粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

今年のブログを振り返って

2014-12-31 18:37:17 | 一般

もはやこの1年も終わろうとしている。個人的には今年は11月に入って午前中のアルバイトをこなす日々を送っている。今週も3日間出放しだ。午前中だけなのだが、どうもここ最近毎日のブログが途絶えがちになる。おまけに持病の眼病のせいでネットの閲覧にも不自由する。

そんなわけで最近のブログに以前の精彩がない感じがどうしてしてしまう。ちなみに今年のブログで反響があったベスト5は以下の通りだが、7月以前の記事ばかりだ。

1.原発事故避難民の補償金漬けの日(7月24日)

2.旭日旗と韓国人7月11日)

3.龍柱問題、沖縄が危ない(7月20日)

4.報ステの捨ぜりふと福島県医科大の満額回答(3月14日)

5.困った東京新聞「美味しんぼ」擁護(5月4日)

特に1の福島避難民に関する記事はいまだに反響が大きく、現在でも人気ブログNO1になっている。コメントも25件とダントツである。この問題がいまだに福島の復興に暗い影を落としているばかりでなく、今後もさらに注目が高まっていくものと予想される。原発避難民に関しては、来年の早い時期に再度取り上げて自分なりに問題提起したいと思っている。

1と同様、4と5が原発問題がらみであるが、ともに「反原発反日メディア」のカテゴリーだ。原発問題ばかりでなく、今年は慰安婦問題などで左翼マスコミの存在意義に疑問が投げかけられた。来年ももっと追求されるべきであり自分自身もこれに真っ向勝負で望みたい。そのメディアの代表格はいうまでもなく朝日新聞だ。「朝日新聞よ、覚悟しろ。首を洗って待っていろ」、なんてね。

そして2の中韓問題と3の沖縄問題だ。なぜか自分には沖縄の知人が多いが、彼らは人間的におおらかで自分自身親しみを感じている。しかし、現在沖縄で起きている騒ぎは沖縄人の実際の声を反映しているようにはとても思えない。日本の戦後レジームを巡ってのイデオロギー対立が沖縄という国境紛争最前地帯で先鋭化している。しかし、沖縄は決して政争の具にしてはならないと思う。あくまでも沖縄県民の直接の声が尊重されなければならない。沖縄も自分にとっては重要課題として取り組んでいきたい。

前後するが中韓問題も見逃せない。来年は戦後70年の節目の年を迎える。昨年暮れ国内外で大騒ぎになった安倍首相の靖国参拝でこれを問題にした国は中国と韓国だけといってよい。米国も「失望」を表明したが、これは日本が中韓と隣国関係がこじれることを心配しているのにすぎない。それ以外の国は靖国参拝に対して全くといいほど無関心だ。

中韓以外で騒いでいるのは日本の左翼マスコミと海外の一部のメディアだけだ。そしてこの海外メディアは朝日新聞などの口添えか当地の中韓系フループによるロビー活動の結果といってよい。その典型がニューヨークタイムズだ。朝日新聞とは提携関係にあるし、中国系団体の資金的結びつきが甚大だ。すでにアメリカの良心を自ら放棄しているように思える。

以上、これらの課題に来年も果敢に攻めていきたい。ただし惰性でその勢いが減じることは避けたい。だから、来年はブログのペースが落ちるかもしれないが内容を充実させていきたい。時に暴走することもなくはないが、中身の濃い?暴走でありたいと思う。


倉本聰の開き直り平和論

2014-12-30 19:47:15 | プロ市民煽動家

脚本家の倉本聰がみのもんたのラジオ番組日本の日本の国防について語っていた。みのもんたといえば、息子の不祥事で放送媒体からはすでに引退していたものと思っていたが、どっこい、こんなマイナーなラジオ番組で再起を計っていたようだ。

それにしても、放送局の著名キャスターというのはどうしてこんなに(自分にとって)「左巻き」の人間が多いのか。古館伊知郎、関口宏、田原総一郎、鳥越俊太郎、大谷昭宏、そしてこのみのもんただ。彼らの主張は自分からみれば、大同小異、ワンパターンで類型的、どんぐりの背比べ?だ。

特定秘密保護法や集団的自衛権行使、そして憲法改正、あるいは沖縄辺野古の基地移設さらには原発再稼働に反対と、まさに反対づくしだ。しかし、それに対する代案など持ち合わせていない。安倍内閣の右傾化に懸念を示してリベラルを強調するが、そのリベラルの実態に現実性がない。みのもんたも最後は「このまま日本は突っ走っていいいのか」という情緒論になる。

