粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

関西連合の稼働容認

2012-05-31 13:09:47 | 原発事故関連

あれだけ強硬に関電大飯原発再稼働に反対していた橋下大阪市長らはどうしたんだろう。「限定的」とはいいつつ事実上の容認だ。やはりいざ夏に向かい「節電努力」の厳しさを再認識したようだ。以前関電の担当者が嘉田滋賀県知事に「万一計画停電を強いられたとき、病院で呼吸器を付けて入る人に深刻な危険が出てくる」と伝えたことが当時脅しととられて問題になった。確かに無いとはいえないが、自治体の首長は住民生活の安全を確保することが至上命題のはずだ。そうした危険を全て国任せに責任を押し付けるのは行政放棄にも繋がる。

また原発の地元,福井の西川知事の苛立表明も大きく影響したといえる。「(電力消費地や国が)電気が必要でないと言うならば、無理して動かす必要はない」「消費地が将来の見通しもないままいろんなことを言うのは望ましくない」あるいは橋下市長の「1~3ヶ月の臨時運転」の提案を「ご都合主義で話にならない」と不快感を示した。など(5月23日ドクター町田のコラムより

ここに至って関西地域連合は、そうした現実的な判断から今回の容認となったのだろう。この決定を歓迎したい。近日中にも野田首相が「自分の責任」で原発再稼働させることを表明するようだが、地方自治体の首長もその責任はそれぞれがあるはずだ。ただ安全ばかりを楯に再稼働反対を唱えるのは無責任だと思う。究極の安全など不可能である。「現実的」な原発の安全を首長自ら見定めて、それ以外の住民の諸々の安全を含め総合的に判断する責任があると思う。


島田市がれき反対派の「危険情報」への疑問

2012-05-30 08:40:02 | ガレキ広域処理問題

静岡県島田市で今月23日から岩手県のがれきの広域処理を本格的に始めたが、ここへきて反対派は2つの「驚くべき数値」を提示しがれき処理の危険性を強調している。


1、市民グループが5月22日午前、静岡県政記者クラブにおいて、静岡県島田市伊太小学校730Bq / kg,大津小学校1970Bq / kg のセシウム汚染があると発表。島田市内では試験焼却前は10Bq/kg程度だった。

2、市の焼却場でバグフィルターによるセシウムの除去率が50%~60%に過ぎず放射性物質がダダ漏れになっている。10万ベクレルが行方不明になっている。


しかし2点とも疑問点が大いにある。

まず1の小学校での高濃度汚染についてであるが、問題はサンプルの少なさである。各小学校1箇所だけの数字である。また測定場所も側溝や樋下など放射性物質が溜まりやすく、濃縮されやすい局所だ。別表の線量データを見る限り試験焼却前後に差異はないのはそんな限定的な場所だからだろう。

しかも比較すべき試験焼却前の各々の場所の濃度も出ていない。「以前は10Bq/kgであった」というのは何を根拠に言っているのかと思ったら、別の市民グループの調査を引用していた。なんと自分が以前ブログでも紹介した木下黄太氏の2月の市内の土壌検査をそっくり採用しているのだ。

木下氏が「おそらく20Bq/kg以上はまず出ないだろう」との期待感から調べたものだ。したがって「小学校樋下」といった「きわどい場所」は測定していないので、今回の比較には全くなり得ない。結果的に広域ガレキ処理の危険を証明したものとはなっていない。今回の「驚くべき」データを島田市長に提出して「ガレキ処理での再考」を促したいのだろうが、これでは「却下」になりそうだ。

2の焼却場での「セシウムダダ漏れ」に関しては環境省が明快な反論をしている。その内容を読めばその疑問は氷解するのではないだろうか。専門用語が多くすぐに理解できるとはいいがたいが、内容そのものは難しいものではない。論旨は3つに集約される。

