粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

反原発論者の忌み言葉、その2

2012-05-18 00:00:53 | 煽りの達人

前の川内村村長の発言と関連するのだが、「福島県民の意思」という言葉にも彼らは尻込みしがちだ。実際は反原発派の県民不在の暴論に不快感をもつ県民は多い。広瀬隆氏が糾弾した山下俊一福島医科大学副学長に対する県顧問リコール請求も、県民のわずか0.3%の署名に過ぎずあえなく不成立に終わった。

外野は騒がしかったがこんなものだ。まるで北朝鮮のミサイルが目的地の0.3%の位置で墜落するようなものか。100ミリシーベルトの被曝での癌死増加率が0.5%だからそれよりも低い数字だ。(まあ全然比較にならないが)

「みえないばくだん」という全く根拠のないデマを基に書いた絵本がでた。そこには福島に対する「偏見」「差別」しかない。作者の女性が福島へ訪れたという話を聞いたこともない。武田教授など煽りを業とする人々同様、「県民の意思」に阻まれているといってよい。県民は自分たちにとって誰が味方で敵対者か冷静に識別しているはずだ。

福島を始めとした被災地への偏見・差別がある一方で、他地域へのがれき受け入れについては、いささか陳腐であるが「住民エゴ」が障害になっている。これも反原発派が嫌う言葉だ。それに対抗して「放射能の拡散を防げ」と騒いでいる。「子供を人質」に取ったヒステリックな活動に自分は閉口してしまう。

「東北の復興」はいつまでたっても進まない。「痛みを分かち合う」というのはもちろん放射能をかぶるとかそんな馬鹿なことではない。被災地の復興を日本全体の再生と考える視野の広さを持つことだろう。

反原発を主張する人は、沖縄の基地問題で反米的な活動をする人とだぶることが多い。また、小沢裁判でも検察を中心とした国家権力にも批判的である。あるいはアメリカが主導するTPP問題も断固反対である。つまり彼らの多くが左翼である。したがって「反原発左翼」と見てよい。もちろん表向きは否定するが実際そうだ。そして本質的に「反権力・反国家」である。

そして原発事故が収束しては、攻撃の対象がかすんでしまう。「冷温停止」など認めたくない。「除染」の効果に対しても否定的だ。しかし彼らの思惑に反して着々と進行している。(もちろん完全な収束といったら気の長い話になるが)

当面反原発派の攻防戦は「原発再稼働」だ。これがすんなり進んでしまうと、彼らの存在意義を大きく減ずることになる。死にものぐるいで反対活動に傾注するだろう。しかしそんな左翼の思惑など我々一般国民にはどうでもよいことだ。もちろん一般の結婚式でこれら「忌み言葉」を使っても咎められることはありませんのでご安心を!