粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

超過激反原発派教授の転向?

2012-05-25 10:25:32 | ガレキ広域処理問題

早川由起夫群馬大学教授といえば、福島差別ツイッターで大学から訓戒処分を受けた、泣く子も黙る超過激な反原発派として知られる。しかし最近の彼のブログをみて「おや」と思った。自分も最近取り上げている北九州市の広域ガレキ受け入れ問題だが、これに反対する運動を「東北差別」としているのだ。

ブログには、抗議活動の写真が掲載されている。ベビーカーに乗った幼児達をまるで防御の楯にするかのようにして公衆の面前に晒す異様な光景だ。ブログは2人の抗議活動支持のツイッターを紹介した後、教授がこれを批判するコメントを載せている。


異様な光景だ。赤ちゃんを乳母車に乗せた若い母親たちが結集している。この写真は、撮影者の意図とはまったく逆の意味で世界にアピールできる。宮城県石巻市の津波がれきを焼却したときの放射能汚染の程度を調べるために、北九州市ががれきを搬入した日。東北差別が始まった日として、長く記録されるであろう。


自分も最初この写真をみて教授と同じことを思った。自分の印象を教授が「代弁」してくれているとさえ感じた。ひょってとして、早川教授はこれまでの目に余る差別発言を懺悔して「改心」したのかと淡い期待を持ったが必ずしもそうではないようだ。

別の教授のツイッターではこうもつぶやいている。


がれきを日本中に広げるのは、もちろん政府による放射能拡散策だ。しかし、このがれき拡散に反対する住民運動は、やがて東北を切り捨てる空気をこの国に形成する。政府がそこまで考えてがれき拡散をいま熱心に進めているのならスゴイ。辣腕(らつわん)政府だ。


要は「ガレキ反対の皆さん、そんなに騒ぎなさんな。こんなことしたら国民特に東北の人に反感持たれますから、大損ですよ。漁父の利で政府が喜ぶのだから」という具合だろうか。やり方が間違っている、ガレキよりも食品だというところか。しかし、ひとつだけ教授を「評価」するとしたら、「幼児を運動の道具にして情緒で行動する異常さ、危うさ」を批判していることだろう。「この写真は、撮影者の意図とはまったく逆の意味で世界にアピールできる」という表現からも窺える。その点はまだ現地の活動家よりは理性が働いているのではないか。

しかし、ネットでは教授のブログに、「反原発原理主義者」は猛反発。なんと教授を「御用学者」とまで指弾する人間が出る始末。それに教授も応じるバトル、「岩手・宮城の農産物をくらうことは瓦礫を焼却するより1000倍あぶない。」とも。まさに内ゲバの様相だ。

反原発派たちは今や過激な「危険ごっこ」にエスカレートしている感じだ。少しでも「危険」から逸脱しようとする者は糾弾される。したがって以前ブログでとり挙げた「反原発論者の忌み言葉」(4月17日、18日)にもうひとつ加えるものがあるとしたら「安全」という言葉に尽きるのではないか。