さて、ニワカな知識でAKB48について語るシリーズの続編です。
続きというより、ちょっと逸脱してしまいます・・。
「変化」も重要だが、本質的な「絶対量」を忘れてはいけない。いつだって基本が大事。
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/bdf7548f7139201858d41566e5880152
指原莉乃が背負ったカルマ ~優越性ルールの侵害~ [途中] ←途中のままだ・・
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/85e5b4bb6e4a707ea700e555bca5051c
人はおとりに釣られる。 相対性の前では全てが錯覚。 ~おとり効果~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/7fc79b658340efabf6fb9461cbf8231d
今回も参考図書はダン・アリエリーの『予想通りに不合理(増補版)』です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/1f/d10daf79a18e7675f530e3a0065330de.jpg)
今回はちょっと長いです。
◆◆◆◆◆◆
■今回のテーマは「顧客の日常」になるための秘策
これまで当Blogでは、ググタス(AKB48 Now on google+) を例にとって「如何にして顧客の日常をおさえるか」が重要な戦略になるということを述べてきたつもりです。
つい数年前まで観られた議論ですが、ネットビジネス界隈の多くの人々は「キラーコンテンツ」を求めていました。
顧客を獲得するには「キラーコンテンツが必要だ」というのです。
多くのインフラ企業がコンテンツ企業を買い漁りました。
高級な価値を持つコンテンツで顧客から高額の支払いを引き出そうと躍起になっていました。
結果は、ほとんど惨敗です。
そして、今ではこのような論説を述べる人はほとんどいなくなりました。
「SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)」や「ソーシャルゲーム」の浸透がキラーコンテンツ論を駆逐したのです。
人々はそんな大それたものを求めていなかったのです。
多くの人が日々求めているのは、4年に1度のオリンピックのような出来事ではなくて、もっと日常生活をよりよくしてくれるものだったわけです。
人々が求めてやまなかったものは、朝起きた時のだるい時間帯、電車の待ち時間や寝る前のふとした瞬間の暇つぶしだったのです。
(もちろんたまに行くシルク・ド・ソレイユや高級フレンチ料理も魅力的ですが。それが魅力的なのはたまにだからです。)
賢い企業や人々は思想的転換の必要性に気づきました。
さて、今日はそんな話を理解するのに一助となるであろう話をしていきたいと思います。
■ゼロの歴史
「ゼロ」の歴史は長い。
ゼロの概念を発明したのはバビロニア人だ。
古代ギリシャ人たちは、高尚な言葉でゼロについて議論した。
古代インドの学者ピンガラは、ゼロと数字の1を組み合わせて2進数を創った。
マヤ人もローマ人も記数法にゼロを使っていた。
しかし、ゼロが本当に居場所を見つけたのは、西暦498年ごろ、インドの天文学者アリヤバータがある朝ベッドから起きあがって叫んだ時だ。
「スタナム・スタナム・ダシャ・グナム」
(値が10倍で位から位へ)
この時、10進法の位取り記数法の概念が生まれた。
あとはとんとん拍子だ。
ゼロはアラブ世界に広がって繁栄を究めると、イベリア半島を通ってヨーロッパに達し、イタリア人に少し手を加えられた。
ゼロはやがて、大西洋を横断して新世界に伝わり、ついにはシリコンバレーと呼ばれる場所で山ほどの仕事にありつくことになった。
(デジタル技術という意味)
■お金のゼロ「無料」
「無料」には重要な意味合いがある。
値下げやマーケティングの話だけではなく、どう使えば自分や社会の利益につながる決断に役立つかという話にも関わってくる。
MITで行われた実験結果を説明しよう。
実験でチョコレートの商売を始めた。
トリュフと大量生産されている市販されているチョコレートの2種類を使う。
(つまり高級チョコと安物のチョコの2種類だ。後者を市販チョコと呼ぶことにする)
※お客はどちらか一方しか選べない。
(二者択一の選択)
・実験1
価格をトリュフを1つ150円、市販チョコを10円に設定する。
お客はトリュフと市販チョコの値段と品質を比較してから、どちらかを選んだ。
およそ73%がトリュフを、27%が市販チョコを買った。
・実験2
価格をトリュフを1つ140円、市販チョコを無料に設定する。
果たして違いは出るだろうか?
どちらのチョコレートも10円安くしただけなのに。
およそ31%がトリュフを、69%が市販チョコを買った。
一体、何が起きたのだろう?
