粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

福島産牛と米国産牛

2013-02-28 12:26:27 | 過剰不安の先

もはや、この活動家の主張など余り影響力はないとは思う。「西へ逃げろ」とひたすら東日本、とりわけ首都圏の放射能汚染を煽ってきた人物、木下黄太氏のサイトのことである。

彼は汚染の恐怖を伝導するために、講演会を精力的にこなしてきたが、ここへ来てこの戦略もブレーキがかかってきた。昨年まで月数回はあった講演会は今年に入って激減し、2月は実質ゼロで3月も1回が京都で予定されているだけである。それも大阪ですでに実施されている震災がれきの広域処理を批判するものだ。大阪市の実施を阻止できず、広域処理撤回を促すひどく後ろ向きの反応である。

もはや講演会で活動資金を確保するという彼の戦略が、破綻に近づきつつあることは間違いないようだ。彼のサイトに寄せられる読者のコメントの少なさを見るとそれも頷ける。

そんな彼の危機感からなのか、最近学校給食というひろく世間の母親の不安を喚起させる話題をサイトで取り上げている。2月27日「大阪・吹田市で福島牛肉使用という学校給食の陥弄」と冒頭に見出しがあり、読者から寄せられた「懸念」を紹介している。

吹田市の主婦が市のホームページを閲覧したところ、市の小学校の校給食に福島産の牛肉が使用されていることを知ったという。この件でその主婦は市に子を持つ母親として心配であり、「使用を控えてほしい」と電話で伝えたという。さらに使用の動きはおそらく全国的に広まっているのではないかと想像し、全国の父兄に「食材のチェック」を促している。

確かに子供の放射能被害を心配する気持ちは理解出来ないこともない。しかし、それも程度問題である。福島の食材がとかく学校給食などの公の引取先に多いのも事実だろう。なぜなら、民間の流通が拒否しているからである。「福島産」と商品に明記すると、消費者が敬遠して買わないのだ。

一度、取り付いた先入観はなかなか消えない。しかし、福島での食品検査をみると牛肉も全てといってよいほど放射性物質は不検出である。昨年9月、基準値を超える福島牛が出荷停止になったが、なんと前年まで食べていた古い稲わらのセシウムがまだ牛の体内に残っていたという。その後そうした事例の福島牛はなくなり、全く問題のない状態だ。

これに対して、今年2月から米国産牛肉の輸入が大幅に緩和された。一時BSEの問題で禁輸され、その後も制限が続いた。そして今回の全面解禁ともいうべき状況に、国内の大手スーパーがいち早く店頭での販売を始めた。福島牛との対応と比較して対照的だ。

食の不安の度合いからみても双方に差がないはずだ。しかし、この違いはやはり、放射能汚染での過剰な反応が原因だろう。放射性物質不検出という科学的見地が尊重されず、先入観から食を控えるのは不公平であり、差別といってもよい。

ただ消費者の不安心理というのは、いくら科学的数値を示しても解消できないし、強制は不可能である。問題は学校給食への組織的拒否運動となることだと思う。学校給食とはある面教育の一環といえる。食の栄養や健康管理への認識、あるいは食事のマナーなど給食を通して学ぶ。そこに生産地への偏見があってはないないと考える。

今のところ、この給食の件が組織的な動きとなる気配はなさそうだ。大手メディアが特にそれに呼応する動きもない。ただちょっとした心ない噂が、予期せぬ事態に及ぶこともある。今後も注視したい。



双葉町のいいところ

2013-02-27 14:34:38 | 福島への思い

福島県双葉町の町長選が28日告示されるが、なんと7人の立候補者が予想される混戦だ。井戸川前町長を始め、前・元町議、元福島県議、看護師、団体職員、会社役員など福島県内外から様々名乗り出ている。

双葉町は一時町を挙げて、埼玉県内の廃校になった高校に避難していった。依然役場機能は埼玉にあるが、町民の半分は福島県内の近隣地域に移り、その他の大半は県外の借り上げ住宅に住み替えている。廃校の避難所に残って集団生活を送っている人は高齢者を中心に200人程度しかいない。

時間の経過とともに、各地の双葉町民の間では、町の方向性を巡り、その境遇の違いもあって意見の対立が目立ってきた。たとえば、廃校の避難所で無償で配られていた弁当にも他の避難民から不満の声が上がり、敢えて避難所側から有償を申し出る事態となった。

町民間の紛糾に危機感を覚えた人々の中から、各地の町民が集まって意見を表明し情報を共有する交流の場を設けようという動きが出てきた。7000人の復興会議」と呼ばれるもので、昨年10月にいわき市で開かれた会議では印象的な場面があった。最初は現在の仮設住宅や借り上げ住宅について避難生活の課題や不満が噴出した。「仮設と借り上げの人で差が大きい。支援物資がこない」「避難生活の平等化を早くやるべきだ」「いつまでこの生活を続けなければならないのか」など。

