しつこいが、また美味しんぼである。結局、この漫画連載に対する評価は、原発事故で被曝に対して健康不安を強調する反原発派と冷静に見ようとする側によって二分されている。この対立の構図は事故以来ほとんど変わっていない。前者が朝日新聞、毎日新聞、東京新聞といった左派系メディアと一部の学者とジャーナリストたちである。一方後者は読売新聞や産経新聞といった保守系メディアと多くの専門の学者たちだ。
読売新聞などが、この漫画が科学的根拠を欠き、風評被害を助長するという極めて明快な主張を展開している。一方、反原発のメディアやジャーナリストの主張はかなり「屈折」している。ただその論理展開は一定の共通性がある。その典型を毎日新聞の5月15日の社説に見ることができる。社説「美味しんぼ 『鼻血』に疑問はあるが」、そのタイトルからして「屈折」している。論説の流れを追ってみたい。
1、「一応」漫画の描写に疑問を呈し、風評被害の可能性も認める。
その中身には疑問があり、福島の人たちから怒りの声が上がっていることは理解できる。風評被害も心配だ。
2、「しかし」言論封殺はいけない、福島県民の健康不安は払拭できない。今後議論を深めろ、と少し脈絡に難があるが、社説の論旨とされるものが提示される。
しかし、これに便乗して、原子力発電や放射線被害についての言論まで封じようとする動きが起きかねないことを危惧する。
今後、どのように福島の人々の健康不安を払拭(ふっしょく)し、被災地の復興を進めていけばいいか、議論を冷静に深めたい。
3、その後、この漫画の騒動の内容が具体的に提示される。漫画のあらましとそれに対する関係自治体の抗議だ。
4、この騒動に関して国連科学委員会の報告を引用して漫画の描写が科学的根拠に薄いことを指摘する。だが、直ぐにこうした報告を疑問視する声があることに言及する。
国連科学委員会の調査は、福島でがんや遺伝性疾患の増加は予想されないとしている。福島第1原発を取材で見学しただけで、放射線のために鼻血が出ることは考えがたい。
ここへきて毎日新聞社説の「本音」がでてくる。反原発論者が常套句のように口にする「低線量被ばくによる健康影響は十分解明されていない。」といったフレーズだ。結局これが美味しんぼ描写を擁護する根拠になっている。
だから被曝を不安に思う人がいて当然だ。そのストレスで鼻血や倦怠感を覚える人の心情にも思いを馳せるべきだ、と。
5、そして反原発論者が得意とする「被曝不安者の孤立」を持ち出して「懸念」として駄目出しする。まるで漫画批判が被曝不安者を追い込んでいるような物言いだ。
この問題をきっかけにして、原発の安全性や放射線による健康被害を自由に議論すること自体をためらう風潮が起きることを懸念する。
6、返す刀で一番悪いのは事故を起こした東電と情報公開を怠った政府であるという印象操作が行なわれる。これも反原発論者がいつも常用する論拠だ。そして反原発派がしばしば仕掛ける風評被害もこれによって「免罪」される。
もともと、根拠のない「安全神話」のもと、原発政策が進められた結果が今回の事故につながった。「美味しんぼ」の中でも指摘されているが、事故後の放射性物質放出についての政府の情報公開のあり方は、厳しく批判されるべきだろう。また、汚染水はコントロール下にあるといった政府の姿勢が人々の不信感を招き、不安感につながっているのも確かだ。
いつのまにか美味しんぼの風評被害助長批判は、どこか片隅に追いやられ、東電・政府批判の大合唱だ。いまだに反原発派にとっては風評被害という言葉は「忌み言葉」になっている。これを隠すためにしばしば「風評被害ではない。東電の実害だ」という論法が乱用されている。
7、締めくくりは毎日新聞らしい空虚な美辞麗句で終わる。まるで美味しんぼが建設的な問題提起をしたような書きぶりだ。
そして、低線量被ばくによる健康への影響については、これから長期にわたる追跡調査が必要だ。
求められている論点は多くある。いずれも、感情的になったり、理性を失ったりしては議論が深まらない。絶えず冷静さを失わず、福島の人々とともに考えていきたい。
結果は体のよい美味しんぼ擁護だ。「長期に渡る追跡調査」などという表現を使っているが、要は被曝の不安は福島で今後も続くということを暗示している。意地悪い言い方をすると「福島を危ないままにしておきたい」ということではないか。そして、福島復興に水を差すことに余念がない。結果的には風評被害の片棒を担いでいることをこの新聞は理解しているのだろうか。
*当初の記事を一部加筆しました。