お客がこれほど劇的な反応をしたのはなぜだろう?
2つのチョコの相対的な価格差は変化していないし、それぞれから得られるであろう満足度も変わっていない。
値下げ後も相対的には何も変わっていないのだから、値下げしてもお客の反応は全く同じはずだ。
ところがどうだろう。
お客は我先にと人を押しのけて市販チョコを掴みとった。
それも事前に理論整然たる費用便益分析をしたからではなく、単に市販チョコが「無料」だったからだ。
・実験3
価格をトリュフを270円→260円→250円、市販チョコを20円→10円→0円と変えてみた。
トリュフを270円→260円、市販チョコを20円→10円と変えた時に結果に変化は見られなかった。
しかし、市販チョコを0円にした途端に、やはり劇的な変化が見られた。
お客は圧倒的に市販チョコを欲しがったのだ。
・実験4
お客は小銭を出すのが面倒だったかもしれないし、お金を持ち合わせていなかったかもしれない。
この可能性を検討するために、レジの脇にチョコレートを陳列して実験を行った。
結果は同じだった。
■無料の力
「無料」の何がこんなにも心をそそるのだろうか。
自分は本当に求めているものではなくても、無料となると不合理にも飛びつきたくなるのはなぜか。
ダン・アニエリーはこういう。
たいていの商取引には良い面と悪い面があるが、何かが「無料」となると、私たちは悪い面を忘れ去り、「無料」であることに感動して、提供されるモノを実際よりもずっと価値のあるものだと思ってしまうのだ。
なぜだろう?
それは、人間が失うことを本質的に恐れるからではないか。
「無料」の本当の魅力は、恐れと結びついている。
「無料」のものを選べば、目に見えて何かを失う心配はない。
(無料だから)
ところが「無料」でないものを選ぶと、まずい選択をしたかもしれないという危険性がどうしても残る。
だから、どちらにするかと言われれば、無料の方を選ぶ。
そのため、価格設定の世界では「ゼロ」は単なる価格設定とは思われない。
もちろん、企業活動などにおいて1円の差が大きな違いを生むことはある。
しかし、「無料」の感動に打ち勝てるものは何もない。
値段ゼロの効果は、単独で独自のカテゴリーをつくっている。
「タダで何かを買う」というのは少し矛盾した表現だろう。
しかし、この粘着力の強い「無料」のせいで、私たちがいかに罠にはまり、いらないものを買ってしまうのか。
■交換でも発揮される無料の力
値段を話題にする限り、「無料」は間違いなく人を引き付ける。
しかし、値段が無料となるのではなく、交換が無料だとしたらどうだろう?
我々は無料の品物に釣られるように、品物を無料で手に入れることにも釣られるのだろうか?
こんな実験がある。
大きいチョコバー(60g)、小さいチョコバー(30g)、市販チョコ(5g)があるとする。
子供に市販チョコを3つ先にあげておく。
・実験1
その上で、「市販チョコ2つくれたら大きいチョコバーを、市販チョコ1つくれたら小さいチョコバー、どちらかをあげる。」と言う。
子供は賢い。
単純な計算を難なくこなす。
[A] 市販チョコ2つで大きいチョコバーと交換する場合:
60g - (5g * 2) = 50g
[B] 市販チョコ1つで小さいチョコバーと交換する場合:
30g - (5G * 1) = 25g
子供は瞬時に[A]を判断する。
・実験2
今度は、「市販チョコ1つくれたら大きいチョコバーを、無料で小さいチョコバー、どちからをあげる。」と言う。
さて、子供はどう行動したか?
