昨日夕方自宅に戻ったら17日のブログに関するコメントが届いていた。「反原発論者の忌み言葉その1」についてだが、今更ながら「刺激的」なタイトルだなとあきれる。
コメントは2件だが、同一人物の印象があるものの定かではない。当ブログの中の「放射能ヒステリー」の言葉に反応されたようで、残念ながら批判的コメントであった。読むと福島と放射能ヒステリーを関連づけて疑問を呈しているようだが、自分はむしろ福島以遠の現象を念頭において論じたつもりだ。ガレキの広域処理問題、被災地物品の風評被害、学校の給食や被災地への小旅行への過剰な反応などだ。
特に首都圏の軽微な汚染地域でしばしば巻き起こる。つまり放射能は少しでも被曝すると健康に被害があるという思い込みだ。しかし人間の細胞には放射線によってダメージを受けてもそれを修復する能力がある。
もともと自然界から放射線を浴びていて、生まれた時から人間は被爆者なのだ。自然と人工は違うという人もいるが、同じである。問題はその危険のボーダーラインだが、政府が打ち出した年間1ミリシーベルト被曝は国際的にもかなり厳しい基準だ。
しかしたとえば内部被曝を見ると4月からの食品基準はおろかそれ以前の暫定基準でも平均日本人が被曝する線量は年間0.05ミリシーベルト程度であり福島県人でも多くて0.1ミリシーベルトほどだ。だからよく子供の給食に反対する保護者がいるが、全く実態を理解しない人たちが情緒的に反応している印象が強い。
あるいは子供の被災地への小旅行に反対する動きもあるが、2,3日の旅行では逆に飛行機で子供を連れて海外へ旅行した方がずっと多く被曝する。ガレキ処理問題でもしかり、東京都が受入れる岩手のガレキの方が線量が低い。
したがって、これら細かなことで反対する人たちの多くが科学的な事実を理解せずただ感情だけで行動する、そうすることによって、被災地の生産者や観光業者を苦しめ、給食関係者を悩ます。これが「放射能ヒステリー」の真相だと思う。
さて問題は福島が安全かどうかだ。コメントされた方は、「あなたは福島が安全だと知っていてそれを証明できるのでしょうか?それとも、福島は安全だと説明する情報を読んだり見たりしただけですか?」と問うている。
こちらの答えは警戒地域と計画的避難区域は「安全とはいえない」が、それ以外は「安全」だと考えるということだ。だから前者地域は避難が強制され、それ以外は対象外だ。
指定外地域の安全性を説明するには決してたやすい作業ではないが、以下の情報は大いに根拠にしてよいのではないか。首都大学福士正広放射線科学域長を中心とした調査結果だ。
現在福島県内の高いレベルの地域で0.38マイクロシーベルト/毎時ぐらいであり、年間にすると3.3ミリシーベルトだ。しかし今後は雨で流されたり、核種のうちのセシウム134が半減期が2年なので減り方も早い。1年後の累計はもっと低いだろう。また世界平均は2.4ミリシーベルトだが、許容線量プラス1ミリを加えると3.4ミリになり福島の現在と変わらない。
問題は事故からこの1年間の被曝であるが、資料によると一番多いのは福島市の推計7.28ミリシーベルトだ。これは年間10ミリを超えるブラジルやイランなどの一部地域よりも低い数字だ。海外のこれら地域で健康被害を受けたという話を聞いたことがない。あるいいはCTスキャン1回分の6.9ミリがこれに近い。
またこれは限定的な例だが、航空会社の国際線の客室乗務員の年間被曝は5ミリシーベルト前後といわれている。うら若き乙女たちが健康障害を起こしたり、出産した子供に影響が出たりしたなど聞いたこともない。
ただこの記事のある通り、人によっては例外的に年間20ミリを超えた人も2人いたようだ。今後の検査は必要だが、どうしてもあの世田谷の民家の騒動を思い出してしまう。ラジウムの放射線で年間30ミリシーベルトを30年に渡って浴びていたが何か、健康に影響があっただろうか。
ではなぜそんな地域で除染をするのかと反論が出るかも知れない。自分は安全をより確実にさせ安心を築くものだと考える。たとえば小学生の通学路に例えてみる。学校へ行くまでに交通量の激しい道を渡るのに、従来信号機があってある程度安全は保てているが、親としてはまだまだ不安は残る。
信号無視して飛び込んでくる車があるかも知れない。それなら歩道橋をつくって道を渡らなくてもよい通学路にする。除染とはより安全安心な歩道橋をつくる作業ではないか。ただ自分には除染する基準が少し低い感じがする。そのための余計な予算が浪費されることには疑問をもっている。
追記:最近のマサチューセッツ工科大学の研究では、マウスに毎時120マイクロシーベルトの放射線を5週間投射してもそのDNAに異常がなかったという。今後のさらなる検証が必要だが、興味深い研究結果だ。(池田信夫氏のブログより)