粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

日本の国力

2012-10-31 12:19:37 | 国際時事

最近アフリカに企業進出している中国人が、現地人に襲われる事件が多発している。9月にカメルーンと中央アフリカで中国人労働者が武装集団に襲われたに続き、10月には、ナイジェリアで建築現場の中国人が銃撃戦に巻き込まれた他、料理人が強盗に銃殺された。

中国は経済成長を進めるため、アフリカの豊富な鉱山資源に注目し、近年急激に同地域に進出し関係を強めてきた。道路などインフラを援助するのと引き換えに、地元の鉱山資源の権益を独占する。なかにはスーダンやジンバブエなどの独裁国家に急接近し、欧米諸国の非難を浴びている。

中国のアフリカ進出で特徴的なのは、中国企業がコストを抑えるために本国から大量に労働者を送り込んでいることだ。その結果、鉱物資源採掘による利益が中国企業に独占され、その恩恵が地元国民に及んでいないという不満は強い。

アフリカには一般には50万人ほどの中国人が駐留しているというが、実際は倍の100万人に及ぶのではないかとされている。なかには個人的な企業が一攫千金を狙い中国人労働者を安い賃金で不法に雇用しているケースも少なくないようだ。

アフリカ諸国の独裁体制に目をつぶり、自国の権益だけに奔走するとしたら、中国は新植民地主義と批判されても仕方がない。中にはインフラの公共事業すら中国企業は手抜きをして問題になっている。それには対する地元国民の反感は高まりつつある。

アフリカではないが、最近ミャンマーで民主化がはかられ、日本や欧米諸国が活発な企業進出を推進している。その背景にはミャンマー国民の中国企業への不信、反発が本音としてあるようだ。それは前述のアフリカ諸国の人々が抱いている感情と共通するものがある。

中国企業全てがもちろん問題があるわけではないが、その傾向は日本、欧米諸国より強いのではないか。中国企業そしてその背後にいる政府が地元の国民からそうした悪しきイメージで見られているとしたら、それは中国の国力そのものの限界を意味する。いくら経済力、軍事力を背景にその国力を顕示しようにも相手国の尊敬を受けなければ影響力にも疑問符がつく。逆に日本は地元国民の期待にこらえる力量は充分あるに違いない。

日本は経済力でも中国に抜かれて、その国力に自信を失いつつある。しかし、こうした諸外国からの期待、いわば「尊敬力」こそが貴重な国力になるのではないか。他国の文化を尊重し、ひも付きではなく相手国の民生向上に尽くす姿勢、それに伴う地道な実績が日本の活路を切り開く一つの鍵になると思う。


正常化に向かう日中関係

2012-10-30 14:27:10 | 厄介な隣国

尖閣諸島問題に端を発した日中関係の緊張関係は、結果的には痛み分けで終わりそうだ。中国の一方的な反撃攻勢からすれば、それに動じなかった日本に分があったともいえる。産経新聞の石平氏のコラム、中国という「張り子の虎」はそれを如実に解説している。

結局、中国商務省高官の「経済制裁発動」示唆や国防相の「(日本に対して)行動する権利を留保する」との発言も実行されることもなかった。石平氏によれば野田首相が「尖閣で妥協しない」と宣言しそれこそ「半歩も譲らない」との姿勢が中国側の史上最大の対日攻勢を徒労に終わらせた。虚勢を張る以外に何もできないという中国の「張り子の虎体質」がそれで、白日の下にさらされた、と。

石平氏は今後も日本は中国の圧力に屈して領土問題の協議に容易に応じることなく、毅然と対処することを提言している。まさに正論だろう。

考えてみれば、日本企業は中国経済に確実に根を下ろしており成長を牽引してきた。その影響力は無視出来ない存在になっている。反日暴動で日本企業が操業停止に追い込まれて苦境に立たされたが、それは同時に中国国内の雇用を悪化させる。消費も減退し結果的に成長にも重大な障害要因となる。

今後日中関係は水面下で徐々に改善の方向に向かうと考えられる。経済はそれに合わせて、いやそれ以上早く正常化に向かっていくと思う。今後も中国は領土問題では様々な方向から攻勢をかけてくるだろう。しかし日本は、それに動じることなく毅然と自国の立場は主張すべきだ。どこかの外交評論家やメディアのように尖閣諸島問題は日本が原因をつくったなどと能天気なことをいっている場合ではない。


被災地に抗議の陳情書を送る神経

2012-10-29 11:47:42 | ガレキ広域処理問題

がれきの広域処理を中止するように求める陳情書が宮城県議会に615通岩手県議会に946通届いているという。地元からのものは少なく、大半が県外のようだ。たとえば、岩手県では大阪や愛知からが集中しており、これは来月早々大阪府などが岩手のがれきの試験焼却を始めるためにその阻止活動の一環と考えられる。

広域処理を始める自治体への抗議に飽きたらず、その処理に困っている被災地に抗議する神経が全く理解できない。これまで何度もブログで書いてきたが、これらがれきは普通の震災がれきに過ぎず、全て各自治体が試験焼却で全く問題ないと判断したものばかりだ。

こんな当たり前のことが理解出来ず、放射能の健康被害云々を言っている人々の頭の構造を疑いたくなる。最初からがれき=危険と決めつける偏狭な考えの持ち主だろう。そしてこうした理不尽な行動は反社会的なテロ行為といってよいと思う。