だいたい想像がつくと思うが、7割の子供が選ぶのは「小さいチョコバー」だ。
[C] 市販チョコ1つで大きいチョコバーと交換する場合:
60g - (5g * 1) = 55g
[D] 無料で小さいチョコバーと交換する場合:
30g - (5g * 0) = 30g
よく考えてみよう。
[A] - [B] = 25g
[C] - [D] = 25g
どちらが損得は変わっていないのに、結論が変わった。
ちなみに、これはもう少し大きな子供であるMITの学生で実験しても同様だった。
お気づきの方も多いと思うが、この「無料」の魔法を使っている商取引は多い。
例えば、Amazonで1冊買うと配送料がかかるが、2冊買ってある金額を超えると配送料が無料になる。
人によっては、配送料が無料になることが魅力的で2冊目を買ってしまう。
Amazonが始めたこの配送料無料サービスは好評であったが、世界でたった一か国だけ売り上げが伸びなかった。
Amazonのフランス支社が配送料を「無料」とするのではなく「1フラン」にしたからだ。
「無料」と「1フラン」は金額だけ見るとたいして変わらないように思うが、意味合いは大きく違うということだ。
■時間にもあてはまるゼロ
ある活動に費やした時間は、他の活動から奪われた時間だ。
だから、「無料」でアイスクリームを試食するために1時間並んだり、わずかな払い戻しのために30分かけて長い書類に記入したりすれば、その時間にやらなかったコトが発生する。
■情報としてのゼロ
「カロリーゼロ」商品が、「1キロカロリー」と表示していたら、きっと売れないだろう。
これは私の体験からしても間違いないが、カロリーゼロのビールが健康にいいことをしている気分を高めてくれる。
おかげで気分が良くなり過ぎて、フライドポテトを一皿注文してしまうかもしれない。
■値引きによる需要増加
伝統的な考え方に基づくと、2つの理由から値引きによって需要は増える。
・市場に参加する顧客が増える
・値段が安くなることで複数買う顧客が増える
■社会規範と市場規範
わかっている人は言わずもがなだが、市場の法則は我々に働く力の一部に過ぎない。
社会的動物である我々には社会的な力にも対峙しなければならないが、経済と社会の力が混ざり合うと、予想とは違う結果になる場合がある。
例えば、私が
と頼めば、あなたはこう答えるかもしれない。
ところが、私がこう頼んだらどうだろう?
すると、あなたはこんな感じで考えるだろう。
「おいおい、冗談じゃないぜ。俺の時間にそんな価値しかないって言うのかい。」
基礎となる教訓は、社会規範が支配する状況で金銭による支払いを持ち出すと、金銭が加わったせいで、手伝ってやろうという相手の意欲が減る可能性があるのだ。
■無料による総需要の変化
逆に、こちらが何かを提供するからお金を払ってくれと求めたらどうだろう?
面白い実験がある。
お菓子売り場を設置して、キャラメルを売ることにする。
売り方は2つ。
同じキャラメルを「1個10円」で売るか、「無料」で売るかの違いだ。
・実験結果1
「無料」の時の方が「1個10円」の時よりも客数が3倍になった。
これは、これまでの説明から言えば、想像通りだろう。
では、次の結果はどうだろうか?
・実験結果2
1人の客が何個キャラメルを買ったか?
「安い方が多くキャラメルを買うはずだ」と考えるのが普通だが、結果は・・
キャラメルが「1個10円」の時、1人の平均購入数は平均3.5個だったが、
キャラメルが「無料」の時、1人の平均購入数は平均1.1個だった。
「無料」だと消費者は自制するようだ。
そう、多くの消費者は、無料の時には社会規範の決まりを適用していたと考えることができる。
簡単に言ってしまえば、無料の場合、人は礼儀正しくなるのだ。
結局、「無料」の方が客数は3倍に増えたが、消費者あたりの購入数がそれ以上に減ったので、売れたキャラメルの総数は「無料」の方が少なかった。
非常に面白い結果だ。
価格が交流の一部ではない時、我々があまり利己追求をせず、他社の幸福を気にし始めることを意味する。
値段がゼロの時、商品はより多くの人にとって魅力的になるものの、同時に、人々は他の人の事をもっと考えたり、気にかけたりするようになり、他の人の利益のために自分の欲望を犠牲にするようになる。
我々は「思いやりのある社会的動物」だが、ゲームの規則にお金が絡むと、この性向が抑えられてしまうことがわかる。
■大皿に残る最後の1つ
みんなで大皿料理を囲むとき、最後に1つだけぽつんと残る経験をしたことがないだろうか。
どうやらこの現象は多くの国でみられるものらしい。
大皿という共同の皿が、食べ物を共有資源に変えてしまうからだと思われている。
何かが社会的なものになった途端、我々は社会規範の領域へと誘われ、他社と共有するための決まりごとに従うことになる。
実験によれば、この奇妙な人間の行動は、値段がゼロになった時にしか現れない。
なぜなら、我々は価格が交わらない場合のみ、自分の行動の社会的影響を考えはじめるからだ。
利用できる資源に負担をかけすぎない程度まで消費を抑える。
値段がゼロになっている時、人々は世界を共同体のモノとしてとらえる。
■まとめ
一般に知られている需要の理論は確かなものだと考えることができます。
ただし、値段ゼロ「無料」を扱う時を除いては。
