自分自身テレビのマラソン中継はよく見る。特にスポーツジャーナリスト増田明美さんが解説する中継はとても好きで最後まで見入ってしまうことが多い。彼女の解説は選手の調子や心理状況を的確に分析すると同時に、選手のプライベートな人間模様も興味深く伝えてくれる。何より同じアスリート出身者として後輩を見つめる眼差しがまるで妹あるいは娘を見守るかのように暖かく優しい。
そんな増田さんが先の東日本女子駅伝について29日産經新聞のコラムでその想いを吐露している。この駅伝は自分自身のブログでも何回も取上げたが、やはりその関心は何といっても反原発派の健康被害を理由にした開催反対の動きである。自分もその煽りを受けた一人だが、増田さんもこの外部の動きには違和感を覚えたようだ。彼女の指摘は手厳しいが的確である。
福島市内の学校では、校庭の除染を行ない、線量を測定して屋外での体育の授業や部活動を行なっている。他県から来て3日間滞在する選手は競技場のウォーミングアップやコースの試走を行ない、中学生は本番で10分間走る。それが危険だという理由がわからない。福島市内で子供に戸外で走ることを止めさせよう主張するなら、なぜ中高生の秋の新人戦などの中止を要請しなかったのか。
自分の目で見て、自分の耳で聞くことなく、ネット上のセンセーショナルな言葉や情報をうのみにしてしまうとはなんと浅はかなのだろう。
さらに開催反対を叫ぶ人々の意図そのものにも大いに疑念を抱いている。
今回の東日本女子駅伝は震災以降初めて関東地区でもテレビ中継されるスポーツイベントだった。騒いで注目を集めるための標的になってしまった感がある。
そしてネット社会の危うさを問題にし、発する側、受ける側双方の啓蒙が必要だとしている。
ネットの世界では、誰もが情報の発信者になり得るので、個々の情報が真実であるか否か、必要最小限の情報の選び方を教育することが急務ではないか。それを義務教育の中で行なう必要があると思う。
最後はネットの必要性は同意しつつも人間関係の原点として生身の触れ合いの大切さを強調している。
先日、友人が「目に前に座っている部下から仕事の報告メールが届いた」と嘆いたことを思い出した。幸せの価値観は多様だが、人と人のつながりは普遍的なものだと思う。ネットの活用も大事だが、真実を確かめる感性を養う必要がある。そのために、肉声や表情、目の色に触れることを忘れてはならない。
増田さんの指摘はどれも傾聴すべきものであり、これ以上自分が付け加えるものはない。むしろ自分自身の自戒としたい。つまり自分もネットで発信する側として反省しなければならないと痛感する。また受ける方としても新たな自覚が必要だと感じた。