粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

「週刊現代化」した報道ステーション

2012-05-27 08:34:00 | 反原発反日メディア

25日に放送されたテレビ朝日の「報道ステーション」は、昨年原発事故直後に盛んに繰り広げられた週刊誌の煽りを思い出してやりきれなさを感じた。さながら今回の番組は一時の週刊現代の究極の煽りを彷彿させる。福島第一原発の4号機燃料プールで今後の大きな地震の際に起こりうる危険性について、これでもかと無理矢理危険を探し出して煽り続ける。

まず懸念されることはこうだ。

1、冷却用の配管が壊れ、プールに給水ができず燃料棒がむき出しになって温度上昇で放射能が漏れだす。

しかし専門家の話だと、「既に相当燃料棒は冷やされていて、逆に破壊された建物の外側から空気が入り込み冷やされる。100度から300度ぐらいにしか上昇しない」というのが彼らの一致した予想だ。番組がこの予想を「意外」と解説しているところにその意図、本音が見え隠れする。

しかし番組は更なる危険を用意する。

2、大きな地震で燃料プール自体が下に崩れ落ち、燃料棒が重なり合って空気や水が及ばない状態になる。

そこで起きる危険について、ある研究機関の実験を紹介している。温度が急激に上昇し700度あたりで燃料棒を覆う管がその熱のために破裂し、最後はあのメルトダウンが起こるというものだ。

これが番組が想定する最悪のシナリオだ。これに対して、東電側は地震で燃料プールが崩れ落ちることがないように支える補強工事をすませており、以前の1.2倍まで耐震強度が高められていると安全性を強調する。

しかし番組は、あくまでも「危険モード」に終始していた。ゲスト出演している評論家の佐野真一氏が「身につまされる」「(東電の言っていることは)原子力村の論理であり、外では通用しない」「背筋が寒い、空恐ろしい」そして極めつけは「日本だけの沈没ではない,世界的な規模で沈没が始まってしまう」とまでいう。この評論家特有の反原発観を得意になって、しかも情念を前面に出して語っている。聞いていて不快感ばかりが募る。佐野氏は東電の「安全だと安易に言う鈍感力」を批判している。しかし、危険という名の鋭利な言葉で煽って、福島の人々を苦しめているのに気がつかない「鈍感力」をどう考えているのだろうかと、逆に聞きたくなる。

古館キャスターの話も自分には独善的にしかに思えない。警戒地域の解除による住民の帰還を「東電の賠償金切り捨て」と決めつける。「帰りたいけれど賠償がなくなるのは、逆に「帰るな』と言っていることではないか」と余計な勘ぐりをする。東電や政府への不信感むき出しだ。

しかしそんな不信感ばかりをテレビという媒体を使って一方的に流すことがメディアの役割とは決して思わない。テレビ朝日が東電に変わって避難民に賠償するわけではない。「東電憎し」に終始するのなら過激な報道で部数を増やした週刊現代と少しも変わらない。