粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

国の大借金をつくった自民党

2012-05-24 10:18:10 | 国内政治

大手格付け会社フィッチ・トレーディングが日本の国債のランクを1段階下げて21段階中5番目の「シングルAプラス」にした。何よりも借金の総残高がGNPの2.4倍という異常な比率が理由だが、もうひとつは政治の混迷で対応が遅いことが挙げられている。

民主党政権の内部抗争も響いている。しかし野党自民党の政治感覚のなさも大きい。自民党は政府案に小理屈をこねて批判し、審議を遅らせてばかりいる。本心では増税の必要性を承知しながら政府案に変わる代案も出そうとしない。

考えてみれば、これだけ借金をつくった責任の大半は自民党にある。それに対する自覚が執行部以下党内全体にあるのだろうか。それを棚に上げて政府の揚げ足取りをするのでは、言葉は悪いが「盗人猛々しい」に近いところがある。

思うに谷垣総裁以下自分たちの保身しか念頭にないのではないか。特に迫る選挙にどう対処するかということが最大の関心事のように見える。しかしこれでは自民党は民主党の敵失にもかかわらず、選挙には勝てない気がする。谷垣総裁の政治生命さえ危うい。京都が選挙基盤だが、そこは大阪維新の会の勢いに足下をすくわれかねない。

いまこそ自民党は「大人の振る舞い」を示して欲しい。おそらく消費税の代案を示せば野田政権も同調する可能性大だ。それが責任野党のとるベき態度であり、存続の道だと思う。


寝そべる抗議者たち

2012-05-23 11:37:15 | ガレキ広域処理問題

昨日は東京スカイツリーの開業で日本国民こぞって上を見上げる記念の日であったが、ここでは「時流」に逆らい寝そべる人が出たようだ。北九州市のガレキ搬入に抗議する反対派約40人の「抗議活動」である。

しかし今回の搬入は、宮城県石巻市の広域ガレキを試験焼却するためのものだ。試験結果をみて、今後実施するかを決めるだけのことに過ぎない。ガレキは焼却用の木片が中心でセシウム含有量はキロ20ベクレル程度だという。焼却後の濃度を調べたり、付近の放射線量をチェックして、特に変化がないことを確認した上での受け入れ採用である。決して住民の理解なしに抜きうちで本番焼却をやるわけではない。

しかし反対側は「放射能を持ち込むな、子供の健康被害をないがしろにするな」の一点張りだ。どちらに論理性があるか一目瞭然だ。そして「ともかく反対」、「市の説明は信用できない」では「思考停止」そのものである。

その上寝そべったり、酷いのはトラックの下に潜り込んだりして抵抗する。これではさながらホームレスである。いやホームレスに対して失礼だろう。彼らは少なくとも道路には寝ない。(もちろん寝られないだろうが)そして交通の邪魔をしたり近隣住民に迷惑を掛けたりはしない。

自分たちは「反権力の英雄」のつもりだろうか。しかし民主国家でたとえ寝そべったとしても、搬入車に引かれないことを100%いや200%確信している。そこが天安門事件で軍部の装甲車の前に立ちふさがった民主活動家とちがうところだ。まさに天地の差がある。

これはあくまでもパフォーマンスに過ぎない。こうすることによって自分たちの存在をピーアールすることが出来るからだ。やっぱりというか、当日の民放のいくつかでこの「事件」を報じていた。テレ朝に至っては古館キャスターが半ばこの抗議を肯定するかのような「援護射撃」さえしている。

おそらく今回の抗議がテレビで報じられたことで、拘束された抗議者たちは表面は国家権力の「横暴」に怒りをみせながら、心の内ではベロを出して笑っていることだろう。


放射能ヒステリー

2012-05-22 12:53:20 | 過剰不安の先

昨日夕方自宅に戻ったら17日のブログに関するコメントが届いていた。「反原発論者の忌み言葉その1」についてだが、今更ながら「刺激的」なタイトルだなとあきれる。

コメントは2件だが、同一人物の印象があるものの定かではない。ブログの中の「放射能ヒステリー」の言葉に反応されたようで、残念ながら批判的コメントであった。読むと福島と放射能ヒステリーを関連づけて疑問を呈しているようだが、自分はむしろ福島以遠の現象を念頭において論じたつもりだ。ガレキの広域処理問題、被災地物品の風評被害、学校の給食や被災地への小旅行への過剰な反応などだ。

特に首都圏の軽微な汚染地域でしばしば巻き起こる。つまり放射能は少しでも被曝すると健康に被害があるという思い込みだ。しかし人間の細胞には放射線によってダメージを受けてもそれを修復する能力がある。

もともと自然界から放射線を浴びていて、生まれた時から人間は被爆者なのだ。自然と人工は違うという人もいるが、同じである。問題はその危険のボーダーラインだが、政府が打ち出した年間1ミリシーベルト被曝は国際的にもかなり厳しい基準だ。