①バグフィルターからてきたガスからはセシウムが検出されなかった。正確には検出限度以下だった。

市民団体のいう除去率50~60%なる低評価はその算出方法がそもそも疑わしい

③外部に出たガスのばいじんを調べてみると定量下限0.004~0.005g/m3未満であり、充分除去機能が果たされている。

まず①の不検出であるが、測定器の精度は「ろ紙部分」が0.33~0.46Bq/m3(煙突出口)、ドレン部分(排水口)が0.98~1.3Bq/m3だ。つまり環境省が決める濃度の基準30Bq/m3を検出限度以下ぎりぎりでも大幅に下回っており、極めて安全な水準であることがわかる。さらに実際は精度限界よりもずっと低いことが考えられる。

次に②の外部の市民グループの「ダダ漏れ」の指摘に対して、その算出方法に異議を唱えている。彼らがどういうふうに算出したか不明なので、ここで詳細を云々するのも難しい。ただ環境省が指摘するのは、市民側が排出ガスを過大に算出していることだ。さらに問題なのは①での「不検出評価」を逆手に取ってガス中のセシウム濃度を検出限界の数字で計算していることだ。実際の濃度はもっと低いことが考えられる。したがって除去率はずっと高いといえる。ただ島田市の測定機では充分にわからない。

そこで③の空気中のばいじん濃度が決め手になる。島田市の試験焼却では定量下限0.004~0.005g/m3未満となっている。その正確な総量はわからないが、トン単位のゴミからすれば問題にならないくらいの微量だということはわかる。

さらに、環境省では福島の焼却場で実際にセシウムの除去率をもっと精度の高い検査機で計っている。それによると99.9%という高い除去が確認されている。

以上、環境省の説明から市民グループの「放射能タダ漏れ」批判は、説得力あるものとはとても思えないことが分かる。

しかし武田中部大学教授はそれでも相変わらず、煽りを繰り返している。(5月26日コラム)

島田市は「バグフィルターの除去率が99.9%であり、煤塵濃度は0.004~0.005g/m3N以下だから大丈夫」としていますが、セシウム137は1グラムあたり3兆ベクレルですから、仮に0.003gでも1立方メートルあたり100億ベクレルになり、同じ文章の安全性の目安とされる30ベクレルの実に3億倍になります。

まるで、ばいじんがセシウム全てのように言っている。焼却時に発生した物質のほんの一部に過ぎない。実際島田市のバグフィルターで、セシウム不検出すなわち1Bq/m3以下(実際はさらにずっと少ない)ということがはっきりしている。なぜ100億ベクレルになるのか。この教授のどこに科学があるのかさっぱりわからない。



追記1:バグフィルターのセシウム「除去率60%」を主張する内容のサイトが見つかった。おそらく環境省の反論は、この主張をふまえてのものだろう。やはり不検出限界の数値(0.33~0.41Bg/m3)(煙突)をもとに算出していた。またガス排出量を17,000m3・20,000m3毎時で計算していて環境省はこれを「過大」としている。(当初ガス排出量を1桁少なく書いてしまいました。お詫びして訂正します。

追記2:文中の冒頭でリンクした市民グループの記者会見では、ジャーナリストの青木泰氏が広域がれき処理よりも焼却場のセシウム除去の不備を問題にしていた。小学校の高濃度は、廃棄処分になった茶葉や災害地からの不法な投棄を焼却したことによるとしている。同席の女性活動家たちとの意志の疎通がしっくりしてないような印象がある。しかし環境省の指摘通りに焼却場のセシウム除去に問題ないとしたら、一連の反対運動の正当性をどう説明するのだろうか。

追記3:ガス排出量を環境省がいう13,000m3毎時とする。しかも17時間の焼却時間のうち最後の4時間は実際焼却をしていない。その間の飛灰の量は環境省が指摘する通りそれ以前13時間と比べはるかに少ないと考えられる。4時間平均で半分とすると6,5000m3毎時のガス排出量しかないのと同じことになる。したがって焼却時間全体の排ガス総量もさらに少なくなり、11,500m3毎時相当として計算すべきだ。

このガス量で全体の飛灰に含まれるセシウムを計算すると228735Bqとなり原灰に含まれるセシウムの209380Bqに近い数字になる。これで計算すると91.5%の除去率になる。それでも8.5%は除去されないことになるが、焼却後半4時間の飛灰が実際はもっと少なくなることは充分考えられる。そうすると限りなく原灰に近づくがその辺りは正確なところわからない。しかし市民グループのいう60%の除去率の主張が実態から相当はずれていることは間違いない。




