高市早苗総務大臣の放送法を巡る発言が今なおメディアで糾弾の対象になっている。「放送局が政治的な公平性を欠く放送を繰り返したと判断した場合、放送局に電波停止を命じる可能性がある」ということのようだが、同様の発言は民主党政権時代、政権担当者が言及しいていた。
当時そうした発言はさほど問題にならなかったのに、今回は「権力者による威嚇」だと異常とも思える反応だ。結局、新聞やテレビといった既存メディアは一部を除き、反保守反自民のいわゆるリベラル左翼が未だオピニオンの主流を占めているためだろう。
彼らは戦後レジームの受益者であり、護憲平和主義を理想としている。その点では現在の社民党や民主党左派に近く、国民世論とはかなり遊離している。そして、彼らの特徴で始末が悪いのは「反日」であることだ。その証拠に世界ではここだけという反日国である中国と韓国に対しては必要以上に同調的である。
一方で現在の安倍政権は、戦後レジームからの脱却を目指し、着々と政策を実行して 中韓にも厳しい態度を取っている。そしてこれらメディアは、政権が依然として高い支持率を誇り一層強固になっていくことに危機感を覚えているに違いない。だから、政権の閣僚が放送法の当たり前の一般論を語っただけで「威嚇」と猛反発することになる。
思うに新聞テレビの既存メディアは、高市発言のうち「著しく公共性を欠く放送」が放送業界で横行していることを自覚しているのではないか。俗ないい方をすれば、特に放送の現場担当者はそれについて「心のやましさ」を感じていると思える。
たとえば最近偏向報道を告発したある保守団体の調査で、安保法を巡る報道で法制反対の部分が97%だった報道ステーションなどその典型だ。いってみればこれは「偏向同道の確信犯」だ。メインキャスターの古館氏をはじめ番組スタッフそしてほどんとのコメンテーターがリベラル左翼といってよいからだ。
具体的には反安保法制、反原発、反基地といった立場を鮮明にして安倍政権が進める政策に対してことごとく反対している。反原発でいえば、この番組は事故以来原発は危険で排除すべきものという姿勢で一貫している。そのためには福島の放射能汚染は甚大で復興なども早々ありえないというスタンスである。そして原発再稼働などもってのほかであり、阻止すべきという主張で貫かれている。
報道ステーションのスタンスがいかに公共性を欠くものであるかは、昨年の週刊文春が実施した読者調査「嫌いな番組」で同じ傾向のサンデーモーニング(TBS)とともに他を引き離して1位2位を二分していることからも明らかだ。ただ、この傾向は程度の差はあれ、この両者以外の番組にもみられる。比較的公正とも思えるNHKも基本的には例外ではない。保守の新聞の読売や産経と業務的結びつきがある日本テレビやフジテレビもその傾向を払拭できない。
だから、政府が「放送の公共性」を盾に放送局に対して偏向番組を理由に電波の停止を命じることはきわめて困難である。これを試みようとすれば放送業界全体から猛反発を招き、放送業界と密接なつながりのある新聞業界が輪をかけて加勢することは間違いない。それに同調して国会では野党勢力が政府批判を激しく展開する。
しかし、これもよく考えれば70年以上続く民主主義が成熟している証拠であろう。政権が万全で与党が圧倒的な議席を誇っていても、大臣の発言や金銭問題で国会審議が滞る現状を考えれば政権が独裁的権限をもってメディアそして国民を抑圧するなどできない。結果的に表現の自由を制限することなど可能性は皆無に近いといってよい。
偏向番組を持つ放送界をはじめとするメディア関係者はこの現状を知っているから、実際は高市発言には危機感を少しも持っていないと思う。そういうポーズで表向き装いながら、これを材料として、格好の政府批判を展開し政権を揺さぶっているにすぎない。偏向番組は死んでも直らない?
ではどうすれば偏向番組を是正していくかといえば、やはり視聴者が常に厳しい目を失わないことだと答えるしかない。その点で報道ステーションの古館キャスターが今年3月に降板することになったのは意味がある。降板の背景が未だ明らかにはなっていないが、古館氏が「番組への視聴者の厳しい抗議がこたえた」と自白していたようでこれはおそらく彼の本音ではないか。視聴者の生の声が国民世論の実態であることを古館氏は痛感して敵前逃亡した!
蛇足ながら、日本で表現の自由が奪われるとしたら、どうな状況か。ほとんど考えられないが、唯一あり得るとしたら日本が中国の支配下あるいは隷属下に置かれたときではないか。中国国内ではネットを監視する当局役人が100万人もいてたえず政府に批判的な言論に目を光らせているという。さらには、政府に不都合な用語を頻繁に検索する人間さえも監視の対象になるというすさまじさだ。
そんな自由を圧殺する隣国に対して過剰な誠意を示したばかりに、軍事的拡張を許して日本がその軍門に下ったら日本はどうなるかは想像に難くない。表現の自由を脅かす土壌は、愛国を忌み嫌い隣国の立場を過剰に擁護する風潮にこそ潜んでいる。それを許すほど日本の既存メディアが愚かではないし、新興のネットメディアが従来の窮屈な言論空間を切り開いてくれるものと信じているが。