粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

日本の進路の分かれ道

2012-05-06 12:37:43 | 原発事故関連

昨日、北海道の泊原発3号機が運転を停止して、国内全ての原発が止まった。テレビで、反対派活動家たちが喝采を上げている姿が映し出されるのを見て、複雑な気持ちになった人は多いだろう。

原発を一切使わないと、化石燃料の輸入で年間3兆円以上の余計な支出になり、日本のGNPを0.6%引き下げるという。しかしこれを昨日の新聞で報じている新聞は少ない。朝日新聞の朝刊を見回したが、日本経済に及ぼす影響にはほとんど言及していない。あるのは節電の行方や代替エネルギーの今後、あるいは再稼働反対に取り組む人々の動向ばかりだ。テレビを見てもその傾向は変わらない。まさにほぼ全マスコミが再稼働反対の大合唱だ。

もちろん原発の安全性に最大限注意を払うことは大事なことである。しかし、事故による放射能被害が過大に強調されているのは1年経っても変わらない。原発問題の根本は正にこの放射能問題に集中しているといって過言ではない。しかし地震の津波などでの死者行方不明者が2万人に及ぶのに、原発事故の死者が出ていないどころか、健康被害さえも正式に報告されていない。これほど不思議な現象はない。ある人はこれを「都市伝説」と呼んでいるが、まさにさもありなんだ。伝説はいつか大予言となる。ノストラダムスの大予言、マヤの大予言と同じ類のオカルトといってよいかも知れない。その奇説を楽しむ分にはいいが、「20年後恐怖が待っている」と大まじめに騒ぎ、それによって自分たちの法外な収入を得ている人がいるのは困ったものだ。

確かに、こうした人々の闊歩を許した責任は国、政府にもあるだろう。特に菅前首相の政策は、今から考えても大衆迎合主義といわれても仕方がないだろう。「脱原発」を主張するのはよいとしても、その道筋がはっきりしていない。当面のエネルギー問題にもっときめ細かい配慮が必要なのに、余りそれが見えなかった。突然のストレステストの指示などその最たるものだ。

野田内閣になって、多少その方向に修正は見られたものの、首相の明確な方針が開示されず、どこか成り行き任せの所があって多いに不満だ。またその指導性も感じられない。

むしろ橋下大阪市長などの外野の声ばかりが騒がしい。これにメディアが連動して、「反原発世論」が形成されていく。いわば原発は鬼っ子扱いであり、「魔女狩り」が進行しているといってよい。そしてこのままいけば間違いなく日本経済は衰退していく。

こうした日本を横目でほくそ笑んでいるのが、中国、韓国、北朝鮮といった隣国である。日本の衰退はこれらの国々の台頭につながる。経済的に日本が困窮していけば、これら隣国の国益に従わらずをえず、下手をすれば属国になりかねない。「反原発派」がそこまで考えているか分からない。ただ一連のこうした行動が隣国を利することは明らかだろう。