこうとするだろうか?
実験2:
実験1に手を加えることにした。
今回は、どの扉もクリック12回分のあいだ放っておくと、永久に消えてしまう。
しかも、1回クリックする度にその扉は12分の1ずつ小さくなっていく。
(長くなるので経過を省略するが)
結果は面白いものとなった。
実験1の結果より、実験2の獲得金額がかなり小さいものとなったのだ。
考察:
被験者は、扉が閉ざされてしまわないよう必死になってしまったのだ。
この実験からハッキリわかるのは、あちらこちらへと目まぐるしく動き回るのは、ストレスになるだけでなく、不経済だということだ。
毎日一つや二つ新しい扉が加わる日々の生活のことを考えると、はたしてこれが効率的な方法なのだろうか。
実験3:
実験2に、手を加えることにした。
扉をあける費用を3倍にしたのだ。
部屋の中でクリックするのに消費するのは1回だが、扉を開ける(部屋を移動する)のにかかる費用を3倍にしてみた。
結果は、実験2と変らなかった。
被験者はみな、選択肢を保持し続けることに熱中したのだ。
実験4:
実験3に、手を加えることにした。
各部屋で獲得できる賞金の正確な金額を事前に被験者に伝えた。
それでも結果は変らなかった。
実験5:
実験をやる前に、練習をしてもらってから実験をすることにした。
それでも結果は変らなかった。
実験6:
「復活」オプションをつけてみた。
12回放置すると扉は消えるが、1回クリックすると扉は復活するようにした。
だが・・意外にも被験者は扉を消さないように必死になった。
失うと思うだけで耐えられず、選択の扉が閉じるのを防ぐためにできることなら、なんでもしたいというわけだ。
■価値のない扉に惑わされる
無用の選択肢を追い求めたくなる不合理な衝動から自由になることはできるのだろうか?
近代では、人々は機会がないことではなく、目まいがするほど機会があり過ぎることに悩まされている。
私達は、やりたいことは何でもやれるし、なんでもなりたいものになれると、言い聞かせられ教育されている。
私達は、あらゆる方向に自らを成長させなければならないのだろうか?
人生の全ての側面を味わわなければならない?
死ぬまでに見るべき1000ものモノのうち、999番目で止まっているか、しっかりと見届けなければならないのか?
私達は無理に、いろいろなことに手を広げすぎてはいないのだろうか?
扉ゲームの中で、扉から扉へ走り回る人間の行動は十分に奇妙だ。
しかし、もっと奇妙なのは、ほとんど価値のない扉、消えかけているチャンスや、自分にとってほとんど興味のないチャンスを追いかけたいという抑えがたい衝動だ。
マリは、元カレにはまず見込みがないと既に結論を出していた。
なのになぜ、今カレとの関係を危険にさらしてまで、魅力に変える元カレとのしおれかけた関係に栄養を与え続けるようなまねをしたのだろう。
同じように、私達は安売りしている品物を見て、ほんとうにそれが必要だからではなく、バーゲンセールが終わるころには全て売れてしまって二度とその値段で買えなくなるからという理由で、特売品を何度買ってしまったことだろう。
ダニエル・カーネマンは「保有効果」を使って、この特徴を説明している。
AKB48と自分のモノという意識の深い関係 ~所有意識~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/e763b2d0812b7407b30562276345df02
■価値のある扉を忘れる
扉ゲームは消える扉がわかりやすいからいい。
だが、実際には扉が消えていくということに気づかないことが多い。
人生の中で、本当に消えかけている扉があり、すぐに注意を向けなければならないのに、私達は気づかない時がある。
たとえば、息子や娘の子供時代がいつのまにか過ぎ去ってしまうことに気づかずに、職場で必要以上に働く。
こうした扉は、閉まるのがあまりにゆっくりで、消えていくところが目に入らないことがある。
しかし、私達には、大切な選択の扉が閉じようとしている時に警告してくれる体内アラームのような機能はない。
■2つの選択肢
たくさんの扉を閉じて、あと2つだけ残っているとしよう。
こうなれば選ぶのは簡単だと言いたいところだが、そうではない場合が多い。
同じくらい魅力のある2つの選択肢のどちらを選ぶかを決めるのは、もっとも難しい決断の部類に入る。
ある女性ヤギ(まりやぎのヤギね・・)は、デジタルカメラを選ぶのに、ほとんどそっくりの2機種のどちらにするかで3ヶ月迷った。
ヤギがようやく一方に決めたとき、こう聞いた。
「カメラの値段以上だ」とヤギは応えた。
似たような経験をしたことはないだろうか?