しかし、話題が「双葉町の良さ」ということに移ったとたん、場内の息苦しい空気が一変したという。取材したフリージャーナリストの藍沢寛子さんがその場の様子を報告している。

それまで厳しい意見が続いていたグループでも、震災前の様子について「事件がなくて平和な町だった。家にカギを掛けなくても良かった」「毎日グランドゴルフができ、コミュニケーション、ストレス解消、運動不足解消になっていてよかった」という声も。会議の終盤には、双葉町を懐かしむ声とともに、笑い声も起きる和やかさが漂った。

これは平易な言い方で「郷土愛」ということなのだろう。藍沢さんは、出席した町民が「心の底から双葉町を懐かしみ、復興を求めている」のを感じたという。何よりもまず、復興の原点は、町への愛着であろう。問題はそれをいかに復興の起爆剤にしていくかだ。どのように町をデザインしていくか。単に『何をやってくれるんだ』『やってくれないから不満だ』と苦情を言うだけでは問題は解決しない。小さいコミュニティーでも、何が足りないか、何がほしいかを明確にして、自分たちが望む復興のあり方を模索し、そしてその結果として実現した町には、幸せな地域環境があるはず」と会議の主催者は町民の自覚の必要性を強調していた。

3月8日に町長選挙の投票が行われる。何よりも新町長は双葉町を愛し、復興を真摯に願う町民の気持ちを汲み取る人物であってほしい。それをしっかり町のデザインとして描き実践する行動力が期待される。

追記:双葉町長選の告示は28日で、立候補者も最終的に4人でした。失礼しました。結局、井戸川前町長は出馬しませんでした。相変わらず「国や県に色々要望をしてきたが、回答がなかった」などと語っているが、少し違うのではないかと思う。


壇蜜とキンタロー

2013-02-26 13:15:35 | 一般
本人に対しては、不勉強で失礼な話だが、いま話題の壇蜜なるタレントがAV女優だとつい最近まで勘違いしていた。もっとも前田敦子と大島優子の区別がつかないほど、自分自身最近のタレントには疎い親父だから、いまさら致し方ないのかもしれない。
ただ壇蜜というグラビアアイドルの動画などを見ると、その過激な肌の露出、それも男性の欲情を挑発する様子は、AV女優そのものだ。むしろ、脱がず行為そのものがなくオブラートに包んでいるだけ、余計に刺激的である。それもどこかサゾマゾの倒錯した性を想起させる。
まさに女の性を前面に出して、それを売り物に出している。この対局にあるのが、今日本を席巻しているAKB48を中心にした女性アイドルユニットである。ただこちらもある面、性を売り物にしている。可愛らしさという武器だ。今時の女子高生が着る超ミニで同じような髪型の少女漫画風、まるでお人形たちがリズムに合わせて踊るようだ。どこかバーチャルぽくで没個性的だ。
彼女たちの可愛らしさは、別な言い方をすれば「処女性」かもしれない。極力女の生々しさが排除されている。このグループの「鉄の掟」が恋愛禁止であることも頷ける。
思うに、壇蜜はこうしたAKBの処女性のアンチテーゼとして登場したのではないか。AKB48はオタクを中心とした若い独身男性の熱烈な支持に支えられている。しかし可愛さだけで個性の乏しいこうしたユニットに飽き足らない者もいる。彼らは、壇蜜のような妖艶な少し大人の女性を渇望するようになる。つい最近、現役を引退した高見盛が壇蜜が理想の女性だと答えていたのを思い出す。
ところで方向性は違うが、やはりアンチAKB48としてお笑いの世界で注目され始めた女性芸人がいる。キンタローという特異な芸名そのものが印象に残る。最初は、はるな愛のようなニューハーフかと思ったが、「正真正銘」の女性のようだ。
AKB48のメンバーの踊りや注目発言のうち可愛らしさをデフォルメして皮肉る。本人が真似た前田敦子が猪木の真似をする二重芸は余り似ているとは思わないが、笑ってしまう。AKB48をデフォルメしてどれだけ芸風を高めていくか見物だ。AKBの正当派ファンには批判も多いようだが、注目したい。
壇蜜32歳、キンタロー31歳とほぼ同年代のアラサーだが、アンチAKB48としてどれだけその魅力を伸ばしていくか。芸人の人気はどうしても短く最近では一瞬だけであっという間に消えていくものが多い。ただの「エッチなお姉さん」「一発屋芸人」に終わらないように願いたい。
お詫び:当初「檀蜜」と表記してしまいましたが、正確には「壇蜜」でした。「檀ふみ」とか「檀れい」といった女優がいますが、彼女らは木へんです。壇蜜は土へんで仏壇の壇ですね。失礼しました。だからおまえは親父だといわれそう。