しかしたとえば内部被曝を見ると4月からの食品基準はおろかそれ以前の暫定基準でも平均日本人が被曝する線量は年間0.05ミリシーベルト程度であり福島県人でも多くて0.1ミリシーベルトほどだ。だからよく子供の給食に反対する保護者がいるが、全く実態を理解しない人たちが情緒的に反応している印象が強い。

あるいは子供の被災地への小旅行に反対する動きもあるが、2,3日の旅行では逆に飛行機で子供を連れて海外へ旅行した方がずっと多く被曝する。ガレキ処理問題でもしかり、東京都が受入れる岩手のガレキの方が線量が低い。

したがって、これら細かなことで反対する人たちの多くが科学的な事実を理解せずただ感情だけで行動する、そうすることによって、被災地の生産者や観光業者を苦しめ、給食関係者を悩ます。これが「放射能ヒステリー」の真相だと思う。

さて問題は福島が安全かどうかだ。コメントされた方は、「あなたは福島が安全だと知っていてそれを証明できるのでしょうか?それとも、福島は安全だと説明する情報を読んだり見たりしただけですか?」と問うている。

こちらの答えは警戒地域と計画的避難区域は「安全とはいえない」が、それ以外は「安全」だと考えるということだ。だから前者地域は避難が強制され、それ以外は対象外だ。

指定外地域の安全性を説明するには決してたやすい作業ではないが、以下の情報は大いに根拠にしてよいのではないか。首都大学福士正広放射線科学域長を中心とした調査結果だ。

現在福島県内の高いレベルの地域で0.38マイクロシーベルト/毎時ぐらいであり、年間にすると3.3ミリシーベルトだ。しかし今後は雨で流されたり、核種のうちのセシウム134が半減期が2年なので減り方も早い。1年後の累計はもっと低いだろう。また世界平均は2.4ミリシーベルトだが、許容線量プラス1ミリを加えると3.4ミリになり福島の現在と変わらない。

問題は事故からこの1年間の被曝であるが、資料によると一番多いのは福島市の推計7.28ミリシーベルトだ。これは年間10ミリを超えるブラジルやイランなどの一部地域よりも低い数字だ。海外のこれら地域で健康被害を受けたという話を聞いたことがない。あるいいはCTスキャン1回分の6.9ミリがこれに近い。

またこれは限定的な例だが、航空会社の国際線の客室乗務員の年間被曝は5ミリシーベルト前後といわれている。うら若き乙女たちが健康障害を起こしたり、出産した子供に影響が出たりしたなど聞いたこともない。

ただこの記事のある通り、人によっては例外的に年間20ミリを超えた人も2人いたようだ。今後の検査は必要だが、どうしてもあの世田谷の民家の騒動を思い出してしまう。ラジウムの放射線で年間30ミリシーベルトを30年に渡って浴びていたが何か、健康に影響があっただろうか。

ではなぜそんな地域で除染をするのかと反論が出るかも知れない。自分は安全をより確実にさせ安心を築くものだと考える。たとえば小学生の通学路に例えてみる。学校へ行くまでに交通量の激しい道を渡るのに、従来信号機があってある程度安全は保てているが、親としてはまだまだ不安は残る。

信号無視して飛び込んでくる車があるかも知れない。それなら歩道橋をつくって道を渡らなくてもよい通学路にする。除染とはより安全安心な歩道橋をつくる作業ではないか。ただ自分には除染する基準が少し低い感じがする。そのための余計な予算が浪費されることには疑問をもっている。

追記:最近のマサチューセッツ工科大学の研究では、マウスに毎時120マイクロシーベルトの放射線を5週間投射してもそのDNAに異常がなかったという。今後のさらなる検証が必要だが、興味深い研究結果だ。(池田信夫氏のブログより)




ある市役所課長の「暴言」

2012-05-21 09:44:48 | ガレキ広域処理問題

またがれき広域処理に反対するサイトについてだ。例の木下黄太氏、この問題で反対運動をまるで自分のライフワークにしているようだ。彼の20日のブログをみると、ある市役所課長の「暴言」が取り上げられていた。

北九州市で進めているガレキ広域処理の担当課長が、これにクレームをつけにきた「陳情者』に対し「ガレキで騒いでいるのはおかしな避難者だけ。市民は賛成している。おかしな避難者が反対しても関係ない」と言ったという。その課長はそれ以前も「避難者のアホどもが、また来とる。」と語っており、度重なる「暴言」に木下氏の怒りは頂点に達しているようだ。

たしかに「避難者のアホ」は役所の課長の言葉としては不適切であろう。しかし日頃反対運動の過激さに不快感を覚えている私としては、この課長は自分の率直な気持ちを語っていると思う。また事実「避難者」が中心になって反対しているケースは多い。

北海道苫小牧市でも同様の反対が起こっているが、それを指導しているのは宮城県からの避難者たちのようだ。問題はその「避難者」が「特別な被害感覚」の人間だということだ。そして自主的避難でも近隣の宮城や首都圏からの人が多く、意外と福島からの避難者で積極的に運動に関わっているケースは少ないということだ。

