
夕暮れ時、用事で日本海側のとあるところへ車で移動していたのだが、突如として夕日を見ながら『夕陽を見ているか』を聴きたくなって、沈みゆく夕日を横目で見ながら高速を飛ばして日本海側のとあるサービスエリアに急ぐ。
この海に面したサービスエリアは、サスペンスドラマの断崖絶壁シーンに使われるような夕日を見るための黄昏スポットがあるのだ。
ちょっと急げばギリギリ日没に間に合う。
思い立ってから約2時間半、ようやくサービスエリアに着き、急いで建物の裏手に林をかき分けて海の見えるその黄昏スポットへ走る。
到着。
が、なんと!
海と空を分けるその部分にだけちょうど雲がはっていて、夕焼けは綺麗なのだが、夕日が見れない。
少しがっかりして肩を落としたが、せっかく来たのだからと、そこにあったベンチに腰を下ろして『夕陽を見ているか?』を2回リピートした。
人生ってこんなもん。
「そこにいけば見れる!」と思って全速力(今回がんばったのは車だが・・)で走るのだけど、あるべきところに行ったからといって、それを見ることができるとは限らない。
タイミングや運、その他もろもろの条件が揃わないと、同じ場所に立っても見れない時は見れない。
あると思って走ったけど、何もないことはある。
だけれども、何もないからといって、そこに本当に何もないとは限らない。
今回は、雲に隠れて夕日を見ることはできなかったけど、確かに夕日はそこにあるのだ。
夕日はそこにある。
だけど、今回は見ることはできなかった。
でも、いつかは見ることができるだろう。
いるべき時に、そこにいれば。
◆◆◆◆◆◆
別にセンチメンタルになってるわけじゃない。
騒動が起きる度に思うことが一つある。
「みんな自分の未来を信じていないのだな。」と。
根拠もないのに信じろと言う方が酷なことなのかもしれないが。
(実際、私は夢など持ったことのない人間だから、語る資格はないのかもしれない。)
だけど、いつかあのステージの上に立つ自分をイメージしていれば、今何をすべきか、少なくてもどうあるべきかは難しく考えなくてもわかることだろう。
歳を重ねたメンバーが自分の未来を悲観して、という方がまだわかりやすい。
「若さゆえに」という言葉をよく聞きはするが、私はそれと同時に「若いのに」と思いもして、少しさびしい気持ちになる。
「いつ行ったら見ることができるのか?」を気にして走らないのだとしたら、永遠に見ることはできない。
前から言うように、ルールを守ることに意味があるわけじゃない。
理念に忠実であるかどうかが求められているわけだ。
夕陽を見るために走るのか、走らないのか。
みんな、夕陽を見ているか。