粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

寝そべる抗議者たち

2012-05-23 11:37:15 | ガレキ広域処理問題

昨日は東京スカイツリーの開業で日本国民こぞって上を見上げる記念の日であったが、ここでは「時流」に逆らい寝そべる人が出たようだ。北九州市のガレキ搬入に抗議する反対派約40人の「抗議活動」である。

しかし今回の搬入は、宮城県石巻市の広域ガレキを試験焼却するためのものだ。試験結果をみて、今後実施するかを決めるだけのことに過ぎない。ガレキは焼却用の木片が中心でセシウム含有量はキロ20ベクレル程度だという。焼却後の濃度を調べたり、付近の放射線量をチェックして、特に変化がないことを確認した上での受け入れ採用である。決して住民の理解なしに抜きうちで本番焼却をやるわけではない。

しかし反対側は「放射能を持ち込むな、子供の健康被害をないがしろにするな」の一点張りだ。どちらに論理性があるか一目瞭然だ。そして「ともかく反対」、「市の説明は信用できない」では「思考停止」そのものである。

その上寝そべったり、酷いのはトラックの下に潜り込んだりして抵抗する。これではさながらホームレスである。いやホームレスに対して失礼だろう。彼らは少なくとも道路には寝ない。(もちろん寝られないだろうが)そして交通の邪魔をしたり近隣住民に迷惑を掛けたりはしない。

自分たちは「反権力の英雄」のつもりだろうか。しかし民主国家でたとえ寝そべったとしても、搬入車に引かれないことを100%いや200%確信している。そこが天安門事件で軍部の装甲車の前に立ちふさがった民主活動家とちがうところだ。まさに天地の差がある。

これはあくまでもパフォーマンスに過ぎない。こうすることによって自分たちの存在をピーアールすることが出来るからだ。やっぱりというか、当日の民放のいくつかでこの「事件」を報じていた。テレ朝に至っては古館キャスターが半ばこの抗議を肯定するかのような「援護射撃」さえしている。

おそらく今回の抗議がテレビで報じられたことで、拘束された抗議者たちは表面は国家権力の「横暴」に怒りをみせながら、心の内ではベロを出して笑っていることだろう。