粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

復興のあるべき姿

2014-03-11 23:29:17 | 震災全般

経済ジャーナリストで原発問題にも詳しい石井孝明氏が、福島県南相馬市で最近ではNPOで除染活動の仕事を立ち上げたある林業経営者にインタビュ-していた。

箱崎亮三氏54歳、地域の再生に強い意欲を持っているが、最近地域に「土地の力」がなくなったと危機感をもっている

昼に食事にいくと、外食チェーンが繁盛しています。東電から賠償金が入っているのに、仕事がない人、できない人がたくさんいるのです。そうした中高年がグループで食べに来て、そこで時間をつぶすのです。これは仕方がない半面、働かないことは、いいことではないでしょう。その人の心にとっても、町にとってもです。

そんな中高年がいる一方で20代後半から30代の若い子育て世代を中心に地域からの流失が続く。それを単純に放射能の影響を考えがちだが、複合的に社会現象として見るべきだと箱崎氏はいう。

仕事ができなくなり、移住をした場所が、住みやすくて仕事があれば、戻る理由はありません。これは若い世代を引き付ける地域競争の結果です。南相馬は震災前から、どの地方も苦しんでいるように、若年世代の流失傾向がありました。震災と原子力災害はそれを加速させました。

南相馬に残る決断をした人は、安全な情報に注目しがちです。一方で去った人は、帰らない理由を探しがちです。そこで、その理由に放射能を上げる人がいます。実はそうした人も、自分で健康被害は起こると思っていないことがあるのですが。

早い話が、そこに住んで仕事ができて生活ができるかのという極めて現実的な問題があるわけだ。母子だけで移住する場合はともかく、放射能が移住の口実に使われているともいえるいえるかのしれない。

だから箱崎氏は地域の魅力を探して活性化させることだ必要だと力説する。

大切なものを南相馬で発見して、大切に育てること、それに価値を見つけることが必要と考えています

失ったものは大きいのですが、それをバネにして未来を考えなければ。そうしなければ、人は戻ってこないし、町は再建されないですよ。「先進的なことをやるぞ」と、背伸びをし、他の場所より魅力を増す付加価値をつくらなければなりません。

そのためにも国も県と地域の関係について注文を出している。

国も県もできることのメニューを揃えていますし、その努力をありがたいと思います。ですが、もう少し、やる気のある人が自由に動ける状況をつくってほしいです。

福島に限らず、被災地の復興にややもすれば、国や県の机上のプランが先行して地域の要望と乖離して思うように復興が進んでいないことが少なくない。結局多額な復興予算が浪費される。何よりも地域の復興に意欲的な取り組む現地の人々の声を聞くべきだはないか。あくまでも地域主導で進められることが本来の姿だと思う。


大切な合成写真

2013-06-12 11:56:47 | 震災全般

親にとっては、子どもの成長で大きな節目の一つは、小学校入学だろう。そしてそれを象徴するものがランドセルだ。昨日(6月11日)NHKニュースウオッチは東日本大震災の津波で母親と息子を失った父親と娘のことを紹介していた。息子の涼斗くんは当時1ヶ月後に小学校入学を控えていた。何よりも父親の辰哉さんは息子のランドセル姿を楽しみにしていたことだろう。

娘の風音ちゃんは震災当時は3歳で、母親や兄の死をよく理解できない。自分一人でいる時は何時間も家族のビデオを見る。しかし父親がビデを見ようとするとスイッチを切ろうとする。おそらく、いつも父親がビデオを見ては悲しむ姿を知っていて風音ちゃん自身幼いなりに何かを感じていたのだろう。

つらい気持ちになることが多い息子の記録に新たな「成長記録」が加わった。息子の最新の写真にランドセルが背中に合成された。涼斗くん自身も入学を楽しみにしていたのでその思いを写真でかなえさせたかった。同時に父親への強い期待と願望が込められている。

今も息子はランドセルを背負って「ただいま」と家に戻ってくる気がする。心の中では父子は今も繋がっているのだろう。そんな涼斗くんの写真を見ると辰哉さんも励まされて頑張ろうという気持ちになるという。

以前、伊達直人と称する人物が、児童施設に置き手紙を添えて沢山のランドセルをこっそりを置いて去っていった話を思い出す。子どもは教育を通していつか社会に生きていく。

辰哉さんは風音ちゃんに本当のことを今だ話さずにいる。しかし、来年には小学校に入学してランドセルを背負う時期には、兄のあの写真の意味することが少しずつわかってくるだろう。子どもの成長を何よりも望んでいた父親のつらい気持ちと熱き思いを。


