沖縄与那国島の小1男児安里有生君が昨年6月沖縄前戦没者追悼式で朗読した詩が反響を呼び、絵本となって今月出版されたという。詩のタイトルは「へいわってすてきだね」で絵本作家の長谷川義史氏が作画を担当している。
確かに小学一年生らしい平和を思う素直な気持ちが現れていてよく出来た詩だと思う。
…おともだちとなかよし。
かぞくが、げんき。
えがおであそぶ。
ねこがわらう。
おなかがいっぱい。
やぎがのんびりあるいてる。
けんかしてもすぐなかなおり。
ちょうめいそうがたくさんはえ、
よなぐにうまが、ヒヒーンとなく…
与那国島ののどかな光景が描写されている。
ただ、この離島の素朴な少年を取りまく大人たちにはどこか特別な思惑や意図を感じて、違和感を覚えざるを得ない。まずこの絵本作家だ。
「今描かなきゃと思った。戦争のできる国に一部の人がしようとしている。大人として、絵描きとして、逃げることはできない」と感じ、引き受けたという。(長谷川氏、琉球新報の記事)
「戦争のできる国」と聞けば、どうしても今日政治問題になっている集団的自衛権行使の問題を想起せずにいられない。おそらく、この絵本作家の思想信条は朝日新聞に代表される行使容認阻止の立場に相違ない。絵本作家を含めて出版動機に特別な思惑が窺える。
そして、この絵本発刊の報道をしているのが、朝日新聞、毎日新聞、中日・東京新聞、沖縄県紙2紙といった左翼紙ばかりなのも当然といえば当然だ。産経や読売といった保守紙は全くといってよいほどこの絵本のことを取り上げていない。
つまり、この絵本を持ち上げることによって安部政権が進める政策が純粋な子どもたちに不安を与えかねないものであるという印象操作が行なわれているのだ。露骨な言い方をすれば、童心を利用して自分たちの主張を粉飾しようという不純な意図を感じる。
そして、この児童がこうした詩をつくった教育環境にも、失礼ながら余計な勘ぐりを入れたくなる。いわゆる沖縄の「平和教育」である。沖縄の教育界は全国でも最も日教組の影響力が強い県の一つといわれる。反基地指向が強く、自衛隊の活動に対しても冷淡だという。
その反面、最近沖縄尖閣諸島の領海侵犯を繰り返す中国の脅威には危機感が乏しい。現に与那国島が属する八重島諸島は尖閣諸島も含まれている。しかし、児童の詩の中に尖閣諸島をとりまく緊張感が全く感じられないのはのはそのためか。
そして、児童の詩の中に戦争についての描写がある。
せんそうは、おそろしい。
「ドドーン、ドカーン」
ばくだんがおちてくるこわいおと。
おなかがすいて、くるしむこども。
かぞくがしんでしまってなくひとたち。
あまりにも恐怖がリアルである。おそらく、児童に教師が教える戦争はこんな生々しいものなのだろう。その対比にのどかな島の日常があるのだが、その中間すなわちグレーゾーンがあることを本当は教えなければならない。米軍基地がそして自衛隊が沖縄で、島嶼の防衛のため平時も活動している現実がそれに該当する。
もし、教育でこうした米軍や自衛隊を戦争とストレートに結びつけるならば、子どもたちに誤解や偏見を与えかねない。またそうであれば当然集団的自衛権行使を巡る中央の論争に対しても子どもたちが特別な目で見てしまう恐れがある。
児童は詩の最後にこう結ばれている。
これからも、ずっとへいわがつづくように
ぼくも、ぼくのできることからがんばるよ。
この「がんばる」が特定のベクレルを持って進まないことを祈るばかりだ。
それと蛇足かもしれないが、児童の詩にもう一つ気になる部分がある。
へいわなかぞく、
へいわながっこう、
へいわなよなぐにじま、
へいわなおきなわ、
へいわなせかい、
へいわってすてきだね。
へいわの形容で足りないものがある。
「へいわなにほん」だ。これを飛び越していきなり「へいわなせかい」となる。11月の沖縄知事選でなんと「沖縄独立」を唱える候補者がすでに出馬を表明した。その候補者は米軍を撤退させて中国軍が進駐することも主張している。沖縄左翼は中国政府に秋波を送ることも厭わない。まさかこの児童を教える教師がそんな左翼だとは思いたくないが。