粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

絵本「へいわってすてきだね」に違和感

2014-06-29 21:11:42 | 沖縄の虚像と実像

沖縄与那国島の小1男児安里有生君が昨年6月沖縄前戦没者追悼式で朗読した詩が反響を呼び、絵本となって今月出版されたという。詩のタイトルは「へいわってすてきだねで絵本作家の長谷川義史氏が作画を担当している。

確かに小学一年生らしい平和を思う素直な気持ちが現れていてよく出来た詩だと思う。

 

…おともだちとなかよし。

かぞくが、げんき。

えがおであそぶ。

ねこがわらう。

おなかがいっぱい。

やぎがのんびりあるいてる。

けんかしてもすぐなかなおり。

ちょうめいそうがたくさんはえ、

よなぐにうまが、ヒヒーンとなく…

 

与那国島ののどかな光景が描写されている。

ただ、この離島の素朴な少年を取りまく大人たちにはどこか特別な思惑や意図を感じて、違和感を覚えざるを得ない。まずこの絵本作家だ。

「今描かなきゃと思った。戦争のできる国に一部の人がしようとしている。大人として、絵描きとして、逃げることはできない」と感じ、引き受けたという。(長谷川氏、琉球新報の記事)

「戦争のできる国」と聞けば、どうしても今日政治問題になっている集団的自衛権行使の問題を想起せずにいられない。おそらく、この絵本作家の思想信条は朝日新聞に代表される行使容認阻止の立場に相違ない。絵本作家を含めて出版動機に特別な思惑が窺える。

そして、この絵本発刊の報道をしているのが、朝日新聞、毎日新聞、中日・東京新聞、沖縄県紙2紙といった左翼紙ばかりなのも当然といえば当然だ。産経や読売といった保守紙は全くといってよいほどこの絵本のことを取り上げていない。

つまり、この絵本を持ち上げることによって安部政権が進める政策が純粋な子どもたちに不安を与えかねないものであるという印象操作が行なわれているのだ。露骨な言い方をすれば、童心を利用して自分たちの主張を粉飾しようという不純な意図を感じる。

そして、この児童がこうした詩をつくった教育環境にも、失礼ながら余計な勘ぐりを入れたくなる。いわゆる沖縄の「平和教育」である。沖縄の教育界は全国でも最も日教組の影響力が強い県の一つといわれる。反基地指向が強く、自衛隊の活動に対しても冷淡だという。

その反面、最近沖縄尖閣諸島の領海侵犯を繰り返す中国の脅威には危機感が乏しい。現に与那国島が属する八重島諸島は尖閣諸島も含まれている。しかし、児童の詩の中に尖閣諸島をとりまく緊張感が全く感じられないのはのはそのためか。

そして、児童の詩の中に戦争についての描写がある。

せんそうは、おそろしい。

「ドドーン、ドカーン」

ばくだんがおちてくるこわいおと。

おなかがすいて、くるしむこども。

かぞくがしんでしまってなくひとたち。

 

あまりにも恐怖がリアルである。おそらく、児童に教師が教える戦争はこんな生々しいものなのだろう。その対比にのどかな島の日常があるのだが、その中間すなわちグレーゾーンがあることを本当は教えなければならない。米軍基地がそして自衛隊が沖縄で、島嶼の防衛のため平時も活動している現実がそれに該当する。

もし、教育でこうした米軍や自衛隊を戦争とストレートに結びつけるならば、子どもたちに誤解や偏見を与えかねない。またそうであれば当然集団的自衛権行使を巡る中央の論争に対しても子どもたちが特別な目で見てしまう恐れがある。

児童は詩の最後にこう結ばれている。

これからも、ずっとへいわがつづくように

ぼくも、ぼくのできることからがんばるよ。

この「がんばる」が特定のベクレルを持って進まないことを祈るばかりだ。

それと蛇足かもしれないが、児童の詩にもう一つ気になる部分がある。

へいわなかぞく、

へいわながっこう、

へいわなよなぐにじま、

へいわなおきなわ、

へいわなせかい、

へいわってすてきだね。

へいわの形容で足りないものがある。

「へいわなにほん」だ。これを飛び越していきなり「へいわなせかい」となる。11月の沖縄知事選でなんと「沖縄独立」を唱える候補者がすでに出馬を表明した。その候補者は米軍を撤退させて中国軍が進駐することも主張している。沖縄左翼は中国政府に秋波を送ることも厭わない。まさかこの児童を教える教師がそんな左翼だとは思いたくないが。


橋下徹新党と小泉細川連合が合流?