2つの物事の類似点とわずかな相違点に注目していた時、ヤギが忘れていたのは、「決断しないことによる影響」を考慮にいれることだ。
ヤギは撮れずに終わった素晴らしい写真のことを考えていなかった。
家電量販店で過ごした時間だけのことではなくて、さらに重要なのは、どちらかに決めることで生じる違いが、ほんの僅かだという点を考えに入れてなかったことだ。
どちらのカメラを選んだとしても、同じように満足しただろう。
(どちらを選んでも細かい愚痴はこぼすかもしれない。)
■諦める勇気
多様性の観点から言えば、選択肢をできるだけ多く確保しておくのは適切な方法論に思える。
しかし、一方で私達は決めることができない、という事実も確かにある。
マリの揺れ動く恋心は、選択肢があることによる苦しみだ。
逆に、選択肢を捨てることによる便益もある。
極端な例かもしれないが、有名な話を持ち出すことにしよう。
井ケイの戦い
紀元前204年、中国の楚漢戦争の中での話。
劉邦軍の別働隊として進発した韓信軍は、趙へとやってきていた。
趙を攻めるに先立ち、兵力不足の劉邦本軍は韓信に対して兵を送るように命令し、韓信はこれに答えて兵を送ったために韓信軍の兵力は少なく、三万程しかなかった。
一方、趙は三十万と号した大軍を派遣して韓信軍を撃退しようとしていた。
韓信軍は、あらかじめ二千の兵を別働隊として分け、趙の本城を襲うように指示しておき、自らは、河を背にして布陣し城壁を築いた。
水を前にして山を背に陣を張るのが布陣の基本であり、これを見た趙の将軍は「韓信は兵法の初歩も知らない」と笑い、兵力差をもって一気に攻め滅ぼそうとほぼ全軍を率いて出撃、韓信軍に攻めかかった。
韓信は初め迎撃に出て負けた振りをしてこれを誘き寄せ、河岸の陣にて趙軍を迎え撃った。兵力では趙軍が圧倒的に上であったが、後に逃げ道の無い漢の兵士たちは必死で戦ったので、趙軍は打ち破ることが出来なかった。
趙軍は韓信軍、更に河岸の陣ごとき容易に破れると思いきや、攻めあぐね被害も増えてきたので嫌気し、一旦城へ引くことにした。
ところが城の近くまで戻ってみると、そこには大量の漢の旗が立っていた。
城にはわずかな兵しか残っておらず、趙軍が韓信軍と戦っている隙に別働隊が攻め落としたのである。
大量にはためく漢の旗を見て趙兵たちは「漢の大軍に城が落とされている」と動揺して逃亡を始め、更に韓信の本隊が後ろから攻めかかってきたので、挟み撃ちの恐怖にかられた趙軍は総崩れとなり敗れた。
これが世に言う「背水の陣」である。
選択肢を諦めることによって、得るものがある時もあるのだ。
高橋容疑者逮捕のその裏で ~諦める勇気~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/e775ef9c7e932f041e6e96a485efb8a4
「決める」ということは「諦める」ということと同義語だ。
なぜなら「諦める」必要がなければ「決める」必要がない。
だから、2つの可能性があるとき、どちらか一方を選ぶ必要がある場合、もう一方を諦めなければならない。
「決断」や「英断」というものは、その一方で同時に「諦める」ということなのだ。
「諦める」ゆえに「覚悟」が必要なのである。
一方の可能性を捨てる「勇気」であり、「意志」であろう。
「決める」ことのできない人は、「諦める」ことができない人である。
優柔不断は「諦める」ことが出来ない人のことをいう。
また、責任のある意思決定というものが往々にして苦しいのは、何かを「諦める」ことだからなのである。
■記憶に残る「幕の内弁当」はない
アンチに悩む人へ ~記憶に残る「幕の内弁当」はない~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/618ed3aee1b857694cbeb5370df658b3
■報酬の不規則さ
B.F.スキナーの「定率強化スケジュール」と「変率強化スケジュール」の話。
ググタスとコメント数上限、メンバーの投稿タイミングなどと絡めて。
(つづく・・かも)
「変化」も重要だが、本質的な「絶対量」を忘れてはいけない。いつだって基本が大事。
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/bdf7548f7139201858d41566e5880152
指原莉乃が背負ったカルマ ~優越性ルールの侵害~ [途中] ←途中のままだ・・
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/85e5b4bb6e4a707ea700e555bca5051c
