粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

追い込まれているイスラム国

2015-01-30 21:56:28 | 国際時事

テログループイスラム国による日本人人質事件は、ヨルダンの空軍パイロットの処遇も絡んでこう着状態が続いている。日本のマスコミには、テロ側の戦術に日本やヨルダンが翻弄されているといった報道が多いが必ずしもそうとはいえないようだ。

よく指摘されていることだが、テログループの闇資金源といわれる占領地域の石油資源が原油価格の急落で大幅減収に追い込まれ、経済的にかなり厳しい環境にある。また有志連合の空爆で軍事的にも劣勢にたたされていれ、最近要衝地がクルド人に奪還されたという。

こうした状況で、テログループを形成しているイラクアルカイダ、フセイン政権残党、外国人グループなどの間で亀裂が生じているといわれる。最近のテログループからは今回の事件で以前のような明確なメッセージが示されず、情報によると事件を巡り内紛状態にあるともいう。

日本の一部のマスコミが安倍首相がテロに厳しい態度を示したことが事件を誘発したと批判している。そういう側面が全くないとはいえないが、いつまでも日本が曖昧な態度を取り続けるわけにはいられない。それを考えると安倍首相の姿勢は特別批判される性格ではないと思う。実際イスラム国は日本の本気で身代金を最初から工作していたようで、安倍首相の厳しい態度で方針を修正したともいわれる。

ともかく、イスラム国は弱体化は明確であり、日本そして世界はそれを一層進める対策を講ずるべきであろう。具体的にはイスラム国の経済力と軍事力を削ぐことに全力を尽くすことが肝心である。その点で、イスラム国を今後も厳しい態度を取り続ける選択肢しかない。

イスラム国をイスラム教と関連づけることは適当ではない。あくまでもテロ集団として峻別するべきだ。そうすることで、イスラム国が孤立して崩壊していくのは時間の問題だと思う。しかし、それで中東が安定化するとはいえない。イスラムの分派特に過激派が新たなテログループをつくって新たな緊張をつくり出すことが考えられる。

思うに中東は強力な軍事政権でなければ、押さえきれないような感じがする。これまでの中東の軍事政権をみると、一番原理主義勢力に敵対的でむしろイスラムの世俗化を推進してきた。そして国民に対して経済的な公平を担保すれば社会も安定する。国政の民主化はその後になるのは致し方ない。

中東でそれが最も成功した国はトルコであろう。トルコは第一次大戦後に軍事政権主導で政経分離を徹底させ近代化を推進した。結果的に民主化が深化していった歴史が一つの見本になるのではないか。


小沢一郎<志位和夫

2015-01-28 19:31:44 | 国内政治

貧すれば鈍す、ということなのだろうか。小沢一郎氏の政治家としての存在感が薄れる一方だ。そもそも、あのド素人で反日が取り柄の山本太郎参議院議員と連携して新党を起こしたこと自体、既にアウトである。そして、今度のイスラム国日本人人質事件で早くも、小沢氏は「山本太郎病」にいともやすやすと「感染」してしまった。

小沢、山本両氏は記者会見で、民主党や共産党など他の野党がイスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」による日本人殺害脅迫事件の解決を目指す政府への追及を抑えている現状をそろって批判した。(産経新聞)

小沢・山本両共同代表もイスラム国に乗り込んで人質を解放する手腕があるのなら、そんな発言も結構だ。しかし、何もできないくせに今政府が解決に向けて全力をあげている最中に、政府の足を引っ張ることをしてどうするつもりなのかと怒りを覚える。

まして、「『今は心を一つに』というような同調圧力がつくり上げられている。この件を利用しながら、海外派兵や集団的自衛権などに足を踏み入れようとしているのは明らかだ。上げるべき声は上げていかなければいけない」(山本氏)と発言したり、「安倍さんが大きな一線を越えた形で集団的自衛権の事実上の実行に踏み出した」(小沢氏)と集団的自衛権と絡めて政府批判するのはお門違いだ。

国の一大事にを自分たちの主張を宣伝していることこそ、まさに政治利用そのものである。おそらくイスラム国の指導部はこうした日本国内の政府批判を見てほくそ笑んでいることだろう。日本の結束が綻びることを何よりも工作しているからだ。そして、安易に政府を批判する日本国内の反政府勢力を声援しながら、一方でそれに踊らされている人々を内心では軽蔑しているに違いない。

その一方で、共産党の志位和夫委員長は自党若手女性議員がツイッターで「安倍政権の存続こそ言語道断」とこの事件での政府の対応を酷評したことに対して、政府が全力を挙げて取り組んでいる最中だ。今あのような形で発信することは不適切だ」と述べている。共産党委員長にしては非常に理性的な姿勢をみせている。小沢一郎共同代表が極めて異常ともいえる反応を示しているのとは対照的だ。

これも先の選挙で議席を伸ばし、本格的な政治攻勢をかけようとする政党の代表とじり貧で命取りともいうべきババを引いた政治家との大きな違いというべきか。今はこんな素人議員と心中しようとする小沢氏には暗い末路しか想像できない。かつて日本政界で影でコントロールした実力者の面影は皆目みられないのは寂しい限りだ。


