今村復興大臣が質問したフリー記者に対して「「「黙れ」「うるさい」と暴言を吐いたことで、例によって左翼メディアを中心に復興大臣叩きが今騒がしい。
その模様を動画で見たが、実際酷いのはフリー記者の方で、質問というより、大臣に対する誹謗中傷に等しい個人攻撃といってよい。確かに大臣も多少冷静さを欠いt´いた面もあるが、こんな悪意ある記者に激昂するのも仕方ないことで同情を禁じえない。
記者は住宅の無償提供を打ち切られた原発事故の自主避者たちに対して、福島県などの自治体に任せっきりなのは国の責任放棄ではないかと執拗に大臣を責め立てていた。大臣は住民の実情を直に把握している福島県が窓口になり国がサポートしていくことを強調していた。記者は切り口を変えながらも同様の質問を繰り返しながら国の政策を批判していた。
最初は大臣も質問には丁寧に国の立場を再三強調していたが、記者のしつこさに次第に表情が険しさを増していった。ただ激昂に至った節目は記者のある質問からだった。
’「(自主避難で帰れない人は)福島県だけではありません。栃木からも群馬からも避難されています。千葉からも避難されています。 それについては、どう考えていらっしゃるのか。」
大臣の「福島を窓口に」という基本原則を叩く口実に記者は自主批判者には隣県の 「群馬、栃木あるいは千葉から避難した人もいる」という話を持ち出したのだ。これに大臣は内心呆れまた憤然としたことだろう。福島からの受け皿としての避難先にあたる関東からの自主避難者を国がなぜ面倒みなければならないのか、と。
これは記者の誘導尋問といってよい。結果的に大臣の問題発言となった「自己責任」発言につながった。
「どうするって、それは本人の責任でしょう」。そして記者の「それは自己責任ですか」という質問に大臣は「基本的にそうだと思います」と答えた。その後は大臣と記者の間で国の責任問題で不毛な口論が続き、例の「黙れ」「うるさい」といった暴言で大荒れの幕切れとなってしまった。
大臣の「福島を窓口に」という原則を記者が攻撃する材料に「群馬、栃木、千葉からの自主避難者」を持ち出すなど、狡猾であり悪質といってよい。本当にこの記者が福島の現状を配慮して自主避難者を擁護しているのか疑わしい。あくまでも自分の反原発運動を行使するための道具に使っているとしか思えない。
さらに敢えていえば、福島から自主避難している人々も自分には大臣が記者の誘導尋問につい答えたように「基本的に自己責任」だと思う。例えばいわき市などは同県の避難区域からの強制避難者を多く受け入れているが、自主避難者の中にはそんないわき市から他県に「避難」した人々が相当いる。いわき市に留まっている地元民はこうした自主避難者をどう思っているだろう。
自分たちは福島県民として被曝の不安や風評被害に悩まされながらも日常生活を送っている。一方、自主避難者はメディアや活動家あるいは反原発世論に支えられて6年間も避難先で、既に数百万円もの住宅無償提供を受けている。地元民にとって何か割り切れない思いがあるに違いない。
確かに事故当時は未曾有の放射能性物質の流失で福島全体が被曝パニックに陥った。結果的に、福島県民の中には自主避難に駆りたてられたのも致し方ない。だから、自主避難者の住宅の無償提供も一時的には必要だったかもしれない。
しかし、避難区域が解除され強制避難者への生活援助もこの4月で打ち切られたのに合わせて、自主避難者の住宅補償も終了するのは当然だろう。むしろ6年間も住宅補償が続いたこと自体驚きだ。
今後は福島県を窓口にして新たな県民支援に移り、国が後方支援する。大臣の答弁はこれに即したものであり何ら発言に問題があるとは思えない。しかし、自主避難者を必要以上に被害者に仕立てて、国は無責任などと糾弾するなど異常であり、明らかに悪意を感じる。
そもそも、事故当時被曝を必要以上に煽って、人々を不安に陥れたのは反原発を標榜する学者、ジャーナリスト、左翼メディアではなかったか。そして、事故が収拾し世情が落ち着いた今ても、彼らは未だ被曝の不安を喧伝し続けている。
煽られた自主避難者はもはや被曝に対しては固い信念のようなものを持っていて、故郷に帰る選択肢を放棄している。問題の記者は「帰れたくても帰れない」といっているが現状は異なる。その一方で、国に被害と補償を訴える。しかし、本当に訴える相手は誰なのか。自分たちを扇動したこうしたジャーナリストたちではないか。