人はおとりに釣られる。 相対性の前では全てが錯覚。 ~おとり効果~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/7fc79b658340efabf6fb9461cbf8231d
如何にして顧客の日常となり得るか ~ 「ゼロの力」とググタスの未来 ~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/4c9821ec2aceb2416ab5aa3af807c062
エンターテイメントが感動を求めてやまない理由 ~ピーク・エンドの法則~ [作成中]
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/1437ce8f735583fa0634880965a7d219
AKB48と自分のモノという意識の深い関係 ~所有意識~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/e763b2d0812b7407b30562276345df02
人と違うことは良いことなのか? ~独自性欲求~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/1f96c889e6710c1b2bddda22cc72366e
今回の参考図書はダン・アリエリーの『予想通りに不合理(増補版)』です。

◆◆◆◆◆◆
■揺れ動く恋心
こんな経験をしたか、もしくは聞いたことはないだろうか。
元カレ(元カノ)と今カレ(今カノ)の間で揺れ動く経験。
架空の女性マリ(まりやぎのマリね)は元カレと今カレの2人について悩みを抱えていた。
マリの前には、2つの選択肢がある。
新しい彼にエネルギーと情熱を注ぎ込んで、(できることなら)長く続く関係を築く。
あるいは、消えかけている元カレとの関係に時間と努力を注ぎ続けることもできる。
元カレより今カレの方が好きなのはハッキリしていたが、マリは元カレとのこれまでの関係を手放すことができないでいる。
そうこうしている内に、今カレがそわそわしはじめた。
マリにこう質問してみる。
「君は、そうまでして愛する今カレを失う危険を冒したいのかい?」
「今カレとのデートを重ねているうちに、やっぱり元カレの方が好きだと気づくかもしれないという万に一つの可能性のためだけに、吹っ切れないのでいるのかい?」
すると、マリは首を横に振り、泣きながらこう言った。
「いやです。」
選択の自由というのは、何がこれほどまでに難しいのだろう?
たとえ大きな犠牲を払ってでも、できるだけ多くの選択肢の扉を開けておかなければならない気がするのはなぜだろう?
私達は、なぜハッキリした態度を取ることができないのだろう?
■扉ゲーム実験
MITで行われたコンピューターゲームをベースとした実験「扉ゲーム実験」の結果を使って、人間の選択に関するある特徴を浮き彫りにする。
実験1:
コンピューター画面に「赤」「青」「緑」の3つの扉が現れる。
被験者は、3つの扉どれかを開いて部屋の中に入る。
部屋の中をクリックすると、1クリック毎に賞金が手に入るが、その額は部屋によって異なる。
額は部屋ごとに変るが、固定ではなくある範囲でランダムで決定される。
クリックの上限は100回だ。
簡単な実験だ。
この実験で最大にお金を稼ぐには、最も高い賞金が用意された部屋を見つけて、その部屋でクリックしまくることだ。
実験結果は予想通りとなった。
最初に3つの扉すべてを開けて部屋に入り、最も賞金の高かった部屋に戻ってクリックしまくるのだ。
考察:
単純な設定とハッキリした目標(この場合はお金を稼ぐ)が与えられれば、人間は誰でも、かなりうまく喜びを追い求められる。
この実験をデートに置き換えると、マリは1人目の相手と試しにデートし、別の相手でも試し、そのうえ3人目にも浮気したことになる。
3人みんな試した後は、最高の相手に戻り、ゲームの最後までそこで過ごした。
しかし、マリはハッキリ言ってたいして苦労していない。
他の誰かと浮気している間に、それまでの相手はマリが自分の腕の中に戻ってくるのをおとなしく待っていたのだ。
もし、そうではなく、しばらく放っておいたら他のデート相手がマリに背を向けるとしたらどうだろう?
選択肢が閉ざされはじめても、マリはそのままにしておくのだろうか?
それとも、できるだけ長い間、すべての選択肢にしがみつこうとするだろうか?