「ゼロの力」をうまく使えば、値引きよりも有利に顧客層の拡大ができます。
そして「ゼロの力」に関して言うと、AKB48のビジネスにとってさらに特徴的なことが言えるのです。
値段ゼロの時、市場規範よりも社会規範が優位となるため、人々に他者の幸福を思い出させることに着目してください。
値段を持ち出さないことが社会規範をもたらし、社会規範があることで私たちは他者のことをもっと気にかけるようになるのです。
これは、まさにAKB48ビジネスのコアである「顧客との関係性」を構築する足がかりになっているものですし、ググタスを使ってさらに加速することのできるものです。
ググタスのコメンテーターはメンバーに対してプロデューサー気取りで指導することから「エア・プロデューサー」などといって批判されることがありますが、このような事象がなぜググタスで起きやすいのか、本エントリをお読みいただいた方にはご理解頂けるものと思います。
つまり、この性質を利用すれば、多くの「エア・プロデューサー」を獲得することができるのです。
「エア・プロデューサー」は報酬(外発的動機付け)によって動いているのではなく、自らの意思(内発的動機付け)によって動いているため、モチベーションが高いというメリットがあります。
「推し」という概念の発明にも繋がっているものです。
(今はググタスに着目していますが、握手会なども同様の理屈で説明できます。)
「推し」という破壊的イノベーション ~「推し」知らずしてAKB48を語れず~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/fb3d486d39725c251911af9d07c763cc
指原の成功(今となっては・・)も、ググタスにおけるBBQのヒットも、そもそものAKB48全体の成功は、このような性質によって支えられているのです。
これだけで説明するには少し強引かもしれませんが、こういった大きな思想的変換を理解できているかどうかで、今後の成功は大きく左右されることでしょう。
料金をとってアイドルをプロデュースとか訳の分からないビジネスも多数ありますしね(゜Д゜)
続きというより、ちょっと逸脱してしまいます・・。
「変化」も重要だが、本質的な「絶対量」を忘れてはいけない。いつだって基本が大事。
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/bdf7548f7139201858d41566e5880152
指原莉乃が背負ったカルマ ~優越性ルールの侵害~ [途中] ←途中のままだ・・
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/85e5b4bb6e4a707ea700e555bca5051c
人はおとりに釣られる。 相対性の前では全てが錯覚。 ~おとり効果~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/7fc79b658340efabf6fb9461cbf8231d
今回も参考図書はダン・アリエリーの『予想通りに不合理(増補版)』です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/1f/d10daf79a18e7675f530e3a0065330de.jpg)
今回はちょっと長いです。
◆◆◆◆◆◆
■今回のテーマは「顧客の日常」になるための秘策
これまで当Blogでは、ググタス(AKB48 Now on google+) を例にとって「如何にして顧客の日常をおさえるか」が重要な戦略になるということを述べてきたつもりです。
つい数年前まで観られた議論ですが、ネットビジネス界隈の多くの人々は「キラーコンテンツ」を求めていました。
顧客を獲得するには「キラーコンテンツが必要だ」というのです。
多くのインフラ企業がコンテンツ企業を買い漁りました。
高級な価値を持つコンテンツで顧客から高額の支払いを引き出そうと躍起になっていました。
結果は、ほとんど惨敗です。
そして、今ではこのような論説を述べる人はほとんどいなくなりました。
「SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)」や「ソーシャルゲーム」の浸透がキラーコンテンツ論を駆逐したのです。
人々はそんな大それたものを求めていなかったのです。
多くの人が日々求めているのは、4年に1度のオリンピックのような出来事ではなくて、もっと日常生活をよりよくしてくれるものだったわけです。
人々が求めてやまなかったものは、朝起きた時のだるい時間帯、電車の待ち時間や寝る前のふとした瞬間の暇つぶしだったのです。
(もちろんたまに行くシルク・ド・ソレイユや高級フレンチ料理も魅力的ですが。それが魅力的なのはたまにだからです。)
賢い企業や人々は思想的転換の必要性に気づきました。
さて、今日はそんな話を理解するのに一助となるであろう話をしていきたいと思います。
■ゼロの歴史
「ゼロ」の歴史は長い。
ゼロの概念を発明したのはバビロニア人だ。
古代ギリシャ人たちは、高尚な言葉でゼロについて議論した。
どうして何かが何もないことがありえるのか?