こんな抗議はほとんど病気

2012-05-29 00:18:40 | ガレキ広域処理問題

山本晋也監督なら、唖然として嘆くだろう。群馬県桐生市でおこった広域がれき受け入れ「抗議」行動だ。ドクター町田氏(5月24日のコラム)が究極の言葉であきれているが、自分も気持ちの上では同じだ。

町田氏の地図を見れば、桐生市の方ががれきを搬入する岩手県より、遥かに福島第一原発に近い。すでに受け入れを実施している東京都では、同じ岩手のがれきの方が放射性物質の濃度が低く、それによる健康被害など全く報告されていない。なぜ桐生市でこんなに試験焼却で反対するのか理解に苦しむ。

おそらく桐生市の一般ゴミのほうが、岩手のがれきより放射性物質の濃度が高いだろう。しかしこれまで「市民」が市内ゴミの焼却に抗議活動をしたという話を聞いたことがない。

要するに反対するグループは、放射能による健康被害をまじめに心配しているのではなく、「岩手のがれき=放射能汚染」と決めつけているのだ。これは明らかに「岩手差別」あるいは「東北差別」だ。

反対派グループはそれに全く気付いていない。気付こうとしない。自分はこういうグループはある意味、宗教的カルトと同じではないかと思う。放射性物質の濃度や放射線量の実際の数値など目にもくれず、「放射能恐い、東北は放射能に汚染されていて危険だ」というお題目を唱えている。またそれが運動の根本(教義)となっている。

こうした偏狭な考えの持ち主が集まると、余計その情念が強まって結束していく。そこにカルトが誕生する。対外的には、攻撃対象を定めてその排斥に没頭する。

こんなこと書くとまた女性差別といわれてしまうが、その「信者」は女性特に小さい子供を持つ主婦が多い。そして抗議活動には、子供を同伴でそして子供を前面に押し立てる。

もちろん放射能で悩む主婦全てを言っているのはない。母性として子供の放射能被害を心配する気持ちは理解しているつもりだ。しかしそれが度が過ぎて現実的な数値や事実を全く理解しようとせず、一方的に攻撃対象をつくり出して排斥運動に奔る行き過ぎを問題にしているのだ。がれきの受入れに反対する人間はほんの一握りであろう。おそらく、こういった人々を理屈で説得しても不可能だ。精神的、それも宗教的な対処方法が求められているのではないか。



「週刊現代化」した報道ステーション

2012-05-27 08:34:00 | 反原発反日メディア

25日に放送されたテレビ朝日の「報道ステーション」は、昨年原発事故直後に盛んに繰り広げられた週刊誌の煽りを思い出してやりきれなさを感じた。さながら今回の番組は一時の週刊現代の究極の煽りを彷彿させる。福島第一原発の4号機燃料プールで今後の大きな地震の際に起こりうる危険性について、これでもかと無理矢理危険を探し出して煽り続ける。

まず懸念されることはこうだ。

1、冷却用の配管が壊れ、プールに給水ができず燃料棒がむき出しになって温度上昇で放射能が漏れだす。

しかし専門家の話だと、「既に相当燃料棒は冷やされていて、逆に破壊された建物の外側から空気が入り込み冷やされる。100度から300度ぐらいにしか上昇しない」というのが彼らの一致した予想だ。番組がこの予想を「意外」と解説しているところにその意図、本音が見え隠れする。

しかし番組は更なる危険を用意する。

2、大きな地震で燃料プール自体が下に崩れ落ち、燃料棒が重なり合って空気や水が及ばない状態になる。

そこで起きる危険について、ある研究機関の実験を紹介している。温度が急激に上昇し700度あたりで燃料棒を覆う管がその熱のために破裂し、最後はあのメルトダウンが起こるというものだ。

これが番組が想定する最悪のシナリオだ。これに対して、東電側は地震で燃料プールが崩れ落ちることがないように支える補強工事をすませており、以前の1.2倍まで耐震強度が高められていると安全性を強調する。