2014-06-28 15:37:06 | エネルギー政策

貧すれば鈍すとはこのことをいうのだろうか。橋下徹大阪市長が関西電力の株主総会で暴論を吐いて久しぶりにマスコミを賑わした。大株主大阪市を代表しての発言だ。

「再稼働なんてやっていたら会社が潰れますよ」「値上げなんて絶対に許しませんよ。原発推進は絶対だめ。いつ撤退するのか」と経営陣に迫った。また発言の終盤で「このままでは(電力)自由化に耐えられず完全に倒産します」と大胆な改革を求めた。(朝日新聞記事)

記事によれば、関西電力は原発事故以来3連連続の赤字を記録し、14年3月期では974億円にも上っているという。これは原発が停止し化石燃料の費用が増大したことによることは明かだ。この苦しい経営事情に対して橋下市長が「値上げは駄目」と主張する理屈がわからない。

大株主であれば、原発を再稼働して経営を安定するよう求めることの方が整合性があるはずだ。それを小泉純一郎・細川護煕元首相連合のように、「再稼働反対」を唱え再生可能エネルギー推進を強調することは、全く現実を無視した幻想に過ぎない。これは脱原発先進国ドイツのエネルギー政策が行き詰まっていることをみればわかる。

橋下氏は270万大阪市民の市政を預かる最高責任者のはずだ。それを引退した政治家の道楽のごとく、無責任な発言をするのは困った話だ。これも日本の維新の会が分裂し原発推進の石原共同代表の厳しい目から解放された(気兼ねする必要がない)ことが原因しているようだ。

テレビ朝日の報道ステーションで恵村コメンテーターがあの苦虫をかみつぶした表情で同様のことを指摘し、橋下市長に苦言を呈していた。朝日新聞の論説委員でもあるこの人物は、一昨年にあった週刊朝日「ハシシタ」騒動で橋下市長には快く思っていないこともあるが、これには自分自身同意だ。

党内の鬼?と袂を分けた後のこのはしゃぎようだ。「倒産します」などと発言するに及んでは、既に政治家を離れて市民活動家のレベルあるいは茶髪の弁護士で喝采を浴びるテレビタレントの次元といえる。

彼が当初掲げた「大阪都構想」は輝きに満ちていた。それを実現するために立ち上げた大阪維新の会も飛ぶ鳥を落とす勢いだった。原発政策も口では脱原発を唱えながら、大飯原発再稼働やがれきの広域処理を受け入れるなど現実的な対応を示した。しかし、国政に重心を置くようになってから大阪市政が停滞し、行き詰まるようになった。

そして今回の株主総会での暴言だ。これまで橋下市長には特別の好意を寄せてきた者としてとても残念でならない。維新の分党も予想外に少ない数だ。結いの党や民主党の一部が合流しても明るい展望が見えてこない。まるで敗残兵が群れをなすといったら酷だろうか。そして小泉細川連合との合流?これは悪夢でしかないが、雹が積もる時節柄だからもしかして…。

 

*当初の表題を変更し、本文の記事を加筆しました。


慰安婦問題の本質

2014-06-27 15:25:55 | 厄介な隣国

韓国で朝鮮戦争後、駐留の米国兵の相手をさせられていた韓国人女性122人が、韓国政府に謝罪と賠償を求めて訴訟を起こしたという。しかし、これは旧日本軍に対する慰安婦問題と全く構図は一緒である。

慰安婦として従事していたのは韓国人女性というのが共通している。ただ売春を管理するのは旧日本軍か韓国政府の違いがある。そして利用するのは旧日本兵と米軍兵かどうかだ。直接経営するのは民間業者だろうが、旧日本軍の場合も韓国系が少なくなかったともいう。慰安婦制度そのものが酷似しているのは、韓国の朴正煕元大統領が旧日本軍の仕組みを継承したといわれているので当然といえば当然だ。

結局今回訴訟を起こした韓国人女性は家庭の事情で本意の仕事でなかったにしても、本来自分が選択した道である。したがって国家に謝罪や賠償を求める性格のものではないはずだ。

同様なことは旧日本軍の慰安婦問題についてもいえる。これまた、親に売られたり業者の騙されたりして不本意ながら、慰安婦になった女性はいるだろう。しかし慰安婦として過分の報酬を得ている訳で、それを今更ながら日本政府に謝罪と賠償を求めるのはお門違いというものだろう。

まして韓国政府自身が、日韓基本条約を締結しておきながら日本に求めるのは天に唾する行為といわざるを得ない。今回は米軍慰安婦の問題で逆に韓国政府が糾弾されるのはその報いといえなくもない。ブーメラン現象、因果応報というべきか。

この期に及んで旧日本軍の場合は悪で米軍相手は善などという言い逃れは出来ないはずだ。しかも米軍慰安婦は朴槿恵現大統領の父親が創設している。二重の意味で弁解は出来ない。

朴槿恵大統領はあくまでも河野談話に拘るかもしれない。問題の多いこの談話であるが、一つだけ評価すれば、談話が過去の相克に終止符を打ち未来志向で日韓関係を築こうしたものともいえる。したがって歴史認識というこだわりを捨てて、関係改善に双方が取り組むことが何よりも最優先課題に違いない。


福島畜産農家の「悲痛」な叫び

2014-06-26 19:22:36 | 福島への思い

福島県浪江町の旧警戒区域で畜産業を営んでいた牧場主が東京の農水省を訪れ要望書を提出し庁舎前で抗議している動画を見た。原発から20キロ圏内にあるこの牧場の牛は農水省から殺処分を言い渡されていたが、牧場主の吉沢正己氏はいまだこれを拒み続けていいる。彼が飼育している牛330頭のうち約40頭に白班症状が見られ、その原因調査を「被曝による可能性を排除せず」解明を求め、同時に殺処分中止と餌の支援を要望した。農水省前に自分のトラック(白班症状の黒牛1頭が乗っている)を留めて切々と窮状を訴えた。