古代インドの学者ピンガラは、ゼロと数字の1を組み合わせて2進数を創った。
マヤ人もローマ人も記数法にゼロを使っていた。
しかし、ゼロが本当に居場所を見つけたのは、西暦498年ごろ、インドの天文学者アリヤバータがある朝ベッドから起きあがって叫んだ時だ。
「スタナム・スタナム・ダシャ・グナム」
(値が10倍で位から位へ)
この時、10進法の位取り記数法の概念が生まれた。
あとはとんとん拍子だ。
ゼロはアラブ世界に広がって繁栄を究めると、イベリア半島を通ってヨーロッパに達し、イタリア人に少し手を加えられた。
ゼロはやがて、大西洋を横断して新世界に伝わり、ついにはシリコンバレーと呼ばれる場所で山ほどの仕事にありつくことになった。
(デジタル技術という意味)
■お金のゼロ「無料」
「無料」には重要な意味合いがある。
値下げやマーケティングの話だけではなく、どう使えば自分や社会の利益につながる決断に役立つかという話にも関わってくる。
MITで行われた実験結果を説明しよう。
実験でチョコレートの商売を始めた。
トリュフと大量生産されている市販されているチョコレートの2種類を使う。
(つまり高級チョコと安物のチョコの2種類だ。後者を市販チョコと呼ぶことにする)
※お客はどちらか一方しか選べない。
(二者択一の選択)
・実験1
価格をトリュフを1つ150円、市販チョコを10円に設定する。
お客はトリュフと市販チョコの値段と品質を比較してから、どちらかを選んだ。
およそ73%がトリュフを、27%が市販チョコを買った。
・実験2
価格をトリュフを1つ140円、市販チョコを無料に設定する。
果たして違いは出るだろうか?
どちらのチョコレートも10円安くしただけなのに。
およそ31%がトリュフを、69%が市販チョコを買った。
一体、何が起きたのだろう?
お客がこれほど劇的な反応をしたのはなぜだろう?
2つのチョコの相対的な価格差は変化していないし、それぞれから得られるであろう満足度も変わっていない。
値下げ後も相対的には何も変わっていないのだから、値下げしてもお客の反応は全く同じはずだ。
ところがどうだろう。
お客は我先にと人を押しのけて市販チョコを掴みとった。
それも事前に理論整然たる費用便益分析をしたからではなく、単に市販チョコが「無料」だったからだ。
・実験3
価格をトリュフを270円→260円→250円、市販チョコを20円→10円→0円と変えてみた。
トリュフを270円→260円、市販チョコを20円→10円と変えた時に結果に変化は見られなかった。
しかし、市販チョコを0円にした途端に、やはり劇的な変化が見られた。
お客は圧倒的に市販チョコを欲しがったのだ。
・実験4
お客は小銭を出すのが面倒だったかもしれないし、お金を持ち合わせていなかったかもしれない。
この可能性を検討するために、レジの脇にチョコレートを陳列して実験を行った。
結果は同じだった。
■無料の力
「無料」の何がこんなにも心をそそるのだろうか。
自分は本当に求めているものではなくても、無料となると不合理にも飛びつきたくなるのはなぜか。
ダン・アニエリーはこういう。
たいていの商取引には良い面と悪い面があるが、何かが「無料」となると、私たちは悪い面を忘れ去り、「無料」であることに感動して、提供されるモノを実際よりもずっと価値のあるものだと思ってしまうのだ。
なぜだろう?
それは、人間が失うことを本質的に恐れるからではないか。
「無料」の本当の魅力は、恐れと結びついている。
「無料」のものを選べば、目に見えて何かを失う心配はない。
(無料だから)
ところが「無料」でないものを選ぶと、まずい選択をしたかもしれないという危険性がどうしても残る。
だから、どちらにするかと言われれば、無料の方を選ぶ。
そのため、価格設定の世界では「ゼロ」は単なる価格設定とは思われない。
もちろん、企業活動などにおいて1円の差が大きな違いを生むことはある。
しかし、「無料」の感動に打ち勝てるものは何もない。
値段ゼロの効果は、単独で独自のカテゴリーをつくっている。
「タダで何かを買う」というのは少し矛盾した表現だろう。
しかし、この粘着力の強い「無料」のせいで、私たちがいかに罠にはまり、いらないものを買ってしまうのか。
■交換でも発揮される無料の力
値段を話題にする限り、「無料」は間違いなく人を引き付ける。
しかし、値段が無料となるのではなく、交換が無料だとしたらどうだろう?