またその行動は組織的な団体活動の一環ともいえる。それらしき団体のブログを見ると、抗議する対象の担当部署名、メールアドレス、電話番号などが詳細に記されており、即座に発信出来るようになっている。まさに池田信夫氏もブログで指摘するように「反原発カルト」ともいうべき過激な組織といえる。それがネットを通じて簡単にアクセス出来て、呼びかけに応じられる。

ネットによるテロ行為は今の段階ではなかなか規制するのは難しいのが現状のようだ。したがって抗議を受けた自治体がそれに怯むことなく、粛々と業務を遂行していくことが肝要で唯一の対処法だろう。現に両自治体に、こうしたテロ行為に動じる気配が全く見られないことが救いだ。

お詫び:試験焼却が「来年早々」と当初記しましてしまいましたが、正しくは「来月早々」でした。お詫びして訂正いたします。


石原新党の今後

2012-10-28 08:44:39 | 国内政治

石原新党が迫り来る総選挙に向けて動き出した。決められない今の政治を打開すべくその期待は大きい。国政が安定していれば調整型のリーダーで充分だが、こんな混迷した時代に反対派を押し切る強力のリーダーシップが今求められている。

石原慎太郎氏の指導力には大いに期待したい。ただ彼の人間的魅力だけでは、影響力を充分発揮出来ない。一番気になるのは、思想的に右翼的色彩が強すぎることだ。また彼が母体とする「立ち上がれ日本」が70代の高齢者ばかりで、若く清新なイメージに乏しい。さらに彼の硬派的性格では女性へのアピールが弱いといえる。

今のままでは彼の信条や人間性から支持する人はいるだろうが、非常に限定的であまり議席は期待出来ないだろう。やはり若い世代、女性を巻き込み一般国民に広くアピールすることが肝心だ。そのためには党の中枢に20歳代30歳代若い世代、40歳代50歳代の壮年世代、さらに魅力ある女性を据える必要がある。それもあまり右翼的性格の強くない人物が好ましい。

ただどうしても、選挙も近いし、なかなか政党の体裁を整えるだけの時間もない。やはり他政党との連携が必要になる。今その相手には橋下大阪市長率いる日本維新の会しか考えられない。しかし政策面でいくつか異なるが、特に原発政策とTPP参加で全く立場が違う。

自分は石原氏の理念、政策、信条には大方賛成だが、TPP問題で否定的なのには同意しかねる。尖閣諸島問題で日中関係がこの先不透明な時代に、中国と距離を置くTPP参加国との関係強化は重要だと考える。一方彼の原発容認の姿勢(完全推進でない)は現実的で全面的に賛成だ。しかし橋下大阪市長はその点どうなのか。この辺の両氏の調整が今後の課題だ。これをクリアーしなければ石原新党も日本維新の会も将来的に厳しいだろう。



官邸前デモなど所詮ファッション

2012-10-27 09:35:58 | プロ市民煽動家

今はもはや世間の話題にもならないが、毎週金曜日の官邸前デモが昨日26日相変わらず行われていた。「再稼働反対」「原発やめろ」の合唱こそ威勢はいい。しかし、何かとにぎやかだった7月ごろと比べて決定的な違いがある。いうまでもなく、デモの動員数とメディアの注目度である。

動員数でいえば、今はせいぜい数百人程度、主催者発表20万人を豪語した最盛期と比べると何百分の一、落ち込みは遺憾ともしがたい。それ以上に酷いのはメディアの関心、もはやテロップもベタ記事さえもない。あれだけ一時は、「国民大多数の民意」「かつてなくわき上がる新しい潮流」「今後の日本の重要な指針」などと持ち上げて、官邸前を練り歩く人々をまるで時代のヒーローのごとくフラッシュを浴びせていた。しかし、いまや官邸前の歩道には、もはや報道カメラもない。結局、メディアなどそんなものだ。「報道価値」がないとわかるとあっという間に手を引く。現金なものだ。

一体、この官邸前デモは何だったのだろう。所詮ファッションに過ぎなかったのではないか。一時はあのNHKも特集を組んで官邸前デモを紹介していた。特にひとりの若い主婦に焦点を当てて、「一般女性が社会に問題意識を持ち自主的に行動する姿」を、新しい潮流のごとく描いていた。しかし自分には彼女が退屈な日常から抜け出したくそのはけ口を求めてデモ参加に至ったようにしか見えなかった。

デモ参加は、「新しい自分探し」の一つの答えであり、「自分から社会に向かって行動する」ことで自分のプライドをくすぐる。おまけにカメラの放列から浴びせられる熱いフラッシュに自分が時代のヒロインごとく酔いしれる。

しかし、今はそんな華々しさもなく、淋しい集団のなかで「再稼働反対」「原発やめろ」の騒々しく機械的な絶叫ばかりが鳴り響く。もはや、かっこ悪くダサく思えてくる。とても「ファッション」にはなりえない。潮が引いていくのは早い。こうしてヤングミセスの一夏のアドバンチュールもあっけなく終わる。気まずさを残して。

まあ、これで終わればそれで良いのかもしれない。下手をすると、特定の思想にかぶれて、どこかの自治体の焼却場で「がれき焼却やめろ!」と子供を連れ出して絶叫しないとも限らない。再びカメラの放列の前で。