実験2:
実験1に手を加えることにした。
今回は、どの扉もクリック12回分のあいだ放っておくと、永久に消えてしまう。
しかも、1回クリックする度にその扉は12分の1ずつ小さくなっていく。
(長くなるので経過を省略するが)
結果は面白いものとなった。
実験1の結果より、実験2の獲得金額がかなり小さいものとなったのだ。
考察:
被験者は、扉が閉ざされてしまわないよう必死になってしまったのだ。
この実験からハッキリわかるのは、あちらこちらへと目まぐるしく動き回るのは、ストレスになるだけでなく、不経済だということだ。
毎日一つや二つ新しい扉が加わる日々の生活のことを考えると、はたしてこれが効率的な方法なのだろうか。
実験3:
実験2に、手を加えることにした。
扉をあける費用を3倍にしたのだ。
部屋の中でクリックするのに消費するのは1回だが、扉を開ける(部屋を移動する)のにかかる費用を3倍にしてみた。
結果は、実験2と変らなかった。
被験者はみな、選択肢を保持し続けることに熱中したのだ。
実験4:
実験3に、手を加えることにした。
各部屋で獲得できる賞金の正確な金額を事前に被験者に伝えた。
それでも結果は変らなかった。
実験5:
実験をやる前に、練習をしてもらってから実験をすることにした。
それでも結果は変らなかった。
実験6:
「復活」オプションをつけてみた。
12回放置すると扉は消えるが、1回クリックすると扉は復活するようにした。
だが・・意外にも被験者は扉を消さないように必死になった。
失うと思うだけで耐えられず、選択の扉が閉じるのを防ぐためにできることなら、なんでもしたいというわけだ。
■価値のない扉に惑わされる
無用の選択肢を追い求めたくなる不合理な衝動から自由になることはできるのだろうか?
近代では、人々は機会がないことではなく、目まいがするほど機会があり過ぎることに悩まされている。
私達は、やりたいことは何でもやれるし、なんでもなりたいものになれると、言い聞かせられ教育されている。
私達は、あらゆる方向に自らを成長させなければならないのだろうか?
人生の全ての側面を味わわなければならない?
死ぬまでに見るべき1000ものモノのうち、999番目で止まっているか、しっかりと見届けなければならないのか?
私達は無理に、いろいろなことに手を広げすぎてはいないのだろうか?
扉ゲームの中で、扉から扉へ走り回る人間の行動は十分に奇妙だ。
しかし、もっと奇妙なのは、ほとんど価値のない扉、消えかけているチャンスや、自分にとってほとんど興味のないチャンスを追いかけたいという抑えがたい衝動だ。
マリは、元カレにはまず見込みがないと既に結論を出していた。
なのになぜ、今カレとの関係を危険にさらしてまで、魅力に変える元カレとのしおれかけた関係に栄養を与え続けるようなまねをしたのだろう。
同じように、私達は安売りしている品物を見て、ほんとうにそれが必要だからではなく、バーゲンセールが終わるころには全て売れてしまって二度とその値段で買えなくなるからという理由で、特売品を何度買ってしまったことだろう。
ダニエル・カーネマンは「保有効果」を使って、この特徴を説明している。
AKB48と自分のモノという意識の深い関係 ~所有意識~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/e763b2d0812b7407b30562276345df02
■価値のある扉を忘れる
扉ゲームは消える扉がわかりやすいからいい。
だが、実際には扉が消えていくということに気づかないことが多い。
人生の中で、本当に消えかけている扉があり、すぐに注意を向けなければならないのに、私達は気づかない時がある。
たとえば、息子や娘の子供時代がいつのまにか過ぎ去ってしまうことに気づかずに、職場で必要以上に働く。
こうした扉は、閉まるのがあまりにゆっくりで、消えていくところが目に入らないことがある。
しかし、私達には、大切な選択の扉が閉じようとしている時に警告してくれる体内アラームのような機能はない。
■2つの選択肢
たくさんの扉を閉じて、あと2つだけ残っているとしよう。
こうなれば選ぶのは簡単だと言いたいところだが、そうではない場合が多い。
同じくらい魅力のある2つの選択肢のどちらを選ぶかを決めるのは、もっとも難しい決断の部類に入る。
ある女性ヤギ(まりやぎのヤギね・・)は、デジタルカメラを選ぶのに、ほとんどそっくりの2機種のどちらにするかで3ヶ月迷った。
ヤギがようやく一方に決めたとき、こう聞いた。
写真を撮る機会を何度ふいにしたか、どちらにするか決めるためにどれだけ貴重な時間を費やしたか、この3ヶ月のあいだ家族や友人を写したたデジタル写真が手に入るならいくら支払うか?