我々は無料の品物に釣られるように、品物を無料で手に入れることにも釣られるのだろうか?
こんな実験がある。
大きいチョコバー(60g)、小さいチョコバー(30g)、市販チョコ(5g)があるとする。
子供に市販チョコを3つ先にあげておく。
・実験1
その上で、「市販チョコ2つくれたら大きいチョコバーを、市販チョコ1つくれたら小さいチョコバー、どちらかをあげる。」と言う。
子供は賢い。
単純な計算を難なくこなす。
[A] 市販チョコ2つで大きいチョコバーと交換する場合:
60g - (5g * 2) = 50g
[B] 市販チョコ1つで小さいチョコバーと交換する場合:
30g - (5G * 1) = 25g
子供は瞬時に[A]を判断する。
・実験2
今度は、「市販チョコ1つくれたら大きいチョコバーを、無料で小さいチョコバー、どちからをあげる。」と言う。
さて、子供はどう行動したか?
だいたい想像がつくと思うが、7割の子供が選ぶのは「小さいチョコバー」だ。
[C] 市販チョコ1つで大きいチョコバーと交換する場合:
60g - (5g * 1) = 55g
[D] 無料で小さいチョコバーと交換する場合:
30g - (5g * 0) = 30g
よく考えてみよう。
[A] - [B] = 25g
[C] - [D] = 25g
どちらが損得は変わっていないのに、結論が変わった。
ちなみに、これはもう少し大きな子供であるMITの学生で実験しても同様だった。
お気づきの方も多いと思うが、この「無料」の魔法を使っている商取引は多い。
例えば、Amazonで1冊買うと配送料がかかるが、2冊買ってある金額を超えると配送料が無料になる。
人によっては、配送料が無料になることが魅力的で2冊目を買ってしまう。
Amazonが始めたこの配送料無料サービスは好評であったが、世界でたった一か国だけ売り上げが伸びなかった。
Amazonのフランス支社が配送料を「無料」とするのではなく「1フラン」にしたからだ。
「無料」と「1フラン」は金額だけ見るとたいして変わらないように思うが、意味合いは大きく違うということだ。
■時間にもあてはまるゼロ
ある活動に費やした時間は、他の活動から奪われた時間だ。
だから、「無料」でアイスクリームを試食するために1時間並んだり、わずかな払い戻しのために30分かけて長い書類に記入したりすれば、その時間にやらなかったコトが発生する。
■情報としてのゼロ
「カロリーゼロ」商品が、「1キロカロリー」と表示していたら、きっと売れないだろう。
これは私の体験からしても間違いないが、カロリーゼロのビールが健康にいいことをしている気分を高めてくれる。
おかげで気分が良くなり過ぎて、フライドポテトを一皿注文してしまうかもしれない。
■値引きによる需要増加
伝統的な考え方に基づくと、2つの理由から値引きによって需要は増える。
・市場に参加する顧客が増える
・値段が安くなることで複数買う顧客が増える
■社会規範と市場規範
わかっている人は言わずもがなだが、市場の法則は我々に働く力の一部に過ぎない。
社会的動物である我々には社会的な力にも対峙しなければならないが、経済と社会の力が混ざり合うと、予想とは違う結果になる場合がある。
例えば、私が
「タイヤの交換を手伝ってくれ」
と頼めば、あなたはこう答えるかもしれない。
「そうだな。お前にはいつもお世話になってるし、ちょっと手伝ってやるよ。」
ところが、私がこう頼んだらどうだろう?
「タイヤの交換を手伝ってくれないか。300円でどうだい?」
すると、あなたはこんな感じで考えるだろう。
「おいおい、冗談じゃないぜ。俺の時間にそんな価値しかないって言うのかい。」
基礎となる教訓は、社会規範が支配する状況で金銭による支払いを持ち出すと、金銭が加わったせいで、手伝ってやろうという相手の意欲が減る可能性があるのだ。
■無料による総需要の変化
逆に、こちらが何かを提供するからお金を払ってくれと求めたらどうだろう?
