またがれき広域処理に反対するサイトについてだ。例の木下黄太氏、この問題で反対運動をまるで自分のライフワークにしているようだ。彼の20日のブログをみると、ある市役所課長の「暴言」が取り上げられていた。
北九州市で進めているガレキ広域処理の担当課長が、これにクレームをつけにきた「陳情者』に対し「ガレキで騒いでいるのはおかしな避難者だけ。市民は賛成している。おかしな避難者が反対しても関係ない」と言ったという。その課長はそれ以前も「避難者のアホどもが、また来とる。」と語っており、度重なる「暴言」に木下氏の怒りは頂点に達しているようだ。
たしかに「避難者のアホ」は役所の課長の言葉としては不適切であろう。しかし日頃反対運動の過激さに不快感を覚えている私としては、この課長は自分の率直な気持ちを語っていると思う。また事実「避難者」が中心になって反対しているケースは多い。
北海道苫小牧市でも同様の反対が起こっているが、それを指導しているのは宮城県からの避難者たちのようだ。問題はその「避難者」が「特別な被害感覚」の人間だということだ。そして自主的避難でも近隣の宮城や首都圏からの人が多く、意外と福島からの避難者で積極的に運動に関わっているケースは少ないということだ。
福島からの避難者の心情は実際複雑だ。警戒地域は別として、地元には事情によって避難が出来ない人もいる一方で、避難はさほど必要もないと考えているいる人もいる。後者がずっと多いということもよく聞く。そして福島から自主避難した人たちにとって、そんな地元に残る人に対して自責の気持ちと反感という相反する感情が複雑に交錯している。だから自分自身表立って避難地で反対運動に加わる気にはなれない人が多いようだ。
反対運動を積極的に推進している人たちは、むしろ首都圏など放射能汚染が比較的軽微な地域に住み、その被害を「確信」して特別な「意志」で避難してきた人たちが圧倒的に多い。これをいうとまた女性差別のそしりを受けそうだが、やはり幼い子供を持つ母親が多いのではないか。
たぶん北九州の場合でも、こうした母親とおぼしき陳情者たちが担当者に向かい「子供の健康被害」を声高に主張したのは想像に難くない。しかも放射能危険の「確信者」だから、担当課長も対応に苦慮したことだろう。「暴言」がそんな背景から出たとしたら同情するところは大いにあると思う。