「カメラの値段以上だ」とヤギは応えた。
似たような経験をしたことはないだろうか?
2つの物事の類似点とわずかな相違点に注目していた時、ヤギが忘れていたのは、「決断しないことによる影響」を考慮にいれることだ。
ヤギは撮れずに終わった素晴らしい写真のことを考えていなかった。
家電量販店で過ごした時間だけのことではなくて、さらに重要なのは、どちらかに決めることで生じる違いが、ほんの僅かだという点を考えに入れてなかったことだ。
どちらのカメラを選んだとしても、同じように満足しただろう。
(どちらを選んでも細かい愚痴はこぼすかもしれない。)
■諦める勇気
多様性の観点から言えば、選択肢をできるだけ多く確保しておくのは適切な方法論に思える。
しかし、一方で私達は決めることができない、という事実も確かにある。
マリの揺れ動く恋心は、選択肢があることによる苦しみだ。
逆に、選択肢を捨てることによる便益もある。
極端な例かもしれないが、有名な話を持ち出すことにしよう。
井ケイの戦い
紀元前204年、中国の楚漢戦争の中での話。
劉邦軍の別働隊として進発した韓信軍は、趙へとやってきていた。
趙を攻めるに先立ち、兵力不足の劉邦本軍は韓信に対して兵を送るように命令し、韓信はこれに答えて兵を送ったために韓信軍の兵力は少なく、三万程しかなかった。
一方、趙は三十万と号した大軍を派遣して韓信軍を撃退しようとしていた。
韓信軍は、あらかじめ二千の兵を別働隊として分け、趙の本城を襲うように指示しておき、自らは、河を背にして布陣し城壁を築いた。
水を前にして山を背に陣を張るのが布陣の基本であり、これを見た趙の将軍は「韓信は兵法の初歩も知らない」と笑い、兵力差をもって一気に攻め滅ぼそうとほぼ全軍を率いて出撃、韓信軍に攻めかかった。
韓信は初め迎撃に出て負けた振りをしてこれを誘き寄せ、河岸の陣にて趙軍を迎え撃った。兵力では趙軍が圧倒的に上であったが、後に逃げ道の無い漢の兵士たちは必死で戦ったので、趙軍は打ち破ることが出来なかった。
趙軍は韓信軍、更に河岸の陣ごとき容易に破れると思いきや、攻めあぐね被害も増えてきたので嫌気し、一旦城へ引くことにした。
ところが城の近くまで戻ってみると、そこには大量の漢の旗が立っていた。
城にはわずかな兵しか残っておらず、趙軍が韓信軍と戦っている隙に別働隊が攻め落としたのである。
大量にはためく漢の旗を見て趙兵たちは「漢の大軍に城が落とされている」と動揺して逃亡を始め、更に韓信の本隊が後ろから攻めかかってきたので、挟み撃ちの恐怖にかられた趙軍は総崩れとなり敗れた。
これが世に言う「背水の陣」である。
選択肢を諦めることによって、得るものがある時もあるのだ。
高橋容疑者逮捕のその裏で ~諦める勇気~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/e775ef9c7e932f041e6e96a485efb8a4
「決める」ということは「諦める」ということと同義語だ。
なぜなら「諦める」必要がなければ「決める」必要がない。
だから、2つの可能性があるとき、どちらか一方を選ぶ必要がある場合、もう一方を諦めなければならない。
「決断」や「英断」というものは、その一方で同時に「諦める」ということなのだ。
「諦める」ゆえに「覚悟」が必要なのである。
一方の可能性を捨てる「勇気」であり、「意志」であろう。
「決める」ことのできない人は、「諦める」ことができない人である。
優柔不断は「諦める」ことが出来ない人のことをいう。
また、責任のある意思決定というものが往々にして苦しいのは、何かを「諦める」ことだからなのである。
■記憶に残る「幕の内弁当」はない
アンチに悩む人へ ~記憶に残る「幕の内弁当」はない~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/618ed3aee1b857694cbeb5370df658b3
■報酬の不規則さ
B.F.スキナーの「定率強化スケジュール」と「変率強化スケジュール」の話。
ググタスとコメント数上限、メンバーの投稿タイミングなどと絡めて。
(つづく・・かも)
以前のエントリーで常識的・合理的判断が身を滅ぼすというニュアンスの文章がありましたが、それでふと思い出したことがあります。