面白い実験がある。
お菓子売り場を設置して、キャラメルを売ることにする。
売り方は2つ。
同じキャラメルを「1個10円」で売るか、「無料」で売るかの違いだ。
・実験結果1
「無料」の時の方が「1個10円」の時よりも客数が3倍になった。
これは、これまでの説明から言えば、想像通りだろう。
では、次の結果はどうだろうか?
・実験結果2
1人の客が何個キャラメルを買ったか?
「安い方が多くキャラメルを買うはずだ」と考えるのが普通だが、結果は・・
キャラメルが「1個10円」の時、1人の平均購入数は平均3.5個だったが、
キャラメルが「無料」の時、1人の平均購入数は平均1.1個だった。
「無料」だと消費者は自制するようだ。
そう、多くの消費者は、無料の時には社会規範の決まりを適用していたと考えることができる。
簡単に言ってしまえば、無料の場合、人は礼儀正しくなるのだ。
結局、「無料」の方が客数は3倍に増えたが、消費者あたりの購入数がそれ以上に減ったので、売れたキャラメルの総数は「無料」の方が少なかった。
非常に面白い結果だ。
価格が交流の一部ではない時、我々があまり利己追求をせず、他社の幸福を気にし始めることを意味する。
値段がゼロの時、商品はより多くの人にとって魅力的になるものの、同時に、人々は他の人の事をもっと考えたり、気にかけたりするようになり、他の人の利益のために自分の欲望を犠牲にするようになる。
我々は「思いやりのある社会的動物」だが、ゲームの規則にお金が絡むと、この性向が抑えられてしまうことがわかる。
■大皿に残る最後の1つ
みんなで大皿料理を囲むとき、最後に1つだけぽつんと残る経験をしたことがないだろうか。
どうやらこの現象は多くの国でみられるものらしい。
大皿という共同の皿が、食べ物を共有資源に変えてしまうからだと思われている。
何かが社会的なものになった途端、我々は社会規範の領域へと誘われ、他社と共有するための決まりごとに従うことになる。
実験によれば、この奇妙な人間の行動は、値段がゼロになった時にしか現れない。
なぜなら、我々は価格が交わらない場合のみ、自分の行動の社会的影響を考えはじめるからだ。
利用できる資源に負担をかけすぎない程度まで消費を抑える。
値段がゼロになっている時、人々は世界を共同体のモノとしてとらえる。
■まとめ
一般に知られている需要の理論は確かなものだと考えることができます。
ただし、値段ゼロ「無料」を扱う時を除いては。
「ゼロの力」をうまく使えば、値引きよりも有利に顧客層の拡大ができます。
そして「ゼロの力」に関して言うと、AKB48のビジネスにとってさらに特徴的なことが言えるのです。
値段ゼロの時、市場規範よりも社会規範が優位となるため、人々に他者の幸福を思い出させることに着目してください。
値段を持ち出さないことが社会規範をもたらし、社会規範があることで私たちは他者のことをもっと気にかけるようになるのです。
これは、まさにAKB48ビジネスのコアである「顧客との関係性」を構築する足がかりになっているものですし、ググタスを使ってさらに加速することのできるものです。
ググタスのコメンテーターはメンバーに対してプロデューサー気取りで指導することから「エア・プロデューサー」などといって批判されることがありますが、このような事象がなぜググタスで起きやすいのか、本エントリをお読みいただいた方にはご理解頂けるものと思います。
つまり、この性質を利用すれば、多くの「エア・プロデューサー」を獲得することができるのです。
「エア・プロデューサー」は報酬(外発的動機付け)によって動いているのではなく、自らの意思(内発的動機付け)によって動いているため、モチベーションが高いというメリットがあります。
「推し」という概念の発明にも繋がっているものです。
(今はググタスに着目していますが、握手会なども同様の理屈で説明できます。)
「推し」という破壊的イノベーション ~「推し」知らずしてAKB48を語れず~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/fb3d486d39725c251911af9d07c763cc
指原の成功(今となっては・・)も、ググタスにおけるBBQのヒットも、そもそものAKB48全体の成功は、このような性質によって支えられているのです。
これだけで説明するには少し強引かもしれませんが、こういった大きな思想的変換を理解できているかどうかで、今後の成功は大きく左右されることでしょう。
料金をとってアイドルをプロデュースとか訳の分からないビジネスも多数ありますしね(゜Д゜)
顧客数が拡大するだけでなく、質の良い『顧客との関係性』を築くこともできるんですね。
総選挙が脚光を浴びてから、「ファン参加型」のプロデュース方法が注目されてますが、そのやり方も難しいんですね…。
「プロデュースする権利」を商品にして売上を増やすというやり方では、まず敷居を高めて顧客数を増やせない。また、その少数の顧客との間に築かれる関係性も、利己的な質の悪いものになってしまう危険性がある、と。
Google+は、何万・何十万という広範なサークルの中で、最大公約数的に良質なファンの声が抽出される『成長促進機関』なんですね。
対価を得ないことが将来的な成長に繋がるというのは盲点でした。
PS『旅RUNガール』を見て感じたこと…。消費したカロリーより摂取したカロリーのほうが多すぎ!(`・ω・´)
金閣寺はこれ以上太ったらイカン~!(´Д`)
でも、総選挙後の『アッコにおまかせ』といい、しっかり喋れるようになったなぁ。
「マスターお薦めのマスタード」なんてなかなか言えませんよ(´;ω;`)(爆)
「有料」だとコンテンツと顧客の関係が供給者と消費者の関係になり、
「無料」だとコンテンツと顧客の関係がフィールドとプレーヤーの関係になるということでしょうか?