共産党アイドルの見識

2015-01-26 20:05:54 | プロ市民煽動家

「『ゴンゴドウダン』などと、壊れたテープレコーダーの様に繰り返し、国の内外で命を軽んじ続ける安倍政権」「安倍政権の存続こそ、言語道断。本当に悲しく、やりきれない夜。眠れない」

もはや、このつぶやきはネットではみることはできない。結局、本人が「不適切」として、自分のツイッターで削除したからだ。池内沙織共産党衆議院議員のことだ。

イスラム国による日本人人質事件で殺害が明らかになったことを受けて、安倍首相が「言語道断」とイスラム国を非難した。これを池内議員は、安倍首相の発言を「言語道断」とツイッターで逆に非難した。

彼女は、人質を殺害したイスラム国に対して一言も批判めいたことは発していない。今回の事件で誰が日本人を脅迫して犯行に及んだのか小学生でもわかることだ。さすがにこのツイートは炎上して、ボスの志位委員長にたしなめられたようだ。問題のツイートを削除して全面謝罪だ。

昨年の衆議院選挙で比例区で当選したできたてほやほやの議員だ。一昨年参議院東京地方区で初当選した吉良佳子参議院議員と同じ32歳である。共に共産党のアイドルの二枚看板として特に左翼メディアなどでもてはやされているようだ。

しかし、所詮は国政を担っているという自覚が乏しい素人議員であることが暴露されてしまう。吉良議員も昨年「オスプレイでペースメーカーの不調を訴える人がいる」という科学的根拠に極めて疑わしいツイートを発して物議を醸した。早くも共産党アイドル路線は破綻?

いくら、最近の野党が非力とはいっても、こんな素人議員が多すぎるのではないか。その筆頭はいうまでもなく、山本太郎参議院議員である。しかし、まだ素人だけならばかわいいかもしれない。日本の実情を理解できず、反日=正義のような単純な論理で自己主張する偏狭ぶりがやりきれない。それを一部メディアが甘やかすことも問題だ。

吉良議員は最近党の役員と結婚して、少しおとなしくなったようだ。池内議員も結婚すればいいのに、なんて書いたら昨年の都議みたいなセクハラになりそうだが。もっとも結婚してもスピード離婚して隠し子も発覚する議員に至ってはもはや言葉もない。

 


ボロディン「だったん人の踊り」

2015-01-25 16:52:39 | 音楽

最近、テレビでJR東海の「ふたたびの奈良」というキャンペーンCMがよく流れている。奈良の神社が映し出されその背後の山には「神」が鎮座する。奈良という土地の荘厳で神秘的なイメージが強調されている。

そのCMで流れているのが「だったん人の踊り」である。これは、19世紀のロシアの作曲家ボロディンが作曲したオペラ「イーゴリ公」のなかで登場する部族民のお祭りの曲である。中世ロシアで権勢を誇った「だったん人」の王国で捕虜になった南スラブ領主イーゴリ公の物語だが、この踊りの部分は特に有名で、オーケストラで単独に演奏されることも多い。

でも奈良の観光案内でこの曲が挿入されるのかよくわからない。「だったん人の踊り」はその王を讃える華麗極まる曲だが、それは王の神々しさも秘めている。それが神の鎮座まします奈良の山々にも通じるということなのか。

それとともかく、この踊りは迫力満点でオペラ特有の大スペクタルだ。単独のコンサートでは合唱が加わったとしても、この劇の躍動感は望めないのでやはり実物の劇には及ばない。

始めは肌も露にした美しい女たちが、激しく時にしなやかに劇場狭しと踊りまくる。途中飛び跳ねては生の息吹を体中で表す。その後屈強な男たちが怒濤のリズムに乗って華麗に力強さを誇示する。最後は男女がいじまわり、エロチシズムも加味されて狂喜乱舞の世界が演出される。こんな踊りをみると、現在の下手なミュージカルなど安っぽくみえる。

それにしても、こうした踊りは遊牧民の特有の迫力があって、農耕民特に日本人にとってはまるで異次元の世界の感じがする。現在中東が騒然としているが、元はといえばこうした遊牧民の領主が支配していた。時に権勢を誇った部族はこんな王国を築いて、お祭り時期には華麗な舞を繰り広げていたのだろう。

その伝統は現在でも脈々と生きている。紛争が続くイラクにしてもアフガニスタンにしても今も地域の部族の存在は健在で国の動向に少なからぬ影響力を保持しているといわれている。そう考えると、先進諸国が自分たちの政治理念の民主主義をこうした遊牧民社会に根付かせるのは難しい感じもする。西洋の押しつけと感じた時にはその反動も強いのではないか。