そんなみのもんたが見かけ倒しのリベラル論で倉本聰に同調を促そうとするが、倉本はみのの思惑に反して真逆とも言える持論を展開していた。戦前の修身を評価し、戦後の日教組教育を批判していた。あるいは特定秘密保護法に理解を示したりしていた。「このためをもって秘密をつくるのなら、そういう秘密はあってもいいのではないか」「知らないという権利があっていい気がする」

さらに現代の若者の軟弱さに厳しい見方をしている。学生に他国が攻めてきたらどうすると問いに皆が「逃げる奴」というのに「ハイ」と手を挙げる。「家族とか友人が捕まってやられたらどうする」と尋ねたら「頼む」と答える。「頼むといっても許してもらえるか」と問いつめれば「許してもらう」「なんだかわからないけれどとにかく許してもらう、ごめんなさい、」と。これが日本の若者だ。

「戦う」と答えたのは最高がキプロスで80%台、中国や韓国で70%台、アメリカで60%、日本は断ケツで15%。こんな若者を相手に強引に軍隊をつくったって世界際弱の軍隊ができるだけだ。今日本の若者は戦う意志がない。国を愛していない。郷土愛はあっても人間がつくった組織体には愛着がない。これは大問題だ。まさに教育だ。

そして「今の日本は卑怯だ。資金だけ協力して実際傷かないのは、男の美学からいって」ともいう。ここで倉元流の「男の美学」が語られるものと自分は期待を寄せた。しかし、ここから話はどんでん返し、予想外の展開となる。

卑怯なことによって70年間戦争がなかった。卑怯は認めてしまえ。その点で軽蔑されてしまえ。軽蔑されても平和があった方がいいし、「なんだ日本は」と思われていいるのだから、そこはそう思わせてしまえ。軽蔑されるべき国、だけど国民は皆どこかで尊敬される国という新しい国のつくり方をしていかなければないない。

…卑怯だといわれれば、おっしゃる通りで威張れない。でも(日本は)それでやってきた。憲法に書かれてしまった。アメリカさんがつくってくれた。だから今更変えられないと突っぱねるしかない。

こんな極端な非戦論を聞いていてこちらの頭が混乱してくる。本当に倉本は本心から屈辱的ともいえる平和論を信じているのだろうか。もしかして逆説とか皮肉をこめて敢て自虐的な主張を指定のかとも思った。どうも、自分には映画監督とか脚本家とかいったクリエイティブな仕事に携わっている人々の心証が理解できないことがある。作品そのもののは高尚だが、政治とか国家というものに対する認識とに恐ろしくギャップを感じる場合がある。

はたして、こうした屈辱的な平和主義を唱える国民は倉本が思うほどに「尊敬」されるだろうか。とても思えない。軽蔑される国民はいつまでたっても軽蔑されるままでしかない。戦後のアメリカ統治に責任転嫁するのもどうにも理解しがたい。まあ、倉本の見解を好意的に解釈すれば、脚本家一流の開き直り、ブラックジョークとも思いたいが。

 


日本は悪い方向に向かっている?

2014-12-29 17:04:54 | 国内政治

最近、メディアなどでこんな「懸念」を口走る知識人や学者、ジャーナリストが少なくない。今朝ラジオで聞いていたら海外在住日本人による同様の声が紹介されていた。ラジオではその具体的な「悪い方向」で言及はなかったが、どうも想像する印象では現在の安倍政権の「右傾化」が対象のようだ。

安倍政権が誕生してちょうど2年になる。この間、特定秘密保護法を成立させ、集団的自衛権行使容認の憲法解釈も打ち出した。中韓との隣国関係が摩擦が続き、特に中国とは緊張状態が高まっている。こうした状況は安倍政権の右傾化が原因ではないか、おまけに最近の総選挙では与党が対大勝し、その傾向に拍車がかかっている、と一部言論界で盛んに喧伝されている。

確かにその言論の代表というべき朝日新聞などで安倍政権の政策が具体化する度に、その危険性が声高に叫ばれる。社説、天声人語は言うに及ばず、読者投書でもフルに利用される。そして特に注目されるのは左左派系知識人や学者ばかりではなく、人気の映画監督、俳優あるいはお笑い芸人まで総動員していて大キャンペーンを張る騒々しさだ。

特定秘密保護法成立の際は、国民の知る権利が奪われ、表現中言論の自由も制限された戦前の暗黒社会に訪れる。集団的自由権行使が認められれば若者が戦場に駆り出され多くの死傷者が出る。こんな「懸念」さらには「恐怖」が盛んに叫ばれた。

そして、安倍政権はそんな朝日の懸念をあざ笑うかのように次々と自分たちの目論む方向に着々と進みつつある。同時に靖国参拝も辞さず、慰安婦問題でも従来の低姿勢から日本の立場を強く打ち出す態度に転じた。憲法改正の意思も隠さず、教育でも自虐史観からの脱却を堂々と打ち出している。