しかし番組は、あくまでも「危険モード」に終始していた。ゲスト出演している評論家の佐野真一氏が「身につまされる」「(東電の言っていることは)原子力村の論理であり、外では通用しない」「背筋が寒い、空恐ろしい」そして極めつけは「日本だけの沈没ではない,世界的な規模で沈没が始まってしまう」とまでいう。この評論家特有の反原発観を得意になって、しかも情念を前面に出して語っている。聞いていて不快感ばかりが募る。佐野氏は東電の「安全だと安易に言う鈍感力」を批判している。しかし、危険という名の鋭利な言葉で煽って、福島の人々を苦しめているのに気がつかない「鈍感力」をどう考えているのだろうかと、逆に聞きたくなる。

古館キャスターの話も自分には独善的にしかに思えない。警戒地域の解除による住民の帰還を「東電の賠償金切り捨て」と決めつける。「帰りたいけれど賠償がなくなるのは、逆に「帰るな』と言っていることではないか」と余計な勘ぐりをする。東電や政府への不信感むき出しだ。

しかしそんな不信感ばかりをテレビという媒体を使って一方的に流すことがメディアの役割とは決して思わない。テレビ朝日が東電に変わって避難民に賠償するわけではない。「東電憎し」に終始するのなら過激な報道で部数を増やした週刊現代と少しも変わらない。


超過激反原発派教授の転向?

2012-05-25 10:25:32 | ガレキ広域処理問題

早川由起夫群馬大学教授といえば、福島差別ツイッターで大学から訓戒処分を受けた、泣く子も黙る超過激な反原発派として知られる。しかし最近の彼のブログをみて「おや」と思った。自分も最近取り上げている北九州市の広域ガレキ受け入れ問題だが、これに反対する運動を「東北差別」としているのだ。

ブログには、抗議活動の写真が掲載されている。ベビーカーに乗った幼児達をまるで防御の楯にするかのようにして公衆の面前に晒す異様な光景だ。ブログは2人の抗議活動支持のツイッターを紹介した後、教授がこれを批判するコメントを載せている。


異様な光景だ。赤ちゃんを乳母車に乗せた若い母親たちが結集している。この写真は、撮影者の意図とはまったく逆の意味で世界にアピールできる。宮城県石巻市の津波がれきを焼却したときの放射能汚染の程度を調べるために、北九州市ががれきを搬入した日。東北差別が始まった日として、長く記録されるであろう。


自分も最初この写真をみて教授と同じことを思った。自分の印象を教授が「代弁」してくれているとさえ感じた。ひょってとして、早川教授はこれまでの目に余る差別発言を懺悔して「改心」したのかと淡い期待を持ったが必ずしもそうではないようだ。

別の教授のツイッターではこうもつぶやいている。


がれきを日本中に広げるのは、もちろん政府による放射能拡散策だ。しかし、このがれき拡散に反対する住民運動は、やがて東北を切り捨てる空気をこの国に形成する。政府がそこまで考えてがれき拡散をいま熱心に進めているのならスゴイ。辣腕(らつわん)政府だ。


要は「ガレキ反対の皆さん、そんなに騒ぎなさんな。こんなことしたら国民特に東北の人に反感持たれますから、大損ですよ。漁父の利で政府が喜ぶのだから」という具合だろうか。やり方が間違っている、ガレキよりも食品だというところか。しかし、ひとつだけ教授を「評価」するとしたら、「幼児を運動の道具にして情緒で行動する異常さ、危うさ」を批判していることだろう。「この写真は、撮影者の意図とはまったく逆の意味で世界にアピールできる」という表現からも窺える。その点はまだ現地の活動家よりは理性が働いているのではないか。

しかし、ネットでは教授のブログに、「反原発原理主義者」は猛反発。なんと教授を「御用学者」とまで指弾する人間が出る始末。それに教授も応じるバトル、「岩手・宮城の農産物をくらうことは瓦礫を焼却するより1000倍あぶない。」とも。まさに内ゲバの様相だ。

反原発派たちは今や過激な「危険ごっこ」にエスカレートしている感じだ。少しでも「危険」から逸脱しようとする者は糾弾される。したがって以前ブログでとり挙げた「反原発論者の忌み言葉」(4月17日、18日)にもうひとつ加えるものがあるとしたら「安全」という言葉に尽きるのではないか。