母娘の会話

2013-03-11 13:59:16 | 震災全般

遠藤未希さん(当時24歳)、宮城県南三陸町で町民の避難を呼びかけながら押し寄せる大津波の犠牲になった。

「大津波がきています、早く早く高台へ逃げてください。」津波の荒々しい音にも負けないほどに強く、無線から発せられる叫び声が今でも思い出される。そしてその様子を後でビデオで見た母親の美恵子さんが「まだ言ってる、まだ言ってる」と何度も繰り返す様子は、聞いていてこちらもつらくなる。

美恵子さんは、娘が町の職員になることを勧めたことを震災後悔やんだという。しかし後になって娘が将来の自分に向けて書いた手紙を見つけた。おそらく自分が嫁ぐ時のことを想像したのかも知れない。その中に「お母さん、私を産んでくれてありがとう」という言葉があった。美恵子さんはテレビで「これを読んで少しは気持ちが軽くなった」と語っていた。

おそらく、震災前まで平凡だが、家族内で濃密な時間が流れていたのだろうと想像される。美恵子さんは、震災後水産加工の工場で働き始めた。テレビで、同世代の女性たちとわかめを仕分けする様子が映し出された。世間話が飛び出すような職場でも、おそらく娘の昔が脳裏をしばしばよぎるに違いない。懐かしく、愛おしく、今も心の中で娘と会話しているのだろう。


前に向かって走れ

2012-04-10 11:05:54 | 震災全般

震災の津波で校舎を失った南気仙沼小学校。同じ市内の気仙沼小学校に間借りして開校式を迎えた。産経の報道で記事とともに学校へ向かう児童3人の写真が添えられていた。

女の子たちの表情を見て、はっとさせられた。新学期を向かえる喜びが全身から伝わってきて、さわやかさを感じた。おそらく自分たちの学校を失った悲しみをどこか心の隅にのこしてはいるだろう。しかし、それでもこれから始まる未来に向かって自然と走っていこうとする。その姿は活気に満ちていて、見ていてこちらが救われる。

子供たちは周りの大人たちが抱く今後の不安などお構いなく、この明るさで突き進んでいくに違いない。そしてこの被災地の復興を後押ししていくのが、こうした子供たちの活力なのである。


在日の元米国紙記者の想い

2012-03-19 11:03:44 | 震災全般

昨日のブログ(3月18日)は日本にいて放射能の危険を煽る米国人詩人のことだったが、今日は真逆の人物だ。本日付産経新聞「絆はどこへ行った」で、2人の在日外国人が、今なお震災で苦闘する日本人へ想いを吐露している。そのうちワシントンポストの元東京特派員で現在鎌倉在住のポール・ブルースティング氏(60)の発言はひとつひとつに重みがある。

被災した高齢者が「ボランティアの人からおにぎりなどをもらって感謝しているが、私は与えられるよりも社会に貢献したい」と話したことに感動、「これが日本精神だ」と思った。

日本人の誇り高さを賞賛する一方で

「被災地に協力したいと言いながら自分たちに直接影響があると拒否した。それががれきの広域処理に表れた」と残念がった。さらに「被災地の苦しみを分かち合わなければならない。もし自分たちの地域の首長や議員ががれき処理の協力を断るなら、次の選挙で落とせばいい」

復興に背を向ける国民や為政者には手厳しい。『人権派弁護士」出身の札幌市長の発言には苦々しく思っているに違いない。

ブルーススティングは、いわゆる「放射脳」の先の米国人と違い日本の現状をよく理解してように見える。

放射能問題を徹底的に勉強し、「放射性物質はごくごく微量なもので問題ない」と理解。家族とともに日本にとどまった。今も福島県産の野菜や米を買い続けている。

そんな日本人にとってはありがたい氏だが、「日本人の絆」そのものには信頼を失っていない。

「日本は必ず困難を乗り越えると確信している。多くの日本人は、東北の人たちが家族を亡くした痛みや家を流された苦しみを理解している。絆はそのうち戻ってくる」

日本人は、こうした在日米国人の熱い想いに対し、裏切ることなく各々が応えなければならないだろう。