福島からの避難者の心情は実際複雑だ。警戒地域は別として、地元には事情によって避難が出来ない人もいる一方で、避難はさほど必要もないと考えているいる人もいる。後者がずっと多いということもよく聞く。そして福島から自主避難した人たちにとって、そんな地元に残る人に対して自責の気持ちと反感という相反する感情が複雑に交錯している。だから自分自身表立って避難地で反対運動に加わる気にはなれない人が多いようだ。

反対運動を積極的に推進している人たちは、むしろ首都圏など放射能汚染が比較的軽微な地域に住み、その被害を「確信」して特別な「意志」で避難してきた人たちが圧倒的に多い。これをいうとまた女性差別のそしりを受けそうだが、やはり幼い子供を持つ母親が多いのではないか。

たぶん北九州の場合でも、こうした母親とおぼしき陳情者たちが担当者に向かい「子供の健康被害」を声高に主張したのは想像に難くない。しかも放射能危険の「確信者」だから、担当課長も対応に苦慮したことだろう。「暴言」がそんな背景から出たとしたら同情するところは大いにあると思う。


東京スカイツリー音頭

2012-05-20 12:50:28 | 音楽

たぶんこんな歌も出るだろうなあ、と何となく思っていたが、やっぱりあった。CDは2年前に発売されている。おまけにそれに合わせた踊りも出来ていて、昨年から都内の盆踊りでも結構流れているようだ。ネットの動画にも何種類か見ることが出来る。

まあ、どこにもありそうで、特別変わりばえする音頭でもない。振付けを考えた女性によると「東京 東京 スカイツリー~♪」というところでは、頭上に両手で山を作ってスカイツリーを表現したり、他にも世界一を誇るタワーの高さを表現するように、左右の手を上にまっすぐに伸ばす振付けなど、この曲ならでは!というオリジナリティにあふれた音頭です。」ということだ。

どこか昔ヒットした西城秀樹の「ヤングマン」を連想させるが、一度是非生でその様子を見てみたいものだ。

肝心の歌詞だがなかなか見つからない。「TOKYOスカイツリー音頭」とか「東京スカイツリーの歌」とかやはり紛らわしい曲がある。「TOKYO」の方は歌っている歌手が「なでしこ姉妹」というのも、何か便乗のような感じがする。

本家「東京スカイツリー音頭」は相原ひろ子さんという地元墨田区在住のプロ歌手で作詞作曲もやはり同区民という。

 

「東京スカイツリー 音頭」

     (日本音楽著作権協会会員)

 作詞 たかはし 豊 ・ 作曲 林 正臣 ・ 振付 寿々喜 美恵

1. 

  大東京の どまんなか 隅田の流れ 眼下(した)に見て

  東京 東京 スカイツリー みんなの願いのゆめきずな

  つなぐ筑波峰(つくばね)北の空 平成バルンをあげる街

  平成バルンを あげる街 あげる街

2. 

  地球の果ての 西東(にしひがし) ジェットで運ぶ 幸せを

  東京 東京 スカイツリー 下町未来の錦糸町

  両国 江戸博 国技館 平成ロマンを語る街

  平成ロマンを 語る街 語る街

3. 

  南に富士が 胸を張り 川の手文化 見て育つ

  東京 東京 スカイツリー 東武エリアを結ぶ駅

  浅草 業平 押上は 平成トーチを立てる街

  平成トーチを 立てる街 立てる街

4. 

  ニュースが走る 世の中を すみだに築く この高さ

  東京 東京 スカイツリー 希望に輝く 朝ぼらけ

  浴びて世界をひとまたぎ 平成ドラマを創る街

  平成ドラマを 創る街 創る街

5. 

  歴史が動く 姿見て 海舟 北斎 今昔

  東京 東京 スカイツリー 国際観光 都市づくり

  八広 曳舟 向島 平成パワーを送る街

  平成パワーを 送る街 送る街

 

どうも東京スカイツリーにあやかった墨田区の「ご当地ソング」という感じだ。まあ、音頭なんてもともとそんなものだから堅いこというのはよして、この22日開業に向けてこれで景気をつけて盛り上がるのもいいだろう。

墨田区と聞くとどうしても「下町」のイメージが強い。このスカイツリーが出来るまでは、「両国国技館」が区のシンボルになっていた。錦糸町を除けばさほど盛り場になるところもない。道の狭い所が多く、ひどく街中が窮屈な感じがする。しかし墨田区が一番昔の東京、というより「江戸」の面影を残しているといってよい。どこか京都の「町屋」を彷彿させる。とするとスカイツリーは「京都タワー」に相当するが、その存在は遥かにスカイツリーの方が大きい。

極論をいうと東京の山の手は東京の分家でしかないと思う。東京の本家は墨田区を中心とした下町といえる。このツリー開業を機に「東京の復権」を目指して欲しい。そのためにも新しい下町文化の興隆が必要だ。この下町出身でいまでも世界に名を馳せる葛飾北斎のような芸術家が生まれることを……。