右傾化した安倍政権はやりたい放題でこの先「末恐ろしい」というのが朝日新聞の認識ではないか。おまけに当の朝日新聞自体が安倍政権の意向もあって、過去の捏造報道が糾弾されその間違いを認めざるを得ないほどに窮地に追い込まれている。

安倍政権の攻勢と左翼言論の挫折によって、こうした言論にシンパシーを持つ人々にとっては、まさに「日本は悪い方向向かっている」と思えてくるのではないか。しかし、ちょっと待ってほしい。自分自身、現在の方向性はそんな危惧してはいない。といってすべてよい方向に進んでいると楽観はしていない。

よく言われる例だが、1960年の安保条約が改定されて集団的自衛権が前提となったころが話題にされる。当時東西冷戦が激化した時代で今にも日本が戦争に巻き込まれる恐怖が叫ばれたが実際は杞憂に終わった。今回の騒動もそれと大してかわらないと考えている。今日中国が軍拡を続けているが、経済大国同士が自国を破滅に追いやるような深刻な軍事対立は起こらないと思う。中国の挑発行為はエスカレートするだろうが、日本がこれに屈しない防備は怠らなければ本格的衝突など起こらないと見ている。

逆に日本が軍備の対応を疎かにして、ひたすら観念的な平和にばかり捕われていると、中国が「その気」になってしまう。そちらの方がずっと問題だと思う。よく「平和主義者が戦争を引き起こす」といわれるが、確かにそれは言える。フィリッピンで以前のアキノ政権が米軍基地を撤退させたことが今日の南シナ海の危機を引き起こしているといえる。

集団的自衛権の行使も特定秘密保護法も自国防衛の積極的な政策であって、決して「日本が悪い方向に進む」手段ではない。まして政権の右傾化などといったものではありえない。「悪い方向」というとどうも日本が一方的に悪いなっていくというような印象がある。しかし、むしろ自分には中国や韓国の方こそずっと問題があると思う。

中国が日本に対して南京事件などで過去の歴史に言いがかりをつけたり、韓国が未だにありもしない慰安婦の性奴隷をもちだして日本に謝罪と補償を求めるなど理不尽としか言いようがない。自国民の平和的な政治デモを自国の軍隊で容赦なく粉砕する政府に日本の過去の歴史を云々する資格などない。

したがって「日本が悪い方向に向かっている」というのは自分にとっては「悪い冗談」にしか思えない。そしてこうした認識は多くの日本人がもっているのではないか。今回の選挙で曲がりなりにもそれが実証されたともいえる。安倍政権はある意味では国民が誕生させたものであり、その国民の判断は決して間違ったものだとはいえないと考えている。

 

モーツアルト「アレルヤ」

2014-12-24 21:27:37 | 音楽

これは自分の趣味の話だ。しかもクラシックの宗教曲だから普通は「アウト」かもしれない。ここはクリスマスイブの夜だからこんな曲も悪くはないだろう。ただ、聴いてみると宗教曲とは思えないほど、快活で楽しい。歌詞も「アレルヤ」を繰り返すばかりでわかりやすい。

アレルヤはラテン語で「賛美」の意味、ここでは「神をほめ讃えよ」といっってよい。モーツアルトのこの「アレルヤ」という曲は、3楽章で構成されている宗教曲(K.165)の最終章でありこの楽章だけが単独で演奏されるほど特に有名である。

なんとモーツアルトが17歳(1773年)の時に作曲されたもので、イタリアの知人でカストラート歌手のためにつくられた。カストラートとは去勢された男性歌手を意味する。女性のソプラノにも匹敵する高音の領域を唱う。乱暴にいえばいまでいうニューハーフともいえようか。

しかし、今日この歌を歌うのは多くのソプラノ女性歌手であり、オーケストラを従えて華やかなことこの上ない。名だたる有名歌手がこの曲を録音していてモーツアルトの代表曲の一つになっている。

イタリアの歌手を想定しているのだが、ここには宗教曲に見られるような抹香臭さがまるでない。イタリアの空のようにどこまでも青い。しかも17歳のモーツアルトを象徴するような青春の瑞々しさに溢れている。家で聖夜として静かにクリスマスを迎えるのもいい。反面こんな賑やかで楽しいイブもあってもいいのではないか。「アレルヤ」がまるで鼻歌のように唱われるのも。

 

追記:サンデーモーニングのスポーツコーナーで登場する唐橋ユミの妹、唐橋宙子(ひろこ)がニコ動でこの「アレルヤ」(ピアノ伴奏)を唱っている。やはり姉妹、よく似ている。

 