思い付いたのは桶狭間の戦いの時の今川義元のことです。最近の歴史の研究や第一級資料などでは彼はこれまでの通説とは違い決して無能ではなく、また油断して戦場で宴会を開いていた訳ではないみたいです。
特に第一級資料として信頼性が高い信長公紀などには今川義元の布陣や戦略はは当時としては常識的・合理的なものだったという書かれ方になっています。
一方、織田信長の方は傭兵主体の常備軍(他の大名は農民兵主体の臨時雇い)で経済基盤も商業主体で資本主義の原型のようなもの(他の大名は農業主体)なので発想がまるで違っていました。
また親衛隊として高い戦闘能力を誇る馬廻衆なども他の大名の旗本より大規模に組織していました。桶狭間の時に今川義元本陣に突撃した主体はこの馬廻衆でした。
今川義元の戦略的な目的は最近の研究では上洛ではなく伊勢湾への出口を確保したかったみたいです。
実際は織田信長が築いた幾つかの砦の攻略のために兵力が分散しているところを織田信長の直率の部隊に強襲されたのが真実みたいです。
農民兵主体で経済基盤を農業に依存していた当時の戦国大名は大規模な損害が出ると生産力の低下に直結するため、出来る限り損害を出さないように戦っていたみたいです。
しかし、織田信長は傭兵主体なので損害が出ても生産力には影響しないので勝利のためには多少の損害は気にしない戦略が立てられました。
しかし当時の人々は桶狭間の戦いの結果について当時の常識(当時は常識という言葉はなく世の常と言っていたみたいです)では説明がつかないので、今川義元無能説や戦場で宴会を開いていた説が出てきたみたいです。
ただ、これだけは言えることとしては常識的・合理的な判断だけでは全く前提や発想が違う相手が出現した時には全く太刀打ちができなくなると思います。桶狭間の戦いはその典型例かもしれません。
戦国時代の破壊的イノベーションである鉄砲についても武器として弓矢を上回るためにはかなり工夫が必要が必要だったと思います。
改良を重ね集団での一斉射撃などの運用方法が確立するに至って武器の主体になったと思います。
初期にはイノベーションジレンマは多々あったと思います。
コメントありがとうございます。
passfinder1945さんは歴史にお詳しいのですね。
この間もゲルマン民族の話などしておられましたね。
>今川義元
近年、評価し直されているそうですね。
たしか静岡あたりの学者のみなさんが見直し作業をしていたような・・(記憶が曖昧です)
今川義元は当時としてはかなり進んだ考えを持った名君と評価されていて、織田信長は非常に研究熱心な少年で、今川義元を尊敬し、手本にしていたと聞いたことがあります。
ドラマや映画のイメージとは逆に今川義元は文武両道で腕も立ったそうですね。
桶狭間で信長軍に追い詰められた時も、最後まで戦ったそうです。
立ち合いで織田軍の武将が足を切られたとの記述がどこかの伝記にあったはず。
織田軍の強さの秘訣が圧倒的な経済力にあったのは比較的有名な話ですが、それが桶狭間の時点でそうだったのかは、私は知らないので何とも言えません。
しかし、おっしゃる通り、織田信長は幼少のころから同世代の若い武士立ちと行動を共にしており(これがワル仲間の描写をされるものですね。当時の後継者の育成方法としてはよくある話なのですが)、当初彼らが重要な役割を果たしたというところは、その通りだと思います。
信長に忠誠を誓う若手武者たちが周りを固めていたようです。
>兵力が分散しているところを織田信長の直率の部隊に強襲されたのが真実
(詳しい話を知らないので語るなと言われそうですが)
桶狭間の勝因としては、第一に情報戦で織田軍が勝利したことがあると聞いたことがあります。
まず、今川軍本体の正確な位置を掴むことができたのは大きいと。
それゆえ戦略の基本である「戦力の集中」をピンポイントで運用できたことですね。
>常識的・合理的な判断だけでは全く前提や発想が違う相手が出現した時には全く太刀打ちができなくなる
>集団での一斉射撃などの運用方法が確立するに至って武器の主体になった
↑これは非常に重要な考え方だと思います。
戦略論でも経営論でも言われていることですが、「昨日までの道具が今日、無効化されてしまうことがある。」のですよね。
さらにいえば、昨日まで無効だった道具が、今日突然有効なものになることもあると。
環境は常に動的に変化するので、形あるもので確かなものは何もないんですよねぇ。
「適応」能力をどう高めていくかしか言えないんですけどね・・。