(国が殺処分を強要する)棄畜政策はやがて棄民政策に繋がると見ています。失業期に仮設住宅で人生の終末を迎えられない(迎えたくない)、でもそうやってくたばる人が続々出ます。津波で180人その上300人を震災を超える震災関連死。この夏、後2年もたないだろう(仮設生活でで犠牲になる人が出てくる)。

誰のせいだ、僕たちには原発事故を起した責任はありません。僕たち被害者避難民、被曝民だよ。なのにまともな賠償もなく仮設でくたばりそうになっている。自滅の道を今辿ろうとしています、僕たちは人生潰された、そして未来もない。ありません。

確かに、吉沢氏の悲痛な訴えは心底切実なのはわかる。ただどうも「自滅の道」とか「人生を潰された」あるいは「未来はない」などと話すことが絶望的すぎるのが気になった。福島県民ではない自分が敢えてこうした訴えに口を挟むのはどうかとは思うが、どうしても反原発の論理が支配的なのは否めない。原発事故の悲劇生を嫌が上にも訴える論法だ。

その証拠に白班症状を何としても被曝の影響と結びつけようとしている。「染色体や遺伝子の影響も含めて」といった言い方がそれを物語っている。あるいは本題に入る前に最近の美味しんぼでの「鼻血騒動」に触れている。すなわち「美味しんぼは政府の偉い閣僚さんが復興の福島に対する風評をお煽り立てよろしくないといっている。これは表現の自由に対する介入干渉だと思います。」と反原発側に特有の主張をそのまましている。

どうも彼の抗議活動を支援するグループが動画中にも背後で見られ演説で相づちをうったり拍手をしたりしている。おそらく、前述の「染色体や遺伝子の影響」といった言葉も彼らの差し金のように思える。

たぶん、この牧場主は元々は福島で実直に畜産に勤しむ農民だったのだろう。しかし、地域の畜産農家とは別個に単身で霞ヶ関の官庁で絶叫する姿に孤立無援の苦しさを感じないわけにはいかない。ある特別の意図を持った団体に誘導されるような危うさが垣間見える。遠路トラックでこんな都会に見せ物のように連れ出された黒牛がとても淋しそうで哀れに思えた。

 

「早く結婚した方がいいんじゃないか」

2014-06-25 11:04:37 | 国内政治

都議会でのセクハラヤジは自民党議員一人が名乗りを上げたが、いまだ騒動は収拾しそうもない。鈴木章浩議員が塩村文夏議員に「早く結婚した方がいいんじゃないか」とヤジを飛ばした。しかし「産めないのか」の方はいまだ発した人物が特定できない。考えようによってはこちらのヤジの方が深刻なのではないか。

いずれのヤジも問題であるが「結婚した方がいい」云々はある面理解できなくもない。最近の報道では、東京都が全国で最も特殊出生率(一人の女性が一生で産む子ども数)が低い。昨年度の統計では全国平均1.43人に対して東京とは1.13人と最低である。つまり東京は結婚しないで働く女性が最も多いということだ。

最近若者の晩婚化が問題になっているが、「なかなか結婚しない」理由は男女によって全然違う。男性は収入が不安定といった経済的理由が多いが、女性の場合は家事よりも仕事に人生の価値を見いだしているというのが一般的だ。特に経済の中心地である東京の場合顕著だ。その結果出生率が全国最低ということになる。

だから塩村都議が「子育て支援」を議会で質問した際に鈴木都議が「結婚すればいいのに」とヤジを飛ばしたのはある種正論ともいえる。女性の場合は「結婚できない」のではなく、「結婚しない」ことが現状で多いのだから。

ただ、ヤジの中で「家に引っ込んでいろ」といった趣旨のものがなかったのは救いである。男性議員が女性に子育てをしっかりすることを求めても仕事を続けることは否定はしていない。だから鈴木議員のヤジが女性差別や女性蔑視と糾弾されているが少し話が違う気がする。鈴木議員もヤジでなくもっとまともな場面で発言していればこんなに騒がれることはなかったのではないか。

むしろ「産めないのか]の方が悪質であると思う。出産は夫婦共同の問題であり、産むかどうかは経済的なことを含めて女性だけが責任を被う話ではないからだ。「産めないのか」というヤジの主が名乗り出ない限りこの騒ぎは治まりそうもない。

追記1:「好事魔多し」とはよくいったものだ。この塩村文夏都議について過去の醜聞がまたぞろ取沙汰され始めた。週刊誌もこれを嗅ぎ付けているようだ。

追記2:都議会でのヤジのうち、「産めないのか」というのは正確ではなかったようだ。本当は「自分が産んでから」と見られる。だとしたら、全然意味合いが違う。「結婚したほうがよい」という発言と同じ次元の話だ。ここらで幕引きも致し方ない。そうでないと、今後は塩村都議の方に糾弾の刃が向かいそうだ、