「負けるな北星!の会」に欠けているもの

2014-12-22 22:03:49 | プロ市民煽動家

こんなグループがあることを最近知った。植村隆元朝日新聞記者が北海道の北星学園大学で非常勤講師を務めていたが、彼の過去の記事を巡って教育者としては問題があると大学側に退職を求める脅迫が相次いでいた。この騒ぎを受けて一時は大学側が植村元記者に対して来年の採用を見送ったものの、こうしたグループの支援もあって継続することを決めたようだ。

「負けるな北星!の会」はそれぞれ約40名の呼びかけ人と賛同者で構成されている。呼びかけ人の一人、海渡雄一弁護士は「「言論を暴力で封じ込めるのはテロリズム。テロが放置されないよう市民も結束して『許さない』というメッセージを社会に送るべきだ」と主張している。

その主張は至極当然とは思うが、朝日新聞がこのグループの動きを大々的に報じているのが特徴的だ。朝日新聞はご丁寧に呼びかけ人のメンバーを全て列挙している。このメンバーを見て「やっぱり」と思ってしまった。およそ左翼論壇を代表する人々たちばかりだ。

池澤夏樹、内田樹、香山リカ、姜尚中、小森陽一、中島岳史、森村誠一、和田春樹…。お馴染みの顔ぶれが並ぶ。たとえば池澤夏樹、この作家、過去に「桃太郎は侵略戦争の思想の権化、動物の家来は黍団子という怪しげな給料で雇われた傭兵」といった極論を言い放った人物である。これが高校の国語の教科書に採用されいるのもおかしな話だが。

あるいは香山リカ、この精神科医も「原発維持・推進をしようとする人は心の病気」と発言している。この主張からいえば、原発の将来性を評価する石原慎太郎氏などは心が病み精神的治療が必要になる。これには石原氏は「黙れ!」と一言喝を入れるだけで相手にはしないかもしれない。

また賛同人には上田文雄札幌市長や野中広務元自民党幹事長など40人が名を連ねている。上田市長といえば震災で発生したがれきの広域処理で「放射性物質は拡散させない」とし最初から被災地のがれきを危険物扱いしたのも記憶に新しい。一方野中元幹事長は、今年民放の番組で発言した内容が忘れられない。「戦時中、朝鮮の女工さんが軍に連行されて従軍慰安婦慰安婦にされた」といはっきり語っていた。朝日新聞が吉田証言の誤りを認めた少し前であった。

呼びかけ人も賛同人も朝日が社是としている戦後レジームの死守や反原発を諸手を上げて支持している人ばかりである。これらのメンバーは結局北星学園大学を支援するとともに、この元朝日新聞記者そして朝日新聞をも擁護しようとしているのである。

つまり、8月の朝日新聞による吉田証言取り消しで日本軍による強制連行が虚偽であることを認めて以来、過去の捏造報道に保守メディアを中心に世間の朝日への批判が高まっている。もちろん、過去に捏造記事といわれても仕方がない記事を書いた植村元記者にも非難が集中しているのも当然の帰結だ。この窮地を救う目的もこのグループにあると思える。

ところでこの「負けるな!植村」じゃなく「負けるな朝日!」でもない「負けるな北星!」のフェイスブック」を覗いていみると「北星学園大学が非常勤講師の雇用継続を決定したことについて」の声明が掲載されている。そこには「思想・言論の自由」や「大学の自治」「人権が守られる民主社会」といった憲法での基本的人権の精神が高らかに唱われている。しかし、どこを探しても「慰安婦問題」の「い」の字も出てこない。同様に朝日新聞で報じている呼びかけ人の言葉の中にも全く登場しない。

本日出された朝日新聞の慰安婦報道を巡る検証で第三者委員会が報告書を出している。8月の特集記事を「自己弁護の姿勢が目立ち、謙虚な反省の態度も示されなかった」とその姿勢を厳しく批判している。またこうした朝日の報道による「国際的影響も否定できない」としている、

植村元記者の報道もその例外ではない。彼は韓国で名乗り出た元慰安婦を「女子挺身隊の名の下に戦場に連行された」と書いているが、その女性は全くそんな証言はしていない。これは誤報というよりは捏造の近いものであり、植村元記者はこの疑惑に全く応えず、他のメディアの取材に逃げまくっている。

植村元記者の慰安婦報道が日本の名誉を国際的に毀損しているのにこの負けるな北星!の会」はそんな現状に全く目をつぶっている。しがって「表現の自由」や「学園の自治」がどここ看板倒れの観がしてくる。呼びかけ人や賛同者たちは一度でも元記者や朝日の慰安婦報道について見解をはっきり述べるべきでないか。それがなければ単なる朝日新聞互助会にしかならない。