龍柱問題、沖縄県民が抗議すべき場所は辺野古ではない

2015-01-23 21:44:13 | 沖縄の虚像と実像

今、日本中が中東の日本人拘束事件で騒然としているなか、まるで場違いというべき騒ぎが沖縄で続いている。辺野古移設工事を巡る反対派「住民」の抗議活動である。

どうもこの「住民」というメディアの表現が極めていかがわしい。150人程度とみられる辺野古工事に妨害の活動を続ける人々の素性はいかばかりだろう。多くは、沖縄内外のプロ市民といわれる。官公労や日教組などの組合員やOB、一部の市民活動家そして中核派などの新左翼とされている。どうも沖縄一般l県民とはほど遠い人種だ。これに対処することが国家権力の横暴とされたらたまらない。実際、辺野古移設反対は沖縄県民の「民意」とマスコミはいうが少なくとも現地の漁民は移設を容認している。

 妨害活動で「負傷」したことを沖縄の新聞が盛んに書き立てているが、その多くが60歳をこえるじいさん、ばあさんだ。海上保安庁の保安員が制止しようとすれば衰えた体躯で怪我もするだろう。

一方で、沖縄南西部尖閣諸島周辺では日常的に中国海公船の領海侵犯が行われ、中国が勝手に設定した防空識別圏を我が物顔に飛び交っている。もはや、沖縄の漁船が自由に尖閣諸島で自由に漁業ができない事態になっている。

この傾向は、昨年沖縄県知事選で、翁長雄志氏が勝利したことで拍車がかかっている。翁長新知事は辺野古移設に反対を公約に掲げていて、工事を進める政府に対決姿勢を示している。その反面、南西部の領土危機には全くといってよいほど危機感がない。いや、これをまるで放置するような態度を見せている。

これでは反日反米であるとともに、親中ではないかと疑念を抱かざるを得ない。その証拠に選挙では社民党や共産党などの左翼政党の支持を受けてその意向を強く反映させているのだ。そして、もう一つ裏打ちするものがある。以前自分のブログでも言及した「龍柱問題」である。

これは政府が沖縄県に計上する振興費用のうち、いわゆる一括交付金という用途を問わない事業として特に那覇市で進められているものだ。那覇港から那覇中枢部へ向かう幹線道路の要所に両端に15メートルの龍柱を設置するもので、翁長氏が市長時代に計画された。

しかし、2億5千万円とされる予算だが、その制作が友好都市である中国の福州市の業者に委任され、予算の相当部分が福州に流れているといわれる。予算の使途が非常に不明瞭で、これを運用する那覇市側にも福州市との不適切な関係で一部市民から不信感が持たれている。

一番の問題は、この龍柱が中国皇帝の象徴であり、わざわざ沖縄にこれを設置することは中国に誤ったメッセージを送ることだろう。すなわち、龍柱があることでここが中国の冊封地あるいは沖縄と中国の境界線とみなされることだ。そもそもこの設置を申し出たのが、中世より福建省から移民してきた中国移民の子孫たちである。彼らは、現在も沖縄で大きな経済力をもち、市政の影響力も侮りがたい。当時の翁長市長がその住民の意向を受けてこの龍柱設定を決定したものだ。一方で一般の那覇市民はその計画を全くといってよいほど認知していないのが実情だ。いわばこの龍柱は翁長市政の申し子であり、その実態は極めて親中国色が強く、問題が多すぎる。

以前から一部市民がその疑惑を告発していたが、翁長氏は知事選が終了するまで沖縄県民にこの問題で紛糾することを避けるために工事を遅らせていた節がある。本当ならば昨年の早い時期に設置されるはずだったからだ。しかし、知事選挙も終わり、同時に起こなわれた那覇市長選挙でも彼が後継に指名した候補が当選したことで、ここへきて龍柱設置が本格化してきている。今年度3月には設置が終了する気配が濃厚だ。

だが、この疑惑が多すぎる龍柱問題に沖縄のメディアは全く無関心だ。もっぱら辺野古工事の反対運動ばかりを報じるばかりで、実際沖縄県民の関心は設置が目前なのに極めて低い。しかし、那覇市の計画はこの龍柱だけではない、龍柱が設置される幹線道路は沖縄中心部に伸びているが、いずれ沿道に中華街をつくり、同時に中国領事館も招致して一帯を一大チャイナタウンにする構想があるという。

そうなるとまるでこれは中国の租界になってしまう。その間、親中国感情が沖縄県民の間でなし崩し的に醸成されていく。反日、反米で親中であれば、もはや沖縄は日本の自治共和国になりかねない。そうならば尖閣諸島日本領有は沖縄から骨抜きにされていく。いやすでの琉球独立を本気で唱えている反日活動家がいるくらいだ。

もちろん、沖縄県民は簡単に親中になびくほど愚かだとは思わない。実際、世論調査では県民の9割が中国を嫌いだと答えている。しかし、残りの一割の人間が率先して親中国活動を進めていき、県民が誘導されていけば悪夢が現実となりかねない。龍柱設置がその端緒ともいえる。そして、これを推進しようとしているのがとりもなおさず翁長新知事なのだ。だから、沖縄県民が抗議する場所は辺野古ではなく、龍柱が設置されようとする那覇の海岸である。そして那覇市役所、沖縄県庁だ。