粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

再び、郡山二中合唱部

2013-03-24 10:28:50 | 福島への思い

このブログを始めてから早500回になるが、記事の中でもいまだ長期にわたってアクセスが続いているものがある。特に閲覧が多いのは「偏見と差別の絵本『みえないばくだん』(平成24年3月12日)」で、現在でも全記事中毎週ベストテンに入っている。

これほどのアクセス数ではないが、根強い訪問があるのは、「郡山二中『天使の合唱』」である。なんと平成23年11月7日の記事で既に1年4ヶ月にもなる。なぜかグーグルで「郡山二中」を検索するとなんと当中学校のホームページに次いで2番目に位置していた。

この記事は、郡山二中合唱部の卓越した実力と魅力を賞賛したものだ。当時、全日本合唱コンクールやNHK全国学校音楽コンクールといった最も国内で権威のあるコンクールの中学生部門で連続金賞受賞を続けていた。まさに中学生合唱の実力NO1の栄誉を誇っていた。

残念ながら、昨年のNHKでは金賞を逃し銀賞に甘んじたが、全日本合唱コンクールでは昨年も金賞を勝ち取り10年連続の王座を維持している。依然として、全国の中学合唱の盟主であることには変わりがない。

ただ、なぜかネットで彼らの動画を探すと、3年以上前のものが多く、意外と最近の合唱映像が少ない。最近では郡山市議会会議場での動画があるが、どうみても観客席で素人が個人的に撮影したものをアップしているようにしか見えない。コンクールの模様は主催者の協力がなければ、なかなか映像に出来ない事情があるのかもしれない。しかし、身近に彼らの合唱を鑑賞したいと願う我々にとって物足りないと感じる。

前回のブログで、「きっと震災と原発事故で傷ついた県民そして日本国民の心を癒してくれるだろう。そして福島再生いや日本再生のシンボルともなっていって欲しいと切に願っている。」と自分の「想い」を書いた。その点、現在自分の見た限りではいささかその「発信」が今ひとつのような気がする。このためにも、学校指導部ばかりでなく、郡山市、福島県がもっと率先して盛り上げる体勢をつくってほしい。さらには国民的規模でも。

郡山といえば、最近では地元の子供が「集団疎開」の訴訟を起こして審議中といったことがある。これは正直言って自分から見れば、郡山ひいては福島に対して誤ったメッセージを世間に与えかねない。

その点では、ぜひとも郡山二中合唱部から当地の想いを発信してほしい。彼ら中学生の活動こそ今生きている日常の姿を現しているのではないか。仲間内のたわいのなく楽しい会話のなかにも、未来を真摯に見つめる想いがある。そしてそれが合唱というひとつの作品に体現されている。


1 コメント

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Unknown (Unknown)
2017-10-05 18:58:55
二中の合唱部は、公表はしていないが本当の中身はとても荒れている。学校や市を相手に訴訟を起こしている親を持つ人も合唱だし、頑張っていたのに顧問に不登校にされて病気になってる人もいます。ニュースにならないのが不思議。

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