冷静になるべき人々

2013-02-25 15:53:57 | 国際時事
よく朝日新聞などの左翼メディアが、最近の日本は右傾化して安倍政権を始め世論で排外的な論調が強くなってきたいう。日本は対外的にともかく平和的な話し合いで進めるべきだ。あくまでも日本が冷静であれば、相手国は対話に応じてくる。とにかく日本ばかりを問題にする。
そんな日本責任論をあざ笑うかのような動きが最近韓国で起こっている。今日25日の産経ウェブに「日本製品の不買運動へ 韓国、竹島の日式典に対抗」とある。韓国の自営業者約600万人が加盟する民間団体が日本製品の不買運動を始めると発表した。島根県で「竹島の日」式典を開催したことへの対抗措置というが、実際この式典は今年で8回目であり、今回は日韓関係を考慮して政府代表のうち政務官が出席したのに過ぎない。当初は安倍首相も出席する予定であったが、朴新政権に非常に遠慮し出席をとりやめた。
これほどの日本政府の低姿勢でさえ、韓国国民にとっては許しがたいのだろうか。もちろん、この動きは韓国政府はなんら関係がないし、これがどれだけ実効性があるかわからない。おそらく、掛け声だけでさほど広がるとは思えない。ただ、こうした民間の大きな団体が実際行動にでること自体が異常といえる。
日本では、昨年の韓国大統領の滝島訪問にしても決して不買運動などは起こらなかった。まして韓国系商店を襲撃するなどありえない。それほど日本人は抑制が利いているというか大人しい。どこに日本の右傾化があるのか。左翼メディアが「冷静」を訴えるまでもない。朝日新聞は韓国国民に「冷静」を訴えただろうか。
よく、韓国人の心情の根底には「恨」があり、過去に対しても引きずることが多いという。これに対して、日本人は過去のことは忘れぽくて水に流すことが良いと考える。どちらも一長一短はある。ただ韓国人が、現在の問題に過去の歴史を引き合いに出して相手を責めることは、日本人にはやりきりないことだ。最近の慰安婦問題も領土問題に絡めて日本人を攻撃する。はっきり言ってルール違反だと思う。
もちろん日韓関係はお互い冷静に進められるべきだ。当然不買運動などもってのほかだ。そして過去を必要以上に引き合いに出して問題を複雑化させることもお互いになんら利益にはならない。

ウソ一流

2013-02-24 12:12:07 | プロ市民煽動家
この画像をネットでみた時、わが目を疑ってしまった。昨日23日東京新宿で行われた福島集団疎開をアピールするデモの現場に掲げられたプラカードだ。若い女性が掲げるそこには「反原発 風評被害とウソ一流」と大きく書かれている。同時に下の方には「福島を利用するな」と小さい文字だが、添えられている。
これはどう見ても今回の反原発といえるデモを痛烈に批判しているとしか思えない。茶髪のギャル風の女性だが、「敵地」ともいえる新宿でこんなにも堂々と自己主張する心境はいかばかりであろう。思うに若いのに見上げた根性をしているとその度胸に感心する。この女性の動機やその経緯がとても興味を覚える。その後の彼女はどうなったのだろうか。デモ隊に絡まれたりしなかったのか。
この日のデモは主催者の読みだと参加者500~600人のようだが、それでも太鼓などの鳴り物を騒々しく叩きながら行進する様はやはり、インパクトがある。一頃の官邸前デモを彷彿させる。
今回のデモは郡山の子供14人が福島からの集団疎開を訴えた裁判を勝ち取るため、援護射撃の一環として行われた。一審の地裁では請求棄却され、現在仙台の高裁で抗告審が審議中だ。来月3月には決定が下りるようなので、それに向けて裁判官にアピールする狙いがあるようだ。
子供の集団疎開運動を進める市民団体の主張を見ると、福島がいかに危険かということに埋め尽くされている。つい最近発表された福島県の甲状腺調査の結果が特に大々的に強調されている。しかし、いまだこうした健康調査は進行中であり、決して裁判の決定的な論拠にはなりえない。
どうも活動家たちの「危険ありき」の物言いには違和感を覚える。現に福島ではそんな危険をあまり意識せず日常的な生活を送っている人々、とりわけ子供たちが圧倒的に多い。一審の裁判ではそうした現状を踏まえたのに加えて、健康被害に対する認識も原告とは相当な乖離があった。
だから、今回行われた新宿のデモも決して福島県民を代表しているとは思えない。冒頭で紹介した女性のプラカードに「福島を利用するな」とあるのは、さすがに鋭いと実感する。また「ウソ一流」とは痛烈であるが、今後の裁判や福島県の正確な健康調査さらには実際の健康へ影響が証明することになるだろう。自分にはあの彼女がどこか凛々しく聡明に見えてきた。