粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

脱原発アイドル

2012-05-10 11:21:26 | 煽りの達人

原発事故以来、様々な学者やジャーナリストがメディアを賑わすとともに、文化人や芸能人も数多く突然声を挙げたりした。原発、正確には「脱原発」バブルといってよいかも知れない。その中には一時「脱原発のジャンヌ・ダルク」ともてはやされた少女がいた。藤波心ちゃんという当時14歳の中学生アイドルである。その仕掛人は雑誌「アエラ」であり、事故当初に「脱原発の思い」をブログに綴る彼女をいち早く紹介したのが発端だった。そしてあるラジオ局(昨日言及した)にアエラの編集長と岩上安身氏とともに彼女が出演して注目度が上っていった。その後様々なメディアに登場したり、最近では「反原発映画」にも出演するなど「アイドル度」を高めていった。

事故当初に彼女のブログを見て、私には14歳の少女にしては考え方に余りに偏りがあると感じ、そのブログのコメントに「もっと視野を広げて欲しい」云々の投稿を思わずしてしまった。そしたら、本人を始めそのネットのファンから自分への反論がしばらく続いた。こちらがそれに再反論しても決着が付くものでないと思いそのまま無視して、以後ずっと彼女のブログを訪れることもなかった。

しかしある人のTwitterを最近見ていたらたまたま彼女のツイートが紹介されていたので、久しぶりに彼女のブログを訪れてみた。すると3月11日の震災後1年についての簡単なコメントを最後に更新がされていない。実質的にはその前の2月のブログで彼女の本音が綴られていた。今は15になった女の子らしい気持ちも吐露されているが、その年からぬ「脱原発」の激白もあり、自分自身複雑な気持ちになった。

ブログには直前にあった人物とのツーショットも掲載されていたが、それを見て驚いてしまった。武田邦彦中部大学教授、早川由起夫群馬大学教授、上杉隆氏なと「錚々たる」反原発論者ばかりだ。もはや「良識」ある脱原発のメディアやジャーナリストも相手にしなくなった「異端児」ばかりで、彼女自身「環境的」に大丈夫なのかと心配してしてしまった。

しかし閲覧者のコメントをみてさらに驚いた。「炎上状態」なのである。彼女を批判する執拗なコメントが延々と続いていた。その度に彼女やそのファンの反論が繰り返されている。1年前は彼女のサイトはファンの声で埋め尽くされていて、自分のような「異邦人」は袋叩きにあうのが関の山であった。しかし現在ブログの更新されず、炎上状態の様相であって、まさに様変わりした感がある。

ただ彼女のTwitterの方は未だ意気盛んだ。たしかに原発問題に関していろいろ勉強しているのは分かる。見た目はまさにアイドルの名に恥じないかわいさだが、その舌鋒は鋭く頭の回転もよさそうだ。しかし私の目から見れば、自分に都合のよいデータや事実ばかりを引用して「持論」を導こうとする感じがし、「視野」の狭さを意識してしまう。

衰えてきたとはいえ、まだ「脱原発」の潮流は残っているのだろう。しかしそんな流れもいずれ収まる。世のメディアなど日和見で冷淡である。このまま「脱原発アイドル」なんて通用するはずがない。彼女にはどんな将来が待ち構えているのだろう。Y.T君のような底の浅い芸人?にだけはなって欲しくないと思う。