コメントありがとうございます。
>顧客数が拡大するだけでなく、質の良い『顧客との関係性』を築くこともできるんですね。
仰る通りで、これをベースに諸々の制度設計をしていけば良質な関係性の構築が可能になるのではないかと考えます。
>Google+は、何万・何十万という広範なサークルの中で、最大公約数的に良質なファンの声が抽出される『成長促進機関』
なかなかうまい表現ですね。
やすす先生的に言えば、「最大公約数」よりも「最小公倍数」ですかね。
成長促進という意味においても。
「いいところを取る」というよりも、「ここぞというところを尖らせる」というか、観念的な表現になってしまうのですが。
ファンと一緒に成長するのが理想ですね!
>対価を得ないことが将来的な成長に繋がるというのは盲点
そこなんですよ。
普通のビジネスマンでは気づけませんね。
>消費したカロリーより摂取したカロリーのほうが多すぎ!(`・ω・´)
ウケましたよw
ちんともさんは、実はゆいはん推しですか?(笑)
コメントありがとうございます。
>「有料」だとコンテンツと顧客の関係が供給者と消費者の関係になり、
>「無料」だとコンテンツと顧客の関係がフィールドとプレーヤーの関係になるということでしょうか?
かなり近い考えだと思います。
前者だと市場規範が働き、後者だと社会規範が働くという意味ですよね。
もちろんAKB48は営利組織ですし組織そのものを存続させていかなければなりませんので、全てを無料にするわけではありませんが、このような無料をベースとしたビジネスモデルを構築していくことが重要と私は考えております。
いかに内発的動機付けを邪魔しないインセンティブを提供できるかも論点になるかと思います。
>ただ乗りのジレンマ
なるほど。
インセンティブをどう設計するのかという話ですね。
環境問題などと違う部分というか、AKB48がゼロベース・ビジネスモデルを組める理由は、AKB48と顧客との「距離感」にあると思うのです。
AKB48というプラットフォームは大皿料理の「大皿」なんですね。
というより、「大皿」になるように制度設計する必要があります。
たとえば3.11震災直後に品薄になった「納豆」。
品薄の理由には流通によるものなど、いろんな理由がありますが、高齢者がスーパーに並んで「納豆」を購入する場面が報道されたり、私自身もこの目で見ました。
その他にも、被災地で譲り合いをしていた人々と対照的な出来事が都心で多くみられました。
私は、この違いは「対象事物を共有資源と考えることができるか」からきていると思うのです。
言い換えると、自分のした行動に対する直接的なフィードバックが得られるかどうかではないかと。
社会的規範が優位に働くためには、直接的フィードバックが得られる環境にいるかどうかが重要になってくるのではないかと思います。
AKB48はメンバーが有限資源であり共有資源であることが誰の目にも明らかです。
なのでメンバーの状況さえ見える化されれば、参加者に社会的規範が優位に働くことを促すことできると思います。
そういった意味でもメンバーの日常を見える化するググタスは強力な武器になると思います。
ググタスの使い方についての考え方 (メンバー向け)
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/3ecc801a92fef3d7b56137fa26aa8c45
ググタスの投稿は少なくても朝・昼・晩・夜の1日4回、夜は24時過ぎまでに。ただし深夜枠は別。
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/70e52157c4e410960b4e813185c6767a